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2009年10月

2009年10月31日 (土)

小春日和(こはるびより)

今日はお休み。雲も風もない快晴。こんな日は本当に太陽の贈り物に感謝する。人間は醜い生き物で何かを犠牲にしながら生きて来た。何時の間にか経済優先、経済発展の為なら環境破壊もやむなしと平然な顔をして言っている。そうではないだろうと思いながら経済発展の為に人間が何をしてきたか考えて見ると頭を垂れざるを得ない。今その事が問われている。

何もそんなに大上段に構える事もない。この国の経済発展の歴史を見ても人の命を軽視し、環境の保全を蔑ろ(ないがしろ)にした企業の行く末は実に哀れである。この国の経済を支えた多くの企業の栄枯盛衰を見れば、その事を学ぶ知恵が必要かもしれない。

しかし、言うは易し行うは難し。誰も無難な道を選ぶ。好き好んで火中の栗を拾う馬鹿はいないだろう。どんなに立派の事を言っても自分の生活、自分の好き嫌い、自分の利害を超える事は無い。今、日本航空の経営が問題なっているが何を今更とせせら笑う輩も少なくない。

会社を食い物にしても会社の為に献身的に働きもせず、自分の事しか考えられ無くてもそれが正道と信じている。この国の経済が世界でナンバーワンと言われた時はそんなに昔の話では無い。その同じ経済がダッチロールを繰り返せば後はどうなるのか?暗澹たる(あんたんたる)思いに突き動かされる。

それでも案じる事は無い。その事は今日の様な天気に表れている。小春日和。嵐も在れば風も吹く。女の道よ、何故険し。そんな歌があったが今は女の道だけではなく男の道も同じかもしれない。ニュースはアナウンサー、コメンテーターが伝える物は氷山に一角。それ以上に多くの人の嘆きと哀しみ、歓喜と喜び、感謝の思いがある事を知らなければならない。

小春日和。この言葉も信じられない事に知らない事を疑問に感じないお馬鹿も少なくない。親父は流石に言葉は知ってはいたが意味を勘違いしていた。だから偉そうなことは言えない。小春日和。春の暖かく穏やかな日と言葉のイメージで考えていたがこれは間違い。

晩秋から初冬にかけて移動性高気圧におおわれた時の穏やかに暖かい天気の事。小春とは陰暦(中国の旧暦)10月。現代の太陽暦で11月。この頃の陽気が春に似ている為、こう呼ばれている。小春は俳句で冬の季語とか。知ったかぶりはアカン。(パソコンの用語辞典)

この言葉も英語では少し意味が違う。小春日和を和英辞書で引くとIndian、summerとある。なんでインディアン、サマーなの?これでは意味が違わない?晩年の穏やかで幸福の日々。この意味の英語は? 晩年 in one’s last year  穏やか moderete  ?

明日は雨で来週は一気に寒くなる。2日の日。静岡掛川の空っ風はどうだろう?未だ寒太郎には早いけどどんな寒さで親父を迎えてくれるのかな。二度と足を踏み入れる事も無いと思っていた地方の街を知る人も少ない。それでも商店街は寂れても(さびれても)人の生活は豊かに違いない。地方の整備が遅れているとか言われるが、この街にデカイサッカー場が税金で建てられていることを知る人は少ない。

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2009年10月28日 (水)

疲れを貯めるな。お金を貯めよう。

P1000174 昨日罰あたりの事を書いたので、一気に疲れが出る。沈まぬ太陽の映画は大当たりだったが、萱野三平の事を何も知らずに47士に名を連ねていない理由を無礼に書いていた。

ここには当然、記念館がある。このバス停で今年2回も乗車したのも何かの縁だろう。近いうちに必ず訪問して合掌する。三平は赤穂城主浅野氏の切腹、お家取り潰しを江戸から赤穂まで早駕籠(かご)でこの実家の前を通る。その時、母の葬儀だったと言われている。

それでも主君の一大事を赤穂の城に伝える為に立ち寄る事は出来なかった。一刻を争う緊急事態。猶予は無かった。江戸から播州赤穂。どれ位の時間が掛ったのだろう?それでも過酷なドラマはこの後も続く。その事を何も知らず親父ごときが言葉を語るのは、真に不謹慎。必ず行きます。そしてしっかりあなたの生き様、苦しみ、葛藤を勉強します。

他にも疲れの理由は在るがストレスも溜まっているのだろう。何もそんな感じはしない?イヤイヤ人は見掛けによらない。お金は貯まらないがストレスは溜まる。今に見てろ、今にと思いながら考えて見ると何も改善していない。変わった事と言えば金と健康に困らない事か?

アホ。冗談です。6畳一間の風呂なしの1Kでエアコンも今年も買えなかった。そろそろこの部屋ともお別れですが何時頃になるのか、その目途は無い。壁一つ、べニアのドア1枚の部屋はストレスもたまる。それ以上に生活弱者、これからの高齢者を支えるのは余裕です。

どんなにデカイ口を叩いた所で人の生き方は豊かではない。どんなに豊かな生活をしていても健康でなければ哀れでしかない。日々の生活に追われているとその当たり前の事すら見失う。どんなに立派な事を言った処でそれを支えるのは何であるか?忘れていないか?

長期金利が上がり国債が売れない。景気は回復基調にある?政権交代で国民主体の政治と経済?多くの問題を多くの人が語る。その顔触れを見て愕然とする。親父よりも10歳上?オイオイオイ。どこかの政治家が入っていたな。黒いネコでも白いネコでもネズミを取るのが良い猫だと。その国が今、どれだけ経済発展をエコノミストがもてはやしても、経済発展だけでは救われない。中庸、この言葉も最近聞かないが程々にしないと矛盾が炸裂する。

コンビニで携帯と自宅電話の支払いを済ませて、特濃ミルク飴を買う。疲れが取れるの宣伝文句に乗せられる。一袋105グラム。柔らかい飴を期待したが固い。歯がきしむ。噛み割ろうとするから難儀。それでも歯が命の親父。なんなく噛み割る。一袋が無くなる。アチャーパア。

昔、昔、大昔、(それほどでもない君達が幼い頃) 車で出かける時名前は忘れたが柔らかいキャラメルを買っていた。あの頃は戻って来ない。それでも今揃えている鉄道全路線50号が揃えば後は行くだけ。どれ位行けるかな?来年のスイス登山鉄道と同じ位楽しみです。

PC思い出し。キャラメルの名前はチェルシーはママの味だった?シバの女王を聞きながら今夜もお休みです。

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2009年10月27日 (火)

沈まぬ太陽 陽は登り陽は又沈む 矛盾でもこれが現実

P1000166_2 P1000164 沈まぬ太陽見て来ました。久しぶりの映画館。大阪は長い間梅田の一等地にロードショーの映画館があったが、今はビルの中にある。

映画館が娯楽の一本柱だった時が過ぎ今は映画館に足を運ぶ事すら無い。娯楽の中心が多様化し映画がシネマと変わる。今日行ったのもシネマコンプレックス。シネマが何でコンプレックス?

