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2009年5月20日 (水)

天網恢恢、疎にして漏らさず

P1000067_2今日は暑くなりそう。まだ五月の下旬だというのに?。どうなっているんだろう?   

どうも成っていません。暑いだけ。唯、単に温度が上がっているだけ?

それも違う気がする。親父達が幼い時と今は、平均気温が5℃は違うだろう。

それだけ環境破壊?イイエ、温暖化が進み、風薫る五月でも熱気さえ感じる。

そんな感じで、駅に向かって歩いていると、駅のロータリーの植え込みの手入れを、公園課の担当がしている。

今朝は仕事休み。でも何も変わらない。

人の生き方も同じ。そんな朝でした。

花壇の中に立つブロンズの像は、池田の伝説の綾姫?織物の産業が盛んだったのは、何時の時だったのだろう?両側の人も背を向けて何を語っているのだろう?生きるとは?仕事とは?過去と今、そして未来への懸け橋。栄枯盛衰。人の明日を暗示しているのか?

昔、織物で栄えたと伝えられるこの街も、実際はどうだったのかは分からない。同様に未来の人が同じ風景を目の当りにする事もない。この静かな時も何時かは終わる。そう考えると今、この時を無駄に生きる代償は自業自得かもしれない。

新型インフルエンザで、関西はマスク無しには通勤も通学もしんどい。学校は今週一杯、休校。お陰で通勤電車の中が静かになったが、それも今週一杯だろう。なんで関西だけなのだろう?なんで渡航歴のない高校生に発病者が多いのか?

分からない事が少なくないが、ウイルスの反逆は一時だろう。しかし、今回の教訓は生かさなければならない?まず一番の教訓は騒ぎすぎ、二番は行政の対応の拙さ。3番は健康管理は人任せでは手遅れになる事。自分の体は自分で守るしかない。

マスクとか手洗いとかうがいは言うまでもない。それでも現代社会は無菌ではなく、雑菌だらけ。その事をもう少し考えなければならない。細菌テロは映画や空想の社会でなく、現実に起こり得る事かも知れない。都会で生きるとはそう言う事だろう。否、田舎でもそうだろう。

人間とは真に間抜けな生き物だろう。自己中心の対人を否定して、どんなに首を傾げたり己の言葉を重ねても、自分が其の物ズバリとはだれもが考えない。親父のぼやきもその典型だろう。人の生き方を罵る(ののしる)前に、自分の姿を重ねなければならない。

唯、それでも人に害を及ぼさなければそれはそれで、可愛い物かもしれない。蛙に小便、失礼、聞く耳持たず、人の話に耳を傾ける度量がなければ、釈迦に説法かもしれない。今までそんな狭い心でどれだけの損失を重ねただろう。それでもこれが親父の生きる道。そう思うしかない。

天網恢恢疎にして漏らさず。(てんもうかいかい、そにしてもらさず)。この老子の言葉も今では知る人も少ない。中国の古代の思想家、老子の言葉をニュースで久しぶりに耳にする。

コメンテーターは悪い事は何時かはばれると解説していたが、ガキではあるまいし、好い事、悪い事の基準は必ずしも明確ではない。ホントの悪はニュースにもならない。悪を悪とも思わず善行として信じて疑わなければ、ばれる事もない。それくらいの事を語れよ。

老子の言葉はその意味で重い。世の為、人の為と言った処で、所詮(しょせん)己の為では政道ではない。今一度、この言葉の意味を噛みしめたいが、この言葉自身既に死語となっている。しかし、この世の習いは何時かはどんなに栄えた生業(なりわい)も朽ち果てる。

人の世もかくの如し。そう思えば淡淡と生きられる。

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