公園の手品師
この歌を藤田まことがフランク永井への追悼の言葉を添えてNHKの番組で歌ってくれた時、恥ずかしながら親父は涙を流していた。あの熱き思いは一体何だったのだろう。全ての人が若き時から輝きの時を過ぎてて、老いの時を迎える。今では親父が生きた若き頃と違い大スターは居なくなった。なんか訳の分からない飛んだり跳ねたりしながら、がなりたてる歌手も少なくなったが、しみじみとした歌はほとんど聞けない。そんな歌も聞かないしレコードも無くなった。今はCDと思いきやそれも買いもせず、携帯からダウンロード?年寄りはお呼びでは無い。そのフランクが失意の時、自殺を図る。昭和40年の後半の話。それから長いリハビリの時を姉さんが支える。本当に命の重みと支えの時は長い。
藤田まことの様な大スターにも不遇の時は在り、地方のキャバレー廻りをしていた時、フランク永井の応援を受ける。さりげない追悼の話と歌を聞きながら人の哀れと悲しさを感じたのではなく、優しさと感謝の思いに涙したのだろう。人は嬉しい時、楽しい時ばかりではない。
本当に絶望の淵に立たされた時、支えて呉れる人の思いを噛みしめるのだろう。人は予期せぬ定めに押し流される。その時再びの思いを重ねるには、意外に多くの偶然が重なる事を多くの人は知らない。
「がたろ横丁で、行き暮れ泣いて、ここが思案の 合縁奇縁 おなごなりゃこそ 願かけまする 恋の思案の 法善寺」 大阪ぐらし 作詞 石濱恒夫
公園の手品師は銀杏の歌です。
銀杏は手品師老いたピエロ。薄れ日に微笑みながら季節の歌を、ラララン、ラララン、歌っているよ。
口上は言わないけれど、慣れた手つきでラララン、ラララン カードを撒くよ
何もかも聞いていながら、知らん顔をしてラララン、ラララン すましているよ。
銀杏が紅葉して黄色の落ち葉を散らすのは11月も終わり。その時どんな顔をして見ているかな?
さあこれから五月山に行くよ。
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