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2009年9月

2009年9月30日 (水)

久々の牛ゴマしゃぶ

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イヤー無理しましたなあ。久々の肉。(関西では牛肉以外は肉と言わない。ホント)

最近、キャベツの湯煎(ゆせん・・・ゆでる)にハマっている。キャベツ2分の1で108円。

何時もはゆでたキャベツに醤油かポン酢を掛けるだけで満足していたが、久々にゴマしゃぶ

サラリーマンしていた頃は何かにつけて食っていた肉が、今は殆ど口にしない。

口に出来ないのだろう。今ならたまには食えなくもないがお気に入りは豚。トンシャブも良い

久しぶりの肉は期待通り。何時も買い物の時、眺めるだけで手が出なかった。「高すぎ」

それ位は思っても最近は肉の味を忘れて豚しか食えない生活になっていた。貧すれば貪。

一人の生活は食生活も貧しい。これからの年寄りは食い物に気をつけて健康第一。

健康第一で長生きするつもりは無い。親父の人生は一度、終わっている。

そう考えて見ると今の自分を支えてくれた人への御奉公は未だ出来ていない。

これからの人生は健康でなければならない。その意味が分からないままに生きていないか

別にそれでも良いが何時かはその事が問われる。その時に答えが無いと余りに空しい。

「甘い」(辛い)「嬉しい」(悲しい)いろんな思いは在れど歳を重ねると人は想いを無くす。

無念、無想、無情、無慈悲、無心、多くの人の思いを超越する悟りの心境にはまだ、未熟。

今日は西日本は雨模様でした。明日は天気は回復するけれど季節は秋です。

今年の秋は如何だろう?明日から10月。親父の誕生月。

翻って(ひるがえって)見ると昨年は戦力外通告と新たな職場。捨てる神と拾う神。

今、親父の財産は笑われるかもしれないが頭と眼球の血管。意外に知らない自分の体。

メタボで血糖値も血圧も高い親父の血管は意外に弾力に富み、歳の影響が少ない?

人の体が思いの外、頑丈であると知る人は少なく病気は薬で無いと改善しないと思う。

そうではない。薬は補助でしかない。

医食同源、その事も忘れてはならない。

希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。(サミュエルソン)

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自画自賛。言うは易し。行うは難し。まずはお手並み拝見。

脱官僚?この国の在り方が問われて久しいが残念ながら先の選挙でも政権交代ありきで国の在り方が問われてはいない。民主党が圧勝した最大の理由は政権与党の思い上がりで有り、政治に関心も興味も無くした無党派の投票行動だったのではないか?

マスコミがマスゴミとも言われるのもマスコミが政治、経済までも尤もらしく興味本位で伝えてからだろう。インターネット取引で不正取引。利益が数十億。それでもこんなのは氷山の一角だろう。取引その物が不正ならその取引が何故成り立つの?駐車違反の取り締まりと同じか?証券市場で金儲けが出来る。その裏はその程度の物だろう。

それにしてもJR西日本の組織的な不正。企業の社会的責任が問われても実際に行われている事はこの程度の事なのだろうか?そうではないと思いながらやっている事と言えば、先輩後輩の間柄で事故調査の情報を聞き出しているとは、どんなに弁解しても信頼は無い。

国の翼、日航の経営不振も国の援助が無ければしんどいと言われる。アメリカの自動車業界と同じか?一企業の経営不振を国の税金投入で打開策を見つけるには容易ではない。多くの人々の記憶の中に御巣鷹の墜落事故の記憶も薄れている。

君と議論が絶えない環境問題。政権交代でこの国の2酸化炭素削減目標が1990年比25%削減と言われても具体的に10年後どうなるのか分からない。そうだろう。親父も今の体調なら75だけれどそれよりも次の世代がどう生きれるかも、問題だろう。

景気対策も難しい。これから雇用情勢は一段と厳しく国内消費の盛り上がりも楽ではない。それでもこれからこの国は国内の消費で、景気の回復を計らなければならない。どんな打ちでの小槌を振るのだろう。仕事が無くて生活保護で生計を立てる。そんな人も少なくない。

アメリカの景気回復も一時期の勢いが無い。昨年の金融危機の反省が無いまま、税金を投入してもそれは問題が解決された事ではない。一時しのぎ。それでも成功体験が忘れられない懲りない面々は同じ轍を踏むのだろう。

多くの問題はこれからの課題です。今日の話は問題の提起で答えは何もありません。その答えを見つけた時、必ず新たな問題との葛藤でしょう。人の意見に尤もらしい事が言えても自分では何も答えられないのも、決して謙遜で無い事に心を開いて下さい。

ジェット、ストリウム。FM深夜放送午前零時が始まりました。明日(今日)も仕事。

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2009年9月27日 (日)

今日も歩いてきました。

最近はウオーキングにハマっています。性格的にずぼらな親父が何で其処までやるのと思う。ウオーキングもその1つかもしれない。永い間の独り暮らしはこれ程にだらしのないお腹にするのだろうかと思える程にあんこです。相撲取りになれないだらしのない腹を見る度に最近休みの日は歩いています。皮肉な事にお腹廻りが凹まないのは食い過ぎでしょう。

だからぶくぶくと太った年寄りが足が痛い、腰が痛いと体をしかめて話しかけてくる度に、内心馬鹿にしています。そんな人に限って何も運動をせず口だけは達者です。朝から夜寝るまで誰にでも話が出来るのでしょう。時々ニュースで仲違い(なかたがい)をした相手をないがしろにするあれ。とても理解が出来ないがそんな輩が最近、少なくないのは人の迷惑なんて気ににもしないのだろう。ゴーイング、マイ、ウエイ。我が道を行く。しかし、反省の無い生き方は哀れである事も知らなければならない。昔から馬鹿に付ける薬は無いと言われる意味が最近になって良く分かる。

他人事では無い。太ってくると足の甲がむくむ。若い頃には考えられなかった事が現実の問題になってくる。新陳代謝。瑞々(みずみず)しいお肌の曲がり角は、女性だけの物ではない事を思い知らなければならない。この歳になればその事も噛みしめて生きて行かなければならないのでしょう。

(ちょっと一服。近くのスーパーが10時閉店の為お気に入りのお茶と梨、買ってきます。)

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2009年9月25日 (金)

残暑、残暑、そうだんしょ。なんや洒落?

