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2009年3月

2009年3月30日 (月)

景気対策、生活に求められている事

夜、寝るのが12時を廻っている。早く休まないと睡眠不足になる事は分かっていても、これが習慣になっている。朝は目覚ましが6時30分にセットされているし、携帯の目覚ましも6時30分、35分、40分の5分刻みにセットしているが、この御世話になる前に起きている。

仕事柄、遅刻は許されないし反対に朝、目覚ましで一発で起きれば一日の始まりであり、終わりでもある。決まった時間の電車に乗り決まった車両の決まった座席に腰をおろせば、一日の大半が終わった気もする。

今の仕事に求められる事は「卒のない信頼感」。言うは易し、行うは難し。今の仕事をどれだけ続けられるか、それは誰にも分からないが、案外自分自身の日々の生き方が大きく左右しているのかも知れない。

今の政治が信じられない人が64%とか。こんな世論調査もおかしいが人に何かを期待したり、求めたりする生き方はそろそろ変えた方が良い。自分の不遇を嘆くよりこれからの生き方と考え方が、1年後の自分を大きく変える事を信じた方が良い。

考えて見ると政治と金の問題を日替わりメニューかの如く、尤もらしく語った処でそんなもんは何の支えにも為りはしない。政治に金が掛からないのは共産主義の国でも無理な事位、分からないのでは無く、そんな綺麗事でごまかしているマスコミの所為だろう。

アメリカの自動車メーカーの追加支援の問題で、アメリカの政治と経済が揺れているが、綺麗事では何も問題が解決しない事位、そろそろ気付かなければならない。電車でもバスの中でも全く無礼極まる輩が少なくないのは、この頃の異変の表れか?

国が出来る事は今日の政治不信を見れば良く分かる。しかし、その本当の原因は自分達に或る事をもう少し真摯に考えなければ、自分達の明日は良くなる事は無い。最近の事件や事故を見聞きしながら、そんな事を痛感する。

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2009年3月25日 (水)

今日もお休み。ワークシュアリング?(これは冗談)

先週山陰の旅の暖かさが嘘のような寒の戻りです。気の早い桜見物の馬鹿騒ぎも今週末は無理でしょう。(親父はそんなに無酔ではないけどね。桜の花は綺麗だけれど、静かに飲めるお酒も悪くはない。酒のみの気持ちは酒のみで無ければ分からない。)

人の気持ちは多種多様。それなのに尤もらしく人に意見をするのは可笑しいのだろう。人間の器はそんな時笑いながら、相手の気持ちを推し量り自分の気持ちを押し殺すのが、問われるのだろう。それを思えば親父のつぶやきもその程度だろう。

それにしても見聞きする事、体験する事は「阿吽(あうん)」の思いを越える事が少なくない。一番苦々しく思う事は無礼、無粋。言葉使いが悪い。それはあんたでしょうと開き直る輩を見れば叩きのめすしか無いのかも知れない。流石にそれは出来ない。口で負けて手を出すのは最低だと分かっているから始末が悪い。今でもヤクダさんの出番があるのは良く分かる。

極道と言われる人に悪人はいないとも言われるが、堅気の人間に極道にも劣る最低な輩も少なくない。彼等、彼女等に無いのは義理、人情かも知れない。(古い)。古い人間とお思いでしょうが・・・昔、そんなヒット曲が有った事すら知らんだろう。

ワークシュアリング?この言葉も耳慣れないが、親父達が若い頃には仕事量が多くてどれだけこなせるか(消化)が問われていた。何時まで出来る?どれだけ出来る?品質は大丈夫?その事だけが問われて来た。その事を考えると何と様変わりな事か?

高度成長の時がバブルと金融の危機で砂上の楼閣となっても、人の生き方は何も変わらないのかも知れない。それでもワールドシリーズの最後でイチローが言った言葉は、今後の教訓かもしれない。「神が下りて来た」何処から何処に?その言葉の意味がこれから問われる。

自分には何も出来なくても「日本人で良かった」と涙する単純な気持ちはなくても、生きていて本当に良かったと思える時を実感できるには生活の質の向上だろう。人はパンのみに生きるのでは無いとも言われるが、不自由なくパンが手に出来る当たり前の生活が、実はそうではない事を噛みしめて居なければならない。一億総中流と言われた時は過去の話になる。その事が分かっていないと当事者にならなければ分からない。(お前に云われるまでも無いか)。多くの人が多くの思いの中で生きているのはそれ故かもしれない。

昨年のアメリカの金融破綻は金融工学の間違いではなく、この国の住宅神話がバブルであったようにそれ以上の価値の毀損だった事が分からなかっただけかも知れない。大体、金融工学なる理論がおかしかっただけで実体経済のサイクルを無視した永遠の繁栄など有り得る筈が無い。そんな当たり前の事を見逃したエコノミストの信頼性は後世の笑い物である。その反省も未だ明確ではない。政府の援助を受けた企業の幹部にボーナスとは間抜けなほどにも、歩度がない。アメリカの繁栄とはその程度の物だったとしたら、そのアメリカに大きく輸出と金融を依存しなければならないこの国は、同じ穴の狢(むじな)とも言える。(コラ、非国民…この言葉も戦前の国策を批判した人に浴びせた言葉。でも本当の非国民は間違った軍国主義者だった。)。今、改めて国の在り方とそれぞれの生き方が問われている。

でも実際はどうなのだろう?政治と経済、日々の生活の問題が明確に出来る人は少ない。こう言っただけで「あんたはどうなの?」と揶揄(やゆ)される。関西弁で言うとちゃちゃ。この言葉の意味も悪くは無いが自分の足りなさを相手に転嫁している。

今、景気が悪くおおきく仕事量も少なくなっている。当然手取りも少なくなり夫婦共稼ぎも珍しくない。残業で稼がなくても基本給だけで食える人は少なく、その基本給さえカットされては生活の基盤が揺らぐだろう。しかし、本当に苦しい人は生活弱者だろう。

生活弱者?実際は生活強者なんて少数だからこの言葉もおかしい。自分は生活弱者の認識が無くても年収200万以下は強者とは言えんだろう。その事が分かって無い。この事が人事の様に思われている。生活弱者とは何も非正規労働者、ホームレスだけではない。

失業率も今5%の前半?でも企業が抱えている今日の余剰人員を考えると失業不安は小さくない。もうすぐ4月で新年度が始まれば状況は変わる?急速な回復は暫く望めないとしたら、如何するのだろう?。そうならない為にも政府施策の景気対策が求められているが、経済の知識が有ればこの不況の大きさは、是までのアメリカ頼りの政策に比例する。