1つの劇場で多くの映画が見れる、多くのスクリーンがある方式をコンプレックスと言うのやら。お分かりか。知っている。

109シネマコンプレックス、東宝系の映画館。梅田の劇場で無く箕面の萱野で見る。何で箕面?劇場も本格的だったから?ん。でも予想以上の音響効果。シートもゆったり。クッションも良かった。

劇場の評価は良好。観客も年寄りが多く、マナーもまあまあ。それにしても食い物の持ち込みだけは止めてほしい。

映画のポスターはケースに入れられショーケースの中で地味。看板もなし。この劇場では他の映画も有り、この扱いもやむをえなし。

スクリーンナンバー8.席は後方中央。先週土曜日公開の映画。宣伝も気合が入ってお金を掛けているので、入場者も少なくなかった。

さすが平日だから同輩のおばちゃんも少なくなかった。左側のおばちゃんは静か、右はポップコーンを口の中でつぶしてはいたが、2人連れ、解説が入る。

P1000168 近接のスーパー。開業の時は10年前。そんなになるかな?開業時は手前の幹線道路まで車であふれ、大変な交通渋滞。多くの警備員であふれていた。あの時の賑わいは無い。閑散としている。

それでも一時の客離れも落ち着き、フランス資本のスーパーから国産大手のスーパーに変わり何とか持ち直したのだろうか?今、食料品、生活必需品まで価格競争の波は大きい。

親父はどんなに安くてもパンツ並みのジーパンをはく気は無いが安ければ三けたのズボンをはくのか?信じられない。自分の首を自分で絞めている事に気づいていない。景気は良くなる?筈?

P1000174 帰りにこのバス停まで歩く。映画を見てそれまで辛抱していた涙が溢れる。それ程に原作に忠実で主人公の生き様が描写されていた。多くの話に無駄が無く皮肉にも人の醜さと、苦しみ、欲望と純粋。多くの思いがアフリカの大地に吸収されていた。

このバス停の名前。萱野三平も赤穂の浪士。わけあって吉良邸の打ち入りには加わらなかった。親父も理由は分からない。このバス停まで今年の正月も歩く。何かの因縁か?

流石にここまで歩くと頬伝う涙も乾いていた。アホカ。

P1000170_2 バス停でバスの時刻を見る前に、雲の合間に見える太陽は輝いていた。下の暗闇は農地。アフリカの大地とは比べ物にならないが、実際はこんなに暗くない。何故かこの地ばかりが農地が残っている。この景色は親父が大阪に来た頃、45年前とあまり変わらない。変わったのは先の病院とビル群だけ。

P1000175 P1000173

P1000176 このホーム。親父が箕面の寮から通勤した頃と何も変わらない。43年前。この手前と少し先からは高架になっている。

ここが高架に出来なかったのも、人間の思惑。今からあの当時にタイムスリップは出来ないけれど、ドラえもんに頼めば出来るかな?無理です。

線路は続いても人生には終わりがある。少年老い易く学成り難し。光陰矢の如し。駅舎は変わっても進歩はない。

黒々としていた髪の毛は白髪になり、ハゲになってもあの当時の思いを忘れてはならない。

お土産によもぎと豆の大福を買う。

P1000161 今度見る風景はどんな風景だろう。秋が進み木枯らしが舞う時、この風景は寒くなる。ちぎれ雲が寒風に吹き流される時、今年も終わる。

あと2ヶ月、風邪引かずに足腰鍛えて良い年を迎えましょう。11月の2日。掛川に行きます。2度と行く事は無いと心に決めたあの思いが変わる時、どんな景色を見れるだろう。

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2009年10月24日 (土)

乾坤一擲(けんこんいってき)

P1000159 西の空が茜色(あかね色)に輝いている。小金持ちの家と駐車場の車が無ければ夕暮れの時は黄金色かもしれない。

この国にもこの景色の様に輝きの中に漆黒の闇が迫る不気味な時があった。歴史は繰り返されると言うけれど、本当にそうだろうか?

それにしては歴史を知らず、学校でも家庭でもそれが語られないのは何故だろう?

語るほどの物でも無く、それを聞く耳も無いのかもしれない。誇り高く孤高な生き方は過去の物となっている。

親父達の先生は歴史を語って呉れた。今の学校はどうなのだろう?家庭で親父が語る歴史もこの国には無いのだろうか? まあ、まあ、まあ。次、行こう。

乾坤一擲(けんこんいってき)。この言葉も知らない人が多い。この4文字熟語も死語となったのか?死語ではなく有る事すら知らない人も少なくない。乾坤一擲(けんこんいってき)正にこの言葉を実現した歴史的な戦いを語る人は今は少ない。

アメリカとの戦いを知る人も少ない。神の国と多くの人が信じ国の為、天皇の為、父母、兄弟の為に戦地に赴き戦塵に散り、戦火に倒れた尊い命も今は知る人も少ない。この国が平和であり太平洋の戦いが忘れ去られても、あの戦いのターニングポイントとなったミッドウエーの戦いは知らなければならない。

帝国陸海軍はアメリカを除けば無敵の軍隊だった。冷静にアメリカとの工業力の差を分析すれば戦う前に負けていた。どんなに戦って見ても物量、兵器の生産力に3倍以上の差があり勝てる要因はなかった。軍隊の作戦参謀は無敵の軍事力をもってすれば勝てると思ったのだろうか?そうではない。負ける事は許されずアメリカの制裁を受け入れられなかった。

軍隊の組織のもろさは其処にある。勝てる時に負ける事を考えなければならないが、勝ち戦が続けばその事が精神論で誤魔化されるのだろう。勝負の世界にも言える。先手必勝。そこで矛(ほこ)を収める。それが出来なければ必ず負ける。それが出来なかったのが敗戦に繋がる。それでもこの国の歴史に終戦は有っても敗戦はない。何と間抜けな事か。

1942年、ハワイ真珠湾(パールハーバー)の奇襲は見事に決まる。アメリカも警戒はしてもまさかの思いだったのだろう。それ程に見事な作戦。しかし、世界大戦(ヨーロッパの戦い)に連合軍の援軍を出している国内事情でアメリカ国民は日本の出方を見ていた。