大阪は今、日中暑い。暑い暑いと思いながらそれでも風の勢いには秋のそれがある。秋のそれ、それは季節の変わり目。幼い頃、東京の叔母さんに家族で手紙を書いた時、暑さ寒さも彼岸までと良く言われますがと書き出して、お袋にマジで怒られた事がある。今、考えて見てもあの時の母の気持ちが分からない。もっと子供らしい表現をしろと言いたかったのだろうか?この頃になると思い出すがあの優しい母にもそんなところが有った。今となっては鬼籍の人に聞く由も無い。それでも何時かは聞けるだろう。その時何と言われるだろう?笑ってごまかされるか、それとも馬鹿な子だねとそんな事忘れたと言われるだろうか?

今日も歩いて来ました。これも国営放送(違う)の受け売り。血糖値を下げるにはこれが一番とか。のんびりと間抜けな顔でゆっくり気の向くまま、足の向くまま歩くのが一番とか。ほんまかいな。爽快な。何も考えず無心になる童心の心が体にも血糖値にも良いのだろう。

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この木何の木気になる気になる。アップにされなくても分からんでしょう。はなみずきでーす。

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モラトリアム、この景色を見ていると日本と言う国はホンマにおかしい。日本だけでなく地球の青さはマスコミが報道するほど綺麗では無い。仮に綺麗であったとしてもそれは日常に満ち足りた人々の思いかもしれない。違う?君は英語勉強してるから分かるけど親父は辞書を引かないとこの言葉の意味は分からない。今、新内閣の金融担当大臣となった亀井氏の決意は戦後の混乱時を除いて実施された事は無い。借入金の返却期間の先延ばし。なんで日本語で説明しないのだろう?銀行協会の会長が自由主義の建前を言われるのも分かるが、同時に社会的責任の追及をされた時、何と答えるのだろう?大体、自由主義経済の建前も変わって無いか?政権交代の意味も良く分かって無いのかもしれない。違う?どうかな?

昨日は連休明けの仕事。睡眠不足と久々の仕事で疲れました。今日はお休み。明日もお休みでしたがそれだけは勘弁してもらいました。いくらなんでもそれでは休みすぎ。明日は久々の土曜日の仕事。工場も出勤日で平日稼働日です。

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2009年9月23日 (水)

オオ、ラクテンチ、アヒルの競争、アヒルのおじさん。頑張れ、遊園地の再生

昨日心配していた大分別府のラクテンチ(遊園地)。昨年の夏、採算の悪化に耐えきれず閉園になっていた。そのラクテンチが今年の夏、再開した事を今日のドキュメントで知る。何時も文句ばかり言っている国営放送(違う)で懐かしい風景を見る。アヒルの競争。

フラッシュバック(記憶の巻き戻し)をすれば高3の県体の時、試合に負けて遊園地に行った時、このレースをやっていた。あれから47年。50年弱か。50年もたてば経営状況も変わるよな。日本航空だっておかしくなっているよな。

そんな遊園地の再生は容易では無い。地方の活力が失われ人々の遊園地離れが進めばハウステンボス、シーガイヤとて例外ではない。場所を知らない人も少なくない。親父が一度しか行けなかった伊豆の川奈も苦難の日々を重ねている。

シルバーウイークとか言われた秋の連休も終わる。これからは週に1回で良いからお金を掛けて、自分の体に投資しなければならない。そして叶うなら年老いてからは健康で文化的な生活を楽しめる余裕。そういう時間を手にしなければならない。

今日は連休最終日。明日は仕事。歩いてきました。

P1000124 これは城址公園。天守閣からの鳥瞰図カラスの眼からも同じ風景が見えるのだろうか?手前の張り出しは能舞台。

池には鯉が泳いでいるが時々来館者がえさを与える。見かけた時には注意をするといぶかしげに尋ねる。「何で?」

えさを与える人は善意なのだろが、魚の健康を考えるとハタ迷惑。ハトや野良猫野良犬にえさを与える人にも同じ事が言える。人は自分を中心に考えている。

それにしてもこの景色。タダです。無料それだけでなく街中から歩けば、結構のカロリーを消化する。メタボで無くても是非お勧めです。

正面の山が五月山。

P1000125 少し右側の風景。芝生の中の石はモニュメント。この広場が本丸の後?

広場は芝生。立ち入り自由。

ゆっくり歩けば足裏に感じる感触が何とも言えない。心地よい。

ゆっくり歩けば心が豊かになる。

P1000127_3 鯉のベストショットはなかなか撮れず。

水中の鯉は少しピンボケ。

それでも管理者の努力の成果は出ている。

うつくしい鯉が見たければ現場に来るしかない。

P1000131 ソロソロ夕暮れ。一息入れたのでこれから来た道を帰ります。

歩ける事は幸せかな。歩けや歩け。

ではこれから極厚大根とモヤシの煮込みとトマトの加えを作ります。

それからお風呂。明日は朝起きです。

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2009年9月22日 (火)

缶詰の再発見?

一人で生きる。2人で生きる。家族で生きる。皆で生きる。地域で生きる。介護されながら生きる。人の生き方はそれぞれ。それでも健康に生きる条件を知る人は多くない。なんでだろう。健康の有り難さは失って見ないと分からない。生き様としても生きれない絶望の淵に立っても、本当の事が分からない様に元気に生きれる事は偶然ではない。

そう。必然。ならばそんな生き方をしなければならないのに、そうではない。日頃の生きかたでどれだけ健康な生き方をしているかだろう。最近腹が出て靴下を履くのが難儀になって、その事を痛感する。このままでは間違いなく痛風(つうふう)になる。?

(実は痛風とはどんな病気なのか、勘違いしていた。痛風とは筋肉痛の浮腫(むくみ)、腫れではなく関節の痛みとか)。でも今、左足甲の鈍痛、これなんだろう?危険信号の気がする。検査?する訳が無い。自分で体質を変える。それが親父流健康管理です。

缶詰の話は時間切れ。又改めて。

今日は連休4日目。テレビは近くや遠くの高速の渋滞を伝えているが、ヘリや定点報道では実態がよく分からない。各地で交通事故も少なくなくても当事者でなければ分からない。だから断片的な報道では多くの人が、自分は関係ないと思うのだろう。そして連休も残り1日で終わる。皆が休みと思ってもこの時でも働いている人がいる。その事も忘れてはならない。

これからは暦の休みは仕事か自分のスキルアップ(能力向上)をして、人が仕事の時、見知らぬ所を心優しき人と尋ねるのが本当の休暇となるだろう。でもそれも難しいか?社会と経済の変化が求められても中々、フレキシブル(柔軟)な考え方は出てこない。

2酸化炭素排出量の目標数値の議論を聞いてみても、その事を痛感する。目標値が高すぎて国内の生産活動が出来ない等のコメントを企業の責任者、業界代表が口にしている。この国の公害垂れ流しの時代に責任企業が口にしていた。違うのは死人が出ない事だろうか?

