« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »

2009年5月

2009年5月29日 (金)

景気がよくなる時、景気の落ち込みは止まったのか?

ジャック。アタリの「21世紀の歴史」を手にして、期待外れ。アメリカの金融危機は何で起きたのか?テレビで聞いた話とは違う。一番の期待が外れた理由は主観の羅列(られつ)。そんな話はお金を出して読むほどの物でもない。しかし、考えてみればこの国の多くのリーダーもエコノミストもほとんどの学識経験者も、アメリカの問題と切り捨てるだけで多くを明確にはしていない。親父の独断と偏見を君から口にされても、その思いに些かの(いささか)の変化がない。

この国の5年以上続いた戦後最長と言われた好景気。その原因が明確にされないまま、景気の下支えをなりふり構わずに、今、行われている。その代償の大きさに唖然とする事はないのだろう。この国の国債の信頼度がアメリカのインチキファンドの格付けでは、アフリカの某国以下と言われて笑ったが、それも強ち(あながち)間違いではないかもしれない。

アメリカも日本も金融危機の大きさに、株式市場が大幅下落したのが昨年の後半。その最大が今年の3月。数か月前の話が今では遠い過去の話になっている。株式市場が反転し底値を打ったとエコノミストが言うのはやむを得ないとしても、政治家が言うのはいかがなものか?政治家がどんなに景気対策と叫んだ処で、成果が出た例(試し)は無い。不況対策で成功事例はあまりに少ない。今回の景気対策に使われる税金の大きさにどれだけの人が理解しているのだろう?

国債に建設国債と赤字国債があると言われて久しいが、今回の国債の総額はいくらになって、これまでの国債総額がいくらになり、どんな方法で減らせるのか明確でない。全ては次の選挙で問われるがその時でも、問題の先送りだけで真剣な討議もないだろう。

企業の生産活動が持ち直しの動きがあると言われても、今、一番問われている事は雇用の不安だろう。非正規の雇用の深刻さは言うまでもなく、正規の社員がこれから切り詰められた時、消費の伸びは期待できるのだろうか?余りに楽観的、無責任との批判は少ない。

これからの自衛策。それは小金の貯め込みだろう。この国の経済体質が問われ、国債の格付けがアフリカのボツワナ以下と言われても、尚、国債が発行できるのは売れるからだろう?誰が買うのか?金融機関?個人投資家?小金持ち?世の中は貧乏人ばかりではない。

東京株式市場の日経平均株価は、親父の予想に反して9500円を超えた。次は10000円を窺うとか。しかし、問題はその時だろう。君と賭けをしてないが今年の夏は無理だろう。何故なら景気対策が余りに過去の教訓を生かしていない。これからの一番の問題は消費の拡大。

消費する物がないと言われて久しいが、車は買えなくても生活必需品は安くても良いから、買うしかない。有効求人倍数0.46?失業率5%?経済対策の効果?最近、パチンコ屋をのぞく事は無いが、この流れが変わらなければ消費の拡大は無いだろう。

| | コメント (0)

2009年5月22日 (金)

大阪駅周辺 本屋の帰りに歩く 一人で眼を輝かす

Img_0401 Img_0431 大阪の駅前は大きく変わる。

そうして、今なお、変身中。

どこまで変わるのだろう?

不景気と言われても、このエネルギーは

何だろう? 都市の活力なのだろうか?

Img_0408 18の時、田舎から出て来て初めて目にした風景。しかしあの頃は路面電車が走り、こんなに綺麗ではなかった。

左が大阪の東、天六方面。奥が南、梅田新道

母さんと歩いた道。君と歩いた道。

御堂筋は一方通行でも、ここはそうでもない。

Img_0410

Img_0409 でかい。見上げると首が痛い。

現代営業中の百貨店の上に、増築中。

上のでかい写真の左側がその百貨店。

右奥の建物が親父の縄張りだった富国生命ビル。ただ今、工事中。いつごろ完成かな?

