小泉改革が問われた物、麻生総理が問われている事
アメリカの金融危機の影響は昨年の秋に表面化した。しかし、実態はその前から進行していた。多くの人が知らなかっただけである。人の思いは多くの人が考えるほど公正でも正義でもない。当然の事とは言え問題が表面化するまでは、必要悪として黙認されるか、問題にすらされずにその事が全て正当化されるのだろう。アメリカの金融バブルは正にその事を証明している。今日、その代償の大きさに100年に1度の経済不況とか言われているが、その問題の根底にある経済政策の誤りを口にするエコノミストは少ない。
先の衆議院選挙で問われた事は、一体何だったのだろう?その反省も何も無いままアメリカ発の経済不況の大波を被りながら、経済界もマスコミも解決の糸すら見出していない。一方、責任当事国のアメリカは、新大統領が一気に問題解決の法案を、提出していると言われているが、実態の改善はこれからだろう。問題は事ほど簡単では無い。
この国の多くの人がどんなに政権与党と総理の政治責任を追及しても、それは筋が違う。何故なら景気回復の追い風は皮肉にも先の選挙で問われた事だからである。選挙の争点すら忘れたか知れないが今一度、思い起こして当時の問題を明確にしなければ、何も変わらない。それ故に政治不信を口にしても当事者では無い外野席の無責任な観客にも成れない。
小泉改革のまやかしはキャッチフレーズにあった。「郵政民営化が出来なくては構造改革は出来ない」「構造改革なくして財政の改革は無い」。それよりも政策ではなく、都市と田舎の問題認識のズレだった。この国の未来を改革する真摯な思いは都会の豊かさの中には無かった。あの時純ちゃんと声高に叫んだオババ達は今でもあの時の感情の高ぶりに身震いするのだろうか?
今日の深刻な景気の後退はあの時、本当の意味でこの国の構造改革が出来ていたら、今日の危機は半減していたのではなかろうか?アメリカの金融危機は起こるべきして起きた経済の驕り(おごり)だった。この国の諺に(ことわざに)味噌と糞(くそ)を一緒にするなと言う言葉が在る。アメリカの金融のエリート達はその事を正当化し金融工学としたのだか、アメリカが当分立ち直れない事をこれから思い知るだろう。
アメリカの金融工学とはその程度の事であり、この国に求められた経済構造の改革でも何でもない。大体、優良の投資価値と不良の価値すら無い資産を、ごちゃ混ぜにして全世界にばらまいた不良資産の総額が明確にされても、その買取と償却は何処がするの?それすら出来ないのだから問題の解決には、想像を超える損失を覚悟しなければならない。
その事をどれだけ理解しているのだろう?マスコミの伝える事も他人事の様である。問題の本質は何処に在りこれからこの国の進むべき道は何処にあるのか、指し示す責務は何処にもない。その事を考えると今日的混乱は笑止千万かもしれない。この国の財政と金融の担当大臣が世界の会議の後で酔っぱらう恥さらしは当分、忘れられない。
今週末は桜咲く弥生の時。その前にこの国の総理はアメリカの大統領と会談するが「I、am,総理」とでも言うのだろうか?2国間の協力をどんなに高らかに協調しても戦後、最悪の総理と揶揄されては立つ瀬もないかもしれない。
万一、今週末に予算案の衆議院通過が無ければ間違いなく、辞職しかないだろう。その時は間違いなく今、問われている多くの事が砂上の楼閣だったと思い知るに違いない。小泉前総理はガリレオ、ガリレィの言葉を引き合いに出して衆議院の解散をしたが、あの時の言葉は皮肉にも「それでも地球は廻る」だった。来年度の予算通過の鍵を自分が握るとはあの時予想できる術もなかったろう。
どんなに景気の低迷が進んでもこの国には声なき声がある。その事をどんなに否定しても天動説から地動説の信念を変えなかったガリレオ、ガリレイに云われるまでも無く、ましてや小泉劇場のカーテンコールでもなく、変化の時は突然である事を思い知るに違いない。そうでなければ明日の喜びはおおきくはないだろう。
| 固定リンク


コメント