彼らがどんなに反論しても今迄のこの国の取り組みでは、国際世論の支持がない。支持が無ければ物は売れない。物が売れなければ発展途上の規制の少ない処で生き残るのか?そんな企業がこれからの厳しい国際世論の社会責任の追及にどう答えるのだろう?

第一、今、政府は政権交替をして今迄とは違う施策を求められている。地球温暖化に対しても同じだろう。言うまでも無く企業の利益、生き残りが無くて削減目標は無い。25%が高すぎてその半分なら何とか出来ると言える感覚。それが通用しない国際社会に対応できなければ退陣しかない。今迄も多くの事が問われどうすれば可能であるか、苦闘した先人に学ぶしかないだろう。

缶詰の話に戻る。そう言えばこの缶、長い間手にした事がなかった。缶詰と言えば山登りか旅行の友の感覚しかなく先日まで買った事が無かった。それでもスーパーの売り場から消えていないのは、知る人度知る味の王様、独り者の必需品かもしれない。

数日前にコーンのシーズンパックを口にして眼から鱗(うろこ)が落ちる。一度お試しあれ。昨日はお気に入りのカット野菜に、サバの味噌煮を加えてにんまりする。この歳になると口にしたくなるサバの味噌煮も一人では中々作れない。それが簡単に口に出来る。

君に聞いて見ないと分からないが添加物の中にグァーガム(増粘剤)、食塩、アミノ酸等がありは気になるが、久しぶりににんまりする。数年前横浜で食事した時、味に濃さを求めていると言われその味覚は良くはなっていないが、マルハニチロの缶詰なら大丈夫だろう。アホ。

これから足の浮腫みを取る為に何をするかを考えた時、大切な事は歩く事とサラサラの血液でしょう。太っていてもこの歳の人並み以上の肩幅は親父譲り。更に筋肉質に為らなければならない。痩せていても全てが問題無しではないが、無様な太り方は犯罪でしょう。

高齢化社会、働き盛りの現役世代に負担と心配を掛けない最低の条件は、小まめに動く事。階段を上る事、フレキシブルな歴史感覚と未来志向だろう。何時までも固定観念で成り行きの生き方しかできなくなった時、神の憐れみを乞うしかない。神の仏もありゃしない?

そんな人に限って苦しみの中では無様の姿をさらすしかない。今、多くの事を尤もらしく語っても来世からの出戻りは無い。その事を思えばも少し賢い生き方も必要だろう。裸の王様になれても何時かはお呼びが掛る。その時慌てふためいてはならない。

くだらん事を言っている間に遅くなりました。これからゆっくり靴が見れるお店で運動靴と通勤の靴を買ってきます。親父の大阪生活スタートの庄内。思い出の街。そして茶髪の馬鹿が親父と同世代のおっさんを失明させた街です。あの馬鹿、捕まったのだろうか?知る由も無い。

写真、取ってくるね。

Img_0777 阪急宝塚線、梅田始発から中津、十三、三国の次。梅田から4番目。親父が18の時から会社に通った駅。当時は左の地下には下りず直進し線路を横切っていた。

右のシャッターが下りている処は新聞売り場。当時と何も変わらない。19の時アメリカ大統領ケネディが暗殺されて暗澹たる思いで夕刊を買う。

Img_0778 駅前も大きく変わる。道幅は当時と変わっていないが立ち並ぶお店が小奇麗に変わる。左画面の赤看板、たこ焼き屋のタコ美味い。

目的の靴屋もこの通り奥。自分の気の向く迄好きなだけ、選べるのは嬉しい。その代わり高級メーカー品は無い。3900円の靴、どれ位持つだろう?

Img_0772 たこ焼き。靴を買って疲れたので道端で食う。意外に熱く一気に口に入れるとホクホクしないといけない。タコの切り身が大きい。

ソースマヨネーズも味にマイナスにはならない。銀行前のコンクリートブロッグに座り前のホームを見ていると、過ぎし日の思いが通り過ぎる。

Img_0775 懐かしい看板。これだけは当時と変わらない。商店街はさびれたが大学は成長している。しかし関西の音楽ビジネスにどれだけの逸材を排出しているのだろう?

そんな事は関係者で無いと分からない。それでも音楽で飯を食えるのは一部だろう。嬉しかったのは今は無い会社の寮を知る喫茶店が残り、コーヒーが美味かった事。店主のオバはんは煙草をふかしていた。

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帰りに駅の写真を撮る。この駅では昔、大事故が有り電車の遅れで騒動が起きる。親父も知らない昔々の話。今はその面影も無い。今駅はリニューアル改装中。完成までに数年掛る。本来ならば高架になる予定だったが近くの大手企業の反対で実現せず。

今となっては如何ともしがたい。田舎の駅でもそうだが当時の思惑を知る由も無い。それでも高架にならなかった駅はこの駅を含めて3つ。いずれも駅前の発展は無い。それでも決断をした当時はそれで良しとしたのだろう。幸か不幸かこの区間の道路に幹線は無い。

黄昏の時、満ち足りた想いで駅を後にする。今は往時の面影もあるが工事が完成するとそれも無くなるかも。それでも高架に反対した今は無き人も後世の批判には耐えられないだろう。この話の最初に述べた政治的判断も同じだろう。事の正否は歴史が証明する事を忘れてはならない。たこ焼きをお土産に帰る。

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2009年9月21日 (月)

日中は暑いけど朝夕は涼しくなった。連休2日目。

この前まで廊下の寒暖計も30℃を切る事も珍しかったが、最近は25℃を切る事も珍しくない。この前までは自公の政権でわが世の春を謳歌(おうか)した政治の流れと比較するのはおかしいか?おかしくない。何時までも暑い時が続く事は無い。その事を思い知れ。

それでものど元過ぎれば何とかだろう。季節の変わり目は感覚的に理解出来ても、政治と経済の流れの変化には問題が難しくて、否、直接的な関わりが無く感じられないのだろう。それでも戦後2度目の政権交代の重みは1年足らずに終わった前回とは比べ物にならないだろう。政権の内部崩壊がなければ間違いなくこの国は変わる。その事を見誤ってはいけない。

「世の中はそんな甘く単純ではない。」 そうかもしれない。それでもガリレオガリレイが言った様にそれでも地球は回るだろう。政権交代の重みを一番感じているのは誰だろう?官僚と野党となった前政権与党だろう。自民党の再生と巻き返しはあるのだろうか?無い。