その屈折した思いを一気に解放したのが奇襲作戦。アメリカ人の愛国心を一気に高めたのが皮肉にも真珠湾攻撃。パールハーバーの屈辱は無条件で開戦の機運を一転した。それでも帝国陸海軍の破竹の勢いを押し止める事は出来なかった。

アメリカの凄さは負けの教訓を生かす。日本にはその謙虚さが無く無敵の戦いが両刃の剣で、一度勢いが止まると坂道を転がる如く惨めな負け戦になる事を学んでいなかった。確かに今では知る由もないが(しらんだろう)ゼロ戦の戦闘性能。アメリカの戦闘機が一対一ではどうしても勝てなかった。制空権が取れなければ戦いに勝てない。

そのアメリカが考え出した戦術は不時着したゼロ戦の徹底分析。そしてこの国の人命軽視にに愕然とする。アメリカでは考えられないパイロットの安全を犠牲にした操縦性能。機体を限界まで軽くし操縦士の防御の犠牲。分析ができれば戦闘の戦術を変える。

一対一で勝てないのが分かれば一対二、それでも勝てず勝てるだけの数を用意したと言われる。それでも空中戦は容易では無かったと言われる。それだけ航空機の性能とパイロットの戦闘能力は偉大だったのだろう。

その戦闘能力の差は工業と物量の差を補って余りあった。そこに過信が起きる。開戦後半年足らずで戦力に差が出てくる。その戦いがミッドウエーの戦い。この戦いは帝国陸軍のアメリカの初戦の弱さを見誤らせる。この戦闘の参謀判断ミスはこの後の戦いを一変させる。

アメリカはこの戦いの為に真珠湾の誤りを生かし、日本は成功体験を生かせなかった。ミッドウエーはアメリカの基地でも無くサンゴ礁の島。連合艦隊の大名行列で一気に叩き潰せると思ったのだろう。待ち伏せをしている戦場に出向いてもまさか負けるとは思いもしなかった。

乾坤一擲。正にその思いがぶつかり運もアメリカに味方する。敵主力艦隊を先に発見した方が勝ち。その頃の偵察飛行は多分に運も味方する。結果的にはほぼ同じ時刻に双方が敵を見つける。正確には日本が遅れる。アメリカの航空艦隊の探査が出来ないまま、サンゴ礁の基地を攻撃に第一波を出し、第二波を準備中に敵主力艦隊を発見する。

爆撃機の爆弾交換中にアメリカの急降下爆撃を受ける。警戒をしていても高度から急降下してくる雷撃機の攻撃に為す術もなく虎の子の航空母艦と貴重なゼロ戦、パイロットを失う。それでもこの作戦の失敗は隠ぺいされ、以後敗戦まで惨めな戦いを重ねるだけとなる。

乾坤一擲。(運命を掛けて大きな勝負をする事)。真珠湾の奇襲はそうであったがミッドウエーの戦いはそうではなく軍の暴走、思い上がり、負ける事を知らなければ災いその身に及ぶ。徳川家康の遺訓が凄い意味を帝国陸軍の参謀、指導者は知らなかったのか?そうではなく組織の暴走は成功体験から始まる事を忘れてはならない。

(ミッドウェーとゼロ戦の話は柳田邦夫氏の本から親父が学んだ独断と偏見です。)

歴史は繰り返される。太平洋の戦いに勝利したアメリカはその後、わが世の春を迎える。筈だった。しかし、皮肉な事に日本、ナチス、ファシストに勝利した連合軍は戦後間もなく冷戦時代を迎える。敵対し軍事力を強化しても、直接は戦えず代理の戦争を朝鮮とベトナムで繰り返す。

朝鮮の戦いは軍事的には引き分けで有っても、政治的には朝鮮半島の分割、民族の対決を引き起こし厳しい対決を今尚、続けている。イデオロギー(政治思想)の対立はやがて利害の対決を繰り返し、指導者は栄えても民は疲弊する。

ベトナムの戦いはアメリカの惨めな撤退に終わり、南北に分割されていた国家は統一される。ベトナムの戦いも多くの犠牲者を出しながら、当時盛んに言われた共産主義のドミノ現象もなく、ベトナムは今平和な国になっている。共産主義のドミノ。それはアメリカとそれを支えたこの国の指導者が、戦争を正当化するプロパガンダ(宣伝)に過ぎなかった事を証明している。

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2009年10月23日 (金)

天下分け目の戦い

Img_0732 霜降(そうこう)。中国の旧暦24節気の1つ。

一人になって全部覚えたが今はほとんど忘れた。パソコンの辞書で調べて見る。

でもテレビで暦の上では霜降とか言われるのはちょっと季節が違う。半月位早い。

この景色は半月前の景色。

Img_0560 通天閣のビリケンさん。今は広島に貸し出し中?しかし池田のビリケンさんもあるでよ。

ビリケンさんの本籍はアメリカ。ホント。

足の裏をさすれば願いが適う?

こんなに凹んで怒ってる。当然。

Img_0644 この天守閣は昔の城では無い。公園の展望台だろう。この城が廃城になった理由が分かる気がする。平治の城でも戦乱の世には役に立たない。信長が攻めた城はこの先の平地。伊丹だった。

伊丹の城は信長の策略で陥落する。

天下分け目の戦いは皮肉にも信長が本能寺で明智光秀に打たれて始まる。丹波篠山城主明智光秀も信長に中国岡山高松城攻めの秀吉加勢を命じられた時、余程の決意だったのだろう。主君を打つ。それは何を意味するのか?背に腹は代えられぬ。正に勝算の無い戦いだった。信長は光秀の軍勢と知った時覚悟を決めたと伝えられている。これも嘘。

信長の真意を知る術は無いが、光秀の緻密さを過小評価していた自分の判断ミスを甘受したのだろうか?信長の天下賦武は光秀の加勢を受ける筈の秀吉の反転攻勢で意外な結果を迎える。

歴史を知る人は天王山の戦いで明智光秀の天下は3日で終わると信じているが、実際は半月近い。光秀に秀吉の反転を防ぐ策が確実であったなら、信長の死を知り嘆き悲しむ秀吉に黒田官兵衛が策を授けなかったら、光秀の天下はも少し続いただろう。

歴史は多くの偶然が重なるが棚から牡丹餅で手にした天下も秀吉の死後、家康が手にする。家康も又、天下を手にしたのは長生きをしただけ。秀吉が幼い秀頼の後ろ盾を託した家康が、豊臣をねじ伏せるのは赤子の手をひねるのと同じだった。

家康が天下を不動の物としたのは多くの人が知る関ヶ原の戦い。しかし戦力的には厳しい戦いが予想され事実、小早川の裏切りが無ければ圧勝は無かっただろう。戦力的に厳しくても敵の弱点を突けば勝てる事を家康は実践した。

