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2009年6月

2009年6月28日 (日)

さあさあ 日曜日の行動が変わる 久しぶりの山歩き

Img_0580 暑い日差しがまだあるなー。暑い。駅前。

前を走るバスは五月山裾を走り、石橋まで。

でも今日は歩き。こんなに暑いと先が重い。

暫く歩いていないので、不平も出る。

Img_0581 ハローワークも今日はお休み。

電光掲示板もお休み。税金の無駄使い。

親父も何度もお世話になったけれど、平日はこのご時世、大変だよね。何時も思ったけれどお役所仕事、どれだけ改善しているの?

余計なお世話?

Img_0583 さあ、山に入る。このコースは階段の連続。

梅雨時と言うのに雨は無い。

来週の半ばから7月。梅雨明けとなれば暑さもこんなもんではないだろう。温暖化?

違うだろう。砂漠化?木があれば、森があればオアシスで在る事を、どれだけの人が共有できるのか?

Img_0584 ハイキングコースも流石に人影はない。

木漏れ日の中を黙々と歩く。汗はかいても足さばきに縺れ(もつれ)はない。ヤッホー。

いやいやそんな元気は無い。昨日聞いたお気に入りの歌を口ずさむ。

銀杏は手品師、老いたピエロ

Img_0587 休憩ポイントを過ぎて、更に山に分け入る。

この場所は山肌を削って階段を造った所。

大分前、市役所でどんな人がどんな目的で造ったのか、聞いてみてもよく分からない。

当時の資料がない?アンビリバブル。

Img_0589 階段の長い登りも、ようやく此処まで。

山懐に入る。森林浴の一時。近くにこんな穴場が在る事を、多くの人は知らない。

すぐ上をドライブウェイが、走っている事が信じられない。日差しが無くなると暗くなり、不気味になる。不思議な緊張感。後ろを振り返らない。

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不気味。一人で正面に飛び込むにはある意味、勇気が要る。それ程でもない。ピンボケ?

Img_0591 この場所は木立のトンネルを抜けた所。

小高い丘に年代の木が、生命力を主張してる

どうだ、お主。文句があるか。ありません。

恐れ入りました。なんだかんだ言った処で。

人の思いを超越しています。

Img_0347 長い間、ありがとう。ガレバの上でお疲れ様

松食い虫にやられたけれど、親父を支えてくれてありがとう。生命力の教訓。

日本の各地で進行している松枯れ。

枯らしているのは虫だろうか?

環境破壊。豊かさと環境の共存は無いの?

Img_0592 無残になったなあ。年輪を数えてみると意外に長生きの時。目が細かすぎて数えられない

そのうちに風雨にさらされて、朽ち果てる。

誰にも見向きもされないまま、元の土になる

その時まで見れるだろうか?無理だな。

Img_0596 帰り道。少し暗くなる。腹が減る。

一人で歩いていると、何時しか夕暮れの時

上りは感じなかった足の重みが、下りになって

軽すぎる。足が滑る。踏み外しに注意。

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どうですか?オーバーでは無く足を滑らすと尻もちだけでは済まない。足もとも少し悪い。

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やっとこのコースの出入り口に到着。腹が減る。自販機で飲料水、一気飲み。

此処にも人影は無いと思ったら、下の芝生で親子がキャッチボールしていた。

子供がでかくて(背が高い)不気味。椅子にも座らずそこくさに立ち去る。

久しぶりの山歩き。家に帰ったら7時をゆうに過ぎていた。

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こいさんのラブ・コール。なんで泣きはる、泣いてはる。

フランク永井のこいさんのラブ・コールをイアーホーンで繰り返し聞いている。藤田まことが亡きフランクの追悼歌として、NHKで想いの丈を歌ってくれた。あの時何故か頬伝う(ほほつたう)熱き涙に、こみ上げて来る想いを苦笑していた。何故だろう?この歳になっても熱き思いに、一人で照れていたのだろうか?それは違う。一時代を風靡(ふうび)した大歌手の悲運と今は大スターの縁(えにし)に感激していたのだろうか?それも違う。語りつくせぬ多くの藤田まことの感謝の思いと優しさ。それに作詞家の言葉に感激していたのだろう。

藤田まことも言っていたが「こいさんのラブ・コール」を、繰り返し、繰り返し聞いていると作詞家石濱恒夫氏の想いが、聞こえてくる。関東のフランクが好きだったと語る藤田まことの言葉と作詞家への気持が重なり、なんで泣きはる、泣いてはるの意味がうれし涙だと感じてくる。親父は男だから「女であること」 ああ 夢見るの本当の意味は分からなくても、そんな女性も少なくなったのも確かだろう。

