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2009年10月27日 (火)

沈まぬ太陽 陽は登り陽は又沈む 矛盾でもこれが現実

P1000166_2 P1000164 沈まぬ太陽見て来ました。久しぶりの映画館。大阪は長い間梅田の一等地にロードショーの映画館があったが、今はビルの中にある。

映画館が娯楽の一本柱だった時が過ぎ今は映画館に足を運ぶ事すら無い。娯楽の中心が多様化し映画がシネマと変わる。今日行ったのもシネマコンプレックス。シネマが何でコンプレックス?

1つの劇場で多くの映画が見れる、多くのスクリーンがある方式をコンプレックスと言うのやら。お分かりか。知っている。

109シネマコンプレックス、東宝系の映画館。梅田の劇場で無く箕面の萱野で見る。何で箕面?劇場も本格的だったから?ん。でも予想以上の音響効果。シートもゆったり。クッションも良かった。

劇場の評価は良好。観客も年寄りが多く、マナーもまあまあ。それにしても食い物の持ち込みだけは止めてほしい。

映画のポスターはケースに入れられショーケースの中で地味。看板もなし。この劇場では他の映画も有り、この扱いもやむをえなし。

スクリーンナンバー8.席は後方中央。先週土曜日公開の映画。宣伝も気合が入ってお金を掛けているので、入場者も少なくなかった。

さすが平日だから同輩のおばちゃんも少なくなかった。左側のおばちゃんは静か、右はポップコーンを口の中でつぶしてはいたが、2人連れ、解説が入る。

P1000168 近接のスーパー。開業の時は10年前。そんなになるかな?開業時は手前の幹線道路まで車であふれ、大変な交通渋滞。多くの警備員であふれていた。あの時の賑わいは無い。閑散としている。

それでも一時の客離れも落ち着き、フランス資本のスーパーから国産大手のスーパーに変わり何とか持ち直したのだろうか?今、食料品、生活必需品まで価格競争の波は大きい。

親父はどんなに安くてもパンツ並みのジーパンをはく気は無いが安ければ三けたのズボンをはくのか?信じられない。自分の首を自分で絞めている事に気づいていない。景気は良くなる?筈?

P1000174 帰りにこのバス停まで歩く。映画を見てそれまで辛抱していた涙が溢れる。それ程に原作に忠実で主人公の生き様が描写されていた。多くの話に無駄が無く皮肉にも人の醜さと、苦しみ、欲望と純粋。多くの思いがアフリカの大地に吸収されていた。

このバス停の名前。萱野三平も赤穂の浪士。わけあって吉良邸の打ち入りには加わらなかった。親父も理由は分からない。このバス停まで今年の正月も歩く。何かの因縁か?

流石にここまで歩くと頬伝う涙も乾いていた。アホカ。

P1000170_2 バス停でバスの時刻を見る前に、雲の合間に見える太陽は輝いていた。下の暗闇は農地。アフリカの大地とは比べ物にならないが、実際はこんなに暗くない。何故かこの地ばかりが農地が残っている。この景色は親父が大阪に来た頃、45年前とあまり変わらない。変わったのは先の病院とビル群だけ。

P1000175 P1000173

P1000176 このホーム。親父が箕面の寮から通勤した頃と何も変わらない。43年前。この手前と少し先からは高架になっている。

ここが高架に出来なかったのも、人間の思惑。今からあの当時にタイムスリップは出来ないけれど、ドラえもんに頼めば出来るかな?無理です。

線路は続いても人生には終わりがある。少年老い易く学成り難し。光陰矢の如し。駅舎は変わっても進歩はない。

黒々としていた髪の毛は白髪になり、ハゲになってもあの当時の思いを忘れてはならない。

お土産によもぎと豆の大福を買う。

P1000161 今度見る風景はどんな風景だろう。秋が進み木枯らしが舞う時、この風景は寒くなる。ちぎれ雲が寒風に吹き流される時、今年も終わる。

あと2ヶ月、風邪引かずに足腰鍛えて良い年を迎えましょう。11月の2日。掛川に行きます。2度と行く事は無いと心に決めたあの思いが変わる時、どんな景色を見れるだろう。

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