明日から8月、8月のイメージは酷暑。でも今年は違うらしい?
今日はお休みです。そして明日からは8月。8月のイメージは「暑い」。今年はどうだろう?エルニーニョの所為で今年は冷夏とか。ほんまかいな。気象の予報は景気観測と同様?エルニーニョの言葉も最近覚えた。スペインかポルトガルの言葉で、「元気な男の子」とか。
南米大陸西の太平洋の海水温がこの時期、高くなる事を言うらしい。エルニーニョの現象で太平洋高気圧の日本への張り出しが弱くなれば、梅雨明けが遅く暑くならない?ホンマです。そうらしい。九州北部、中国地方の集中豪雨は本当にお気の毒ですが、異常気象の影響はこれからも続くでしょう。
それにしても人の生き方は愚かです。賢い生き方をしたいと思っても凡人にはその術さえも分からず、愚痴か不満か、自己主張しか出来ないのでしょう。人の迷惑顧みず。日曜日の夜の電話も親父の一週間の思いを一方的に吐露しているだけかもしれない。
それが分かれば生き方を変えて下さい。しかし、この歳になると人から何と言われても自分の思いを変えるのは本当に難しい。若い時、面倒を掛けた工場長に「馬鹿に成れ」と言われた意味がこの歳になってやっと分かる。これがホンマの手遅れだろう。
しかし、嘆き哀しむ事は何もない。それが分かっただけでも生きた甲斐があったのかもしれない。「自分の可能性を探る」。若き日々の思いはあの時の積乱雲の様にモクモクとして、天高く何物も恐れ無しの青雲の勢いだったのかもしれない。
若さの可能性、若さの無力、若さの甘さを知った時は、大阪に来て間もない時だった。18から28の時。希望と絶望の淵を彷徨いながら(さまよいながら)、求めていたのは何だったのだろう?幸せ?遣り甲斐(やりがい)、歓び、歓喜だった気がする。
今、多くの人が多くの思いの中に生きている。政治家はひと括り(くくり)に高齢化対策、少子化対策、年金対策、保健対策、雇用対策、etc.何とか対策と言うけれど、言葉と政策では語り尽くせぬ物が少なくない。その事を親父も知らなければならない。
8月の終わり、国政選挙がある。「政局より選挙」と国民の審判を先延ばしした総理の判断がどうだったかが問われる。今日の流れを見ればどう考えて見た処で判断ミスは間違いない。それでも当事者はそうは思わないのだろう。何を如何頑張るのか知らないけれど、総理に頑張れと声を掛けている人も高齢者ばかりではない。4年前の選挙がそうだった。小泉総理の熱狂的応援と比べるにはちょと淋しいが、無為無策のリーダーでもリーダーには違いないのかもしれない。彼らにとって総理とはその程度のものでも、この国の顔である事をどれ位自覚しているのだろう。そんな事は分からない。甲子園のバックネット裏でテレビの画面に手を振るおバカ程度だろう。あれは自分達のお間抜けを公共の電波に晒している以外の何物でもない。
懐かしいバスに乗り ,懐かしい姉妹に会いに行く。お盆とお正月のランデビュー。親父が6年前、働いていたお店の前の姉妹。会えなくなったのは4年前。それからの歳月は会う度に親父は歳を取り、娘達は成長している。今は高一と小4.何時まで会えるだろう。今年も優しい笑顔は変わらず。それでも会えなくなる時は遠くない。娘だもんな。親父も歳取るし。
娘達の写真は撮ったがアップは出来ず。
流石の親父でもそれ位の配慮は必要。
その代わりに喜怒哀楽の思いを重ねたバス停前のアメ車整備工場が取り壊されていた。これが現実。綺麗事は通じない。
景気回復?底割れはない?
帰りに阪急の駅前でアイスコーヒーとチーズケーキ。このアングルに自己満足。でも無愛想な店員に見せても反応イマイチ。
そんなもんだろう。この店も雰囲気は変わらなくても、年を重ねた。そのうちリニューアルカ?余計な御世話でした。
この店も長くは無い。
この風景(電車と駅舎、ホーム)も45年前と変わらず。年金制度が如何だとか政権交代が如何だとか言われても、世の中そんなに変わらない。親父世代が如何だとか、子供の世代が如何だとか、そんなもん、あんまり関係ない。それでも時代は間違いなく変わる。
その事も忘れてはならない。それが生き残る術だろう。
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