先週末から今週に掛けて株価が大幅に上昇しても、景気の回復はこの国の経済構造が変わらなければ難しい。そう考えれば数年掛かるかも分からないこの不況。その事が分かっていない。その代償の大きさにどれだけ耐えれるか?その事がこれから問われる。

ワークシャリング(仕事の分かち合い)。この意味も自分の都合で理解されているに過ぎない。本当の仕事の分かち合いはどんなもんだろう。それぞれがそれぞれの能力と働ける時間に合わせて、持ち味を生かす。それで生活が成り立つ。それが本物だろう。

今、多くの事が尤もらしく実態の深刻さに目を向けないで、それとも分からなくている。とっくに国民の支持を必要とした政治家は、100年に1度とかの言い訳をしながら切れ目のない景気対策に奔走している。でもその対策とやらは民間の活力が出るまでは歯止めにすらならない。

アメリカの金融危機の取り組みも毀損(きそん…失われた損失)金額が確定していない。この国のバブル崩壊後の低迷が10年掛かったが、その時政策の無策を揶揄(やゆ)された。そのアメリカが払う代償は今言われている金額(1兆ドル)の10倍を超えるとも言われる。

アメリカンドリーム、消費大国、金融大国、経済大国、アメリカは軍事力を背景にした世界に類を見ない経済大国です。その国の経済発展が破たんした時、政府がどんなに税金を投入うしても、その補てんは限定されている。これからその試練との戦いが始まる。

今、ニュースを見ているとキャスターが喜々としてワールド、ベースボールを優勝し帰国した選手にインタービューしている。確かに素晴らしい。しかし、これから勝負のシーズンが始まる。何時までも喜んでばかりは居られないだろう。他に伝える事は無いのか。ラジオを聴きながら馬鹿にされている。

本当の景気対策は国民が何を求めているかだろう。これが難しい。更にそれが明確になったとしてもそもそも景気対策とは環境造りだろう。景気が悪いのはお金の廻りが良くないからだろう。良くお金は天下の廻り物と言われる。どれだけのお金が何処から何処に廻っているのだろう?

景気対策とはそんなもんだろう。政府が生活給付金とか高速道路の通行料を1000円とか、そんなもんではないだろう。労働組合も組合員の利益の代弁しか出来なくて、何が雇用の安定だろう。この国は社会主義でも共産主義の国でもない。金が無ければ仕事が無ければ食えない事にどれだけの人が気が付いているのだろう。

皮肉な事にこの小さい街でも年度末の予算の使い方とその報告で、多忙の時を行政は追われている。公務員に無駄は無いと嘯いた(うそぶいた)行政の改革は何も出来ない。それがこの国の実態である事にどれだけの人が気付いているのだろう。

サムライジャパン。野球の選手達は本当によくやったけれどこの国のリーダー達は、何をやっているのだろう?1日でも早く国民の支持を問い本当の景気対策を期待する。無理だろうけれど・・・。今日は何日25日か。4月になればペナントレースが始まる。

もうすぐ4月。桜の満開の時を迎える。庄川の桜。知らないだろう。知る由も無いか。何時かは行きたいと思い始めてどれだけの歳月が流れただろう。岐阜の山を越え富山に入る途中のダム湖の上に移植された大木は其処にある。多くの思いが込められた桜の老木は其処にある。

満開の時は4月の中旬。今年は今は寒の戻りだけれど満開の時は早い。インターネットで検索して見てもその華やぎは分かる。しかし、本当の感激は湖上を吹き抜ける風を感じながら見る桜花だろう。4月5日には阪神仁川で桜花賞が行われるが、その興奮に勝るとも劣らない感動。今年もまたその喜びは先延ばしになるのだろうか?名古屋から富山の桜の街道もバス路線の廃止と共に忘れ去られるとしたら、急がなければならない。

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2009年3月24日 (火)

桜は咲いたけど、明日から寒の戻り。そうだよな。まだ早いよな。

P1000008 オイ。帰って来たか?山陰の旅、どうだった?

行って来ただけ?御苦労さん。

処で今日は何様だ?

今日は月曜日です。近くのパン屋に来たついでです。

ついでに来たのか?まだ早い。花はつぼみ。幹は年寄り

御冗談がキツイ。・・・お前には負ける。

(様子を聞いて曜日を答えるか。若いの)

花が咲くのは10日先。イヤ、月末か?ドッチボールなんちゃつて。アホ・・・

P1000007_2 空は青いけれど枝葉は暗い。

スズメの様なつぼみも、もうすぐ空が見えない位の、

ピンク色の花びらを広げるだろう。そう語りかけている。

これまでどれだけ多くの人に、どれだけの言葉を語り

どれだけの感嘆の思いを、与えたのだろう。

照れるな。雄々しく羽ばたけ。今年は親父もその中で

明日への思いを重ねて見たい。

(それ程でもない。空は青く花弁は綺麗でもそれは一時の幻影。本当に見て貰いたいのは若葉の頃。)

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2009年3月23日 (月)

携帯のカメラショットに旅の記録がありました。

P1000001_2 このタイルの彫りは山陰線宍道駅の物。

下に映っているのは水面ではなく駅のプラットホーム。

このアングルで撮ったのは博多の君への贈り物です。

このショットが撮れていたのも、新しい携帯のお陰。

このホームの左に渡線橋がある。そう田舎の佐伯駅のあれと同じ。階段と通路は田舎の方が大きかった気がする

本当は乗り換えた木次線のスナップが有っても良いのに

P1000005_2 このスナップは宍道駅に着くずーと前の物。

城崎温泉に着く前。斜め後の若い女三人組のデカイ声に心、穏やかでなくイライラしながらそれでも、もうすぐ到着の終着駅に何故か、ほっとしながら広い河口の川にぼんやりとしていた。

城崎に来たのは結婚する前、上級職試験の前。なんか偉そうにしていた気がする。この歳になっても何も変わっていない。そう、お馬鹿になれないお馬鹿です。

でも気にする事は無い。後ろの三人衆も人の批判は出来ても、自分達の事は笑ってごまかすしか無いのだから

P1000002_3 このスナップは右が天、左が地です。まだ画像の90度左反転が出来ない。そのうち出来るかな?教えて下さい。

城崎温泉駅から浜坂行きの普通電車の中、余部鉄橋の上からです。この鉄橋から強風にあおられた列車が転落したのは、君達が小学校の時。あれからどれだけの歳月が流れたのだろう。今、この鉄橋は取り壊される工事中

このスナップは貴重な景色になるかも?

