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2009年4月 2日 (木)

爆睡、分県地図、バス、電車内の非礼、無礼、ムカつき、そして無言

昨日、早い夕食の後、午後からの頭痛も重なり久々に鎮痛剤2錠を口にして、横になる。寒の戻りで室内は寒く遠赤のストーブを弱にして、毛布と枕を用意する。最近、体の衰えを気にする度に太極拳の真似事をしたり、足上げ、体のねじりを心掛けているが睡眠不足のシグナルは如何ともし難いのだろう。四の五の言い訳をせずに素直にダウンする。

テレビは消していなったから音声は流れていた。微かに聞こえる歌謡曲にも全く反応せず意識が飛んでいた。気付いたのは何故か民法の番組で親父の好きな鯖街道を、お笑いのタレントが歩いていた。これまでも有った小浜から京都出町柳までの80キロ。歩き。

この道程を一人になって何度も車で走った事があるが、流石に歩くと一昼夜24時間掛かる。単純に計算して1時間4キロ。昔の人は8時間で40キロが普通と言われているからそれを考えて見ても容易でない事が良く分かる。そんな事を考えているとこの道を重い鯖を運んだ先人の難儀が分かる。そんな事を考えながら食い物を探す。

こんな生き方をしているからメタボな腹周りは変わらないのだろう。でも爆睡の効果は有り。歯磨きをして布団に入る。午前0時のジェット、ストリュームを聴きながら起床時間のタイマーをセットする。寝る子は育つと言われたのは昔の話。今は健康のバロメーターかも知れない。

分県地図は岐阜県を昨日買う。何で岐阜?この前の桜の記事で字を間違えたから?そうではないがまずは訂正。庄川ではなく荘川。親父は長い間間違えて覚えていた。それでも自慢ではないがこの地を知る人は相当の桜への思いの深い人。大概の凡人は知る由も無い。

岐阜の地理も不案内だけでなくその事を当たり前と思う人も少なくない。多くの人にとって関係ない事だからでもある。親父の様に長い間静岡での仕事の経験が無ければ、関西人にとっても無縁の地かも知れない。

それでも親父にとっては地図を広げるだけでワクワクしてくる。それだけではない。8年前の仮設の土方仕事の最初の現場が岐阜と滋賀の境。半月弱の宿の座敷の壁に垂らされていた額縁に入れられていた特攻の青年の別れの葉書の言葉は、今でも忘れられない。

「先行く不幸をお許しください。そして何故こんな戦争をしなければならなかったのか、幼い弟達にしっかりとした教育を受けさせてください。」親父の仕事と生活の不安をぬぐい去るだけでなくこの家の亡くなった親父さん、お袋さんの思いを考えた時、言葉が無かった。

あの時仕事が終わって大阪に戻る時、親父が仕事用のバンを運転していて道を間違える。近道をしょうとして山中に迷い込む。その先は行き止まり。当然引き返す。3人で仕事をしていた責任者から怒鳴られたのも懐かしい。今、何をしているだろうか?関係ないか?

その現場の先にビックなダムがある。徳山ダム。多くの税金の無駄使い。なんでそうなるのか殆どの人は知らない。長い間その論議が繰り返されたが結局はダムは完成し、問題はうやむやにされただけ。水力発電もしない治水ダム。今はその存在さえ知る人も少ない。

この近くに薄墨桜がある。1500余年咲き誇るこの桜の由来はピンク色の桜が散り際に薄墨色に変わるからだと言われる。本当だろうか?でもその風景は眼を瞑るだけで容易に鮮明になる。葉桜の前の一時だろう。それにしてもその生命力に感嘆するのは何時の日だろう。

荘川の桜は御母衣(みほろ)ダムに沈む桜の大木を移植した。昔の役人には偉い人がいた。今はどうなのだろう?桜木の大木にはそれだけの生命があるのだろう。そうでなければ何時までもこの物語が語り継がれる事は無いだろう。そう言う親父も未だこの地を見て居ない。東海北陸道。名古屋から富山迄の桜のトンネルの時はもうすぐです。

明日は休みです。今日から新年度。テレビを見ていると新生活のスタートが始まっている。しかし、前途多難とはこの事だろう。どんなに多くの事を語っても問題の本質は未だ、明確ではない。難しい事は分からないと言いながら、どんなに多くの事を語っても的外れになる事は言うまでも無い。大体、支持されていないリーダーが国民の信を問えないで何が出来るのだろう?景気対策と言いながらどれだけ景気が良くなるのだろう。

景況感は最悪と言われても本当に多くの人が難儀をするのは、これからだろう。生活給付金と言われても後世の人は評価しないだろう。土日の高速通行料何処まで行っても1000円。喜んでいる人が泣きを見るのは目に見える。目に余るとは正にこの事だろう。

車が売れない。当然だろう。車が生活の必需品とステイタスシンボルからその地を追われて久しい事を、どれだけ認識しているのだろう。車は金が無ければ買えない。仕事で雇用の心配が切実な庶民にそんな余裕が何処にあるのだろう?派遣切りは暫くはどうなのだろう?

親父達も元気な間は使えるが口先だけでは役に立たない。どんなに不快な思いをしても最後に笑うのは肉体と健康。そして生活に困らない生活費。生活給付金でどれだけの活力が出るのだろう?選挙が終わるまでその事が問われ、難儀な事は倍になる事を実感するのだろうか?そうならない為にも心意気だけは失ってはならない。

ジェットストリームのナレーターが替わった。大沢たかお。伊武正刀さんの渋さが無い。親父が若かった頃の城、卓也の心に到達するには暫らく掛かるだろう。選曲が変わるとアカンでよ。たのまっせ。今夜はアカン。ではお休み。

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