国の在り方、地方の在り方、会社の在り方、自分の在り方
親父が34年間のサラリーマン時代。始まりはフランク永井の歌ではないが、基本給13800円からのスタートだった。入社して最初の給料が定期昇給で15000円。それから税金、保険料その他を引かれて手取りはどれ位だったのだろう。それから寮費を引かれて手取りは1万を切っていた。最初の配属は営業。外回りをすると身なりや食費にも金が掛り何時も貧乏だった。それでも故郷を後にして貧しくても志を高く、希望に燃えていた。
会社は印刷会社。当時も現代も日本を代表する企業だったが、社会的評価は一般的には必ずしも高くは無く、新規開拓の時、中小企業の経営者だけでなく従業員にもバカにされた。凸凹印刷ですか、間に合っています、今は忙しい。お馴染みの断り文句に汗をかきながら、セールス・トークを返しながら事務の合理化?を進めていた。レジフォーム、タブフォームと言われても分からない当時の事務管理者に、システムの売り込みをかけていた。
今でも関係者で無いと分からない言葉。レジとタブ。フォームは今ではそこそこ知られても、レジはスーパーの代金支払い位しか頭に浮かばない。タブは今ではプリンターのアウトプット連続用紙。そこまで言われても分からない位だから、当時の営業は大変だった。
この話はこの国のコンピューター発展を予測し、印刷会社、印刷の概念を越えた技術開発、アメリカ(カナダ)M社と合弁会社を設立した、先人の開拓者の偉業に繋がる。当時親父に熱く語り、10年後昇格試験の面接をしてくれ、その後も労使の対立ではなく、地域との協調を語って呉れた社長、会長、顧問、相談役は今は無く会社も親会社、子会社となる。
合弁会社の設立は昭和40年、静岡浜松の会社設立が昭和51年。あれから多くの年が流れたが経営信条の毎日唱和の言葉は、今でも自分は何を為すべきかの道標かもしれない。
経営信条 三益一如(さんえきいちじょ)
Ⅰ・ 社会益 私達は事務革新のパイオニアとなり、日本経済発展の為に、寄与します。
2・ 会社益 私達は事務革新のパイオニアとなり、会社の発展向上の為に、尽くします。
3・ 個人益 私達は事務革新のパイオニアとなり、自分の幸福を築く為に頑張ります。
社会と会社、個人の益が同じだとちっとも思わないまま、どれくらい唱和しただろう。それでも気持ちだけは事務革新のパイオニアであり、この国の経済発展の為に、寄与したいと思ったのだろう。親父世代の多くの人の思いはそうだったのかもしれない。
国が発展する事と会社の発展、個人の生活の向上が同じである筈がなくても、そう信じていたのだろうか?馬鹿だと言われてもこの国の発展も会社のそれも、親父世代が黙々と働いた結果であり、その事は否定出来ない。
国の在り方や地域の在り方を語る前に、自分の生き方を語れと言われる。親父は君達に言われるまでもなく自己中心な生き方しか出来ないから、それは出来る。しかし、親父世代の多くの人はそれすら見失うか、否定して多くは語れない。
親父は多くの人に誤解されているが、会社の中でも個人益の凹みに断固反対したが、社会と会社の利益の追求に背を向ける事は無かった。今の若者、壮年、老年にその思いはどうなのだろう?今度の選挙でその事も問われるが、どれだけの人にそれが出来るのだろう。
今日も仕事が休みで郵便局で用事を済ませた時、意外に時間が掛る。手にしていた経済紙の隅から隅まで見直し、それでも時間を持て余していると面白い見開きの記事を目にする。国会議員総員の取得と資産の公開。親父が着目したのは当選回数と所属の政党。
所得給与、金額の大小にも目を見張るがこれだけの税金を手にする美味しさは、一回やれば辞められないだろう。この言葉も嘘ではないだろう。今回の国民の審判は前回の小泉選挙の結果とは天地の差が出るだろう。その時、当選者も落選者も愕然とするだろう。
前回の選挙は郵政民営化が是か非かと言う単一テーマで明確であった。郵政の民営化が出来なくて何が出来るのかと為政者に声高に問われた時、有権者の判断は単純明快だった。その投票行動は与党に圧倒的議席を与え、改革は着実に進むかに見えた。
しかし、小泉改革の問題は単純には進まず悪い事に問題を先送りし、小泉総理自身が退陣する。2年後の参院選挙で大敗し民意を見失う。旗頭の総理をすげ替えても問題の改善は進まなかった。最後の機会は1年前、その時側近が判断を間違う。選挙より景気対策。
どんなに景気対策の名のもとに税金を投入しても、失われた信頼の回復とは行かず逆に最悪の状況になる。総理の専権事項(解散権)迄今は危うい。こんな状況を許した世論、マスコミも他人事の様に尤もらしいコメントしか出来ない。
国の在り方を問われる時は外野席で勝手な事を言って居ても、何も変わらない。この国が未曾有の経済危機にある時、誰もが門外漢ではいられない。いわんや現役世代も失業者もそうだろう。この国が豊かである為に多くの事を切り捨ててきた事は、少数の政策決定の立場に居た人達の責任だけでなく、無関心を貫いた無党派層の責任でもある。
景気は持ち直す?個人消費が伸びなくても?雇用の切り捨てが進んでも?これから厳しい時が来る?今までだってそうだっただろう。東国原宮崎県知事が大臣?政権与党はこれで少数与党になるだろう?政策を変えられなければ国民の信を問う、この政治の王道を踏み外したツケは誰がどんな形で購う(あがなう)のだろう?鳩山民主党主の政治資金疑惑?そんな問題ではないだろう?退陣か解散か?君はどう思う?関係無いか?そうかもしれない。
議会制民主主義?この言葉も過去の話となり今は地方の知事がいくら尤もらしい事を言っても、高崎山の猿軍団と大差ない事をこれから思い知らされる。(飴、食うか)森元総理の言葉も今度の選挙で叩き落とされる。大分別府の猿のボス軍団にも厳しい試練がある事を、今度こそ思い知らされるだろう。国民の支持を失った元総理が今でも影響力を持ち、総理のすげ替えが出来る派閥の集団は今後も、確固たる地位を占めるのだろうか?その事もいずれ明確となる。
この国で重大問題の決定をするとその内閣は潰れると、あまり好きではないコメンテーターが断言していたが、それも違うだろう。宮崎の知事が何故、アッピールするのか?大阪の弁護士知事が人気があるのか?政治家もコメンテーターもその事をもう少し、学ぶ必要がある。
しかし、国政選挙を単一のテーマで争う間違いは繰り返してはならない。今度の選挙で問われる事は地方の復権だけではない。国の容(かたち)をどうするのか?選挙公約を今度こそ明確にして実りのある論争をしなければならない。その事が問われるけれど君はどう思う。
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