Img_0411 このビルも馴染みのビル。こうして見ると近代建築の粋を見る気がするが、実は古い

今から17年前、君と来た。右側のホテルも出来ていた。

Img_0422

遠くに見えるのがツインタワー。手前のオブジェはフランス高級ショップの看板。

右側の建物はこれから取り壊されて、高層ビルとなる大阪中央郵便局。業務は既に

移転している。今、歴史的建造物として論議されているが、大阪駅の横で保存は無い

でしょう。価値は有効に使われてこそ、其の意味を為す。お役人にはその事が?

今日は堂島の毎日新聞社跡の本屋に行った帰り、思い出の大阪駅周辺をぶらぶらして

帰りました。親父達高齢者が残せるものは何もありません。

しかし、今日と未来を語るには過去を知らなければなりません。

今日手にしたジャック、アタリの21世紀の歴史は其の意味でも楽しみです。

ふるきを訪ねて新しきを知る。古いとか新しいとか問題ではないのです。

永遠の力、それは過去を知る事かも知れません。

| | コメント (0)

2009年5月20日 (水)

天網恢恢、疎にして漏らさず

P1000067_2今日は暑くなりそう。まだ五月の下旬だというのに?。どうなっているんだろう?   

どうも成っていません。暑いだけ。唯、単に温度が上がっているだけ?

それも違う気がする。親父達が幼い時と今は、平均気温が5℃は違うだろう。

それだけ環境破壊?イイエ、温暖化が進み、風薫る五月でも熱気さえ感じる。

そんな感じで、駅に向かって歩いていると、駅のロータリーの植え込みの手入れを、公園課の担当がしている。

今朝は仕事休み。でも何も変わらない。

人の生き方も同じ。そんな朝でした。

花壇の中に立つブロンズの像は、池田の伝説の綾姫?織物の産業が盛んだったのは、何時の時だったのだろう?両側の人も背を向けて何を語っているのだろう?生きるとは?仕事とは?過去と今、そして未来への懸け橋。栄枯盛衰。人の明日を暗示しているのか?

昔、織物で栄えたと伝えられるこの街も、実際はどうだったのかは分からない。同様に未来の人が同じ風景を目の当りにする事もない。この静かな時も何時かは終わる。そう考えると今、この時を無駄に生きる代償は自業自得かもしれない。

新型インフルエンザで、関西はマスク無しには通勤も通学もしんどい。学校は今週一杯、休校。お陰で通勤電車の中が静かになったが、それも今週一杯だろう。なんで関西だけなのだろう?なんで渡航歴のない高校生に発病者が多いのか?

分からない事が少なくないが、ウイルスの反逆は一時だろう。しかし、今回の教訓は生かさなければならない?まず一番の教訓は騒ぎすぎ、二番は行政の対応の拙さ。3番は健康管理は人任せでは手遅れになる事。自分の体は自分で守るしかない。

マスクとか手洗いとかうがいは言うまでもない。それでも現代社会は無菌ではなく、雑菌だらけ。その事をもう少し考えなければならない。細菌テロは映画や空想の社会でなく、現実に起こり得る事かも知れない。都会で生きるとはそう言う事だろう。否、田舎でもそうだろう。

人間とは真に間抜けな生き物だろう。自己中心の対人を否定して、どんなに首を傾げたり己の言葉を重ねても、自分が其の物ズバリとはだれもが考えない。親父のぼやきもその典型だろう。人の生き方を罵る(ののしる)前に、自分の姿を重ねなければならない。

唯、それでも人に害を及ぼさなければそれはそれで、可愛い物かもしれない。蛙に小便、失礼、聞く耳持たず、人の話に耳を傾ける度量がなければ、釈迦に説法かもしれない。今までそんな狭い心でどれだけの損失を重ねただろう。それでもこれが親父の生きる道。そう思うしかない。

天網恢恢疎にして漏らさず。(てんもうかいかい、そにしてもらさず)。この老子の言葉も今では知る人も少ない。中国の古代の思想家、老子の言葉をニュースで久しぶりに耳にする。