今、大阪の再生が叫ばれて久しい。大阪の地盤が下がったのは何も地下水の汲みあげが原因ではない。関西人特有のオチャラケが政治と経済をごちゃまぜにして、再生不能の経済体質になっている。交替した新任の知事と市長が変革と改革を叫び、地方の経済破たんの責任を霞が関に押し付けているが、前任者の間違いを何も問い直さなければ、問題のすり替えに過ぎない。(女であることを在る事を夢見る人が少なくなり、男であるの自覚すらないのだろうか?)

フランクの2枚組CDの中にもう一曲、藤田まことが紹介した歌がある。[公園の手品師].作詞 宮川哲夫 。口上は言わないけれど、慣れた手つきでカードを撒くよ。何もかも聞いていながら、知らん顔をして澄ましているよ。ペラペラしゃべるな。呼んでおくれよ、幸せを。

鳩が飛び立つ公園の、銀杏は手品師老いたピエロ。雲が流れる公園の銀杏は手品師、老いたピエロ。風が冷たい公園の銀杏は手品師、老いたピエロ。少年老い易く、学成り難し。

先日、会社の健康診断受けて来ました。結果は未だですが姿見の鏡に映る体系は無様。トド。一昨年、水着買った時思い知ったあの時の想いが、再び蘇る。(よみがえる)。ああ。年寄りが老いて太る事は何を意味するか?言うまでもない事。

独り身の気儘(きまま)な生活の所為ではない。明らかな運動不足。食い過ぎ。楽のし過ぎ。昨年の10月職場が変わり巡回と立哨が無くなり、椅子に座り監視の仕事になったからだろうか?それよりも生活に余裕が出来たのだろうか?まさか?

空手の練習が出来なくなり、自己流の太極拳と足あげ、ストレッチではアカン。しかし、人から言われるまでもなくこの親父の凄い処は、決意が信念に変われば大概の事は出来る。禁煙、キンパチ、禁酒(うそ)。減量はお腹の脂肪のまわしを取るまで続く。大変だ?

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2009年6月17日 (水)

景気は底入れ観。でも金利が上げられなくては先行き暗くない?

Img_0543 Img_0526 経済の話は難しい。分からない。だから話が出来ない。その割には景気の動向には関心があるよね。当たり前。生活が掛っているから。ではこの話、しっかり聞いてください。ほな、聞きまひょか。行きまひょ。何処に?松下幸之助の世界です。知らんくせに。いやホンマ。

今、松下幸之助の本がベストセラーと言われるほどでもないが、売れている。何で今更なのだろう?松下幸之助氏は経営の神様と言われて久しいが、今では過去の人となり見向きもされない。そうして景気対策を政府と会社に求めている。

政府の景気対策で多くの税金が使われても、先行きに明るさが見えないのもそうだろう。今までと同じ生活、同じ生き方、同じ対策を求めても無い物ねだりだろう。何時までもあると思うな景気対策。雇用対策。生活不安だろう。

地方税の今年の納付額が決まる。昨年は年金プラスパートの仕事が出来たので、元の納付額に戻る。今、国も地方も財政の赤字が問題となってもその解決策は容易でない。親父の感覚では景気対策と同様、歳入の確保を計らなければ、ハイパーインフレ間違いない。

難しい言葉。知らない人も少なくない。今から35年前。ちょうど兄貴が生まれる前、親父が結婚間もない時、狂乱物価と言われてトイレットペーパー、生活用品が不足した。10%以上の物価値上がり処か30%も珍しくなかった。原因は石油製品、原油の値上がり。

あの時は給料も上がり、侘しい一人暮らしの生活が2人になり夢が溢れていた。今はどうだろう?あの頃と違うのは倍の歳を重ねyoungがoldになる。少子化対策?無理だね。では高齢化対策。これも無理だね。蓄えの無い人はそれなりの生活しかできないだろう。

だから余計な金は使えない。ほしい物がないのではなく買える金がないだけ。その事を認識せず景気の話をしたところで、砂上の楼閣、絵に描いた餅、これからその現実を思い知る。それにしても日銀の景気判断、ひどくない?日銀の理事が運転手つきの車で本店建物に乗り付け経済ニュースになること自体、クレイジーかもしれない。0.1%の公定歩合?