勝てば官軍、負ければ賊軍。徳川300年の太平の世(実は太平では無い。これもまた皮肉にも先の大戦で思い知る。)をアメリカの黒船で鎖国の眠りを叩き破られるまでこの国に産業の芽吹きはなかった。個人の技、職人の腕は求められても家内工業の域を超える事は規制された。何の為に?武家社会、徳川の世の安泰の為。この国は本当に間抜けです。

それでもアメリカに開国を迫られたこの国は尊王攘夷とか訳の分からない対立を火力で決める。ヨーロッパの大砲を金で買い戦いの意思を無くした幕府を、薩摩と長州軍は錦の御旗を背にして叩き潰す。これが明治維新。文明開化と言われても支配階層が変わっただけ。

その事を親父達は何も学ばず君たちに伝えていない。今更、学習しても上から目線で能書きをこくだけだろう。口先だけだと言われても何も知らず、何も学ばなければ同じ事を繰り返すだけだろう。天下分け目の戦いは他にもある。親父の天下分け目の戦いはこれから始まる。 だろうか?(笑い) もう老い先は見えていると言うのにこの親父にも困ったもんだ。

いやいや、それ位の冷や水も被ら(かぶら)なければそれこそ、老い先は短いのかもしれない。高齢者対策、生活弱者対策、雇用対策とか政府に求められる事は少なくない。それでも今、テレビで親父の信用しない労働組合の会長が多くの話をしている。

政府に対策を求める。他人事みたいに言いながらこの会長の出身母体のM電気は、創業者幸之助が築いた繁栄の時を失っている。所詮大企業の社員の生活さえ支えられない組合の在り方は問われている。生活格差が賃金格差となりそれを是認する組合が支持を失うのは当然だろう。明日、親父達が見れるとは思わなかった沈まぬ太陽がロードショウ公開となる。

今、破たんの瀬戸際に追い込まれ国の支援(税金の投入)を受けなければ,その企業の生き残りはない。その金額は2000億とも4000億とも言われる。利益が出せなければ倒産するのがこの国の経済。その事を考えればこの会社の未来も暗い。なんでそうなったのか?この原作者山崎豊子さんは問題提起している。この本が出たのはどれくらい前だっただろう。

日航機が御巣鷹の尾峰に墜落して4半世紀が過ぎる。私たちは国と企業の在り方に何を学んだのか?今その事も問われている。この映画を見て感じる事はそんな事よりも人の命の重み、そして人類が2足歩行を始めたアフリカ大地の豊かさと貧しさかもしれない。

今回も小難しい話になりましたが、多くの困難も自分だけに降りかかる不条理ではなく、それ以上に多くの人の嘆きと哀しみがあるのだと思えば、雄々しく立ち向かえるでしょう。親父の試練もそうだったのでしょう。劇場で昔サウンド、ミュージックのミュージカルを見ながら涙したあの頃の困窮の時を思えば、最後の天下分け目の戦いも多くの幸運も必要です。

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2009年10月22日 (木)

天高く馬肥ゆる秋、天下分け目の戦い。

P1000156_2 空の青さと海の青、重なる空の真ん中を水平線が走っている。空の青さと高原のススキが風になびいている。そんなメルヘンの世界に身を置くと人間の心はどうなるのだろう?

何気なく空を見上げていると昔の幼き故郷の景色が重なる。杉の苗木の間に植えられた小豆の収穫に行った故郷の山。お袋と家族が口に出来るだけの収穫をしていたのも、今頃だったろう。

恵まれた家庭で育った母が戦後、どれだけ苦労をしたか、それが分かっていた。何も知らなくてもそれ位の事は子供心に感じていた。今のガキ達には分からなくても政治家の2世達には違う。

Img_0909 これがこの前紹介したトナカイの木。どうだ、これなら分かるだろう。俺の生命力。土を腹に抱えてどっこい生きている。

苦しい事も哀しい事も全てを受け入れて生きている。理屈では無い。ましてや能書きでも。何も好き好んでこんな形をしているのでは無い。文句があるか?いえとんでも有りません。

Img_0915 対象的に風雪をもろ共せずに私は大木になりました。池田の五月山は暖かく、そして傾斜地に運良く根が張れて、大きくなりました。

樹齢推定100年弱。大正、昭和、平成の世を見守りながら生きて来ました。人間の寿命が延びたとは言え私には勝てんでしょう。

恐れ入ります。ブナの大木。

Img_0898_2 日差しの中に影がある。日差しは暑く日陰は涼しい。森の木は適当に陽が差し込み、下草が育たなければ育たない。ここは公園だから手入れが行きとどいているが、地方の多くの山は見捨てられている。

都会で生きているとそんな事も分からない。治山治水。そんな事を無視して生きていれば必ず自然の反乱がある。

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この建物は昨日行った堺の南海本線の浜寺公園駅。歴史的建造物。

この駅の説明は左側に記念碑在り。(画像に写り込んでいないが駅舎の説明あり)。辰野金吾氏設計の1907年完成。(と言う事は100年前の建物)。当然有形文化財。

駅のすぐ前が路面電車の終点。阪堺線(路面電車)。その前に広い公園。松の砂浜が広がる。昔は高級住宅地、そして海水浴場、昭和30年前半まではお金持ちの邸宅が多くあり。

駅前に団子のお店が昔の面影を残していた。

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2009年10月21日 (水)

月日は百代の過客にして行きかう人も又、旅人なり。(芭蕉)

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近くの工事中のマンシャンが防音(ならなかった)シートを外す。すぐ下を通りを隔てて阪急が走る。真下と言ってよいが完成即完売だろう。駅に近いし眺望も天気が良ければ大阪湾が見える。景気が悪いと言われてもお金の在る人は少なくない。ローンであったとしても。

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今日はお休み。天気に誘われて堺に行く。何で堺?鉄砲と刀鍛冶に興味が・・・。ふーん。

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堺の街で刃物記念館を見て路面電車で大阪に戻る。影の親父が担いで?いるのは看板。影が重なっている。この路面電車は大阪天王寺から堺の街を抜け浜寺公園まで。

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大阪天王寺始発電車の看板は住吉公園。浜寺公園は乗り換えて終点。

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堺の街では目的の鉄砲と刀鍛冶の実演は見れず。土日と予約が必要とか?ぶらりと来ても駄目だと観光案内所で笑われる。そうかもしれないがこの街の大きさが分かる。(皮肉)。仕方なく刃物館に行く。この看板はその途中。警察署の目の前でこの看板は何とも御親切。

