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2009年6月13日 (土)

本物でない思惑?

本物でなお思惑が本当で在れば鬼に金棒だと思うのだが、実際の社会ではそうではない。どう考えてみた処で負け様の無い選挙で負けたのが4年前、惨めな思いの人生だったから、別に奈落の底に叩き落とされる失望感もなかったが、それでも国の行き末を思うとバンダイを叫ぶ小泉チルドレンに暗澹(あんたん)たる思いを、重ねながら民意とはこんなもんではないと吐き捨てていた。

構造改革、自民党を叩き潰す、郵政の民営化が出来なくて構造改革はないと言われて、その気にさせられた結果が今日の有様だろう。それでもこれは親父の偏見。君もそうだが多くの国民はそうは思わない。別に小泉、安倍、福田、麻生と続いた自公政権のせいではなく、誰がやっても同じだったとシラを切るのだろう。

その事は間もなく現実の問題として問われる。今度こそ、誰が何と言ったとしても政権政党の信頼が失墜したのは明白である.。今更多くの言葉を重ねるまでもなく、小泉政権が安倍に変わった時、安倍から福田に変わった時、福田から麻生に変わった時、国民に信を問うていたら今日の混乱は無かっただろう。あったとしても今ほど不信の思いを突き付けられはしなかった。その政治的判断の誤りが間もなく行われる総選挙で、問われる。惨敗しかない。

それでもその危機感が無いのはどうしてだろう?そんな事どうでも良いと思われているのか?それともどうにもならないと思われているのか?難しい事は分からない?まあそんなところかも。どんなに生活が困窮した処で政府が言うように、仕事と生活を何とかしてもらえるとは思っていない。増してや政権政党で無い野党の大盤振る舞いなど、問題外だろう。

そんな事を考えていたら、麻生政権の息の根を止められる。鳩山総務大臣の辞任。実際は総理の罷免。中国の三国志の世界に(泣いて馬蜀を切る)そんな戦いの責任の取らせ方があるが、麻生政権の頼りとする応援団長を失えば、戦いの体(てい)すら無くなる。

郵政民営化の民間企業、社長の再任を認めない事が何で民営化の否定になるのか?多くの凡人には分からないだろう。(正義が否定された)と息巻いたところで、それが政治の世界だろう。西郷隆盛が明治の新政府で政策論争(征韓論)で負け、下野した時の言葉を口にしても同情論の巻き起こりはない。その程度だろう。もっと腹をくくれ。

腹をくくって関ヶ原の戦いで西軍の負け戦の中を、家康の本陣に突進した島津の教訓は無理だろう。天下分け目の戦いの認識すらない選挙に、腹などくくる思いは爪の先にも無いだろう。危機感の無さは政治家だけの責任ではなく、政治の世界を軽んじる支持する政党が無い国民にも降りかかっている。その事も忘れてはならない。

そんなの関係無い。そうかもしれない。でも好むと否とにかかわらず個人の生活は、政治に大きく左右される。この国の経済の力が国の中でも外でも過少に評価されるのは、強ち(あながち)300年の鎖国政策と無関係ではないかもしれない。

徳川の時代の評価は大きく分かれる。天下太平の時代。改革を叫ぶ事は大罪だった。今日の様に治安は良かったと言われるが、比べ物にならない国家の治安維持の方式。徹底した身分制度と刀の力。奉行、取り締まりの人員が少なくてもそれで充分だった。

それだけこの国の人たちは道徳心、忠誠心、地域で生きる知恵を生まれながらに身に着けていたのだろう。黄金の国、銀の国、胴の国そして瑞穂の国。この国は現代人が考える以上に豊かで安定していたのだろう。しかし、歴史的に見ればその天下泰平が命取りとなる。

現代は伝統と文化だけでなくその精神さえも破壊され、アメリカ追随の政治と経済の中でしか成長できなかったこの国が、今、変わろうとしている。いや変わらざるを得なくなっている。アメリカの物作りを越えたと言われて久しい。しかし、正確には全てでは無かった。

昨年、秋にはそのアメリカで金融に危機が発生し、今日でもなお多くの損失が発生している。問題の本質は改善されないまま、危機は去ったと判断されてもそれは一時の事だろう。これから間違いなくその証を立てなければならない。今回、失われた損失は未だ明解ではない。これからも全ては闇の中だろう。そして間違いなくアメリカの金融は失速する。

東京株式市場の日経平均株価も予想外?。10,000円を回復する。株式市場は半年先の実態経済を反映すると言われていたが、これもどうやら過去の話となるのだろうか?それとも現実となるのだろうか?半年先と言えば今年の年末。歳の暮れ。歳末。明るさが見えるのだろうか?。

親父の感覚では現代は明確に、金余りの経済である。経営的に苦しく倒産の危機のある多くの中、小企業を考えるとおかしな話だがマクロ(全体)的に見ればそうだろう。お金が必要な処に廻らなくても金儲けの為の金は、いくらでもあるという事だろう。

株式市場の投機、投資の金は金余り資金以外の何物でも無く、思惑そのものである。その事が分かれば昨年の秋暴落した事も理解できる。実体経済は冷静に考えればエコノミストが言うほど悪くは無いのだろう。悪いとしても良い処も当然ある。何事も人の逆を行く。

その事も又、この混迷の時に雄々しく生きる知恵かもしれない。

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