コメンテーターは悪い事は何時かはばれると解説していたが、ガキではあるまいし、好い事、悪い事の基準は必ずしも明確ではない。ホントの悪はニュースにもならない。悪を悪とも思わず善行として信じて疑わなければ、ばれる事もない。それくらいの事を語れよ。

老子の言葉はその意味で重い。世の為、人の為と言った処で、所詮(しょせん)己の為では政道ではない。今一度、この言葉の意味を噛みしめたいが、この言葉自身既に死語となっている。しかし、この世の習いは何時かはどんなに栄えた生業(なりわい)も朽ち果てる。

人の世もかくの如し。そう思えば淡淡と生きられる。

| | コメント (0)

2009年5月15日 (金)

五月の風 今日は平年並み やっと季節外れの暑さも一服

P1000064_2 P1000065 今夜、藤田まことのフランク、永井への追悼の言葉と思い出の歌を聴きながら不覚にも涙していた。

何故、頬(ほほ)を涙が流れるのか、分からないまま、テレビの画面を眺めていた。

正直、フランク永井を知る人は少なくても、藤田まことを知らない人は多くはない。その人が涙ながらに亡き人の思いを語り、自分の人生を重ねていた。

フランク永井は親父が中学生の時、すでに歌謡人気歌手だった。低音の魅力

君も知らない親父世代のビッグスターは藤田まことにとっても、大恩人だった。

落ち目の時の優しい手助け。

しかし、それはその後の二人の人生を大きく変える。立場が変わっても藤田まことのフランク永井への思いは、変わることはなかった。

その恩人が自殺未遂の後、長いリハビリの成果が出る前に、先日、帰らぬ人となる。藤田まことはその悲報を、病院のベッドの上で聞いていた。

癌(がん)腫瘍の除去。手術は成功しても安心は出来ない。転移の不安。しかしその事はまったく口にしなかった。

今、桜木の根元に若葉が芽吹く。

若い力。若い命。世代交代。

今日の教訓。若葉がそれを語っている。

藤田まことは番組のフィナーレで、「公園の手品師」を歌っていた。

| | コメント (0)

2009年5月14日 (木)

親父のつぶやき 記事333 おお、確変フィーバー なんじゃソラ

親父のつぶやき、333回記念、おめでとうございます。

君からボケ防止の為に買って貰ったこのパソコンで、パソコンの個人レッスンから始まり、教室の先生が開設してくれたこのブログ。最初の記事は手のしびれだった気がする。

そのしびれの原因が首の骨の曲がりだと診断されたのが、近くの整形外科。生れつきで歳を重ねて老後が始まると、血管が圧迫されて寝起きの時に、左の小指の付け根がしびれるとか。МRT(磁気画像診断)の結果にも出ていた。対策は定期的な首の牽引。

何回かやって止めた。リハビリでも無い、整体医院のマッサージでも無い、ムチ打ちの首の牽引の様な対処療法に効果を確信できなかった。自分で治す?そんな思いで辞めた。

あれから2年弱、幸いに日常の生活に何の支障もない。時々、朝目覚めの時しびれを感じるが、グウチョキを繰り返して右手でこすれば、何の不便も感じない。歳を取るとはこんな感じだろう。歯医者からも言われた歯茎の痩せも、同じだろう。何時までも若くは無い。

それでもこの歳になっても若さとは、何だろうと思う。若さとは未熟。青さだろう。完熟の美味は味わう事無ければ分からない。年寄りが自慢するほどの物でもないが、若者が見下すほどの物でも無い。人は人らしくあれと教える人も最近は少ないが、教えられる生き方と死に方を見出せないのかも知れない。

Yes、we, change (我々は変えられる)と声高に叫んだところで、現実の厳しさをどれだけ説明できるのか、マスコミは尤もらしく説明責任は果たせと何とかの一つ覚えの様に言うけれど、説明責任とは一体何なの?そしてあなた自身、それが出来る生き方をしているのかと問われた時に、如何答えるのだろう?。アメリカもこの国も民主主義、資本主義とは、その程度の物でしょう。