親父は高所恐怖症。この高さはハンパではない。

P1000007 これはこの前紹介した近くの桜です。本当は旅の写真

もっと紹介出来たのに、殆ど撮っていなかった。

今日、偶然近くの携帯ショップに他の用事で立ち寄った時、携帯の画像の取り込みを教えて貰う。メモリーカードに画像の記録が出来る。凄いな。それでもここまで出来るとは感激です。教えれ呉れてありがとう。

マイクロSDメモリーの小ささに親父のごつい手が、こわばる。このスナップはこれからの春の前兆かも?「芽出度さも暫くは寒の戻りで、おらが春」

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2009年3月20日 (金)

8年前の仕事、思いでの宿、何にも変わらず、変わったのは・・・

昨日から五連休。昨日と今日、思い立ったら吉日と八年振りに木次(きすき)に行く。木次と言われて分かる人は少ない。島根、宍道駅から木次線に乗り換えて30分の所に在る。駅の近くの宿に泊まり、雪の舞う年末と氷柱(つらら)の下がる二月の二回、合わせて半月前後土方仕事をした。寒さは気に為らなかったが歳たけて山に分け入り力仕事をするのに、何故か不安の思いは0だった。あの仕事を始めて数か月経ち、要領にも慣れてきた時だったのかもしれない。広島の現場監督の人は年長の親父に親切だった。

あれから8年。色んな事があったがそれでも忘れた事は無かった。「一度、行って見たい。」その思いが今回の行動となる。お金を用意して下着だけをカバンに詰め込み、「唯、行くのみ」それだけだった。普通、旅の目的は観光か温泉?それとも家族旅行?行って帰るだけの旅。それだけだった。

行きは福知山線から山陰線を乗り継ぎ、米子、松江、宍道、そして木次。朝九時半に出て途中、城崎、浜坂を乗り継ぎ鳥取、倉吉経由の旅は快適とは言えなかった。福知山まではオバはんの団体、城崎温泉までは3人の若い娘?我が物顔の奇声、低俗な会話(旅は恥のかき捨てではない)。気を紛らわせながらの時間は短くは無かった。

それよりも残念無念だった事はデジカメのメモリーをパソコンに入れたままにして、持参しなかった事、カメラだけの持参では無用の長物。結局この旅の画像挿入は出来ない。もう一つはこれはレベルが違うがJRのサービス。利用者の利便性、快適性、満足性を無視してまでも何をやろうとしているのだろう?収益性?それも違う。結局目先の事しか考えていない事をこの旅で何度も思い知る。旅に出て不快な思いをするほど気分の悪い物はない。

最初の出来事は木次までの切符を買うみどりの窓口で言われる。気合いを入れてお金を用意して先客の後に並ぶ。朝の8時半過ぎイライラしながら順番が来たと思いきや、担当の青年が意外な言葉を口にする。「コンピュターが不調です。現金のお取り扱いは出来ません」。

「オイオイ。冗談でしょう。切符は何処で買うの?」「申し訳ございません。外の自動発券機でお願いします。カードでしたらお取り扱いします」言葉は丁寧だけれど親父を馬鹿にしている。それとも正直だったのかも知れないが・・・。

「自動発券機で松江の先まで買えないだろう」「コンピュターの所為にするな」親父のテンションの高さに青年気遅れをしたのか、手作業で対応して呉れる。トラブル時の対応どうなっているのだろう。そんな事を考えながら目的地までの切符を手にする。

早めに来て良かったのか悪かったのか?乗車の特急を待つ間、改札前で何気なくJR西日本の社長名の企業の取り組み決意のボードを目にする。何故か、タイトルが無い。先の大事故のお詫びと今後の取り組みの決意が述べられている。?何も変わらず何も改善が無いと指摘されても、利用者の声など如何ともし難いのだろう。それにしてもひどい。これが民間の活力ではないだろう。

楽しかった事は城崎で浜坂行きの普通に乗り込んだ時、同世代(実際は二つ上)の親父と話が合う。最初の会話は親父から。「どちらまでですか」「松江です」。2両の列車は思いの外乗客で空席は少なかった。車外の日本海の風景が何故か故郷のそれとは異なり、眼下に見えた。

日本海の風景を感じたのは皮肉にもこの時だけ。旅は出来れば各停か急行位か。その事を鳥取からの快速電車で思い知る。早い。しかも乗車券だけの運賃。でも乗り心地が悪い。揺れる。うるさい。話は出来るがゆったりとした気分には成れない。

倉敷から米子の間は何故か長かった。隣の青年が意外にも終点の松江迄でしかも、けつを横にしていた。無礼、非礼、それでも親父達の会話は途切れなかった。青年も煩かっただろう。合席の親父は横浜の人だった。(今日はここまで。パソコンの調子が悪い)

横浜の親父と松江で別れ、宍道(しんじ)で木次線に乗り換えやっとの思いで目的の見慣れた駅に着いたのは夕方の5時を廻っていた。長旅にほっとしながら駅前の風景は何も変わっていない。8年前仕事の車を止めた銀行の駐車場もそのままだった。

後半月足らずで満開の桜も怪訝な(けげん)な顔をしながら、それでも懐かしい顔をつぼみの喜びで迎えて呉れた。本当に何しに来たのか分からないと思われても親父の心の中は、8年の歳月が何よりの歓迎だった。何の為に生きたのか分からなくても無上の思いが込み上げて近くの宿に急いでいた。

「こんにちわ、御世話に為ります」何気ない言葉に8年振りの元気が響く。「いらっしゃい、お久しぶりで」宿の主人も変わりない。何か長い歳月が一気に逆回転した気に為る。案内された部屋も何も変わりはなかった。変わった事と言えば親父同様に古くなった事かも知れない。

仕事で来た二日目(仕事一日目)現場の斜面のガレ場で足を滑らせ、夜、足がつった畳の上も其の侭だった。流石にあの時はやるせない思いで足をさすっていたが、次の日、監督が気を使ってくれた。あれから多くの年が流れ今はお互い何をしているのか、知る由も無い。

仮設のモノレールの工事(と言っても多くの人は分からない)。重量物を運ぶ。そして仕事が済むと撤去。あの仕事も結構ハードだった。親父が怪我をしなかったのは偶然ではなく、サラリーマンの時会社で安全管理の知識が有ったからだろう。危険予知、怪我の怖さを一時でも蔑ろ(ないがしろ)にしていたら、今の命は無かったろう。そんな危険と背中合わせの仕事だった。

今となって見るとそれも貴重な体験だった。宿の食事は板前の弟がしてくれた。山陰の海の幸、家庭の温かい味が其処には在った。今回の目的の一つは其れだった。飲めないビールをイッパイ。上手に食えないのどぐろの煮つけ。オデンの小鉢。ジュンサイのさんばい酢。お腹一杯には為らなくても〆は卵雑炊(ぞうすい)だった。

