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2009年9月 1日 (火)

アゲインストの風がフォローウインドに変わる時。

アゲインストの風と言われてもゴルフをやらない人には、何の事やら分からないかもしれない。向かい風。ゴルフボールの飛距離はアゲインストとフォロー(追風)では大きく違う。但しボールをきっちり、クラブフェイス(クラブのボールが当たる面)で打てる技術が有っての話。

なんか小難しい話。それでアゲンストの風がフォローに何時変わるの?これもゴルフをやる人なら良く分かる。無風快晴の時はゴルフは下手でも心は浮かれ、強風雨天の時は心穏やかでない。風向きは全く変わらぬ時もあれば逆も珍しくも無い。

ふーん。全く分からない。分からないのが当たり前。ゴルフを馬鹿にしてやらなかった親父がやり始めたらハマったのだから。その親父でも流石に自分の仕事、生活信条、生き方にも同じであるとは恥ずかしながら、この歳になるまで得心(とくしん)する事は無かった。

(国民の為の政治)(国民の為の消費者庁)、国民の為の何とかそんな物は有る筈も無い。そんな事を求めてもならない。そんな事が出来る訳も無い。親父も長い間、出来もしない志を掲げていたが、考えを変えれば生き方も変わる。生き方が変われば向かい風を追い風にも変えられる。長い長い苦難の道も、時にはその重みに耐えかねて道を踏み外したが、老い先も長くは無い。その事を考えれば何時までも重荷を耐える事は無い。

馬鹿な生き方をしたと思う。それでも老い先短いとはいえ後、10年は何とか行けるだろう。10年先と言えば姉きの歳。10年前と言えば大阪に戻って1年目。新しい生き方を求めていたがそう甘くも無かった。市場の仕事。朝起きの出来ない親父が、朝3時には起きていた。

人間、出来るとか出来ないとか言われても、やるしか無ければやるしかない。昼と夜の生活が逆転しても、青果の親父にキャベツを投げつけられても、若いあんちゃんに嫌味を言われても4トントラックを走らせている時は、気分爽快だった。

人間、寝ている時も体内時計は動いている。体の多くの細胞は無意識のうちに動いている。それなのに自分で自分に暗示をかけて泥沼に引きずり込まれている。今の親父には考えられない自己暗示。口下手、訥弁(とつべん)、吃音(どもり)。人間、糞もするし屁も垂れる。

どんなに清ました所で人間はその程度の物だろう。尤もらしい能書きを垂れた処で今度の選挙で眼にした事を対比すれば、親父の下品な言葉も強ち(あながち)否定は出来ないだろう。政権交代の意味も分からず、多くを語るな。これから全てが否定され、そして何も変わらない。余り自分を卑下せずにもっと王道を歩け。体は薬では治せない。気力、体力、時の運。為るようにしかならないと思えば心の蟠り(わだかまり)も消え失せる。

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