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2009年7月12日 (日)

最近、ブログも手抜き、1年前の記事を見直す。面白い。

暑い日曜日。廊下の温度計を見ると目を疑う。ホンマカイナ。32℃を越えている。しばらく目を凝らすが変わらない。貧乏な親父の6畳1間の部屋にはエアコンも無く、換気扇と扇風機がフル回転している。そのうちオーバーヒートするのでないか、少し気になる。まだ梅雨明けもしていないのに、今年こそへそくりをはたいてウインドーエアコン買う?冷蔵庫も無く良くやるよ。それでも自分に負けず元気でやれたのは、親からもらった五体が満足だったからだろう。難しい言葉だけれど「人間万事塞翁が馬」、その事を忘れてはならない。(意味不明)…中国のことわざ。良い事ばかりは無い。悪い事もある。一喜一憂することなく淡淡と生きよ。

暑いと言えば山に行き、冷気に浸る。川に行き水に浸る。海に行き木陰で頬なでるそよ風に浸る。そんな生活とは、程遠い都会の貧しい生活も長くは無い。あとどれ位続けられるのだろう。その事を忘れてはならない。その時の為に生きていると思えば暑さもしのげるだろう。

大阪の夏も年年歳歳暑くなる。親父が18の時体験した暑さも半端では無かったが、一番違うのはエアコンが増えた事だろう。どれくらい増えたか分からないが、当時エアコンは喫茶店、食堂、事務所、会社しかなかった。その涼しさは格別で少ない手持ちの金しか無くても、冷たいコーヒーを口にしながら一息ついていた。今の営業さんも同じ?車の中で缶コーヒー。ああ、それも在りか。その事を思えば今は格別の感あり。それだけ老いたのか?

老いても精神的には何の成長も無い。若き頃の志を忘れず日々の精進とは行かなくても、良く頑張っていると思う。本当は独り身になった13年前、此処まで生きれるとは思っても見なかった。人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如しと、家康に言われるまでもなく重い重い人生だったと思う。人の冷笑、不信、妬み(ねたみ)嘲り(あざけり)醜さ(みにくさ)を噛みしめる度に、どれだけ苦渋の思いを呑み込み自分に檄(げき)を飛ばした事だろう。

これからはその屈折した思いを開放し、思いのまま明るく生きなければならない。嘆いても悔しさをどんなに自分にぶつけても、何も変わらず状況は改善しない。若い時恩師から言われた言葉がこの歳になって良く分かる。「馬鹿になれ」。馬鹿になれば廻りが助けてくれる。

自慢ではなく馬鹿では無い生き方しか教えられ無かった親父の幼き頃を思えば、それも当然の事だっただろう。その朴訥(ぼくとつ)とした風貌に似合わぬ訥弁(とつべん)、口下手、それが目的を達成すると格好の弱点となる。組織の中ではそれが明確になれば、梯子(はしご)を外される。今となっては全てが冥土の土産。亡くなった掛川の和尚も笑って見ているだろう。暫くは馬鹿になれる。馬鹿に成り切れば生き方が変わる。無理かな?三つ子の魂、百までとも言われるからな。

夕方になり涼しくなる。静岡気多(けた)杉川の水の流れも、上高地梓川の水の流れも、故郷道越の川の流れも、君と行った西表のマリウドの滝の水も変わらないだろう。(行く川の水は絶えずして元の水に非ず、流れに浮かぶ泡形(うたかた)は、かつ消えかつ結びて久しく留まりたる例(ためし)なし。人の世も又、かくの如し。) 方丈記 鴨 長明

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