夜は隣の親父の咳払いを気にしながら、何時しか眠りに落ちていた。何処にも出掛けず飲み直しもせず品行方正。静かな夜でした。翌朝は7時起床。そして朝食。祭日とは言え朝は早い。帰りはバスの旅と思っていたが予約で満席。夕方の便しかなく、電車にする。

昨日の山陰線の旅に懲り、帰りは松江から伯備線で岡山に出る。関西から島根への旅はこのルートが早い。しかし特急やくもで中国山地を越える旅は驚きの景色だった。改めてこの道を調べて見たくなる。この鉄路も難工事だっただろう。今の時を生きると格好を付けて見たところで、何も知らない。先人の開拓者の思いと歴史。私達は本当に何も知らない。

先日の旅もそうだったがJRの旅は何故か、駅弁が買えない。駅の停車時間が短く弁当屋さんが居ない。車内販売も途中から。弁当も特産品が少ない。「何でだろう?」利便性と利潤の追求の結果としたら、余りに哀しい。「弁当、弁当、お茶入りませんか?」

途中からの車内販売で幕の内弁当ゲット。本当は違うのが欲しかったけれど。それでもご飯は美味かった。おかずが負ける。それでも残さず完食。窓の外を二度と見れないと思うと何故か愛おしく、次の機会はゆっくりと車の旅を期待する。出来るかな?出来ないだろうな。

岡山で新幹線乗り換え。ここで最後のトラブル。ほんと乗り換えの自動改札は驚き。在来線の特急券と新幹線の特急券、目的地までの乗車券三枚を同時に投入し、一枚は回収、二枚が出てくる。この時後ろの女性が親父が切符を取る前に、投入する。アホか。

アホではない。この機械がまだ完全では無いのだろう。案内のサービス担当が居るが要領も得て無い。この三枚を一瞬にして処理するには一人分が済むまでは投入出来ないようにバーが出る。そのタイミングが早くて二人分が重なる。どないなってまんの?

親父が後ろの女性と切符のやり取りを係員立会いで済ませ、立ち去ろうとすると女性が納得していない。間違いが解消されていない。親父がクレームを付けると開き直る。「一諸にしたのは私ではない。あなた、その言い方何ですか?」流石に親父もブチ切れる。

あの自動改札機、上手く行くのは何時の事だろう?まあ、年寄りは駅員のいる処を通るべし。新幹線は早かった。しかし揺れる。レールの土台は大丈夫?余計な心配をする。新幹線が西に開通したのは昭和の四十年の前半。「ひかりは西に」なんかそんなキャッチフレーズを聞いた気がする。あれから四十年余。どんなに揺れても無事故だから文句は無いか。

新幹線の旅は早かった。新大阪の改札口も自動。ここは特急券のみ回収。岡山程ややこしくも無い。後ろの重なりも無い。これがサービスと言うのだろう。駅員の数だけ減らしてもクレームが増えれば現場の混乱は計り知れない。今度の親父の一人旅でもその事を思い知る。

親父は文句が多いから多くの人に嫌われる。それでも効率と利潤の追求はこれから多くの矛盾をさらけ出すだろう。人の仕事の効率が追求されても経営の効率が問われる事が無い。経営の効率が問われても官僚の効率が問われる事が無い。この国の在り方が問われても政権の在り方が問われる事が無い。親父がおかしいのでは無くおかしい輩は他に居る。

そんな恥知らずの一泊二日でした。お疲れでした。又、機会を見て行きます。今度はデジカメのチップも忘れないようにします。お粗末でした。

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2009年3月17日 (火)

太平洋と日本海をつなぐ桜路。偉業の影に家族の犠牲。

Img_0274 反対側の電車はこの時間でも空いてない。

親父の乗る車両はガラガラ。

ここが親父の指定席。ここに座れば一日の始まり。始まり。すぐ寝るけどね。

7時丁度の宝塚行き普通です。

Img_0275 始発のバス停。座れるがタイミングが悪いと2人掛けのシートか、喋りかデカイのが来る。

7時25分発車。遅れる事はない。

このバスでも寝ている。でも目が閉じて居るだけ。心は仕事の事、準備OKです。

Img_0277 右側が阪急、左側がバス停。

この景色を見る事もなく、この陸橋を渡る。

何気ない風景に歴史の積み重ねがある。

阪急電鉄創始者、小林一三氏の夢がここにある。

Img_0276 宝塚歌劇の街。

駅の前には楽器のモニュメント。

この街の賑わいは人の往来にある。

遊園地が住宅展示場に変わっても、賑わいに変わりはない。

Img_0279 話は替わるが一日の終わりは、これです。

美味い物を口にする時、元気が出る。

元気があれば何でも出来る?

元気は食い物と睡眠です。

これから暖かくなる。去年は息子の計らいで愛知豊川桜淵の思いでの桜に会えたが、今年は念願の荘川桜が見えるだろうか?

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2009年3月12日 (木)

高速道路の通行料金が1000円?アホか

景気対策らしい。高速道路の通行料金がEТC(electronic、toll、collection)機器搭載の乗用車に限り、原則何処まで行っても1000円とか。1000円なら大阪から九州まで行く。行けるなら行って見ろ。車は走る凶器であり棺桶でもある事を思い知るだろう。

高速道路の通行料金が高いから利用しない、出来ないのも事実であるが、1000円にすれば間違いなく一時的には車で溢れるだろう。しかし、高速道路の多くの車両はトラック貨物、業務用であり、邪魔になるだろう。土日だから大丈夫?役人の考える事はその程度なの?

EТCの申し込みも多いと言う。5000円の補助?誰がお金を出すの?その事が分かっていない。そのツケを払う前に一番大事な物を失ったり、怪我をしても誰も恨む事は出来ない。車を運転する事、高速を走る事の重みはどう考えて見ても1000円では換えられない。

先日もイエ、ずーと感じる景気対策はチョト違うと思う。アメリカでも同じ、資本主義でも共産主義でも、社会主義、イスラム、アラブ、中南米の反米国家でも政府の出来る事は夢を語る事だろう。出来るか出来ないかではなくて後戻りはできない背水の陣。そんな施策を語らなければ国民の支持はもはや期待出来ない事を、為政者はどの程度理解しているのだろう。

景気対策。その言葉の意味を重く受け止める時は過ぎ、今は底抜けの状態に為っても政府に期待するしか無いのだろうか?100年に一度の経済と言われるが、仮にそうだとしたら100年に一度の思い切った施策が必要だろう。現実の厳しさを知れと思っても変わらないのがこの国の歴史かも知れない。

今日の経済新聞で君の会社の来期の中期経営計画の見直し数値を見る。厳しい価格と品質の競争に打ち勝つには並大抵の苦労では覚束無いだろう(おぼつかない)。それが出来るのがこの国の民間の企業かもしれない。しかし、その民間活力にも陰りが出る。大変だ。