景況判断、株式市況、為替レートのニュースを見てもその事を痛感する。自己都合、我田引水、断片的美味しいニュースに一喜一憂しているだけだろう。どう考えて見た処で今日の景気後退は暫くは続く。実態経済の反転は早くて来年、遅ければ数年掛かるだろう。それでも楽観的見方かも知れない。それ程の認識が無くておいしい話が出来るのは、当事者で無い学者先生かお役人、政治家それとエコノミストかも知れない。

親父も見方などどうでも良いが、どちらが正解かは言うまでもない。金融バブルの原因をアメリカの投資ファンドの所為にだけして、舌を出して笑っている(最近はそうでも無いが)この国の役人は、いずれ責任を問われなければならない。

それともその時になると、オバマアメリカ大統領の様に言葉を飲み込むのか?ならば叫ぶな。米軍の卑劣なイラク人虐待写真を公開すれば反米感情をあおる?ならば候補者の時の言葉は一体何だったのか?アメリカの正義感はその程度の物?親父は全く単純だけれど。

その程度の物です。アメリカ経済の実態も多くの事が語られ、底入れ感、景況感の反転が実しやかに(まことしやか)経済ニュースでコメントされる。おいおいおい。違うだろう。大体スポンサー付きの報道、経済ニュースで元もらしい事を喋るな。実態(それも難しいが)だけを淡々と喋れば良い。あの解説者、コメンテーターの尤もらしい言葉。親父の毒舌の方が当たり。(それは違うだろう。そうかもね)

333回記念。確変フィーバーと言われてもこれはパチンコ用語。やらない人には何の事か分からない。パチンコで大当たりの時奇数の並びで当たれば確率変動。つまり確変、次の大当たりが通常の10分の1.当りが保障されている。やらない人には分からないあの感動。しかしその為にどれだけの無駄金が、お店にむしられているかは考えていない。

次の目標400回。その時はもう少しマシな事、書けるかな?無理?そうかも。

| | コメント (0)

2009年5月12日 (火)

バラが咲いた バラが咲いた 真っ赤なバラが咲いた

P1000062 仕事場横の芝生の先に薔薇の花

誰の眼にふれるともなく密やかに

秘めやかに美しさを主張している。

バラには美しさと細い幹にトゲがある。

人の世も同じだろう。

きれい事だけでは済まないこの世の

習い(ならい)。

政治と金の問題とかこの世の矛盾を

尤もらしく語る自己満足。

この写真を見ていると、そんな事は

全く考えられない。ビュゥティフル。

P1000061 この美しさは何だろう?

バラ園ではなく。フェンスの金網に

寄り添っている。自分の美しさとは

一体何だろう?醜さを気にしたり自分

らしさを見せられなくても、このバラは

何も気にせず、何も主張していない。

この花の美しさとは本来、かく在るべき

かもしれない。

真紅と純白、いずれも本来は汚れと

汚れ(けがれ)の無い物だから。

私は鑑賞用ではなく、フェンスの飾り。

それだけで充分です。

もうすぐ花びらを落とせば、季節は

初夏です。

| | コメント (0)

2009年5月 8日 (金)

五月の風、薫風の空は何処に? 明日から又、暑い?

昨日のブログ挿入の写真、如何しても起こせなかった。起こす術を知らずそのままにしたが気分が悪く、原因を探りに近くの携帯ショップに出掛ける。携帯を始めに買って貰ったのは8年前、9年前。あの時は地方の山で土方仕事をしていた。君が笑いながら買ってくれた1台目から、先月やっと3代目。当時と違い今は携帯本体も安くない。それでもその新型を分割で手にした。なんでこんなに高いのか?その訳が使って見て良く分かる。

多くの機能があり、上手く使いこなせば凄いのに親父レベルではほとんど、通話かメール。その程度。でもこの親父は今、考えを変えている。文明の利器?を粗末にしてはいけない。指紋の着き易いブラックの本体を何時もさすりながら、学習している。