その事は当事者が一番感じているだろう。それ程に無為無策の代償は大きい事に当事者では分からない。何時までも続くだろうと思われた政権の緊張感が無くなれば、滅びの時は歴史が多く証明している。その事をこれから思い知るだろう。これから多くの困難に直面した時、歴史に学べ。そうすれば未来が見えて来る。親父もそろそろその覚悟が必要になっている。何時までも青臭い事を言わずに狡さと(ずるさ)とアホさを身に附けなければならない。

言ってる事がよく分からない?。そうだよね。それ程に世の中単純ではない。単純なのは意外に己の廻りだけかもしれない。でも川の流れと同様に多くの矛盾もその場に留まる事は無い。その事を見失えば高い代償を払わなければならない。無策の政策に踊らされずに生きて行く事も忘れてはならない。

Img_0756 近くの銭湯です。早い物でもう7年。お世話になっています。数年前にリニューアル。お店の親父はコテコテの阪神ファン。今年はクライマックスシリーズだけが楽しみ。

親父の利用時間は何時も遅い。11時過ぎ。遅い理由は空いているから。感じは悪くないから常連は多い。親父もその中の一人。

Img_0758 今日は家を出たのが6時過ぎ。秋の日の夕暮は早い。日の入りは5時半ぐらいかな?もうすぐ5時過ぎ位になる。予想通り誰もいない。

フラッシュたいて暗闇の芝生広場を撮る。正面が天守閣。此処から街並みはよく見える。しかし、歴史的検証は出来ない。

Img_0767 今月末で閉園時間が早くなる。今は19時。来月から17時。そうなるとこの風景は中々見れない。暗闇に映える天守閣です。

暗闇迫る公園内を動く人影は無い。流石の親父でもちょと不気味。でも風が無くても涼しく、虫の声が耳に心地良い。

明日は連休3日目。(と言っても今日だけど)。特に予定も無いけれど以前の様に近くのパチンコ屋に吸い込まれる事も無い。あのじゃかましさと貧層の塊の孤独の時間。人によればそれが楽しいとも言われるが、親父は一時たりともそんな時を享受していない。

今の仕事に恵まれた時、きっぱりと足を洗えたのはその思いが人並み以上だったのだろう。人の思いはその程度の物かも知れない。多くの事が些細な変化で大きく変わる。変わらないのは何だろう?永遠の命と想い。?そんな物は無い。在るのは思い込みだけだろう。

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2009年9月19日 (土)

誰が名付けたシルバーウイーク。誰が仕組んだ5連休。

五月の連休がゴールデン。9月の連休がシルバー。笑うに笑えぬ官僚の施策。何処の馬鹿がが考えたのだろう。敬老の日が15日から21日。22日が国民の祝日。23日が秋分の日。休日を多くして国民にレジャーを?もう一度言えば役人の考えそうな事。

それに踊らされ何処まで行っても千円の高速に乗って渋滞の中で悪戦苦闘。休息の意味を理解せず無い金をはたかせようとする役人のセコサが見え見えと思わない人も少なくない。海外旅行と言っても何処まで行けるのだろう。政権交代で何かが変わると期待した処でこの程度の感覚で何が変わるのだろう?何も変わりはしない。それどころか足の引っ張り合いから高崎山のサル騒動が関の山だろう。(高崎山、御存じ無い?大分別府の猿餌ずけで有名)

マスコミも自分達の不徳を棚に上げ興味本位の猿芝居。そのうちデジタル放送に変わってもこの有様ではチャンネルすら切られるだろう。国民もも少し賢くならなければこの国は本当に2流3流の国になる。いや既に近隣のアジアの国からも経済大国(援助してもらえるだけ)としか見られて居ないのだろう。

この国の文化がどんなに素晴らしいと自慢した処で、人の生き方が貧層では尊敬はされない。どんなに貧しくても誇り高く生きれる社会。そんな社会は中秋の名月に芋と団子にススキを添えて、縁側で見る満月の空だろう。夜に見る青い空。暗闇しか知らない現代人に見せてやりたい。なんでだろう?夜空の月明かりに照らされた静かな里の秋。もう一度見れるだろうか? 故郷は遠きに在りて想うもの。近きに在りて嘆くもの?嘆く事は無い。気持ちを失わなければ心の中に何時でも月明かりの様に輝いている。(アホやねん、好きやねん・・これパクリ)

秋になると田舎のクリ拾いを思い出す。他人の畑の栗をひらう。断りも無く。それは盗みでしょう。そうです。所有のおばあさんの声に追われ隣のおっさんの猟銃に脅された。あれから栗ひらいの経験は無い。栗飯も秋の味覚だけれどそれもめったに口にする事もない。

少し足を延ばせば近くにも栗拾いの観光園も在るけれど、あの時の緊張感は味わえないだろう。親父の幼い頃には栗も柿もイチゴもお金を払うものではなく、季節の恵みだった。給料を手にするようになってようやく金を払って口にする。親父の秋の思い出は高崎山の猿と変わらない。(猿を馬鹿にするな。馬や鹿とは違う?)

シルバーウィークと言ってもお休みだけで何とも哀れ。それでも渋滞に巻き込まれて難儀する事を思えば楽チンかも。(大分の楽天地。今でも豚のレースやってるのだろうか?) 伊豆天城のイノシシ村のイのレースは無くなったが・・・。関係無いか。トホ。

連休と言っても嬉しさも中くらいかな、おらが秋と言いたいね。最近運動不足、睡眠不足、在るのは体力と精神力。それだけでは飯は食えない。今夜はモヤシ炒めと秋刀魚のフライパン炒め?最近、これにトマトの輪切りが加わればささやかな秋の味覚です。

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お買い物の前にお散歩。今日は気合を入れて五月山の高原コース(一番厳しい尾根添いの道)に挑戦と思っていたのだが・・・。この写真良いでしょう。何時もの城址公園の池の廻り。

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このスナップも正面の土塁(どるい)がお気に入り。敵の攻撃に上から狙撃?それから池の波紋。夏が過ぎ秋の到来。この写真を見ているとその事がよく分かる。今は誰もいないのは海だけでは無い。この公園も猪名川の花火の時は満員でした。

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この正面の山が五月山。喘ぎながら(あえぎながら)登る時は何かを決意した時。最近は何だかんだ言いながら健康なのかもしれない。体調に異変を感じた時、自分の体力を計る時そんな時しか足が向かないのかもしれない。今年の秋は運動靴買って行きたいな。

夕食は久々にサンマとカット野菜のフライパン炒め。収穫はシーズンパックの十勝コーンの缶詰が一緒に炒めて美味かった事。シーズンパックの意味はなんとなく分かったが収穫後の短時間に缶詰にしたもの。これは美味い。缶詰の上手な使い方。1つ叉勉強です。