今月は多くの企業の年度末。金融の貸し渋りと貸し剥がしが交錯して金融に余力のない企業は困難の時を迎える。景気のターニングポイントはこの時だろう。月末凌ぎ切れば何とかなるかもしれない。親父の甘い見方です。でも当たりでしょう。来月はもっと厳しくなる。

その時、政府に為す術は在るのだろうか?それともお間抜けなマスコミも手に手を取って綺麗事を並べるのだろうか?景気対策、雇用対策、どんなに多くの言葉を並べても夢が語られなければ、信任の声は盛り上がる事はないだろう。

国に出来る事、国に求めれれる事は少なくない。このままでは儘為らぬからと言われても闇雲には税金の投入は出来ない。その厳しさをどのように説明するのだろう。その事が問われるのもこれからだろう。リスクマネーを金融機関が出さないのは当然であり、その代役を政府に求めるのも無理だろう。資本主義の経済の在り方も問われている。

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2009年3月11日 (水)

昨日あんなに暖かかったのに、今日はチョト寒い。

三寒四温。音感の良い四文字熟語ですが、最近は余り聞かない。この頃の若者と成人は何と言ってるのだろうか?親父の愚痴に為るが最近耳触りの良くない言葉が多い。おそらく季節の言葉は余り口にせず、人の気配など気にしていないのだろう。嫌だにぃ。(何処の言葉だ)。静岡だに。故郷大分県南ではもっと生々しい。「うんだーいや」・・・おい何処踏んだ。

冗談はそれ位にして今年ももうすぐ春です。どんなに顔をしかめて寒いとか雨だとか温暖化とか、もったい付けた処でお天道様は気まぐれです。最近、どうでも良い事に老い先短い歳月を費やす元気が失せています。まだそんな年ではないと言われても、眼に映る風景は田舎の原風景です。そんなもんに価値が無いと言われても、人は何時かは土に戻るのだから。どんなにわがもの顔で生きていたとしても、人の存在感はその程度の物です。

昨日は睡眠不足でくたばっていたけれど、今日は楽しい事がありました。阿吽の呼吸と言っても分からないかも知れないが、気配りをせず想いのままに言葉を重ねられる人には、なかなか出会う事が出来ない。それが4人も出会えただけで本当にラッキーでした。

その二人とはこれからも会えるけれど、あとの二人とは会える事はないかも。あるかな?多くの人との出会いがその場限りでも、その人の魅力は失われないだろう。そんな生き方をしなければいけない。本当の話し上手は聞き上手であると言わるが、その条件は実は厳しい事を最近痛感する。聞きだすだけではなくどう対応できるかが、問われている事を理解できるのは理屈では駄目である。理屈抜きでどれだけ聞く耳が持てるかである。

そんな感性の持ち主は少ない。それ故に無常の親近感と親しみを感じる矛盾も、否定してはならない。人の面白さと不可思議はそんな処にも在るのかもしれない。

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夕食はオムライス。部屋に帰ってテレビ見ていたら眠くなる。

日経平均株価が26年前の低水準に落ちている。貧乏人には関係ないと思われる東京株式市場の低迷は、現代の景況感のバロメーターでもある。26年前と言えば君がまだ幼少の頃。親父も若くこの国の経済は外国人から、経済は一流政治は二流と揶揄(やゆ)されていた。国民の生活レベルもようやく安定し、政局は不安定でも今日の様に近未来への不安は感じられなかった。今は世界有数の経済大国になったが、多くの人の生活はそうではない。

株価の低迷は景況感のバロメーターでもあるが、今日のそれは必ずしもそうではない。この国も世界各国の株式市場も外人投資家の割合が増え、経済成長がプラスの時は良いがマイナスの時は危機的状況となる。こんな事は経済の素人でも理解できるが、国の財政政策は長い間、問題の火種を放置していた。多くの国民も日々の生活しか見ていなかった。

この国の経済指標はこれからの景気を判断する上で、悲観的要素が多い。多ければ必然的に生活防衛に走る。自分は関係ないと嘯いて見ても(うそぶいてみても)、そうでない事をこれから思い知るだろう。アメリカの金融危機がどんなに進んでもドルの下落が比例しないのも、この国の活力と国民の景況感に問題があるのだろう。

親父は今のレベルが底だと思うが、7000円の大台が割れると3月危機は大きな転換期となるだろう。親父の感覚ではそれは無いと思うが、株式市場の三分の二を占める大口投資家の売りが進めば、それも分からない。

政府の景気対策は多くの税金を投入しても、効果に疑問を持たれている。生活給付金、高速道の大幅割引、他に何があるのだろう?多くの政策を打ち出されても政府、行政の信頼が無ければ生活不安は変わらないだろう。

久々の仕事。朝起きで緊張していたのだろう。睡眠が足りなかったのだろう。今日は疲れた。仕事の帰りお気に入りのコーヒーショップでオムライスを食ったら、買い物もせず家に帰る。ぼんやりとテレビを見ていたら眠くなる。

未だ7時過ぎ、寝るには早すぎる。それでも毛布を抱えて横になるとテレビの音声が、子守唄の様に聞こえる。8時の歌謡番組もうつらうつらをしながら聞いていた。正気に戻ったのは10時過ぎ、テレビはホームレスのボランティアの番組だった。仕事のプロフェショナルと言うより人生の先導者、奉仕のプロ、そんな感じがした。

さあ、今週は後3日、ジェツト、ストリュームが始まりました。正刀さんの声を聞きながら今夜もお休みです。

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2009年3月 9日 (月)

今日もお休み。体調は良くなりましたか?

Img_0267 市立図書館に行って来ました。

静岡、掛川に居た頃、近くの教員研修センターに併設された図書室に行った事があるが、ここでは初めてでした。場所も分からず昨夜下見をしていました。

感想?利用価値が難しい?財政の見直しの時、これから存在価値が問われる。

Img_0270 近くに立派な公園あり。しかし人影もなく公園の手入れもされずに勿体ない。

行政の長は全国を飛び回り、大阪府の市町村長の代表だけれど、細かい所の目配りは誰がしているのだろう?

街ずくり、村おこし、地域の活性化、地方分権都市への一極集中、多くの問題が指摘されても、主権者の問題意識は余りに脆弱では?

そんな事を考えていました。緑と自然に恵まれても、それは先人の英知です。

今日の混迷の時を生きる、生きとし生ける者達がその恩恵に預かる事もなく、日々の生活に追いまくられているとしたら、天上のこの町の礎を築いた賢人はどんな思いで眺めているだろう。「人類の進歩と調和」、高らかな大阪万博の言葉は今、何処で生きているのだろう?