君から言われる説明書ではなく、近くのショップに行き分からない操作の方法を聞く。これが簡単の様でそうでは無い。買う時はお客でも何時でも何処でもそうでは無い。何時でもどうぞと言われながら、内心又かと思われているだろう。そこがおばさんならぬ親父のしつこい処。何度も何度も。今回で何度目だろう?そんな事を考えながらやっと顔を覚えた彼女の説明を聞く。

親父の質問はパソコンに入れた画像の形。横になっている。ブログ見てくれた人、可笑しいなと思ったか?何じゃこれと思ったか?それが分かる。昨日、小雨の中で休憩中、カメラサイズの設定を変えていた。らしい。まだ確認出来ていないので信用していない。ショップの彼女も、もし駄目ならと首をすくめてインフォメーションセンターの電話番号教えてくれる。

電話する訳が無い。分からなければ又、聞きに来る。そう呟きながら後にする。良く出来ているが、その機能を使いこなすには相当の好奇心と学習能力を求められる。携帯の写真をパソコンに取り込む親父は、そう多くは無い。

親父のつぶやきもお陰さまでもうすぐ340回。多くのボヤキと嘆き。やる事が無い時、見直してみると結構しつこい。同じ様な事を相も替わらぬ切り口でレベルの低いボヤキ、嘆きのセレナーデ。でも良く書いたもんだ。書く事があったもんだ。これからも続けたい。

景気も技術革新も人の生き方も大きく変わる。これからこの国の在り方、人の生き方、仕事の進め方も大きく変わるだろう。ソースコードの開示、中国の戦略が衣の先に見える。ある時は先進国、又或る時は発展途上国、その又或る時は経済成長率ナンバーワン。人を見る眼、中国を見る目は先日見た唐招提寺の鑑真和上を見る目とは違うだろう。

人の生き方も同じです。多面的、発展的、個性的な生き方をしないと生きがいの探究は出来ない。親父も年金生活者だけでは無い。この歳になっても頭を下げながら金の為にゴマをする。人の生き方はどんなに生活が保障されても、又、その反対でも卑屈になる事は何も無い。生きるとはその程度の事です。そう考えれば気持ちも心も大きく変わる。

先日のアメリカのストレステストも?でした。アメリカとこの国の金融機関だけが不況下の中で、発展できるとは思いません。エコノミストも流石に今後の課題は消費拡大と言って居るがこれからは間違いなく、消費収縮です。価格破壊では無く価格の見直し。収入が減れば支出が減るのは当然でしょう。何処から景気の底打ちと言えるのか?余りに我田引水でしょう。

我田引水 この4文字熟語も死語か?我が田に水引く。自分の事が良ければいい。自分の事しか見ない。見ているつもり。でも間違いに気付いていない。これは今月末になれば分かるでしょう。今年の初夏は近い。5月の爽やかな時は一時だろうか?

親父の連休明けは来週からです。体と心をオーバーホールして心新たに挑戦です。

| | コメント (0)

2009年5月 6日 (水)

明日は久し振りの仕事 休み過ぎ 失業の悲哀思い出す

P1000056 休みが多いとロクな事は無い。休み過ぎて体がおかしい。仕事をしていなかった時の事が昨日の様に思いだされる。景気の悪化で首を切られた非正規労働者の事が人事では無くなる。明日からお役所仕事も始まり、国会の論戦もスタートするが実際は解散時期の模様眺めだろう。尤もらしく多くの事が語られてもこの国では、失業の心配の無い役人が何をどうしょうとするのだろう。

これからと言われるけれど実態は是までもそうだった。違うのは楽して儲けられる仕事は無く、本当に道を切り開こうと思うならば人のやりたくない事を、安い給料で出来るかだろう。失業の密度が高まれば必然的に雇用の在り方が変わり、この国の製造現場も様変わりするに違いない。どう変わるのか?無人化、省力化、その先に或るオンリーワン化だろう。

