久し振りに山に行く。階段で苦しくなる。太り過ぎ。
久し振りに山に行く。この大木は勇気とやる気を与えてくれる。樹齢どれ位だろう。
この歳になっても枝が幹に負けない。寒い時だと言うのに緑が落ちて居ない。
新緑の時には空が見えなくなるのだろうか?
「若いの、幾つになった?」「64です」
「わしとは比べられない寿命だのう」
この木は桜の老木です。この木と出合った時、お袋はまだ元気だった。
親父も元気だった。
お袋にこの木の生命力を伝えたのは、9年前になる。こんなにどてっ腹が空洞化しても、春には小枝の先に満開の花が咲く。
あれから多くの年が流れたが、この老木は何も変わっていない。
「どうだ。これでも生きられる」
「どてっ腹をえぐられても樹枝は生きている」
春になると今年も幹から小枝が伸びて、花が咲く。今年は紹介出来るだろう。
人間の生命力も負けたらアカン。
人間の生き方もこうありたい。
桜木が春を待っている。未だつぼみは固いけど、2月もすれば花満開となる。
今年は暖かい。つつじの植え込みも緑が残っている。
此処から階段を上がると、一気の登りが続く。
この木でも樹齢は親父と変わらない?
この道は階段が続く。
腹が出た時、体に不安が在る時、この道を登る。息を切らしながら呼吸を整える時、母さんの苦しみが分かる。
人間はどんなに長生きが出来たとしても、いずれ老い朽ちる。その前に歩けなくなる。其の現実を知る人は意外に少ない。
人間はいつか歩けなくなる。その時は?
展望台に上がると夕日は六甲の山に沈んでいた。手前に流れる川が光っている。
夕日は画像では扇型に広がっているが、見た目ではこれ程の輝きは無い。
これからの日常に祝福しているのだろうか?
大きな輝きの先に見える物は暗黒の時代かも知れない。その時、どう生きるか?問われている。
日は沈み暗闇の時が迫る。
その時をどう受け止めるかが問われている。
この頃、夜休む時FM放送にタイマーを掛け心地よい朝を迎えている。
夜は疲労回復の時。バアチャンが言っていた言葉。「極楽、極楽」の意味がやっと分かる。
「どうだ。参ったか。おれの生きた時代はこのこぶを見てくれ。時は流れ人の移ろいは在っても、何も変わらぬ。」
変わった事と言えば何だろう。
樹齢1世紀を超える大木は、何も答えず無視された。そうだろう。そう簡単には教えられない。苦しみながら何かを掴め。何かにすがれ。そうすれば足元に近づける。
最近の人の在り方はよう分からん。
人が人として生きる重みがよう分からん。
俺が人の家に食いこんでいる訳がよう分からん。俺が先か?家が先か?よう分からん。
君が俺に何かを感じるとしたら、それはそれで勝手だけれど、俺に答えはよう分からん。
家に帰って干し柿を食う。
干し柿の価値はなかなか上がらない。
この一袋の価格も安くはない。
それでも薬代程高くない。
この食物繊維の塊の美味しさは、山道を歩いて来ないと分からない。
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