図書館に行ったのは近くの五月山、ハイキングコースの整備の記録を見たかったから。係の人から市役所の公園課で紹介された本と写真集を見せて貰うが、詳細は分からなかった。昭和27年前後の事、多くのお金と労力を割いて整備された工事と工法は不明だった。

親父が興味を持ったのは一番しんどい高原コース。この道は多くの人が歩けるように道幅も確保されている。沢の尾根道を広げながら石組みを重ねた職人は何処の人だったのだろう。そんな事に興味を持つのは変わり者だろう。今日は何も収穫なし。でも諦めない。

これから大阪江戸掘りの本社に行って来ます。

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2009年3月 8日 (日)

近くの図書館迄、夜の散歩。帰りにお腹が痛くなる。

Img_0261

夜の花壇。iso感度上げて写したが、イマイチ

ぶれている。ぶれないで撮るにはテクニックが足りないのかも?

そのうち、出来ますよ。何しろまだ手探りなのだから。これはフラッシュなし。ぶれて無ければ言う事無しだけれど・・・。

Img_0259 これは好いかも?

これも親父が夜、運動をする公園の梅。

こうして見ると綺麗だけれど、見上げる御仁は親父ぐらいかも?皆、忙しい?

狭い、日本。そんなに急いで何処に行く?

Img_0262 不気味?ごめんなさい。

小学校の何んとかの大木。ウドではないよ。

名前が分からなかっただけ。すみません。

これはフラッシュを焚いてみました。

市立図書館の位置は意外な所にありました。前、住んでいた処から駅までのバスの中から見て居た処。今住んでいる処から東南の方角。歩くと15分は掛りそう。でも歩くには丁度良いかも。立派な建物と敷地。隣接して資料館も有り。調べ物をするには良いかも。

親父が図書館に興味を持ったのは、近くの五月山、ハイキングコースの整備工事について興味を持ったから。市役所公園課長の紹介で参考文献を知ったから。どれ位分かるかな?でもこの工事は数年の歳月と多くの労力を必要とした事だろう。

公園整備工事は昭和20年の後半から、失業対策事業として始められたという。この整備工事を立案した人は先見の明があったと思う。歴史に残る仕事をしただけでなく今でも、多くのハイキング愛好者だけでなく親父の様な年寄りが、息絶え絶えに歩いている。体に活を与える為に。この道を後世の人がこれ程に活用するとは思われなかっただろう。

しかし、景気の腰折れで雇用の不安が危惧されている今日、50年も前に失業対策として五月山の治水、治山、そして市民の憩いの場として活用を計る。昔の人は考えるスケールが違う。現代人は先人の財産を食いつぶして生きている。このツケを後世の人はどんな思いで払うのだろう。その思いだけは忘れてはならない。

明日、先人の知恵を学んできます。体調はどうですか?季節の変わり目、体調には気を付けて下さい。親父も食い過ぎで散歩の帰りにはお腹が痛くなりました。下痢。幸いに何とか家まで持ちました。最悪。親父の日常はこんなもんです。昨日、仏壇の埃を綺麗にしました。

その内又、良い事があるでしょう。Good、rackです。お体を大切に。

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2009年3月 7日 (土)

夕方、散歩に行きました。池田も良い所?でもコースは変わらず。

Img_0254 辺りは暗くなっていました。

お気に入りの大木。でもフラッシュが?

この木は親父に力と勇気を与えてくれる。

木肌を触ると何とも言えない気持ち。

Img_0255 君も大木。コンクリートの柱ではない。

親父の思いがフラッシュでボケている。

フラッシュの使い方、勉強して下さい。

Img_0258 これもアカンなあ。

ぶれている。フラッシュの使い方駄目。

でも暗闇をこれだけ切り取れればОKかも。

後は手ぶれをなくしてね?

Img_0257 これもブレテいる。でも親父の散歩コース。

この下りの階段は、下の住宅地につながる。

今日も歩けたと満足する時です。

池田の街にもこんな穴場がある。

今日のスナップは失敗です。之もまた勉強。失敗を重ねて進歩するのは何事も同じ。失敗の無い処には成功体験も無い事を、思い知れば良い。何事も口先で言うほど簡単ではない。事の本質は事ほど左様に複雑奇怪です。研修で学んだ言葉で今でも忘れて居ない事は次の言葉です。

「何もしないで取り澄ましている人間より、何かをしてそして恥をかく人間の方が、どれだけマシか分からない。人は人に笑われながら成長する」  君に贈る言葉です。

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2009年3月 6日 (金)

啓蟄の時、春を待つのは虫だけではない。

Img_0250_2 お気に入りの写真、大きくしてみました。思い通り以上の臨場感。老木のつぼみとは到底、思われない。難を言えばピントが何処に合っているのか、でも其れもまた宜し。

桜のつぼみが枝に負けていない。この絵の中には無いが老木もまた、負けていない。空の青さがすぐ其処に来ている春の時を、知らせている。枝先のその色は水彩画の様でもある

次にこの老木の全景お見せしよう。巧く行くかな?

Img_0249 パチパチ。巧くいきました。写真も良く撮れているし感激です。

この桜木の老木は親父が生きて来た歳月より、長く生きているかも分からない。

舗装された道路が出来た時、この木は残された。それだけの存在感が在ったのだろう。

でもその前から確実に老いの時は迫っていたのだろう。この幹を見れば分かる。

それにしてもこの生命力は何なのだろう?この正面に突きだしている腕の様な枝。幹ではない。上の写真はこの枝派から延びている。あーあ、何たる感動。そしてこの新たなる春を待つ息吹。密やかに朽ちる事もなく、五月の山の空洞の幹にも負けていない。

Img_0125 今年も綺麗な花を咲かせて下さい。そしてこの親父にも又、大いなる力を与えて下さい。

午前零時を廻りました。FM放送のジェット、ストリームも始まりました。

早く寝ないと朝の起床がしんどい。PM六時半起床。今週もあと一日です。お休みなさい。

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2009年3月 5日 (木)

今日は啓蟄。そうです。虫が眠りから覚めそろそろ、動き出す頃。

Img_0247 近くにある幡織(はたおり)伝承の地。

染殿井とは糸を染めた跡地なのだろうか?

この街は戦乱の世が治まった後、交通の要だけでなく織物、酒造の街としても発展したのだろうか?

Img_0248 この街には綾羽とか呉羽とか言われる地名がある。鳥の容をした織姫の幡織伝承は、ロマンに満ちた話だが、こんなゆかりの地が近くに在るのは、何とも嬉しい。

この一等地にこれだけの跡地を確保するには、関係者の並々なるぬ想いが有るのだろう。

Img_0250 反対側の桜の老木。つぼみが膨らんでいる。この地の開花予想は今月末。

啓蟄の今日の景色にピッタシです。

背景の青は空の色。なんか写真の撮り方がプロ並みと思うのは親父だけ?