同じ物、同じ人、同じ価格は評価されずたたき落とされるだけでなく、己の事を棚上げにして弱い物、弱い人、弱いサービスが踏みにじられるだろう。人が人らしく生きる余裕も無くなり芥川龍之介のクモの糸を実感するだろう。それでも同情は要らない。仕事くれ、カネくれ、だろう。ああ・・・

フォーエバー、ツェンティワン なんじゃソレと言えないこれが現実。消費の冷え込み?そうでは無い。もう高い物が買えないのかと思いきや、そうでも無いらしい。安いに越した事は無くても個性と品揃え、最後に魅力だろう。デパートメント、ストアーの存在価値が失せたのか?

車も家もファッションも親父達でも金さえあれば、買うだろう。その処の認識が余りに脆弱(ぜいじゃく)ではなかろうか?そこの処を変えないととてもではないが、勝てない。新型インフルエンザの騒ぎ過ぎを見ても、この国の対応の仕方はどこかおかしい。

夕方、どれだけ歩けるか、山に向いて歩く。昨夜は頭痛、今日は夕方になって下痢、体調が良くない。体が鈍っている。歩けるだけと思いながら歩を進めると雨が降ってくる。ひより雨気にせず、どんどん歩く。山裾に近づくと流石に不快になる。近くの体育館に避難。

暫く、立派な館内をウロウロし外に出ても、まだ止んで無かった。暫く歩き帰り道途中の城址公園の休憩所で雨宿り。携帯で写真撮りました。

P1000055

| | コメント (0)

連休も今日で終わり。また来年と思いきや・・・

親父は明日は仕事です。昨日も書きましたが世の中の一部分だけ、しかも自分の都合の良い部分だけを取り上げて、又は人の野次馬根性に受ける程度のニュースを尤もらしく語る言葉に、影響を受ける事は無いのに敏感に反応している。

鈍感な人が多いから、世間の不快なニュースに敏感に反応する親父がアホかもしれない。元々、関西はアホを自認しながら関東を馬鹿にしていた。アホと馬鹿にはそれ程の違いが在るが、最近では関西でもアホ呼ばわりは人格の否定と、正気な顔をして当然だろうと言われる。関西人からアホを取ったら何が残るのだろうか?賢い?普通?分からない。

何が言いたいのかと言われれば、連休も今日で終わりでは無い人もいる。連休中も関係なく働いていた人もいる。当たり前?でも親父も4日の日に奈良に行ったけれど、何処かしこも人人人。人の渦。あれを見ていたら皆、お休みと思うよね。でも、駅員さんは働いていたし、お寺の切符を売る人、お守りを売る人も働いていた。

連休中も高速の渋滞は伝えても、この国の物流を支えるトラック運転手の嘆きは、余り眼には出来なかった。君から言われる親父の眼にする情報はレベル何?と言われるが、この国の情報操作は親父の努力の足らなさだけでは無い。多くの人が何処まで行っても1000円の情報にかく乱されていた。その程度のお得感に振り回される事は無い。

そうそう、連休中も終わりでは無い。そうです。最近あまり言われないが「毎日が日曜日」。結構毛だらけ猫、灰だらけ。?の廻りは?だらけ。寅さんの様な生き方は映画の中だけ。近くの?ちんこのお店には最近、若者が少なくない。パチンコで飯が食えるのか?そうでは無い。仕事に付けずにその日のあぶく銭にすがるしか無い若者に、明日を指し示す施策は無いのか?景気対策の効果を確信し、消費の盛り上がりを期待する思惑にはこの現実は、見えていないのだろう。

あっそうか?連休の話はカレンダー通りに働く人の話か。?でも今は働き方も生き方も遊び方も多様化し、一口には語れないけれどそれ位の枕言葉が合っても良いよね。自分で付けろ。失礼しました。しかし、今、高速の渋滞でいらいらしている人の思いは、そんな物では無い。

