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2009年6月 3日 (水)

懐かしい風景 失われた過去 これからも続く風景

Img_0441 47年前に通勤した駅のホーム。

普通しか止まらないので、結構危ない。

それでも、今でも事故、怪我人はゼロ。

すごいと言うか、他に言葉がない。

この前の抱きかかえ、突き飛ばし、そんなの無し。

Img_0444_2 45年前の職場。当時は戦前の建物で、

薄汚れて倉庫になっていたが、新しいビジネスの始まりで、誰もが希望に燃えていた。

親父が入社して2年。当時の一部門が独立。

カナダとの合弁会社。仕事はあっても技術が

なかった。

Img_0448_3 47年前の入社時の建物。これも20年以上前に、リニュアルされている。

当時の建物は本当に汚く、それでも凛としていた。戦前の建物。当時はそれが普通。

建物の前にバス停があるが、当時は路面電車。阪神北大阪線。野田から天六迄。

Img_0450 大阪梅田から福島の次。当時の駅も綺麗だったが、今は完全にターミナルビルとなっている。駅前もロータリーとビル群となり、今昔の感、深し。

大阪に来て研修中、眼が充血し近くの眼科に駆け込む。その医院も近くにある。爺ちゃん先生は亡くなり、息子が跡を継ぎ関西眼科医師会の重鎮となっている。

Img_0452 阪神電車。急行。昔のカラー。

次の停車駅は尼崎。親父の今日の目的地は

甲子園。2つの目的がある。

1つはららぽーと甲子園。ショッピングセンター

1つは5年前、約半月勤務したお店。

Img_0454_2 野田の駅から見た南側。

この交差点、右折すると神戸方面。

不慣れな人には、分かり難い。

直進すると大阪の西。大阪湾。淀川河口。

Img_0458 ららぽーと甲子園。

親父が大阪に居た頃、遊園地だった。

阪神パーク。大阪には枚方にもあるが、

遊園地はどこもアカン。

ユニバーサルスタジオもイマイチ。

Img_0459 ららぽーと2回のベランダから入口を見る。

後方が甲子園。今日は試合無し。

広場も閑散としているが、今日は平日。

店内も同様。しかし、それなりに活気あり。

のんびりとお買い物が出来る感じ。

Img_0460 この略図、店内案内では良く分からないが

飲食店と専門店の集合体。スーパーでは無い

M不動産が建物を造り、専門店、飲食店、

Iスーパーは別棟にある。

採算は取れるの?余計な心配をしている。

Img_0462 5年前に開業。地域に密着して着実に、

成果を出しているのだろうか?

親父が見たかったのはそれだけ。

もうすぐ、静岡磐田(いわた)に開業する。

コンセプトは地域との融合?期待されている

Img_0464_2 5年前、約半月研修したお店は、緑の中に

あった。甲子園球場と逆方向。思いの外遠い

昼飯を食った公園は、あじさいの子供が

成長していた。お店はさびれていたがお客は

それなりにいた。写真は撮らず。無用

あれから5年の歳月が流れる。あの時は初秋。毎週末、台風の直撃に加えて地震迄有り。

親父の生活も大変だった。家康の言葉に「心に迷い起らば、困窮したる時を思い起こすべき」とあるが、正にあの時がそうだった。必死の時に恵まれず、それでも助けてくれる人の思いにいかんとも出来なかった。あの時の思い、あの時の悲運を思い起こせば、大概の事は乗り越えられる。その事がこの公園で再確認できた。あじさいの子供達も元気な親父を見てほっとしただろうか?それはない。季節が違う。生きた時代が違う。それでも笑っていた。

親父の顔には喜怒哀楽はなく、淡淡としていた。あの時が有るから今が有る。あの時がなければ今はない。そんな事を考えていた。無我夢中の時、踏みにじられた思いは消えてない。それでも、ここまで長らえたお陰を忘れてはならない。「人の一生は重荷をおいて、遠き道を行くがごとし、焦るべからず」 家康嫌いの親父が教えて呉れた掛け軸の言葉です。

今日の旅は多くの想いの中にありました。人の命は無情です。生きるべき人が全て、生きている訳でもなく、その事を考えれば日々の生き方が少し又、変わるかもしれない。

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