金余りを実感できない現状が続けば、君が言うようにインフレの波はさざ波のように、押し寄せてくるかも。今日はここまで。また明日。

今日は暑い一日でした。来週から梅雨空になり天気予報では雨模様。でも後2日は夏模様。幸いに近畿では深刻な水不足になっていないが、この様子では恵みの雨が求められる。

景気も多くの人が多くの思惑で、希望的観測をしている。景気の底入れは間違いないとか。しかし問題は政局の混乱だろう。政権の交代は間違いないとしても経済の立て直しは容易ではない。アメリカの変化も実際はこれからだろう。

この国の経済活動も再び活力を取り戻すには、しばらくの時が掛りそう。それまでは力を貯める時。今までの生き方を見直してやり方の変化が求められている。何時までも同じやり方考え方、アメリカ、輸出頼みの暮らしだけでは豊かにはなれない事を思い知らされる。

スタグフレーションという経済用語がある。停滞の中のインフレ。景気の停滞どころか後退の中で物価の値上がりは、今までのこの国の経済活動の中にはない。アメリカの金融危機の影響はこの国の経済活動に大きな影響が出ているが、問題の本質は何も変わらず今後の課題とされたままに過ぎない。この国の政局の変化と同様チェンジの時は秋から冬に掛けてかもしれない。

それでもこの国の多くの人に全く、そんな緊張感はない。インフルエンザ騒動の時もマスクが売り切れになっても、実態の対応は全くお粗末としか言えなかった。100年に一度と言われる今回の景気収縮は、後で評価に耐える対策が取られるとはとても思わない。その事も他人事ではなく一人ひとりの問題として、考えて見なければならないだろう。

どうすれば良いのかと問われても、親父にも分からない。君に笑われると思うけど金余りの原因は日銀のゼロ金利政策に尽きる。今、金利がゼロ。どう考えてもおかしい。何時までもお金の運用とかで騙しだまされる人が出るのは、当然だろう。ベトナムでの高利運用の騙しのテクニックは単純でも未だに被害者が出る。人の思惑はその程度の物である。

アメリカの金融当事者が陥った運用の暴走は、どんなに規制の網をかぶせても駄目だろう。駄目もとで多くの言葉を重ねても、この世の中に人の欲がなくならない限り、形を変えてモグラ叩きを重ねるしかない。

東京にオリンピック招致のプレゼンをどんなに成功させたとしても、無理だと同じように今年の秋は、懐を暖かく出来るのだろうか?それもこれからの生き方に掛っている。

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懐かしい街。大阪のメインストリートで親父が20才前、ラジカセを買いに来た日本橋。

今は一方通行と思っていたがこの写真で見ると違う感じもする。昔は市電が走っていた。

あの頃は電化製品の街。今はその面影すらない。写真では分からないが街に勢いがない。

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戎橋から見た道頓堀。川の両側に綺麗な遊歩道が出来、水がきれいになっている?

匂いは無いがお世辞にもきれいとは言い難い。でも意外にきれい。これが橋から見た東側。

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はい。これがおなじみの風景。夜になるときれいだが昼間はこんな物。左下のカットは通路。

阪神ファン、飛び込みの対策が取られている。

ちょっと、ちょっと、話はそれまでの様ですが・・・。幸之助さんの話、どないなってまんねん。

失礼しました。経営の神様と言われ今は無き、松下電器産業の生みの親、創業者。

多くの言葉を残しています。それだけでなく政界にも多くの松下門下生を送り出し、今日尚有形、無形の影響は少なくない。それでも松下、ナショナルのブランドがパナソニックに変わる。親父の携帯機種も何処を見ても松下の名は無い。

そんな話で終わりですか?Anne、ビリバブル。信じられない。親父のつぶやき。

それでは最後に幸之助氏の名言。

(好況良し、不況尚(なお)良し)。今日の不況の波はしばらく続く。(どれ位?)暫くの時は短くは無い。考えても見て下さい。今回の不況の前は戦後最大の好況だったのだから。その時がどれ位の長きに亘り(わたり)、どれだけの利益を貯めこんだか?誰が?

その事を幸之助氏は教えている。不況の時をどうするかは、好況の時に考えて置かなければ、不況の時を乗り越える事は出来ない。不況を乗り越える力、それは既に決まっている。ゼロ金利を変えられない(金利の引き上げ)変えられなければ、景気回復は容易でないだろう???金利上げたら?上げられる訳がない。そうです。だから難しい。、

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2009年6月13日 (土)

本物でない思惑?