此処で訂正を一つ。君に云われる前に。昨日のストレス、チェック。ストレステストでした。でも親父の訳(やく)の方が正しい気もするが・・・・。日本語では試験と確認では違うけどね。テストの意味が実績の評価ではなく、2年間先の経済環境が悪化する想定だからすごいよね。自己資本がどれ位不足するか算出するらしいけれど、それはあくまで仮定の話だよね。

この国では出来ない話。それが出来るアメリカの危機感?この国の間抜け感?かも知れない。又、怒られるかもしれないがそんな気がする。この結果発表5日ではなく7日。この国の株価は真っ先に反応するだろうが、これは昨日も書いたが織り込み済みだろう。

経済新聞の話をすると笑われるけれど、アメリカ株式市場相場は上昇基調とか。チョト違うと思うのだけれど景気底入れ期待を背景に、金融と消費関連株が相場をけん引しているとか。3月9日の直近安値(6547ドル)比で28.7%上昇?下げ過ぎの反動かもしれないが実態経済の反映では無いだろう。

この国も株式市場も同様の動きをしている。外人投資家が6割を超える現状から見れば当然の事だろうが、人の思惑は然様に浅はか、なのだろう。アメリカもアメリカ頼みのこの国も実態経済は暫く良くはならない。反転のきっかけは政府の経済政策だろうか?それも違う気がする。この国の経済の基礎的条件は必ずしも言われるほど低くは無い。

しかし、第二次大戦後60年を過ぎ大きな転換期にある。政治も人々の生活も行政も大きく変わらなければならない。今、その転換期にあるのだろう。間違いなくこれから大きな変化を求められた時、今までのやり方では国も会社も地域も成り立たないだろう。

何を為すべきか、親父にもその事が問われている。願わくば健康で文化的な最低限度の生活、憲法で保障されても国も行政も出来る事に限りがある。その事に思いを馳せれば出来る事は唯一つ、出来る事をやる。出来ない事を出来る様に変える。その程度だろう。

此れも先日書いたが、憲法には労働者の団結権が明記されている。しかし、メーデーのスローガンに{団結して頑張ろう}は可笑しいだろう。非正規と正規の線引きに暗黙の了解をして、格差社会の恩恵は誰が受けているのか?それ位は考えなければならない。

この連休中、憲法記念日もあった。親父達が学んだ平和憲法、国民主権、基本的人権の尊重。現状は如何だろう?曲がりなりにも平和、曲がりなりにも国民主権?基本的人権の尊重?これは如何だろう?言える事は個人の生活、自活、自主は日々の自分の行動と心掛けで決まる。その程度だろう。

葉さん、先日は身に余る感謝の思いありがとうございました。親父達が若い人に出来る事は多くの事を語り、多くの見知らぬ土地を紹介し、多くの迷いの心に光を引きこむ事だけです。無償の証、言葉で言うのは簡単ですが行うは容易ではありません。その程度です。

親父達が何度もぶち当たった大きな壁。それに笑いながら立ち向かえる自然な気持ちを忘れないで、力強く生きて下さい。それが自分の為です。人の為では無く自分の為に生きる。そんな生き方を親父達も学んでいきたいと思います。

| | コメント (0)

2009年5月 5日 (火)

連休も後、2日。今日はアメリカ金融機関のストレスチェックの発表?何じゃソラ。

仕事が休みで(休みで無くても)ニュースを見聞きしていると、マスコミの普通で無い報道の仕方に首を傾げる。そんな話をする度に親父の方がおかしいと言われる。確かに親父は異端児だから、普通の考えが無い。しかし、常識が無いのでは無く考え方が違い過ぎるのだろう。考え方が何処から切っても金太郎飴ではないのが、鼻もちならない人には、今日の内容はムカつくだけで不快感だけしか残らないかもしれない。まず、ストレス、チェックって何?