ではまた明日。2日ぶりに銭湯に行って来る。

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2009年9月15日 (火)

そばにいてくれるだけでいい。

今日はお休み。もうすぐ出掛けるのだが、テレビの低俗さにへきへきとしながら電源を切りFMラジオのスイッチを入れると、親父MUSIC(音楽)が聞こえてくる。親父の十八番。長い間、人前で歌った事は無いが、仕事で厳しい一面しか見せなかった親父が会社の慰安旅行バスの中でこの歌を歌ってうけた。あれはどれくらい前の事だろう。静岡の工場創世記の頃。今から30年位前の事だろうか。部下の決定的なミスの責任を感じて髪を切っていた。

あの頃はまだそれ位の髪が有ったのだろう。部下は責任を感じていたが何も言わずひょうきんな親父の行動に反対に恐縮していた。責任の取り方が違うだろうと上司に言われても、笑ってこれが決意ですと平然としていた。あの傲慢な態度は今も変わらない。それでも下手な言い訳よりインパクトは大きかった。それ以降同じミスを繰り返す事は無く反対に親父の髪は無くなる一方だった。あの時のバリカンの祟り(たたり)だったのだろうか?

今となっては為す術も無い。髪は長いお友達と言われるが今はお友達も少なくなった。親父の親父が禿げていたが、体型も知能レベルも違ってもこれだけは遺伝だろうか?親父の人生の波乱万丈を考えると比べ物にならないのに、髪の抜け具合だけは親子なのだろう。

親父が親父から直接教えてもらった事は厳しさだけだった気がする。今と違って親父の時代は幼い頃、親、兄弟、親戚、先生の教えは絶対だった。納得できるとか出来ないとか言う前に服従。それが出来なければ親子の関係はなかった。「出て行け」。江戸時代ではあるまいし何処に出て行けば良いのか思案した事も少なくない。それを思えば今の子育ては難しい。

そばにいてくれるだけでいいのではなく、飯を食わせてくれるだけでいいのだったのかもしれない。今、親父達だけでなく親の生き方が問われている。その前に子供も例外では無い。政権が変わり子育て支援が変わっても、親子の絆は変わる事は無い。

しかし、生活支援はそうはいかんだろう。大体、国に生活支援を求めて社会が成り立った歴史を知らない。国が豊かになる事は地方に行けばよく分かる。地域の商店街がシャッター通りになっても貧しくない。反対に都市の住民の方が貧しい。何故だろう?価値観の違いだろうか?生活が便利になれば豊かな生活が出来るとでも思っているのだろうか?

親父も元気なうちに安住の地を見つけなければ、便利な都市の暮らしの中で野垂れ死にだろう。何たる皮肉。何たる現実。しかし考えて見ればその為に人は苦労しているのだろう?生きる術を失っても何とかして手にしょうともがき苦しんでいる人もいる。それも現実です。

 

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2009年9月13日 (日)

高齢化、少子化、子育て支援、雇用対策、景気対策、それから?

Img_0718 夕方の食事が予定変更。最近歩いていないので山に向かって歩く。と言っても最近は意気地(いくじ)が無いので、途中の城址公園でお茶を濁している。(手抜き…と言っても片道2キロ)。何気なく足の甲を見ると歳の所為だろう。浮腫(むく)んでいる。歳を取ると言う事はこういう事なのか?…それ程のものではない。単に太っただけ。歩けや歩け。死ぬまで歩け。

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見上げれば秋の空。暑かった夏の名残りは空には無い。これから寒くなるのは少し先。人の生き方も知らず知らずの内に変わる。変わらないのは親父の生き方だけだろう。それでも昔に比べれば大変わりだろう。人の生き方も関わり方も無意識の内に変わるのではない。

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政権は変わっても政治は変わるのだろうか?政治が変わっても人々の生活は変わるのだろうか?間違いなく変わる。良いか悪いかは人と暮らし方で変わる。高齢者と生活弱者は間違いなく座して憐みを乞うしかないだろう。子育て支援?どれだけ出来るだろう?この国を担う次の世代。豊かさを実感できるのはどれ位だろう。理想と現実の狭間で如何だろう?

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この石の腰掛けに座り未来を語る人はどんな人だろう?少し座り具合は悪くても夢を語れるだろうか?そんな子育てを支援してほしい。もうすぐ枯れる多くの緑もその事を願っている。近くの芝生の広場でボール投げの親子の奇声が気になる。

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実りの秋。名も知れず口にされる事も無い。でも意外にデカイ。手に取って口に寄せればどんな匂いがするのだろう。意外に無臭?意外に悪臭?今度、嗅いで見るか?

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これは帰り途、大手門を出た処。正面の道からこの橋を渡れば城址公園です。街の近くに少し足を延ばせばこんな風景が見える。現代人は歩く事を忘れ美食を求める。この橋で耳をすましても蝉しぐれは聞けない。そのうち虫の声が聴けるのも遠くは無い。

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夏が過ぎ秋が来る。暑い夏の日差しに耐えた青葉にも紅葉の時は近い。紅葉の時も短い。秋が行けば冬が来る。今年は新型インフルエンザの流行が危惧(きぐ)されているが、如何だろう?

春夏秋冬。季節の変わり目は体調も変わる。今年も早い物で残りは四分の一。どんな生き方が出来るのだろう。願わくばこの逞しい生命力に肖りたい(あやかりたい)。何たる繁殖の力。何たる勢い。それでも夏の暑さは容赦なく枯れ葉も見える。

これからの生き方もそうありたい。親父のアニバーサリー(記念日)は無くなったがこれかも無いだろう。それでもこの樹を見ていると訳の分からない活力が出て来る。人間生きる力は理屈では無い。どんなに考えて見た処でこの活力は無い。それが分かれば記念日は必要ない。希望とか夢を語る前にこの樹の前で眼を見開いて見るが良い。明日の勇気が見えてくる。

口上は言わなくても何も語らなくても、今どんなに苦しくても明日も同じか今以上に悪くなったとしても、前を向いて歩いていれば季節は変わる。季節が変われば風景も変わる。この雑然とした眼には見えない力がその事を教えている。

後ろを振り返るな。後ろを見た途端に多くの思いが不満に変わる。前だけを見て挫け(くじけ)そうな自分を励ませばよい。その力も無ければ神の憐みを乞えば良い。神の存在を認めなければ愛する人を思え。

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2009年9月12日 (土)

高齢者の医療費を誰が負担するのか?

