高齢化、少子化、子育て支援、雇用対策、景気対策、それから?
夕方の食事が予定変更。最近歩いていないので山に向かって歩く。と言っても最近は意気地(いくじ)が無いので、途中の城址公園でお茶を濁している。(手抜き…と言っても片道2キロ)。何気なく足の甲を見ると歳の所為だろう。浮腫(むく)んでいる。歳を取ると言う事はこういう事なのか?…それ程のものではない。単に太っただけ。歩けや歩け。死ぬまで歩け。
見上げれば秋の空。暑かった夏の名残りは空には無い。これから寒くなるのは少し先。人の生き方も知らず知らずの内に変わる。変わらないのは親父の生き方だけだろう。それでも昔に比べれば大変わりだろう。人の生き方も関わり方も無意識の内に変わるのではない。
政権は変わっても政治は変わるのだろうか?政治が変わっても人々の生活は変わるのだろうか?間違いなく変わる。良いか悪いかは人と暮らし方で変わる。高齢者と生活弱者は間違いなく座して憐みを乞うしかないだろう。子育て支援?どれだけ出来るだろう?この国を担う次の世代。豊かさを実感できるのはどれ位だろう。理想と現実の狭間で如何だろう?
この石の腰掛けに座り未来を語る人はどんな人だろう?少し座り具合は悪くても夢を語れるだろうか?そんな子育てを支援してほしい。もうすぐ枯れる多くの緑もその事を願っている。近くの芝生の広場でボール投げの親子の奇声が気になる。
実りの秋。名も知れず口にされる事も無い。でも意外にデカイ。手に取って口に寄せればどんな匂いがするのだろう。意外に無臭?意外に悪臭?今度、嗅いで見るか?
これは帰り途、大手門を出た処。正面の道からこの橋を渡れば城址公園です。街の近くに少し足を延ばせばこんな風景が見える。現代人は歩く事を忘れ美食を求める。この橋で耳をすましても蝉しぐれは聞けない。そのうち虫の声が聴けるのも遠くは無い。
夏が過ぎ秋が来る。暑い夏の日差しに耐えた青葉にも紅葉の時は近い。紅葉の時も短い。秋が行けば冬が来る。今年は新型インフルエンザの流行が危惧(きぐ)されているが、如何だろう?
春夏秋冬。季節の変わり目は体調も変わる。今年も早い物で残りは四分の一。どんな生き方が出来るのだろう。願わくばこの逞しい生命力に肖りたい(あやかりたい)。何たる繁殖の力。何たる勢い。それでも夏の暑さは容赦なく枯れ葉も見える。
これからの生き方もそうありたい。親父のアニバーサリー(記念日)は無くなったがこれかも無いだろう。それでもこの樹を見ていると訳の分からない活力が出て来る。人間生きる力は理屈では無い。どんなに考えて見た処でこの活力は無い。それが分かれば記念日は必要ない。希望とか夢を語る前にこの樹の前で眼を見開いて見るが良い。明日の勇気が見えてくる。
口上は言わなくても何も語らなくても、今どんなに苦しくても明日も同じか今以上に悪くなったとしても、前を向いて歩いていれば季節は変わる。季節が変われば風景も変わる。この雑然とした眼には見えない力がその事を教えている。
後ろを振り返るな。後ろを見た途端に多くの思いが不満に変わる。前だけを見て挫け(くじけ)そうな自分を励ませばよい。その力も無ければ神の憐みを乞えば良い。神の存在を認めなければ愛する人を思え。
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