上下に伸びたつぼみからどんな桜、咲く?

Img_0251 このお店も一度、入って見たかったお店。

住宅地のパン屋さん。

どんなお店か、知らなかったがケーブルテレビで紹介されて、足を踏み入れる。

手造りのパンが雑然と置かれているが、残りは少なかった。味?偽り無し。

今日もお休みでしたが春、うららの感じ。部屋に居ると廊下と開け放された部屋から、ジャかましいオバはんの声が聞こえる。話好きのオバはんと酒飲みの老婆。(それはかわいそう)。こんな日は自転車で近くをサイクリングすると、色んな発見がある。もうすぐ、春です。

春なのに春なのにお別れですか?涙の出ない思いの中で一人で車の運転をしていた時が思い出される。春なのに春なのにと歌っていたアイドルも先日、久しぶりに歌声を聴く。干支が一周した歳月はこれ程に長いのだろうか?そうしてこれからの十二年、どう生きるのだろう?(それ程の物でもないかも)

景気の低迷が続く。この閉塞感を打破するにはリーダーの交代しか無いと思う親父の思いも、天には届かない。啓蟄の時は暖かさと雨の時が重なる。今夜から雨の天気予報。近畿南部は雷もありとか。春雷、雪おこしの言葉は聞くが蟄雷(ちつらい)とか。そんな雷の時。

今日、パソコンのセキュリティーを更新する。プロバイダー(パソコンサービスの契約先)、コールセンターのお姉さんと親父のやり取りは、長く続いた。始めはスムーズでは無かったが・・・。(セキュリティ―ソフトの更新はプロバイダーの勝手では無かった。親父にはそれが分からなかった。)大体、パソコンソフトのセキュリティーと言われてもこの爺には分からない

やり方が確認されると後は、言われるままクリックするだけだった。それでも結構の時間が掛かる。お姉さんも親父の感謝の言葉に恐縮していた。何の仕事でも相手を満足させるのは難しい。どんなに丁寧な仕事をしても相手の気持が分からなければ噛み合わない。

噛みあわせ。この言葉は歯だけではない。全ての物事に通じる。そしてこの意味が分かる人も少ない。歯は命と言われても実感が無いのと同じように。失って知る言葉さえその意味が分からなければ、そのままで生きて行けると思っているのだろう。

あんたはどうなの?親父?親父は粗忽(そこつ)に見えて実はそうではない。ジャガイモ?目つきの悪いおっさん?へこへこして根性がない?人は見かけに寄らないとはこの事だろう。親父の時代は終わりから逆回転が始まっている気がする。甘いだろうか?あんた次第。

wbc の行われている東京ドーム。レフトのフェンスに数年前仕事をしていた会社の広告看板がない。三億円の三年契約は終わったのだろうか?余計なお世話だが気に成る。派遣切りの影響はこんな所にも出ているのかも知れない。

先日買った携帯。高い買い物。その価値も使い方で決まる。これまでは通話とメールオンリー。これでは勿体ない。もったいないとは古くて新しい言葉。この言葉の意味も長い間死語となっていた。価値観の多様化の今日、価格破壊が経済の台風に為っているがそれだけではない。どんなに安くても価値があると思われている間違いに気付くのは何時?

親父はこの携帯を眺めながらその技術の粋(すい)に感激しています。このテクノロジーをつかいこなさなければ、勿体ないと溜息を吐く(つく)しかないでしょう。説明書を読まないからどうしょうも有りませんが、ショップの彼女が頼りです。迷惑と言われても使いこなせるまで食い付けるかな?

景気は悪いと言われてもこのお店は、何時も客が多い。何故だろう?携帯の人気は衰えていない。機種の買い替えで客を奪われたドコモも根強い人気があるのは何故?安さで無い事に間違いはない。安心感?満足感?親父の様に自己満足かもしれない。

これから近くの公園で足上げのストレッチをしてから、夕食の買い物。今日は何にしょう?母さん良く言っていたなあ。明日は三月六日、忘れられない一日です。でもそろそろ忘れなければいけない一日かもしれません。

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2009年3月 3日 (火)

なごり雪と言うには余りに羽毛の様で雨に変わる。寒くも無い。

Img_0246 駅ロータリーの進入路。でも直進も出来る。昨年、この道路は拡張される。

理由は、直進出来る様になったから。しかし、この先には私鉄の高架があり、それまでは車両の通過は出来なかった。

それが通れる様になったが、その先の直進道路は道幅が狭く、一方通行。

Img_0240 直進は出来ない。道路の矢印は直進と左折の表示だが、これは先の高架下まで。その先は右折しかできない。その道も①車線。

その為にこの拡張された道路の車の通行は①車線。両側のゼブラ表示は通行禁止の表示。(道路交通法の表示?分かりにくい)

その為にこの両側車が止る

しかし、良く見るとここは駐車禁止の表示がある。それよりもこの先には横断歩道とその表示もある。手前から進入した車のスピードは遅くない。両側に車が止まればどうなるか?分からないでしょう・・・・横断歩道上の歩行者の発見が遅れる。

車の運転手は横断歩道上の人をはねた場合、怪我の程度にも寄るが大きな過失を問われる。万一の時は交通刑務所に入らなければならない。その事をこの道の両側に止める運転手には分からない。この道の管理責任は何処にあるのだろう?そうしてこの道の姿がこの画像の様にすっきりするのは何時の事だろう?(今でも出来ている?それはタイミング)

喫茶店は先の高架の手前にある。角の店。何故か人の流れが高架の先に有り、手前の道を道路標識の様に左折する人は多くない。この先のアパートに住んで早六年、大阪に戻って半分以上の時が過ぎても、その理由は良く分からない。おそらく人の住まいがその先に多く必然的に買い物が出来る、食事が出来る、ラーメン記念館がある、パチンコ屋が在る、そんな処が当たりだろう。

親父がこの店を知ったのは前の経営者の時。昨年店を閉めた。余り儲からなかったのだろうがそれでも良かったのかも知れない。お店の雰囲気も平凡でしかし、モーニングは旨かった。それだけでこの地に住んでから時折、顔を出していた。モーニングコーヒーとサラダの小鉢、ゆで卵が美味かった。それでも親父の評価では当たり前。どれか一つでも不味ければ二度とは行かなかった。

そのお店が今年になってリニューアル。マスターが変わる。感じが変わる。「いらしゃいませ」「ありがとうございます」「またどうぞ」何気ない会話に元気が在る。元気が在っても味が悪ければアカンし、味が良くても感じが悪ければ二度とは行きたくないし。感じが良くても居心地が悪ければ足は遠のく。ホンマに商売は難しい。それでも多くのお店が成り立つのは何故?