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この道は大阪を代表する?堺筋。昔は市電が走っていた。今はその面影も無い。親父が大阪に来て一番驚いたのは、路上で酒に呑まれて昼間から労務者が倒れていた事。誰も助けないのかと思ったが助け様が無かったのだろう。そのおっちゃんが何故かタオルを頭に巻いていた。今はそんな人も無いのかと思いきや路地に入るとそうでもなかった。

人の生き方は変わる。それでも表面的にみると誤りが有る。最近、お気に入りの喫茶店にも足が遠くなる。何故か客の声がでかい。(アンタも同じ)。だから気になるだけでなく拒絶するのだろう。人は一人では生きていけない。それでもオフの時ぐらい雑念から解放されたいのだろう。帰りの電車でも良いコンコロ持ちで寝ているとオバはんが2人、マイペースでしゃべる。ドズいてやる度と思いながら席を換える。お疲れでした。

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2009年10月19日 (月)

秋深し、隣は何をする人ぞ。

芭蕉晩年の句。この句は正しくは秋深きとか。芭蕉はこの句を病床の中で詠んでいる。自分を招待してくれた弟子の句会の欠席通知の句にしては、刹那さ(せつなさ)がない。田舎の言葉で頭痛(ずつ)ねえのう。意味は情けなくて頭がグラグラする。芭蕉はこの後半月で息を引き取るがどんな思いだったのだろう?大阪で亡くなった事も多くの人は知らない。

人の命の儚(はかな)さを知る人が少なくなったのは、医療の進歩と予防の発展の影響だろうか?芭蕉が生きた時代には考えられなかった事が、今はそれが然も(さも)当然の様に語られているが、実際は如何だろう。お馬鹿な生き方をしているとそんな事も分からない。

芭蕉が生きた時代と今は多くの事が違う。それでも失われてしまった日常のわびとさびを、秋の深まりと共に感じて見るのも無意味ではないだろう。現代人の一番醜い部分は其処だろう。尤もらしい事を言いながら、実は尤もらしくない生き方しか出来ない哀れを、知る術もない。

侘(わび)と寂(さび)。その言葉の意味は軽くない。日本の文化と言われる茶道が庶民の生活に定着しないのも其処にあるのだろう。日本茶の健康効果を知る人も少なくなり、一部の上流社会の作法ではなく日常の生活に密着した煎茶(せんちゃ)の美味さを知る生活に戻らなければならない。

独身の頃、京都の下宿で母から送られてきた手揉みのお茶と佐伯の城山まんじゅうに感無量になったあの思いは忘れてはいない。今、近くのスーパーに行けばお茶は幾らでも買えるがあの思いを再び味わう事は出来ない。

今、口に出来るのはペットボトルのお茶。2リットルの水を欠かさない生活をしても本当の豊かさはそうではない。近くの美術館に茶室が有るが手入れの行き届いた庭を見ながら、阪急の創始者逸翁は何を語ったのだろう?その美術館も新装された。お金の有る処は違う。

FM放送、午前零時のジェットストリュームが始まりました。親父の好きなニューョークの歌です。(行った事も無いくせに)。秋は恋の季節です。親父には係わりの無い事ですが。色づく町と恋する街。ロマンチックな思いに浸りながらお休みです。

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2009年10月12日 (月)

体育の日、モーニングセット食ってからママチャリでひと回り

P1000136 近くの染井戸。中国から伝播したと言われる織物の技術。綾姫とくれは姫の織物伝説。織物を染めていたと言われる井戸の入口に柿の実がたわわに実る秋。葉っぱの勢いも負けていない。

良く見ないと柿の実は見えない。石の柵も何の為か分からない。中の井戸も表札の但し書きを見れば分かるが、足を止める人も少ない。もっと考えて見るとこの国の成り立ちに大きな影響を与えた大陸(中国)と半島(朝鮮)の文化を知る人も少ない

今は昔の歴史など知らなくても生きていける。しかし、今日の文化と生活の成り立ちに無関係ではない事をこれから、思い知らされるに違いない。中国は3000年の歴史?日本は2000年、朝鮮は?

P1000141 池田にもこんな立派な神社がある。早苗の森。今から500年前と言えば戦国の時代。その頃からここには人の営みが有り、貧しい農民たちは日々の生活の安泰と五穀豊穣を祈念したのだろう。

秀吉が信長の家来で伊丹の城を攻めた時、この地は軍勢に踏み荒らされる事も無く、収穫の時を迎えたのだろうか?五月山を仰ぎ見るとこの地は大坂、尼崎に近く西は伊丹、神戸、西国と繋がる豊穣の地だったのだろう。

この門は一度くぐったことがある。派遣会社の寮とメンバーの出勤管理をしていた頃、3年近く前の春未だ浅い冬の終わりの時。あれからの時の流れが止まっていた。

P1000150 流石に賽銭を入れた正面からの写真は遠慮する。しかし、2礼2拍手1礼の拝礼もしなかった。この罰あたり。それでも首を垂れる。このお参りが後で幸運を招く。人間万事塞翁が馬。災い転じて福となす。

本殿も創建時のまま。屋根の葺き替え、塗料の塗り替えは在っただろうが見るからに質素。貧しい農民達にすれば精一杯の気持ちだったのだろう。

親父は一礼もせずに眺めるだけだった。それでも畏敬の気持ちに些かの(いささか)の不足はなかった。神様もその事を横目で見ていたのだろう。そうでなければ今頃は病院のベッドの上だろう。

P1000149 狛犬も守って呉れたのだろう。神社を後にして3年前までの通勤コースを引き返す。懐かしい思いと風景の変化にキョロキョロしながら帰ってくる。アパートの前を通り越し総菜の店に向かう。

お昼の弁当。休みの日の昼はこのお店の弁当が定番になって久しい。走りなれた道。歩道を走りながらお店の近くで狭い車道に出る。それでも左を走り店の直前で右に曲がる。後ろを気にしていなかった。

いきなりバイクのブレーキ音に後ろを振り返る。狭い道。車がやっと徐行しながら通る道。斜め右後ろにバイクが来ているとも知らずに、曲がっていた。バイクのネーちゃんもびっくり。

親父の怒鳴り声にもふてくされていた。「おっさん、何しとんねん」そんな感じだった。「馬鹿野郎。ゆっくり走れ」 親父の勢いに負けていたが眼は泳いでいた。当てられて居たら転倒して店のガラスに頭から飛び込んでいただろう。

P1000155 境内の銀杏は青空に向かって伸びていた。高く伸びる銀杏の様に元気で行こう。親父が小5の時厳しかった担任の先生と作ったクラスの歌。歌われる事は無かった。何故だろう?子供らしさと親しみを感じられ無かったのだろう。