本物でなお思惑が本当で在れば鬼に金棒だと思うのだが、実際の社会ではそうではない。どう考えてみた処で負け様の無い選挙で負けたのが4年前、惨めな思いの人生だったから、別に奈落の底に叩き落とされる失望感もなかったが、それでも国の行き末を思うとバンダイを叫ぶ小泉チルドレンに暗澹(あんたん)たる思いを、重ねながら民意とはこんなもんではないと吐き捨てていた。

構造改革、自民党を叩き潰す、郵政の民営化が出来なくて構造改革はないと言われて、その気にさせられた結果が今日の有様だろう。それでもこれは親父の偏見。君もそうだが多くの国民はそうは思わない。別に小泉、安倍、福田、麻生と続いた自公政権のせいではなく、誰がやっても同じだったとシラを切るのだろう。

その事は間もなく現実の問題として問われる。今度こそ、誰が何と言ったとしても政権政党の信頼が失墜したのは明白である.。今更多くの言葉を重ねるまでもなく、小泉政権が安倍に変わった時、安倍から福田に変わった時、福田から麻生に変わった時、国民に信を問うていたら今日の混乱は無かっただろう。あったとしても今ほど不信の思いを突き付けられはしなかった。その政治的判断の誤りが間もなく行われる総選挙で、問われる。惨敗しかない。

それでもその危機感が無いのはどうしてだろう?そんな事どうでも良いと思われているのか?それともどうにもならないと思われているのか?難しい事は分からない?まあそんなところかも。どんなに生活が困窮した処で政府が言うように、仕事と生活を何とかしてもらえるとは思っていない。増してや政権政党で無い野党の大盤振る舞いなど、問題外だろう。

そんな事を考えていたら、麻生政権の息の根を止められる。鳩山総務大臣の辞任。実際は総理の罷免。中国の三国志の世界に(泣いて馬蜀を切る)そんな戦いの責任の取らせ方があるが、麻生政権の頼りとする応援団長を失えば、戦いの体(てい)すら無くなる。

郵政民営化の民間企業、社長の再任を認めない事が何で民営化の否定になるのか?多くの凡人には分からないだろう。(正義が否定された)と息巻いたところで、それが政治の世界だろう。西郷隆盛が明治の新政府で政策論争(征韓論)で負け、下野した時の言葉を口にしても同情論の巻き起こりはない。その程度だろう。もっと腹をくくれ。

腹をくくって関ヶ原の戦いで西軍の負け戦の中を、家康の本陣に突進した島津の教訓は無理だろう。天下分け目の戦いの認識すらない選挙に、腹などくくる思いは爪の先にも無いだろう。危機感の無さは政治家だけの責任ではなく、政治の世界を軽んじる支持する政党が無い国民にも降りかかっている。その事も忘れてはならない。

そんなの関係無い。そうかもしれない。でも好むと否とにかかわらず個人の生活は、政治に大きく左右される。この国の経済の力が国の中でも外でも過少に評価されるのは、強ち(あながち)300年の鎖国政策と無関係ではないかもしれない。

徳川の時代の評価は大きく分かれる。天下太平の時代。改革を叫ぶ事は大罪だった。今日の様に治安は良かったと言われるが、比べ物にならない国家の治安維持の方式。徹底した身分制度と刀の力。奉行、取り締まりの人員が少なくてもそれで充分だった。

それだけこの国の人たちは道徳心、忠誠心、地域で生きる知恵を生まれながらに身に着けていたのだろう。黄金の国、銀の国、胴の国そして瑞穂の国。この国は現代人が考える以上に豊かで安定していたのだろう。しかし、歴史的に見ればその天下泰平が命取りとなる。

現代は伝統と文化だけでなくその精神さえも破壊され、アメリカ追随の政治と経済の中でしか成長できなかったこの国が、今、変わろうとしている。いや変わらざるを得なくなっている。アメリカの物作りを越えたと言われて久しい。しかし、正確には全てでは無かった。

昨年、秋にはそのアメリカで金融に危機が発生し、今日でもなお多くの損失が発生している。問題の本質は改善されないまま、危機は去ったと判断されてもそれは一時の事だろう。これから間違いなくその証を立てなければならない。今回、失われた損失は未だ明解ではない。これからも全ては闇の中だろう。そして間違いなくアメリカの金融は失速する。

