政権交代、景気対策、そして健康診断?
先週の火曜日、衆議院は解散され来月30日投票日。多くの思惑が重なり暑い時、熱い戦いが1ヶ月を越して行われる。ブログを見ても多くの人の関心が政権交代。でも麻生総理が言うような政権交代より政策論議の盛り上がりは無い。何故だろう?それ程にこの国の人たちは政治に関心が無く、自分達の身近な問題しか興味は無いのだろうか?そうです。
親父達が若い時、そうして働き盛りの時、指導的立場の時、当時と基本的には何も変わっていない。政治に関わりを持ち体制の維持を計る人は、反体制の個人と組織を攻撃し改善を計る事は無かった。徹底的に叩き潰し自己の勢力拡大と利権の保持を計った。
それが出来ない心優しい人はその体制から外され、そうして経済的にも精神的にも多くの挫折感を味わう。(理想や理念だけでは飯は食えない)そう侮られても何も言わず今に見ておれと思うだけだったのだろう。哀れと言うには余りに非情。しかし、敗戦国から世界第2位の経済大国になり(ジャパンワズナンバーワン)と言われ始めた頃から、この国はおかしくなる。
それでもそれまでの蓄積された力は小さくは無かった。バブル経済の崩壊、失われた10年多くの試練の時も他に例の無い勤勉さと技能の高さ、パート、非正規労働者の作業改善、無駄の排除がこの国の経済を支える。それが崩れたのが昨年後半のアメリカの金融危機。
皮肉な事に問題の火種がアメリカの一部の関係者の責任の様に伝えられているが、そうではあるまい。どんなに規制の網を被せても中国の様に共産主義国家で無い限り無理だろう。その中国ですら経済体制が激変し政治体制との矛盾に平然と口を拭う。
綺麗事を言うな。政治体制も経済体制も所詮その程度の物で在り、それ以下も以上も無い。今でも信じられないが政権与党、利権体制、官僚、検察、警察、公安のそれどれが簡単に政権交代を黙認するとは思えない。なりふり構わぬ抵抗と阻止に全力を挙げるだろう。
良く人前で平然と(誰がやっても一緒)と言い放つ輩がいるがそうではない。余りにも自分達の生活が豊かなのかそうではないのか気付かないだけだろう。この国の庶民の生活が鎖国時代だった時とは違い、今は余りにも政治が日々の生活に入りこんでいる。関係無いのではなくそんな生活で精いっぱいでしかない。政治に関心を持てば自分の生活の程度が分かる。
もっと個人も地域も国も豊かになるにはどうすればいいのか?政治に関心は無くても自分の生活には関心があるだろう?そのレベルで考えれば良い。どっちもどっちと言うほど関心が無ければこれからの逆転の時代を生き延びる術がいる。それも無ければグッドラック、幸運を祈しかない。それも無いかもしれない。
逆転の時代。下剋上。この国はアメリカには叩き潰されたが歴史上、長い間他国に支配された時は無い。神国と言われた時は1945年まで。親父が生まれた時までは、そう教えられていた。神国が負ける事は無い。そう言い続けた時はそう昔の話ではない。
若者達、現役世代がその事を知らなくても親父達はその事を静かに語らなければならない。日曜日朝のテレビを見ていてそう痛感する。どんなに現状の問題を説いても政権交代の流れは変わらない。それ程に民意が変わったのは他でもない。改革の本質を見間違えた小泉改革だったのだから。
せっかくここまで読んで呉れたお礼に親父の独断と偏見を許してもらえれば、自公の330議席は間違いなく半減、東京都議選の関心が国政選挙にも在れば100を割るかもしれない。いくらなんでもそれは無いと言い切るのは難しい。小泉チルドレンと政治長老はアカンやろう。
景気回復を政治に求めるのは無理だろう。景気の回復は消費の盛り上がりしかない。失業者が増え企業内失業者が600万人を越えたと言われても、他人事だと思われているだろう。地方は疲弊していると言われても日々の生活には、都市より裕福かもしれない。
橋本大阪府知事は地方は中央の奴隷と言われたが、それは言い過ぎだろう。大阪と地方の知事では条件が違う。それをひと括りにして威勢の良い事を言っても、パフォマンスとしか見られない。地方分権の理解を政党のマニュフェストで採点すると言ったと頃で何も分からない。自民党支持とでも言うつもりだったのだろうか?(アンタの支持母体何処?自公では無いの?)
まあ、親父の選挙予想が外れた時は笑ってください。所詮予想ですから反対もあるかも。よそう、うそよ、それは無いか。景気予想、株価予想にもセンチメント指数なる用語が在るとか。なんのこっちゃと調べてみると「人の気持ち、思惑、思い入れ」とか。なんのこっちゃ。
景気なる言葉がそうだろう。正確には景況感。実体経済は人の思惑で左右されるのではなく需要と供給の大きさと重なり具合だろう。アメリカの金融工学の誤りと欺瞞(ぎまん)は単なるリスク管理、それ以上に人の思惑を都合よくコントロールできると誤認した事だろう。
人の思惑は目先の利害に翻弄(ほんろう)され、みんなで渡れば怖くないのだろう。金融危機から派生した世界経済、日本経済の危機は当面の底割れは避けられても、この先はなかなか予測できない。本格的に動き出せるのは政権交代した政権がどんな指針を明確にするかそれからだろう。暫くは一喜一憂の時が重なるのだろう。また、熱くなるのだろうか?
その為には節制。我が物顔で生きるな。謙虚な気持ち。感謝の気持ち。人を思いやる気持ちを忘れてはならない。その為には健康でなければならない。健康のバロメーターは山に登れるか?サウナに入れるか?汗のにじんだ顔を純白のタオルで拭いてみるが良い。どれだけの汚れがあるか?それを見ていれば人の営みが分かる。
尤もらしい事を言った処でその程度の物だろう。フランク永井の歌で(公園の魔術師)がある。政治家も親父も言葉が多すぎる。公園の銀杏が手品師となりカードを撒く時、親父はどんな顔をして流れる雲を見ているのだろう。願わくば新たな力が沸き上がっていると良いな。
雲が流れる公園の、銀杏は手品師、老いたピエロ。
口上は言わないけれど、なれた手つきで、ラララン、ラララン、ラララン
カードを撒くよ(まくよ)。秋が行くんだ、冬が来る。
銀杏は手品師、老いたピエロ。 作詞、宮川哲夫 作曲、吉田 正、
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