あの小学校も統合で廃校になり今は銀杏の木も切られてない。この木もその大きさに負けていない。

これから秋の深まりと共に紅葉が進む。フランク永井の(公園の魔術師)が一年に一度の輝きを見せるだろう。

親父の好きなフレーズが目の当たりに見えた時、どんな感激を実感するのか今から楽しみです。

口上は言わないけれど、慣れた手つきで、ラララン、ラララン、ラララン、カードを撒くよ。そんな時が近い。

秋が行くんだ冬が来る。銀杏は手品師老いたピエロ。関係無いけど明日は誕生日。この銀杏がはらはらと黄色い葉を落とす時、今年も残りわずかとなる。

P1000153_2 同じ銀杏の木も反対側から見るとこんな感じ。明るい太陽も大きな幹の影になれば印象も変わる。少し頭を動かせば眩しい太陽が見えてくる。

人の生き方もそうだろう。朝の来ない夜は無いと言われても、何もしなければ何も体を動かさなければ何も変わらない。

日はまた昇ると言われても、同じ処から見る太陽は暗い。頭を動かせ。視点を変えろ。見方が変われば人生は変わる。

「そんなに甘くは無い」そうかもしれない。そうだとしても銀杏の大木は何もか語らず何も与えてはくれない。

この暗い大木が上の銀杏と同じだとは言われなければ分からない。毎日、同じ事の繰り返しと思っても、これを見ると分かるかもしれない。

最近、キャベツにハマってる。何それ?トマトは医者要らずとか言われて、健康のシンボル。知ってる?

でも美味しいトマトを手にするのは難しい。その点、キャベツはそのまま茹でればそれだけで美味い。お気に入りのドレッシングが有れば最高です。

独り身の食事は味気が無いが食は健康の源。食い物の執着心を無くした時、人生は終わりかも。薬では健康になれない。薬は病の一時の治療薬。

薬は眼薬だけの親父の言葉に説得力はない。

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2009年10月11日 (日)

体育の日が12日? 祝日の意味は何? 体育の日は運動の日。

P1000134_3 夕焼け小焼けの赤とんぼ、追われて来たのは何時の日か?と、からかわれたのは何時の日か?

洒落(シャレ)が言えるほど昔の話ではないが間違いなく15年は前の話。コケにされても耐えたのは一体何だったのだろう?

夕焼け小焼けの西の空の先には、何が在るのだろう?日は登り日は又沈むと自分に言い聞かせながら、歳を重ねている。

そろそろ反転の時と思いながら、亡くなった親戚のオイちゃんから言われた言葉が甦る(よみがえる)。再びの時は無い。有るのは体力の衰え。

今、その言葉を実感している。姿見の鏡に映る姿は余りに哀れ。余りに貧相。体型に活力の欠片(かけら)すら無い。

体育の日は東京オリンピックの開会式を記念して作られたが、あの頃は19歳。今は65歳。46年も経てば老いを感じて当然だろう。これからはその現実を噛みしめれば良い。

親父をコケにした多くの輩は今、どんな生き方をしているのか、知る由もない。嘆く事は無い。そん程度の物だから。

P1000132 この風景もお気に入り。六甲の山に沈む夕日を池の水面に映している。何も語らず何も押し付けもせず間も無く暗闇となる。人の健康もそうだろう。自分の体を知る術は無い。

体は多くの細胞と血液、体液、神経と骨から出来ているが、全ての人が自分の寿命を知らない。勿論親父も言うまでも無い。今は亡き静岡掛川の大雲院大和尚から言われた言葉。「人はオギャーと生まれた時から寿命は決まっている。」 親父もそう思う。

ならば明日の命に感謝せよ。暑い暑いと言っていた気候が寒い寒いに変わる。人の迷惑顧みず己の思いの儘、生きれると思っているのだろう。その内、神の憐れみに縋る(すがる)しかない。そんな生き方をしているのだろうか?

Img_0895 健康はぐうたらをしていては手にする事は出来ない。一番の健康法は森林浴、海水浴。田舎暮らしをしていないと簡単には手に出来ない。しかし、こんな所を歩く幸せは誰もが手に出来る。問題はその気が在るかだろう。

気持ちが無ければ何もできない。気持が無ければそれは絵に描いた餅で、身には着かない。体育の日はその事を教えているのだが、多くの人はその事を知らない。

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天高く馬肥ゆる秋(パート2) 祝400号 2年と3ヶ月で達成

27ヶ月で400号達成。ボケ防止に始めたブログ。意外に訪問者の書き込みも少なく、今の処平穏無事に画像の挿入も出来、我ながら上出来です。批判は簡単ですがこれだけの事が出来るにはそれなりの努力も必要です。そもそもこのブログは人に見せる為の物ではなく、親父のつぶやき、生き様その物です。さらりと眺めて不快な内容は無視して結構です。

天高く、初秋の好天気に誘われて近くの山に登る。最近は麓にも足を延ばさず城址公園でお茶を濁していましたが、今日は行って来ました。迷いは無く一番しんどい高原コースにチャレンジでした。最近、体に切れが無く腰を屈める(かがめる)度に呻いて(うめいて)いました。

子供の頃、お茶の間で腰を下ろす時、「どっこいしょ」なんて言おうもんなら親父に睨まれていた。「子供のくせに」と小言を言われると小さくなるだけだった。親父は食事の時無言で音を立てずに食事をしていた。食事も大事な修練と思っていたのだろう。今日びの餓鬼には「信じられなーい」だろう。てか。

この歳になっても無言で動作が出来なくなった時、体の弱り、ヘタリ、なまりを感じる。そんな訳で山に登る。天気は良くてマイペース。汗をかいても気にならず、息が切れたら立ち止り息継ぎをしながら意外に足の疲れも感じず、歩いていた。

今回の山登り、前のブログに画像挿入しているが、それを見ても坂道のスナップが無い。余り気にしていなかったのだろうか?結構歩いたのでふくらはぎは痛い。靴も安物で足が動く。ウォーキングの条件は靴。靴の中で足が動くと余計に歩けない。

山に入って間もなく元気な老人に声を掛ける。「お元気ですね。」後から来た訳の分からない親父に怪訝(けげん)な顔をしながら話を合わせる。リックを背負い花をビニールの袋に入れて墓参りとか。親父にはまねのできない事だろう。流石に親父のペースには着いて来れない。親父もあと10年もすればこのしんどいコースは無理だろう。願わくばも少し楽な生き方をしなければならない。出来るかな?あと10年か。どうかな。そんな事を考えていた。

今回も良い写真が撮れる。ブログの画像は右が約2センチ切れるが、トナカイの眼が切れているのを除けば結果オーライだろう。気がつかない?トナカイの写真。良く見て。???。

ではこんな処で次の500回を目指してGO、GO、GO。でした。

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2009年10月10日 (土)

天高く馬肥ゆる秋、四国窪川もこんな天気だろうか?