東京株式市場の日経平均株価も予想外?。10,000円を回復する。株式市場は半年先の実態経済を反映すると言われていたが、これもどうやら過去の話となるのだろうか?それとも現実となるのだろうか?半年先と言えば今年の年末。歳の暮れ。歳末。明るさが見えるのだろうか?。

親父の感覚では現代は明確に、金余りの経済である。経営的に苦しく倒産の危機のある多くの中、小企業を考えるとおかしな話だがマクロ(全体)的に見ればそうだろう。お金が必要な処に廻らなくても金儲けの為の金は、いくらでもあるという事だろう。

株式市場の投機、投資の金は金余り資金以外の何物でも無く、思惑そのものである。その事が分かれば昨年の秋暴落した事も理解できる。実体経済は冷静に考えればエコノミストが言うほど悪くは無いのだろう。悪いとしても良い処も当然ある。何事も人の逆を行く。

その事も又、この混迷の時に雄々しく生きる知恵かもしれない。

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2009年6月 9日 (火)

45年来の再開? 街の景色は変わっても、人の心は変わらず?

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ビリケンさん、ありがとう。親父が20前の時、通天閣にはいたのかな?でもありがとう。

通天閣は変わらず。変わったのは親父の歳だけ?いやいや私もかわりましたよ。

変わらないのは人の想いと言いたいけれど、見て下さい。この絵馬。お写真ボカして下さい。

法善寺の水掛け不動は苔むして、大きく美しく迎えて呉れました。

フランク永井の歌碑も綺麗に取れました。石濱恒夫作詞でした。

法善寺横丁もこの写真では分からないが、右側火災の後で空き地のまま。

戎橋、道頓堀、新世界、大阪南の風景は何も変わってはいなかった。

変わった事と言えばお店の客引き。別に気にする事はないけれど何故かどん引き。

逆効果と思うけど、効果はあるのだろう?でもやり方に工夫は必要かも。お得感、お得感。

他にも貴重なスナップが取れました。一杯歩いて疲れたけれど親父の青春を噛みしめる。

故郷はとうきに有りて思うもの、青春は近くに在りて思うもの。

最近、思い出の地と人を訪ねて感慨に浸る。それだけ老いたのかも。歩いて歩いて足腰鍛えて、自分の体を想いのままにゆだね様。葉も自分に負けるな。命、短し、恋せよ乙女赤き唇、褪せぬ(あせぬ)間に(まに)。そんなの関係無い?いやいや。

最後に政治の話。ドンデン返し。国の借金816億。10年以内に先延ばし。アホ。

10年先どころか100年先でも出来ないだろう。それより次の選挙考えろ。

われわれのコントロールの及ばない処?だったら言うな。景気対策の成果が問われても言葉がない。社会保障の財源、消費税の引き上げ?アホカ。やるべき事は他にないのか?無駄な歳出、無駄の排除、ありません?国民はそれ程にアホなのだろうか?

その事が今度の選挙で問われる。何も変わらない?いやいや大阪の南も変わっている。人の世も政治の世界もかくの如し。歴史の証明を見誤ってはいけない。他国や他人の誤りを雄弁に語る事は容易い(たやすい)。しかし、本当は自分の生き方が問われている。

これから政治の事を語るには、正論や建前では通じないだろう。選挙が近くなればもっと多くの事が起きる。そうして何も変わらないだろう。政権交代ではなく大政奉還だろう。誰に誰がその事が問われている。徳川慶喜は天皇だったが倒幕の流れを止める事は出来なかった。

麻生総理は誰に渡すのだろう?それは今の処分からない。これから梅雨入り?しばらくは不順の時、くれぐれも体に気をつけてsinking and let Go 。このスローガンは親父27の時、新工場の垂れ幕でした。この歳になってもまだまだです。

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2009年6月 7日 (日)

鑑真和上座像木像公開、今年も終わる。

Img_0493 (奈良はここですか?) ノー。

外人のカップルの旦那から聞かれる。

近鉄大和西大寺。京都、奈良、橿原神宮の分岐点。

唐招提寺の近鉄の旅も慣れてきた。唐招提寺はここから2番目の駅。奈良も同じ。

Img_0510 唐招提寺 金堂。

只今、工事中。完成は今秋?

もうほとんど完成?