今日はお休み。天気は雨模様。でも時雨程度かも。時雨と言われても分からんと言われそう。そんな輩が多くなる。自分の思いを過信するだけでなくアンタがおかしいと平然と口にする。確かにオカシイ事が多すぎる。だからと言ってアンタその事をヤクザさんに言えるか?例えが飛躍しておかしいと馬鹿にしても、所詮相手によって人は無意識の中に言葉を使い分けている。人を見て言葉を使い分けるのは処世術だがその事すら分かっていない。

話はもっと難しくなるが簡単に言えば「自己負担」、もっと正確に言えば「受益者負担」かもしれない。しかしこの言葉は耳触りがよく一見当然の様に聞こえるがそうではない。世の中には富める人と貧しい人、その中間の人、その又、中間と千差万別。更に働き方、健康、不健康、老若男女、多くの条件が重なる。それが問題を複雑にしている。

チェンジを叫んで当選したアメリカのオバマ大統領の演説と実行力に乖離(かいり)が在るのも当然だろう。この国には昔から年寄りが{世の中そんなに甘くない}と自分達の体たらくを棚に上げ、若者の考えとチャレンジ精神にブレーキを掛けていた。親父もこの歳になればその意味も強ち(あながち)否定も出来ない。しかし、老いも若きも男も女もそれだけでは生きる屍(しかばね)だろう。その事だけは忘れてはならない。

話、巻き戻し。そう自己負担。自分の受ける利益を自分で負担する。間違い。自分で費用の1部を負担する。これも正確ではない。自分が掛った医療費の一部(3割がほとんど。以前は1割が多かった)を負担する。これっておかしくない?保険料払えば自己負担ゼロでないの?

この疑問は簡単に答えられる?簡単ではないだろう。病気の時自己負担ゼロにすると今の保険料では足らない。だから自己負担を求める。それでも足りない。だよね。誰が考えても分かる事がこの制度を決めているお役人に分からない。役人だけでは無い。

医療が仁術とか言われても忍術ではない。この国の医療制度が国民皆保険とか言われて外国に得意げに役人が自慢したのは過去の話。親父達が若い頃完成したこの制度も完全に疲弊し、継ぎ接ぎ(つぎはぎ)だらけ。役人は取れる処から取るだけで今は為す術も無い。

多くの国民も間抜けだが後期高齢者に自己負担ゼロから一割にし、その保険料を年金から天引きする事が明確になると、殆どの人が反対した。役人の説明の仕方もお粗末だけど高齢者の医療費、低所得者の医療費を誰が負担すればよいと思っているのだろう。

国?国ってお金は造幣局で福沢諭吉を印刷すればそれが使えるの?そうではない。国の予算で賄う?それって税金でしょう?この国にそんな余裕があるの?在るらしい。政権交代をすれば補正予算の組み替えで?それは無い。来年度の話。それも無理でしょう。

現在、膨れ上がる高齢者の医療費を余裕があると言われてきた企業の健康保険組合からの拠出で賄われている事を、どれだけの人が分かっているのだろう?そう言えばアメリカで経営破たんした企業の退職者の年金と医療費の負担も小さくない。

親父の様に平均的な低所得者の年収でも元気で働けば、国民健康保険2万6千円。年金だけなら1万3千円?(これは分からない)。医療費は眼医者と耳医者の負担が在るだけ。これから大病を患えば分からないががん保険と医療保険には加入している。

政権交代をした民主党のマニュフェスト、政権構想も未だ分からない。後期高齢者の1割負担だけは止めるだろうがその代償はあまりに大きい。その事すら問題の先送りだろう。それまでは取れる処から取る。払えない人には払って貰える様にお願いする。その程度だろう。

今、求められている事は抜本的な制度の改革だろう。健康保険制度の在り方の見直し。公平性を高めた自己負担。払えない人(未納者)の保険制度の見直し。全てが簡単ではないが医療も福祉も誰かが負担して成り立つ事を明確にし、徹底しなければ制度の持続は難しい。どんなに尤もらしい事を言っても全てがタダより高い物は無い事を忘れるな。

一番賢い生き方は健康で最低限度の生活だろう。憲法で保障されている文化的で最低限度の生活は理想であるが、一番肝心なその費用をを誰が出すのかが明確にされていない。国が出す?国の誰が打ちでの小槌(こづち)を持っているのだろう。チョコと考えて見れば分かる。この国の憲法の矛盾。理想と現実。基本的人権の尊重にも同じ色が見える。

今迄憲法が制定されて長い間、学者先生とお役人と利益関係者の思いのままに進められた事が、これからの政権交代で政策はどれだけ変わるのだろう?戦後初めての改革となるのだろうか?余り期待は出来ない気がする。大事な事は病気をしない事。何か有って駆け付けられても健康でなければどうしょうも無い。その事に何時も気をつけなければならない。

今日、朝食のモーニングサービスを食いに出かけた時、近くのマンションの前に車が止まっている。対向車が来る。小雨が降っていたので右手に傘を差し左手で片手運転。道幅5メートルのアスファルトの左は側溝。フタが無い。やばいと思いながら左に寄りブレーキを掛けるとふらつく。一瞬小6の時、後ろの荷台に肥桶(こえおけ)を積んで通学中に用水路の穴に落ちた事を思い出す。あの時は親父に見送られながら家を出て学校の中間ぐらいだった。

頭から穴に落ちながら両手でカバーしていたからだろうか?頭に軽い裂傷で済んだ。それでも鮮血が滴り誰かが村の中心にある医院に運んでくれた。あの当時、今の様に車は無かったのに誰が運んでくれたのだろう。記憶に無い。頭に包帯をして先生とバス停まで帰ると親父が何も言わず、先生に拳を握りしめていた。なんで息子が家の肥桶を持っていかなければならないのか、理解出来て居なかった。息子の親父は学校に自転車で行きたかっただけ。先生は平身低頭して言い訳をしていた。

最近、年の所為でもないが危険予知の感覚が鈍い。何気ない処に潜む危険。この前は卓上コンロのレバーを下げたままにしていてガスが漏れ着火の時暴発。一瞬顔を背ける(そむける)。今日もそうだった。バランスを崩して左に傾けばフタの無い側溝に倒れかけただろう。

自転車の片手運転は危ないと言われても怪我をする危険予知がない。大分前に緩い下り坂で何気なく前輪のブレーキを掛けもんどりうって前に投げ出されて時、一瞬無意識の内に自転車を傾け左足を付き、受身の態勢を取っていた。何時までもあんな事は出来ないだろう。