Img_0879 空の空気が変わる。台風が過ぎ山が呼んでいる。上に見える開けた場所が展望台。

Img_0880 柿が鈴なり。渋柿。このお宅はお金持ち?そんな気がする庭の柿。そう山裾の庭の柿。Img_0882

このお家の柿の木でした。左が玄関に繋がる門。その向こうに柿の木が見える。

Img_0887 山に入る。手前に見える街が池田。正面に見える山が六甲山。職場はどの辺りかな?

Img_0889 行け。天空への道。秋の気配は未だ。後ろを振り返らず前を向いて歩いていると絶景。

Img_0896 懐かしい風景。幼い頃、故郷の山を思い出す。この杉の葉を拾って釜戸と風呂の焚きつけにする。今はガスかプロパンか電気だから焚きつけと言われても分からんか。

Img_0900 コースの途中にあるチェーンと木の吊り橋。高くは無いけど足元はグラグラ。君にお勧め。

Img_0909 折り返しの広場にあるお気に入りのトナカイ?何故か悲しそうだけれど化石だよ?如何だ、おいらはこれでも生きている。僅かな土地に根を張り枯れる事は無い。苦しい時、悲しい時わしを身に来い。何時もそう言いながら段々くたびれて来た。頑張れ。もう少し。

Img_0913

クロガネモチ?大金持ちにはなれなかった人もこの樹を触るとお金が付いて来る?まさか。もちの木の粘着力で鳥を捕まえるのは今は禁止されているが、お金は如何だろう?アホカ。

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2009年10月 7日 (水)

助けてと言える人になろう。でもどんなに手を差し伸べても最後は自分の決意。

景気の先行き不透明の中で親父達だけでなく30代の若者ですら、深刻な生活不安を抱えている。雇用の問題は多くの人が多くの事を語るが暫くは冬の時代が続く。季節は紅葉をめでる間もなく一気に冷え込むようになったが、世相も政権交代の流れに関係なく寒々としている。

そんな事は関係ないとうそぶいて見た処で、一度失われた安定した生活は取り戻す事は出来ない。これから益々高齢化が進む。少子化高齢化社会の問題は語られても20代、30代の生活不安が語られる事は少ない。当事者の本当の姿を知る人も少ない。親父もそう。

大阪では釜が崎、東京では山谷。高度成長を支えた底辺の人達は労務者だった。現代の大阪、東京を大きく変えたのは彼等では無い。高層ビルと高速道路を造り上げたのは人力ではなく土木技術だった。その当時から大阪、東京のスラム街は人目に触れる事も少なくなった。

東京山谷は知らないが大阪釜が崎の現実は、親父の知る酒飲みがゴロゴロいる街では無くなっている。流石に仕事に有り付けなければ酒も飲めない。酒が飲めなければ住む事も出来なかったのだろう。それよりも長い歳月を生き延びる生活の糧が無かったのだろう。

そんな風景を知らなくてもこれからは街の公園、橋の下、雨露を凌げる場所ならホームレスの人を見る事も少なくないだろう。誰もが例外ではない。その事を思え。自分だけが例外だと思う根拠は何もない事を知らなければならない。それを認めたくなければ小銭を貯めよ。

それが出来なければ助けを求めるしかない。2ヶ月前の庄内の馬鹿が逮捕される。親父と同じ世代の年寄りが20そこそこの餓鬼に殴られて片目失明。逮捕のきっかけは懲りもせず同罪を繰り返した。些細なもめ事ではなく遊ぶ金が欲しかったからだとか。女と2人乗り(自転車)でか。こんな馬鹿と生活困窮者は違う。困窮の時、君に助けられた事を忘れてはいない。

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2009年10月 5日 (月)

そして神戸、そして復興の兆し、鉄人28号の眼差し(まなざし)の先に在るもの。

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鉄人28号完成セレモニーは昨日だった。現物はご覧の通り。漫画で見た迫力には何故か及ばなかった。何故だろう?期待が大きかったからだろうか?それでも見飽きる事はなかった。見物人も多く阪神淡路大震災の爪痕を感じさせるものは無く、それが何とも不気味でもあった。14年の歳月の重さを感じたのは未だに街並みに活力が無く、近代的な建物が放置された自転車と道路工事の中に在り、これからの復興の重みを感じた。

大震災で思い知らされた人の生き方、生活の営み、その中で学習した事はこんな雑然とした街並みの再建ではないだろう。周辺工事が完成した時,、駐輪禁止の取り組みは大変だろう。人の迷惑顧みず自分の事しか考えられない生き方は, モラルとかマナーという問題ではない。

鉄人28号は震災からの復興の困難をこれからどんな思いで見守るのだろうか?人の思いは一瞬にして叩き壊される。天災、人災、予期せぬ災難もどれだけ大きいのか、放置された自転車にはそんな思いは無い。自分達だけの事しか考えられない情けない生き方に、鉄槌(てっつい)が振り下ろされてからでは遅い事をもう忘れたのだろうか?そうではない。当時を知らない新参者が我がもの顔をして暮らしているだけだろう。バカタレが・・・。

長田の街には新長田と新の冠が着いていた。昔の長田しか知らない親父には街並みは大きく様変わりしていた。高いビルが建ち街には活気が溢れていると思いきや、そうではなく住宅地が高層化しているにすぎなかった。昔のゴムの街、靴の街、家内工業の街は何処に行ったのだろう。

ある程度予想された事とは言えこれが新しい神戸、新しい長田、新しい街作りだろう。地下鉄も繋がっていたが大阪の地下鉄同様、年寄りの足にはならないだろう。親父の様に健脚ならまだしも階段と連絡通路は苦痛以外の何物でもないだろう。バス路線の赤字が地下鉄で増幅されてもそのしわ寄せは誰が取るのだろう?地方の活力は本当に失われている。

帰りにこの地下鉄を三宮迄利用する。海岸通り線?地下鉄だから海岸は当然見えない。親父が若い頃利用した市電の面影を探しても何処にも無かった。当然、途中下車して表に出なければ無理だろう。三宮は細長い神戸の街の東の始点。此処にも懐かしい面影は何もなかった。そうだよなあー。震災後の建物と道路の破壊は予想以上で在ったのだろう。