今回の目的は御影堂。鑑真和上座像木造。

Img_0503 御影堂内は撮影禁止。

鑑真和上との再会は久しぶり。

前回はほほ笑んでくれたが、今回は不機嫌。

今日で年一回の一般公開は終わり。

さすがの和上木造もお疲れ気味。また来年です。深々と首を垂れる。

Img_0497 先月の若葉も濃さを増す。

団体客の途絶えた墓の奥は静か。

前回見た亀もバクどん(ヒキガエル)も、姿を見せず。

松の大木が伸びていた。

Img_0495 これは倒れているのではない。

伸びている。これだけの幹がどうして横に?

どうして上に伸びなかったの?

廻りの木が細いから、何かあったのかな?

人の世の意外性を暗示している。

Img_0499_2 苔(こけ)の生すまで。

Img_0506 この生命力 この力 この繁殖力

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若葉して御目の雫(しずく)拭わばや。芭蕉

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五月の時、飯を食った田んぼは早苗の景色になっていた。

遠くに見えるのが奈良の山。

この地を鑑真和上が愛してやまなかった訳は、故郷中国の土の味がしたとか。

昔は住宅地もなくのどかな風景だっただろう。

次の時は何時になるかな?。

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2009年6月 5日 (金)

JRは摂津富田 阪急は富田 とんだ間違い 反対と思ってた.

Img_0471_2 目的の駅は大阪駅から京都方面に向かう。

でもその前に思い出の店に立ち寄る。

大阪に来て営業の仕事中、フラフラしていた。

ぼんやりとしながら、金もないのに何故か、

輝いていた20の頃。

Img_0472 綺麗な食堂街に見えるが、実はJRの高架下

しかし、この食堂街、聞いて驚くな 戦前から。

驚かない では一度お出かけあれ。

カウンターの席か、立ち食い。

それでも常連が多く、いちげんは肩身が狭い。

Img_0474 こうして見ると、商店街のアーケードに見える。

じつは狭い。このスナップも人通りの合間。

ベストショット。右上は阪急とJRの連絡通路。

左手中央においしいパン屋の明かりが見える。

Img_0482 やっと来ました思い出の駅。でも勘違い。

33年前に来たのは、阪急富田駅。

この駅の思い込みが強いのも意味がある。

5年前、この駅に降り立ちバスに乗る予定が

甲子園に変わる。何かの因縁。

Img_0483_2 駅舎は高架になっていた。立派な建物。

整備された駅北側。ロータリーもバス乗り場が

乗り場、降り場と区分され整備されていた。

阪急は駅南口から約500メートル。

行くべきか、行かざるべきか迷うが、小雨の為、止める。

Img_0484 ホームにデンとマシマス、エスカレーター。

朝夕のラッシュ時には、満員御礼だろう。

昔、階段。今、エスカレーター。これ常識?。

これは圧倒される。普通電車、停車の駅で

これだから凄いよね。

Img_0485 行き先案内も電光掲示板。

昔のように駅員はいないけど、安全は何処で

誰が管理しているのだろう?

よく見ないと分からないが、左側が通過のホーム。柵が有る。

でもこれも分かり難いが、右側のホームの電光掲示も通過になっている。

国鉄からJRになって久しい。どれくらい経つのだろう?国鉄の時を知らない人が多くなり、当たり前と思われている風景も、そうではない。どんなに便利な社会と効率の良い組織になったとしても、安全と安心が失われたらその代償は計り知れない。

国鉄時代、その親方日の丸体質を問われたが民営化されて、何がどう変わったのだろう?綺麗になった建物とホームを見ながら、そんな事を考えていた。同じ事がもっと大きく躍動的に大阪駅でも観察された。

Img_0486 大阪駅の東側出口。親父が大阪に来た時の名称。今は南出口になっている。何で?

どうでも良いが何故か複雑?

18の3月の下旬に、ここから大阪の生活が始まる。「喜びも哀しみも幾歳月」

46年ぶりにこの地に立つと、真に複雑。

Img_0487 電車両は綺麗。これは普通電車。

昔はオレンジ色の汚い電車。

今は外観だけでなく内装も綺麗。

車掌の安全確認も手抜きがない。

しかし、尼崎の事故は多くの教訓を残している。

Img_0488_2 新快速、姫路行。

この2つの電車のスナップを撮りながら、半時

この位置を動かず。絶え間なく流れる案内放送。昔と違うのは英語放送も少なくない。

ホームに職員の姿が全く無い。

利用客が車掌に不明な点を確認する。

Img_0490 大阪駅のホームは10番。

親父の感覚とホームが違う。

山陽本線の表示がない。5,6番線。

そう言えば東海道本線もない。

本線がなくなり方面になったの?