それはそう見えるだけ。これから多くのお店が景気の直撃を受け、安いお店で無ければ生き残れないのかもしれない。でも本当にそうだろうか?親父的には違うと思う。この国の人達はマスコミや一部のエコノミストが言うほど断片的では無い。

確かに報道される事、人が語る事、人が開き直る事、猿でも出来る反省が出来ない人、そんな人も少なくはない。それでもそんな現象も全てでは無い。確かにどうしょうも無いと思われた事も少なくはない。親父も長い間そんな見方に凝り固まっていた。今でも多くの勘違いも少なくないけれど、最近強く感じる事は陰と陽。陰の醜さには見向きもせず、陽の眩しさに心を翳せ(かざせ)ば良い。御来光の時の感じる無為の感動。そんな見方も出来る様になった。そうでなければ人が人らしく生きる意味すらない。

今までは当り前と思われていた事がそうでは無くなる。人や組織、地方と国の在り方、自分は関係ないと思っていた事さえ、現実の問題として突き付けられる。その時でも自分は関係ないと平然と出来るのだろうか?人をおとしめる事が簡単に出来ると思っても、自分が当事者だと感じる人は少なくない。これからその事が問われる厳しさをどの程度、理解しているのだろう?〇かも。

車を運転した事が在る人なら(今でもハンドルを握っている人は言うまでも無い)分かるが、次の瞬間何が起きるのか、全く予感は無い。それ故に事故は必然的でも自覚も無ければ予知意識を少なくない。そんな事を考えていたら運転なんか出来ないからだろう。

車の危機回避能力は性能的には大幅に向上しても、人の判断能力は慣れと不慣れで改善されない。それなのに何の不安も無しに運転が出来るのは何なのだろう?人間のあさはかさではなく便利さとは代えられないのだろう???。そうだろうか。そうでもない気がする。

その先に見えるもの。その事が分かれば悩む事も不安を感じる事もない。それが分からないから生きて居られるのかも知れない。最初に見た駅前の不法駐車の現実も、行政と警察の取り組みで大きく変わるだろう。政治も経済もお店の経営も親父のこれからも、そんなもんかもしれない。願わくば見えざるゴッドハンドに導かれた明日が来る事を、請い願うしか無い。合掌。

先日、携帯変えました。8年前に買って貰って色んな事がありました。京都鯖街道の朽木から、別れの言葉を噛みしめたのも初代の携帯でした。その機能が落ちた時買い換えたのが二年前、まだそんなに前の事では無いのにこの短い間に塗装はハゲ見るかげもない。

初代の長さに比べて痛みが進んだのは機種が、安かったのだろうか?そうではなく初代が確りした(しっかりした)作りだったのだろう。それも六年で役目を終える。三代目はどうだろう?まだ良く分からない新製品。これまでのN社製からP社製に変わる。

理由はキーボードの縦から横への変化。(携帯を横にした時キーボードも横になる)。たったそれだけの変化では無い機能の技術革新。親父には使いこなせない多くの機能。機種も新型で価格も高い。(64000円。24回の分割でなんぼ)。何としても2年は使わなければならない。それだけの価値があるのだろうか?全ては使い方だろう。どれだけ自分の物に出来るか?パソコンもデジカメもそしてこの携帯も使い方次第で、大きく変わる。価値とはそんなもんだろう。

今、問われている企業価値、経済価値、雇用の価値、生活の価値も同じだろう。価値があるから手にするのであって、そうでなければ評価されない。しかし、今問われている事は多くの事に誤認と判断が在りはしないか?親父達も君達も手に出来る判断情報は、余りに正確では無いと思われてしょうが無い。そうでなければ今日の景気不安、雇用の不安は一体、何だろう?

今日はお休み。市役所で国保と住民税を払う。納入期限を間違って数日遅れたが問題なし。国民健康保険料の未納者が増えていると言われる。この不景気で収入に激変が在ってもそれは看過(かんか)されない。保険料が払えなければ一定の期間を置いて無保険者となる。その事も自己責任と言われているが、憲法で保障する「全ての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する}とはどんなものなのか明確でない。

憲法でどんなに明文化されても、この国の保健制度とはその程度の物。今まではそれでもなんとか国民皆保険とか言われて来たが、これからはそうではない事をどれだけの人が理解しているのだろう?パチンコやギャンブルにうつつを抜かさず、これからの年よりはその事が求められている。否、年寄りだけでなく政治には関係ないとうそぶいている若者達も他人事ではない。

選挙の時が近づいてなりふり構わぬ、権力の介入が始まる。この国の政治権力の強さはロシアのプーチン程では無くても、時として厳しい物が在る。政敵のスキャンダルは政治の権力が在ればどうにでもなるのかも知れない。しかし、地検の動きは明日の国会の動きと関係はないのだろうか?国民生活法案が生活の給付金となるのでは一部であり、本当の国民生活の立て直しはそんなもんでは無いだろう。そんな気がする。

問題の推移に注目される。小泉発言も郵政民営化もその程度の物であり、額に汗して働く人が報われる事はこれまでも、これからも無いだろう。それ位の事は分からなければならない。夕方飛び込んできたビッグニュースの重みはこれからの政局に大きな波紋を与えるだろう。

今日は冷たい雨になりました。それまでは季節の変わり目を感じる陽気でしたが、羽毛が舞って居るかの様ななごり雪の後、雨になりました。一雨毎の暖かさがこれからは実感されて春に成るのでしょう。お水取は済みましたが本当の春は、今月末に始まるセンバツからでしょう。暫くは春は名のみの風の寒さやかも。温暖化の時とは言え今年も厳しい寒さは、一時だった気がします。

明日は仕事。隣の住民が帰って来ました。彼も失業者なのだろうか?生活が非常識。生活騒音は当たり前と思っている。親父もそろそろ、この快適な六畳一間の生活にケジメをつけて、新たな礎(いしずえ)を築く時かもしれない。貧しても貪するな。生活が最低でも心まで最低になってはならない。こんな人もこれから多くなる。

夕食の時。今夜はお気に入りのお店でシーフード、ピラフにするか。マスターは又、オムライスを勧めるだろうか?七時までの営業だからこれから間に合うかな?

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2009年3月 1日 (日)

奈良、二月堂のお水取り。でも春はセンバツから。

Img_0238 久しぶりのベーコンとチンゲン菜、卵の煮込み鍋。チンゲン菜は白菜、キヤベツでも良し。

でも今日の出来はイマイチ。何が悪かったのだろう?見るからに不味そう。料理は体調にも左右されるのだろう。足上げの効果もイマイチで血の巡りも悪い。今日は早く寝よう。

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