長田の復興は震災の爪痕を拭い去り新たな問題を提起していた。三宮の地下街でコロッケと何故か讃岐うどんを食いながらそんな事を考えていた。うどん屋のイケメンの兄ちゃんは無愛想だったがコロッケのお店の娘は優しかった。自然体の接客。其処にも人の思いが在る。さり気無い仕草の中に人の感情が入り込む事を学習する。

親父が田舎から出て来て大阪海老江と大淀の事業所で営業の仕事をしたのが、今から40年前後前の話。当時の面影は無くなっても通りと街の記憶に変わりは無い。神戸は昔から大阪とは異文化だったが、これからもそうだろうか?ハイカラの中に優しい思いを感じる想いを何時までも残せるだろうか?このままでは財政の赤字も心配される。

親父がどんなに多くの思いを重ねても、失われた歳月は変わらない。それだけではなくこれからの再生の道も変わらないだろう。鉄人28号は今はピカピカだけどいずれ錆びる。その時の塗料はどんな物だろう?錆びないネジを経営の柱に掲げ、執念でオンリーワンの商品を実現した社長は良い顔をしていた。次は何を経営の柱にされますかと問われた時に、確信に満ちた言葉で語っていた。「錆びない・・・・」 錆びは鉄の強度を弱くする。

人間は如何だろう?親父の体にもあっちこっちガタが来ているが、も少し揺さぶられるとガタガタになるだろう。親父だけでなくこれからの高齢化社会を生きる爺婆(じじばば)は、病院に行く前に山に行け。病を治すなら山に行け。親父の錆びついた体が囁いて(ささやいて)いる。

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2009年10月 3日 (土)

柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規

最近、果物と言えば柿。この時期他にはミカン。9年前のこの時期、神戸の芦屋で仕事をしていた。住宅造成測量重機搬送の仮設モノレール土方仕事をしていた。芦屋と言えば関西の高級住宅地の1つ。(今は昔の話)。あの時はほんの少し前のお盆に偶然あの場所の近くを君とドライブしていた。あの後、四国の窪川で仕事。その時にミカンが鈴なりの畑を見る。

四国の窪川と言われてもわからんだろう。高知から四国西端宇和島の途中にある。窪川の現場は四万十川の上流。水清く川幅はそれ程でなくても満々と水をたたえて悠然と水草を揺らしていた。山道の行き止まりから尾根を越え、尾根添いに現場は進み谷を越え川と暫く併走した。あの時も台風の影響で大雨に合う。小川が増水し4駆の車が立ち往生する。

今、考えて見ると結構命懸けの仕事をしていたのだろう。最初の現場で親方から「土方仕事を舐めているだろう」と言われたが親父の尊大な態度がそう見えたのだろう。しかし、この親方も結構あくどい事をしていた。それでも怪我をせず仕事が出来たのは親父の体に現場の血が流れていたのだろう。

あの時、オーストラリアのオリンピック。高橋尚子がマラソンで優勝する。あれから2回のオリンピックが行われ、次の次に東京が開催地に立候補。そして今日リオデジャネイロに決まる。知らない?ブラジル。南アメリカ大陸で初の開催。親父はシカゴで決まりと思っていたけれど。同じ年、日本シリーズで松井がホームランを打つ。あの時の現場の班長、喜んでいたけれど今でも生きているだろうか?厳しい社会の雇用情勢、会社も社長元気だろうか?

柿を食っていると思いだすのは田舎の熟し柿。渋柿を皮むきして干し柿にする柿取りが済んだ柿の木に残っている実は多くない。それを落とさぬように竹の先を割った冶具で枝先から巻きながら取り降ろす。そろりそろりと優しく取り込んだ時の感激。もう2度と味わう事は無いのだろうか?ああ、無情。

正岡子規は奈良の法隆寺で柿を食う。「鐘が鳴るなり法隆寺」と詠んだのは今の時期だったのだろうか?柿を食いながら秋の風情を感じたのだろう。法隆寺の鐘がそれ程に子規の心に響いたのだろうか?熊本から京都に登り何を学んだのだろう?

親父は毎日のように柿を食いながら、ぼんやりと生きている。それでも健康に留意すればも少し違う秋も見れる。それもまた良しかも。明日は日曜、明後日は休み。午前中に社会保険事務所に行き、午後、神戸に行く。

阪神淡路大震災から14年。親父はあの時静岡掛川で揺れを体感する。東海地震と思っていた揺れはそうではなく神戸とその周辺の断層を動かしていた。大阪に来て11年。芦屋までは足を踏み入れても神戸の街は歩く事は出来なかった。親父のせめてもの犠牲者への鎮魂。そんな思いもこれで消える。11年もの時の流れがその事を可能にしたのだろう。

神戸長田駅前の鉄人28号モニュメントの完成。親父が少年の頃の月刊「少年」の連載漫画。それが鉄人28号だった。貧しい生活の中でお袋がなけなしのお金で買って呉れた漫画雑誌。それも毎月とは行かなかった。今、年老いて再びの時はない。それでも神戸長田の復興も同じだろう。モニュメントを見上げながら何を思うだろうか?乞うご期待です。

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2009年10月 1日 (木)

鉄道全路線、今、13回

週刊、歴史で巡る鉄道全路線。この週刊誌を手にしたのは今年の6月。あれから今週で13冊目になる。親父の田舎、君が生まれた佐伯市も日豊本線の佐伯駅。親父が新婚旅行に出たのもこの駅。日豊本線の刊行は来年3月の中旬。ささやかな楽しみ。

大きな楽しみは日本全国48路線を巡る事。そんな生活が出来るのは何時の事だろう?これからの生き方はその事も問われている。人間、何だかんだ言った処で最後の生き方で決まる。これからは剣道で言われる大上段の構えから太極拳の攻防の構えに変わらなければいけない。

10月になり一気に涼しくなる。ほんの少し前まで暑い暑いと言っていた気候が一気に変わる。季節がどう変わろうと関係ないとかっこをつけた処でお天とさんに背を向けた生き方は出来ない。何時までも変わらないと思っている自分の体も、少しずつ変化している事に着付かなければ神の憐れみを乞うしかない。

昨日の残りキャベツ、少し水に濡れた所が茶色になっていたが包丁で切り落とせば問題なし湯通しをして、ごましゃぶのタレだけで美味しく頂きました。キャベツは本当に医者要らずです。トマトも玉ねぎも白ネギもシイタケも多くの野菜は薬に勝る食べ物です。

(これからお風呂です。3日ぶり。汚れた体も最近汗のかき方が少ないのだろうか?)でも皮膚は綺麗にして加齢臭だけはあきまへんえ。(ここだけは何故か京都弁どす) オス。

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