Img_0491 懐かしい風景。鉄路が見えるから。

正面の観覧車は、商業ビルの中にある。

遠景では高度感はないが、乗って見ると

結構、高い。元気になったら招待します。

摂津富田の感違いは、神の教えだったのかもしれない。例え、JRと阪急の間違いがなくても、昔見学したマンションの場所は忘れていただろう。その事を神は教えていた。

覆水、盆に返らず。過ぎ去りし日々は取り返す事は出来ない。

だからこそ多くの人は健気(けなげ)にも、果敢(かかん)に些細な事にも全力投球をするのだろう。あの日から32年の歳月が流れ、同じ年を重ねる。次の32年はどうだろう?96だもんなー。いくらなんでもそれはない。仮にあったとしても神に憐れみを乞うだけだろう。

人は何故に生きるのかと問われ、その意味も意義も可能性すら見出せなかった。しかし、今は亡き静岡掛川大雲院の大和尚は淡淡と断言していた。(寿命」。人の一生はオギャーと生まれた時に決まる。長く生きたくても生きられず、その反対もない。

もし、己の勝手でその道に背けば閻魔大王の裁きを受ける。単純明快な言葉を満面の笑みの中に片時も離さない煙草の煙をくぬらせながら、優しく語って呉れた。今、こうして生きて居られるのも、大和尚の天上からの見守りだろう。合掌。

追記

土曜日の朝、藤田まことがフランク永井を追悼して、公園の手品師を歌っている。親父が大阪に来たのは昭和38年。庄内の会社の寮で「てなもんや三度笠」、コメディー番組で高視聴率を叩き出していた。白木みのる、香川某氏との軽妙なコメディー。

しかし、その人気番組も終わると人気は一気に下降し、地方のキャバレー廻り。そんな時、支えて呉れたのがフランク永井だった。藤田まことはその後必殺仕事人のヒットで関西芸人のトップに上り詰める。

それでもフランク永井の歌を何故歌うのかは、分からなかった。前回の放送でその事を知る。前回の放送でその事を知る。フランク永井は亡くなり藤田まことも歳を重ねる。その事は親父も同様。(公園の手品師)追悼の歌を聴きながら涙を流す。

このハゲ親父にもそんな純情がまだ残っていたのではなく、単に涙もろくなっただけだろう。(銀杏は手品師、老いたピエロ。口上は言わないけれど、慣れた手つきでカードを撒くよ。)

これからは高齢化社会、少子化社会と尤もらしく、多くを語る人には忘れ去られた大阪のエレジー。この言葉も死語となる。フランク永井が愛した大阪の街、藤田まことが歌ってくれた追悼の歌は大阪の原点。不覚にも公園の手品師の作詞家の名前も歌碑も、忘れさられている。

若い頃、一度しか行ってない法善寺横丁水掛け不動のお参りをしなければならない。

* 庄内…阪急宝塚線梅田から数えて4番目。親父が大阪に来た昭和38年頃はヤクザさんとスナックのお姉さんが多かったが、優しい街、生活しやすい街だった。創価学会の入信勧誘、いとこの1つ違いの勲ちゃんが交通事故で亡くなったのも19の夏だった。

*エレジー…elegy、挽歌、ギリシャ語のエレゲイヤ(哀悼歌)に由来し、この世の果敢なさを悲しみ嘆く歌。…ヤフー百科事典

*・親父の注釈。大阪エレジーの意味は好きやねんの意味が混じる。この意味は大阪人でない親父でも分からないから、正真正銘の大阪人でないと無理かも。大阪の街、さいならこいさんと歌う意味は今日の大阪人にも、分からないだろう。

大阪の再生は長い間言われて、今日も尚課題とされている。大阪は基本的に商売の街。「もうかりまっか」「あきまへんなあ」と言われて久しい。今は東大阪の物作りとか言われても繊維、薬、金物で繁盛した面影は何処にもない。

今、アホな行政が水の都を売り物にしょうとしているが、そんなもんでは東京に頼るだけだろう。大阪のど根性、ドアアホウ、破天荒な型破りが出来なければ大阪の再生は難しい。しかし、悲観的になる事もない。大阪の街は大きく変貌している。

