今年は咲いたが来年はどうかな?上の松は先に逝ったけれど
青春とは人生の或る期間を言うのでは無く、心の様相を言うと言われても生きとし生けるもの宿命は、老いが有り終わりがある。親父を驚嘆させた桜と松。前者は生命力とは何かを教え、後者は痩せた土壌、環境でも生きれる事を教えてくれた。
桜木の空洞には糸こん状の養分吸い上げ樹根?があり、ヒョロヒョロと伸びた松は根元のガレキを物ともしていなかった。山に来る度に機会ある毎に眺めて撫でていた。昨年までは何とも無かったのに。松は枯れ桜は幹の上を失ってしまった。
でも2本の老木は逞しく生きて、そして枯れ今も生きている。これが自然界の掟(おきて)。自然界の道理。人間様がどんなにデカイ顔をして、我がもの顔に不遜な生き方をしても、いずれ己に降り掛かる未来を暗示している。環境がどうだとか景気がどうだとか言った処で、所詮人の未来もそんなもんだろう。それでも元気に桜や松に負けない生き方をしなければいけない。
そんな事を思い知らされる。一見しっかりしている親父の歯茎が痩せて来た。「歯茎が痩せる?」そうです。歯茎は成長しそして痩せ細る。嗚呼。老いの時は着実に迫っている。歯が抜けたら入れ歯で良いと思っていたら、どっこいそんなに甘い物ではない事を知る。
教えてくれたのは掛り付けの歯医者さん。この先生は医は算術とは思って居ないのだろう。如何すれば儲かるかではなく、如何すれば患者の為になるかを考えているのだろう。当然の事とは言え今時の医者には例外かも。何処で儲けているのだろう?人事ながら気になる。
御世話になったのは20年以上前に治療した奥の上差し歯、これが大阪に来てすぐ抜けた。その時、賃貸アパート近くの歯医者から引導を渡された。次、外れたら駄目です。それが今の先生に3~4回入れ直して貰っている。「使えるだけ使いましょう」「入れ歯はそれからです」
その噛み合わせとなる下の奥は新婚の時、了解も取られず麻酔を掛けられ抜歯された。今の先生とを大違い。あの時の医者は今は死んでいるだろう。歯は命であり食も又同じ。眼も頭も足腰も内蔵も全て同じだろう。健康は医者の見立てではなく、自分の注意に或る。
多くの人がその事を理解していない。歯茎が痩せるなんて誰も何の事やら分からんだろう。歯茎が痩せれば上の松の写真の様に歯がグラつく。歯がグラつけば水が歯に沁みる。歯だけではなく歯茎に沁みる。歯茎に沁みると違和感があり気になり痛い。
先生は養生しか無いと言われる。養生凄い言葉。反対の不摂生な生き方は出来ても、こんな生き方はなかなか出来ない。親父の様にシイハーシイハー楊枝を使わず、うがいと丁寧な歯磨き。それしか無いと言われる。意外にも市販の薬でも充分ではないとか。
血圧でも頭痛でも下痢でも、最近はメタボでも対処法は薬に頼る。薬ではない体質改善。同じようなもんだろう。仙人の生き方をしたいと言って笑われたが花粉症とかボケ防止とか、是からの老いも若きも生き方を変えないと体質は如何ともし難いだろう。
親父の腹も姿見の鏡に映せば真に哀れ。真に無様。良くそんな姿で生きて居られると思う。何も好き好んでこんな腹になったのでは無いから、腹を凹ませるには足上げが一番と思っているが、本当は君が言うようにカロリー取り過ぎを改善する事だろう。それも今、挑戦中。
自慢ではないが自慢すれば親父の凄さは、人に云われるまでも無い。自分がその気になれば大概の事は出来る。出来ないのは己の心に危機感が足りないからだろう。口先だけとか言われても恥じる事は無い。どれだけの人が人に自慢できる生き方が出来ているだろう。
「何も出来なくて人の批判をしているより、何かをしてそして恥をかく人間の方がどれだけマシだか分からない」と教えてくれた守屋先生も今、どんな生き方をしているのだろう。親父達の団塊の世代はこれから老いとの戦いとなる。戦いではなく試練だろう。其処には勝者も敗者もない。在るのは安心安全でもなく己の肉体との壮絶な葛藤かもしれない。
今日はお休み。隣の馬鹿も居ないと思いきや、ガタガタうるさい。親父よりナンボも若くても仕事が無ければ、人の迷惑顧みず我が物顔の生き方しか出来ないのだろう。最近、景気の低迷だけではないマナーの無い輩が、本当に多い。何処かの誰がが言っていた100年安心の保証。そんな仕組みがある訳が無い。景気対策も同じだろう。
何かを為すには人の為に成せとは過去の言葉だろう。今は景気の為には何でも有りか?多くの赤字国債をばら撒いても、問題の大きさと対策を明確にしなければ何も変わらないだろう。何もしないで問題の先送りではなく、この国の在るべき姿と形を明確にしなければ、後世の批判には耐えられない。その事をどれだけ理解しているのだろう?
この国の金融は(金融機関の財政基盤)アメリカの金融ショックの影響は少ないと公言していた、そして今でもその言葉を信じている人達は今後の推移をどう説明するのだろう?所詮この国の役人と政治家、銀行屋さんの見識はその程度だろう。
親父達に言える事、多くの危機を体験した教訓はこれから生かさなければならない。その為に生きている。それが出来なければ下向いて鏡を見れば、10年後の醜い自分が見える。その事を忘れてはならない。尤も其の保障は何も無い。 ああ、無常です。
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