健康と安全は無料では無い。日頃の自己管理と予見、予知の能力が問われる。鼻でせせら笑われても事故と怪我、病気は何時でも何処でも降りかかる。その事を教えられた朝の出来事。車の何気ない駐車にこれ程の事故の要因があるとはお釈迦様でも分かるまい。、

夕方、歯医者の予約を取っていたので小雨の中を出掛ける。傘を差しながらそれでも今朝のアクシデントを学習していた。Т字路で飛び出さない。ブレーキを掛けて一旦停止。直進の住宅地の路地を他府県の車が徐行もせずに通り抜ける。

自転車をはねたら自分に100%の過失は無いと言えない。出会い頭の事故は前方注意が問われる事をハンドルを握って居ても分からない。こんな輩に限って事故になると逃げる。自分に問われる責任と損害の賠償が出来ない。デカイ顔をしてもその程度。事故の怖さを知らない。逃げたら責任は自分の予想を大きく超える。その事も分からないのだろう。

親父もハンドルを握っていた頃、左折の時に直進の自転車をはねる。あの時は徐行しながら左を見ていた。自転車をはねオバはんが路上に倒れている姿が見えた時、観念する。これはヤバイ。車を左に寄せオバはんに声を掛ける。「大丈夫ですか?怪我は有りませんか?」 オバはんの声は意外だった。「ごめんなさい。大丈夫です。急いでいたので当たりました。」ほっとしながら何故当ったのか聞いてみる。巻き込まれたのではなく曲がった車に気がつかなかったと言われて、親父から怒られる。「オバはん、怪我が無くて良かったけれどホンマ、スミマセンでは済まんで。気をつけんと。」 足をさすっているオバはんに運転手が説教していた。これは笑い話ではない。本当の話。最近の事故のニュースを見聞きする度に思い出す。

車は便利な文明の機器だが、走る凶器、走る棺桶、走る悲劇のジェットコースターでもある事を多くの人は知らない。今、どれだけの人が交通刑務所に入り人生を破滅させているか知る由も無いだろう。便利さの裏返しは取り返しのつかない悲劇でもある。

事故のひやり、ハットが無ければ無事故無違反は無い様に、健康も病気の怖さを知らなければ酒の飲みすぎにも平然として居れるのだろう。馬鹿は死ななければ治らないとは森の石松だけでは無い。学習能力が無ければ生かす事が出来ない。保険の破たんも同じかもしれない。医療費もタダではない事を忘れるな。健康な生き方に心掛け、保険の意味は使うことではない事を思い知れ。、

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2009年9月 9日 (水)

いつの間にか温度計の目盛りが下がっている。

この前の日曜日、長谷寺に行った時の残暑がいつの間にか、秋の風に変わっている。アパート入口の温度計も25度を切り、これからは一段と涼しくなるのだろう。顔をしかめながら暑い暑いとうっとうしい挨拶も、寒くなりましたなあに変わるのも遠くは無いだろう。

今は9月の前半だから今月末までは厳しい夏の暑さがぶり返しても、月が変われば本当に寒くなるのだろうか?6年前の職場で冬服の衣替えの時、暑かった事を思えば今年の秋は意外に涼しいのかもしれない。あの時汗をかきながら無駄話をしていたおっさんも今は1人で頑張っているのだろう。それでも長くは無いだろう。何時までも元気で居れる保証は無い。

人の事は批判出来ても一番大切な事を見失えば失意の時も遠くは無い。その事を教えて呉れた昨今の典型的な現実が政権交代だろう。あれだけ民意を見失っても今迄は口先を拭えば何とかなった。何とかならなければごまかしが効いた。そうして思いが叶えば万歳三唱、再び同じことを繰り返していたのだろう。政治の世界を尤もらしく批判しても日々の生き方も大差ない。違う事は手にする物の大小だけだろう。自分達は関係ないと思うのは自己満足に過ぎない。否、それすらも出来ずに感情を直視していないのかもしれない。

季節が変わるのと同様に永遠の繁栄は無い。それ以上の厳しさと哀れをこれから味わうに違いない。一度失われた思い上がりの時は並大抵の苦労では再びの時は無い。その事をこれから味わう覚悟がどれだけあるかは、誰にも分からない。

今週、一昨日と今日がお休み。静かな時を噛みしめながらのんびりしていると、近くの馬鹿犬が吠えている。そのうち怒鳴りつけられてくたばるだろう。飼い主も犬の躾(しつけ)が出来なければ肩身が狭いのだけど、そんなおっさんに限って犬以上にモラルが無い。

朝起きて、久しぶりに近くの喫茶店でモーニングセットを注文する。経済新聞を手にして店内に入ると常連が3人、でかい声で話をしている。良く見ると近くのスーパーで出入り禁止になったおっさん。一人は物静かなおっさん。残りはこの前、代金をつけにしたおっさん。

知らん顔をして新聞に目を落とし、コーヒーを口にしゆで卵を食っているとこの前と同じレベルの話をしている。おんどれ(自分達)の姿を鏡に写して見ろ。人の事がなんだかんだ言える筋合いも無い。全く餓鬼と変わらない。人の生き方は万別でも余りに耳に触る。それでも無視して店を出る。せっかくの気分を台無しにされても最近は別の風景が見える。それで良い。

歯医者に行く。下の右奥が腫れて痛い。歯ブラシを柔らかくしても痛い。それに左上の奥のブリッジが浮いている。行きつけの歯医者は空いていた。それでも半年空いていたので初診扱い。事前の調査用紙を書きながら不愉快になる。まあ、しゃーない。

感じの良い先生は「如何しました?」と声を掛ける。状況を説明しながら口を開けるとぶっきらぼーに{典型的な知覚過敏}と言われる。水は沁みらないけどと言い訳しても馬鹿にする。この医者は良心的に症状を説明して適格な処置をしてくれるけれど、時々こんな言い方をする。親父が医者をより好みするのも分からん事は無い。自己負担2800円。パチンコに比べれば(そんなもんに比べるな)安いか。今週末の予約を入れる。

高齢者の医療負担の問題が政治課題になっても、病気の予防対策はそれ程でもない。外科的な手術は別にして自分の体は自分で知らなければならない。酒に溺れて内臓をぐちゃぐちゃにしても本当の苦しみを知らなければ味わうが良い。人間簡単にはくたばらない。

背中の痛みもかかりつけの整体の先生のお陰で和らぐ。肩を触られた時、「固くなっている」と言われたが筋肉も不摂生が重なると、柔らかさが無くなるのだろう。これからの老い先、肉体と精神を鍛える事を忘れてはならない。

P1000118 仕事場の外の桜もこれから葉を落とし厳しい寒風に耐える身構えをしている。

柿の実もリンゴの実もこれから実りの秋を迎える。桜の実は落ちてしまったがその代償に来年の春、花々が咲き誇る。

抜けるような秋の空は天高く、馬肥ゆる秋。今年はどんな秋が見れるだろう。紅葉の十和田湖は見れなくても、鞍馬の秋は如何だろう?

黒部のトロッコ列車には乗れなくても、保津川の秋は見れるかもしれない。行く川の水は清らかさを失っても、絶える事は無い。

人の生き方もかく在るべし。幹から枝に分かれ老い先短いこの桜木は、健気にも(けなげにも)、秋の空にその事を教えている。

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2009年9月 7日 (月)

初秋の思い出、近鉄長谷寺からの参詣の道は、意外に遠く暑かった

正月以来の君との再会。今年の夏は帰って来ないと諦めて居たので嬉しかった。数ヶ月前に1人で歩いた道頓堀から通天閣の道を、親子で他愛も無い言葉を交わしながら歩く。水掛不動の近くで念願の串カツを口にするが、衣の美味さとは対照的にネタに厚みが無い。2杯目のビールが日差しを受けて歩いている内に効いてくる。それでも道具屋筋のアーケードの中をキョロキョロしながら歩いていると、少しはマシになる。

この道も前1人で来た時と何故か寸分の違いも無い。人間の方向感覚は無意識のうちに決まっているのだろうか?暫く歩くとこの前、牛丼を食った堺筋の日本橋の十字路に出る。酔いは冷めてきたが暑い日差しを浴びながら、ヨタヨタと歩いている親父を見かねて声を掛ける。「コンビニで冷たいお茶買う?」。初秋の気配が感じられないし、汗が噴き出て居たので足を止め花壇の端に腰をおろして一服する。なんだかんだ言った処で歳は隠せない。

それでもなんだか満ち足りた想いで車の流れを見ていると、なかなか戻って来ない。「どこまで行ったのだろう?」そんな思いでイライラしていると用事を済ませてお茶のペットボトルを手にして戻ってくる。冷たいお茶を口にすると暫く休んだからだろう元気が出る。

通天閣はそれでも暫く歩く。やっと到着したら行列が出来ていた。文句無しにパス。「並んで見る程の事は無い」親父の独断に反論も無い。極自然に天王寺の動物園内を歩いてターミナルに出る。地下鉄御堂筋線で難波の駅まで引き返す。

難波の駅周辺の昔の面影が一変している。昔、新婚の頃会社の試験で研修をしたホテルの場所を気にするが、少し通りが変わると街並みが一変して分からない。昔の思いも淡淡として感慨も無い。全ては時の流れの中で人の思いの等呑み込まれている。

2日目、正月の時行けなかった奈良大和路花の寺、長谷寺に行く。名阪国道針インターから20分。近鉄難波から上本町乗り換え近鉄大阪線長谷寺駅から徒歩20分。駅からの道は行きは下り、帰りは登り。これも結構ハードな道だった。息を切らせながら階段を上がり下りする。歩きに自信が無ければタクシーか、そう笑いながら歩ける体力が何時まで続くだろう。

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花の寺の盛りは牡丹の頃の6月末から7月の初旬にかけて(来年、スイスに行けるとしたらこの頃)か紅葉の秋。でも本当の美しさは参拝客が途絶える冬だろう。最近は温暖化の影響で霜柱を踏みしめながら歩く事も無いだろうが、アスファルトの道と石段はしばれるだろうか?

大晦日の夜、登廊の石段両側に灯がともされる万燈会。しんしんとした寒さの中を防寒具に包まりながら本堂に急ぐ姿は新しき年のプロローグかもしれない。今年も3分の2が終わる。残りの3分の1が終わる時、そんな幻想的な新年を迎えたい。民宿まほろばも営業しているのだろうか?

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2009年9月 1日 (火)

アゲインストの風がフォローウインドに変わる時。

アゲインストの風と言われてもゴルフをやらない人には、何の事やら分からないかもしれない。向かい風。ゴルフボールの飛距離はアゲインストとフォロー(追風)では大きく違う。但しボールをきっちり、クラブフェイス(クラブのボールが当たる面)で打てる技術が有っての話。

なんか小難しい話。それでアゲンストの風がフォローに何時変わるの?これもゴルフをやる人なら良く分かる。無風快晴の時はゴルフは下手でも心は浮かれ、強風雨天の時は心穏やかでない。風向きは全く変わらぬ時もあれば逆も珍しくも無い。

ふーん。全く分からない。分からないのが当たり前。ゴルフを馬鹿にしてやらなかった親父がやり始めたらハマったのだから。その親父でも流石に自分の仕事、生活信条、生き方にも同じであるとは恥ずかしながら、この歳になるまで得心(とくしん)する事は無かった。

(国民の為の政治)(国民の為の消費者庁)、国民の為の何とかそんな物は有る筈も無い。そんな事を求めてもならない。そんな事が出来る訳も無い。親父も長い間、出来もしない志を掲げていたが、考えを変えれば生き方も変わる。生き方が変われば向かい風を追い風にも変えられる。長い長い苦難の道も、時にはその重みに耐えかねて道を踏み外したが、老い先も長くは無い。その事を考えれば何時までも重荷を耐える事は無い。

馬鹿な生き方をしたと思う。それでも老い先短いとはいえ後、10年は何とか行けるだろう。10年先と言えば姉きの歳。10年前と言えば大阪に戻って1年目。新しい生き方を求めていたがそう甘くも無かった。市場の仕事。朝起きの出来ない親父が、朝3時には起きていた。

人間、出来るとか出来ないとか言われても、やるしか無ければやるしかない。昼と夜の生活が逆転しても、青果の親父にキャベツを投げつけられても、若いあんちゃんに嫌味を言われても4トントラックを走らせている時は、気分爽快だった。

人間、寝ている時も体内時計は動いている。体の多くの細胞は無意識のうちに動いている。それなのに自分で自分に暗示をかけて泥沼に引きずり込まれている。今の親父には考えられない自己暗示。口下手、訥弁(とつべん)、吃音(どもり)。人間、糞もするし屁も垂れる。

どんなに清ました所で人間はその程度の物だろう。尤もらしい能書きを垂れた処で今度の選挙で眼にした事を対比すれば、親父の下品な言葉も強ち(あながち)否定は出来ないだろう。政権交代の意味も分からず、多くを語るな。これから全てが否定され、そして何も変わらない。余り自分を卑下せずにもっと王道を歩け。体は薬では治せない。気力、体力、時の運。為るようにしかならないと思えば心の蟠り(わだかまり)も消え失せる。

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