大阪駅の松下幸之助が寄付した歩道橋の上で、足を止めてみるとその事がよく分かる。凄いよ。本当に凄い。見上げると首が痛くなる百貨店の改築、駅の上に伸びて行く建設工事。歩道橋を絶え間なく行きかう人が、その事を教えている。

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2009年6月 3日 (水)

懐かしい風景 失われた過去 これからも続く風景

Img_0441 47年前に通勤した駅のホーム。

普通しか止まらないので、結構危ない。

それでも、今でも事故、怪我人はゼロ。

すごいと言うか、他に言葉がない。

この前の抱きかかえ、突き飛ばし、そんなの無し。

Img_0444_2 45年前の職場。当時は戦前の建物で、

薄汚れて倉庫になっていたが、新しいビジネスの始まりで、誰もが希望に燃えていた。

親父が入社して2年。当時の一部門が独立。

カナダとの合弁会社。仕事はあっても技術が

なかった。

Img_0448_3 47年前の入社時の建物。これも20年以上前に、リニュアルされている。

当時の建物は本当に汚く、それでも凛としていた。戦前の建物。当時はそれが普通。

建物の前にバス停があるが、当時は路面電車。阪神北大阪線。野田から天六迄。

Img_0450 大阪梅田から福島の次。当時の駅も綺麗だったが、今は完全にターミナルビルとなっている。駅前もロータリーとビル群となり、今昔の感、深し。

大阪に来て研修中、眼が充血し近くの眼科に駆け込む。その医院も近くにある。爺ちゃん先生は亡くなり、息子が跡を継ぎ関西眼科医師会の重鎮となっている。

Img_0452 阪神電車。急行。昔のカラー。

次の停車駅は尼崎。親父の今日の目的地は

甲子園。2つの目的がある。

1つはららぽーと甲子園。ショッピングセンター

1つは5年前、約半月勤務したお店。

Img_0454_2 野田の駅から見た南側。

この交差点、右折すると神戸方面。

不慣れな人には、分かり難い。

直進すると大阪の西。大阪湾。淀川河口。

Img_0458 ららぽーと甲子園。

親父が大阪に居た頃、遊園地だった。

阪神パーク。大阪には枚方にもあるが、

遊園地はどこもアカン。

ユニバーサルスタジオもイマイチ。

Img_0459 ららぽーと2回のベランダから入口を見る。

後方が甲子園。今日は試合無し。

広場も閑散としているが、今日は平日。

店内も同様。しかし、それなりに活気あり。

のんびりとお買い物が出来る感じ。

Img_0460 この略図、店内案内では良く分からないが

飲食店と専門店の集合体。スーパーでは無い

M不動産が建物を造り、専門店、飲食店、

Iスーパーは別棟にある。

採算は取れるの?余計な心配をしている。

Img_0462 5年前に開業。地域に密着して着実に、

成果を出しているのだろうか?

親父が見たかったのはそれだけ。

もうすぐ、静岡磐田(いわた)に開業する。

コンセプトは地域との融合?期待されている

Img_0464_2 5年前、約半月研修したお店は、緑の中に

あった。甲子園球場と逆方向。思いの外遠い

昼飯を食った公園は、あじさいの子供が

成長していた。お店はさびれていたがお客は

それなりにいた。写真は撮らず。無用

あれから5年の歳月が流れる。あの時は初秋。毎週末、台風の直撃に加えて地震迄有り。

親父の生活も大変だった。家康の言葉に「心に迷い起らば、困窮したる時を思い起こすべき」とあるが、正にあの時がそうだった。必死の時に恵まれず、それでも助けてくれる人の思いにいかんとも出来なかった。あの時の思い、あの時の悲運を思い起こせば、大概の事は乗り越えられる。その事がこの公園で再確認できた。あじさいの子供達も元気な親父を見てほっとしただろうか?それはない。季節が違う。生きた時代が違う。それでも笑っていた。

親父の顔には喜怒哀楽はなく、淡淡としていた。あの時が有るから今が有る。あの時がなければ今はない。そんな事を考えていた。無我夢中の時、踏みにじられた思いは消えてない。それでも、ここまで長らえたお陰を忘れてはならない。「人の一生は重荷をおいて、遠き道を行くがごとし、焦るべからず」 家康嫌いの親父が教えて呉れた掛け軸の言葉です。

今日の旅は多くの想いの中にありました。人の命は無情です。生きるべき人が全て、生きている訳でもなく、その事を考えれば日々の生き方が少し又、変わるかもしれない。

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