ストレスが溜まるとか発散とか、日常の会話とはちょと意味が違う。アメリカの金融機関の財務状況の発表。(それをストレスチェックと表現する、アメリカの面白さ。公開、開示のレベルの低いこの国との違い)。それでも実態の一部分かもしれない。水面下の負債の大きさはこれから、どれだけ続くのだろう。その影の重さを考えずに光の部分を如何に強調しても?と思いきやそうでもないらしい。問題の多くは市場の思惑の中に織り込み済みで、株価も通貨(アメリカ)にもマイナスには作用しないらしい。(これは未だ公表されていないから、親父の主観。でも当たりだろう)。

この国の反応は連休明けの来週月曜日。東京株式市場の平均株価は9000円を超えるのだろうか?越えるかも知れない。この日は様子見を繰り返したとしても、週末には間違いなく9500円を覘く(のぞく)かもしれない。株の売買すら出来ない親父の観測としては上出来?。そんなもんだろう。関係者の思惑は単純明快。だから落ち込みも小さくない。

景気の後退が声高に叫ばれ、企業の業績が悪く仕事量が激変すれば、労働者の削減はこれまた当然で、昨今の政府関係機関の景気観測も明るくない。その中で景気動向の半年先を見通すと言われる株価の上昇は明るい数字だろうか?。そうは思わない。

景気の悪化は政府が大型の財政主導をして、テコ入れしたとしても急激な変化は期待出来ない。期待させてはいけないのが政府の責任だろう。政府の対策は国民の支持とそれに伴う痛みの共有が無ければ、バラマキであり利用していると批判されても、弁解の余地は無い。この景気悪化の中、多くの人の仕事と生活が厳しくなっても、例年通り外遊しか出来ない政治家さんには選挙で国民の審判を受けてもらうしかない。処がそうでもないらしい。

生活給付金、高速1000円、他に多くの景気対策に評価する声も少なくない。間違いなくこれからの生活が苦しくなったとしても、この国の明日は他の施策が期待出来ないのだろうか?収入が減れば支出も減る。支出が減れば消費は減る。消費は減っても景気は悪くならない?違うだろう。これからも間違いなく景気が悪い。だから景気対策?その財源が国債。?国債の引き受けは何処?その利子の払いは誰?それ位の事を考えればもう分かる。

今、求められている事。それはこの国の形を変えること。歳入を計りて歳出を削る。それしか無いのに反対の事を負い目も感じずに、行われたら最悪の結果しか無い事を、裸の大将はどれだけ認識しているのだろう?その事をこれから間違いなく感じるだろう。でもその時は遅いのだけれど、体感して惨めさを噛み締めなければ分からないだろう。

その事が暫く、問われてもどれだけの人が真摯に今日的課題に取り組めるのだろう?ええかっこするなと言われても自分の事は自分で考えるだけで無い。いかに多くの人の話が素直に聞けるかでもある。親父の意見が間違いの時、君に頭を下げる位の謙虚さが求められている。

先日、唐招提寺に行って来ました。この池は大好きな鑑真和上の墓の廻りです。

P1000051

| | コメント (0)

2009年5月 1日 (金)

昨日のオマケ 静かな夕暮の時 でもこんな日は稀(まれ)

P1000033_2

P1000042

P1000043

P1000049

出て来い出て来い池の鯉。口をパクパクさせながら遊んでいる。酸欠ではない。

立てば芍薬(しゃくやく)座れば牡丹、歩く姿は百合の花。この言葉も死語となる。

でもこの花が芍薬です。知らないでしょう。親父も感動。確かに美しい。

芝生の広場は広い。ぼんやりと天守閣を見ていると鶯が(うぐいす)、様子を窺っている。

ホーホケキョからケキッョ、ケキョと完成度の高い、鳴き声。もうすぐ声も聞けないのか。

そんな事を考えていたら、城が傾いている。腰を上げて靴を脱ぎ芝生の上を歩いて見ると、久しぶりに、大地の柔らかさを感じる。殿様もこんな思いをしたのだろうか?

静かな夕暮れが迫っていた。

| | コメント (0)

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »