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2009年2月

2009年2月28日 (土)

静かな休日。静かな夕食。でも未だ食って居ない。

Img_0236_2 今夜の夕食。でも未だ食って居ない。お腹一杯だから。

買い物の前に用事を済ませ、その時にお気に入りの喫茶店でオムライスを食ったから。

テーブルの上に並べて、これもお気に入りの焼うどん材料全員集合。

越中富山の道中うどん。沸騰したお湯で2~3分ゆで、湯切りして皿に移す。キャベツの厚切りをかけ、焼きそばソースを掛ける。しっとりしたうどんに香味野菜を煮込んだソース味は甘くて、本当に元気が出る。疲れた時、食欲のない時、味は請け合いです。みそ漬けは口直しにピッタシです。ちょと高いけれどそれだけの価値ありです。

テーブルの上は雑然としているが、親父の一人暮らしはこんなもんです。

今度、お腹一杯になったオムライスも改めて紹介します。

今夜はテレビで雪国の風景を眺めていました。雪国は見るだけなら寒くないし、でも思い出は少ない。一番の思い出は仕事で行った兵庫日本海近くの温泉町。そして敦賀。寒かったけれど暖かな人との触れ合いもあった。今、どうして居るだろう?。

元気で居れば何でも出来る?それは違うだろう?元気で居るには自己管理と幸運が要る。その事を多くの人は知らない。元気で居るには力が要る。力の泉は体の中と目には見えない不思議な糸で繋がっている。多くの人はそれを知らない。不幸はそこから始まる事を知らなければならない。幸せと不幸せは表裏一体である。その事が分かれば人生は変わる。

元気で居れば多くの事が出来る。でも一人で居ると何も出来ない事を思い知る。人の世の喜びと悲しみ、人の世の感動は体の中から突き上げてくる無上の思いかもしれない。その事に気付けば不安も慄きの(おののき)感情も人事に思えるだろう。

ではこれから心して頂きます。それから電話します。

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2009年2月27日 (金)

景気対策は本当に出来るの?誰がやるの?分からん?でも何故か実感が無い

88兆と言われても良く分からんけれど、新年度の本予算。この言い方も良く分からない。本が在ると言う事は追加もあるのか?そうらしい。本予算の88兆でも足りず追加が20兆を超す?そんなにこの国にはお金が在るの?無いから国債を発行して補う。どれ位?

殆どの国民がそんな事を分からない。政府、与党の安堵感は理解出来るとしても、多くの問題が今後の課題と思えば喜んでばかりはいられないだろう。その事が理解されていない。支持を失った政府と総理の姿勢は今後も変わらず、此の儘の混乱が続くのだろうか?

ポイントは景気と雇用の動きだろう。この最悪の時が上向かない限りこの状況を続ける事は出来ない。間違いなく3月は企業と失業者の怒りが吹きあがり、とめども無い不安が重なる。その時でも政府、行政に為す術はない。追加の景気対策を誰が、どうやるのか不明確のまま、政権が維持できるとは思わない。

本当は選挙で国民の支持を問い、アメリカの大統領の様に施策が支持されなければ今日の難局を乗り越えられない。こんな単純な事を総理を支えるべきブレーンが分からないとは思わないが、昨年の金融危機が判断を見誤らせたのだろう。

100年に1度の金融危機とのフレーズも今に思えば、選挙を回避する理由には為らなかった。逆説的にもなるがあの時、選挙をしていたならこれ程の混乱には成ら無かったかも知れない。こうなると総理も反対勢力も引くに引けず最悪の時を、迎えるしか無い。

景気対策は企業の生産、販売、サービスが活発でなければならない。今日の大幅な在庫調整、雇用の縮小が進めば政府がどんなに景気の浮揚策の為に税金を使っても、如何だろう?やらないよりマシ?国債の発行残高を考えるとそんな事も言えなくなる。

「予算の成立が一番の景気対策」そうではない。国内で仮にそう思われたとしても為替の市場では既に流れは変わっている。この国は外圧とせっぱつまらないと変われないのだろうか?そうだとしたら本当に哀しい事だろう。マスコミも尤もらしいコメントは止めなければならない。

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2009年2月26日 (木)

昨日、楽しかった事は他にも在ったよ

Img_0234 どうだ、親父お気に入りのカレーうどん。このお店は大阪岡崎橋に在る「得正」。他にも市内に多くのチェーン店ある。親父がこのお店とカレーうどんと出合ったのは一昨年の十二月。今の仕事を始めて最初の給金を手にした時だった。

大阪人ならうどんとカレーにはこだわりが在る。(最近はそうでもないらしい)。それには訳が有りうどんならケツネ(きつね)、カレーなら頭のてっぺんに汗をかく辛さ。それが分からなければ本物で無いと先輩に言われたのが18の時。あれからずーとこの思いは変わらない。

その2物が合体したら感激しかないのだが、これがなかなか難しい。味が微妙に左右する。このうどんと出合った時も半信半疑だった。値段も安くない。汁も熱いし飛び散るから紙の前掛けが用意されている。しかし、親父は使わない。少し、ぬるめをリクエストする。

それも最初だけ。次からは顔を見ただけで店長がさり気なく出して呉れる。そんな心使いが出来れば味が悪い訳が無い。前回の写真では右のお玉で海老とネギを汁の中に混ぜてしまったが、今回はそれをしていない。ネギの下に肉が見える。これが又、美味い。

月、2回江戸掘本社の帰り必ず立ち寄る。近くには中国の大使館が有り警備の機動隊も立哨しているが、冷やかす気持ちが無ければ相手にされない。(これは余談)余談はもう一つ。店内にはジャズが静かに流れている。これが又、良い。控え目でも雰囲気は負けていない。

親父はこの時のみビールを注文する。樽の生。大きめのコップ一杯。これで熱いうどんも気にならない。難儀な事は日頃飲んでないので顔に出る事、喋りになる事。それでも帰りにトイレを借りて用を足せば、心満ちた思いがささやかに満足感をくすぐる。こんなお店は本当に嬉しい。

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2009年2月25日 (水)

近くの川に行く。雨上がりの休日。久しぶりに天竜川を思い出す。

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静岡の天竜川、富士川には比べ物にならないが、懐かしい風景。親父が大阪で見た最初の川は淀川。堤防はコンクリートで固められていた。川の流れも清流の面影はなかった。

この川も一級河川。でも水の流れは小川の流れ。梅雨の時には川幅一杯の流れと成るのだろう。でもこの川はこれからの散歩コースになりそう。気持ちが洗われそう。

帰りに意外な鎮守の森を発見。八坂神社。治水、農耕、林業の守護神、厄除けの神社。

古来早苗の森と呼称されたと言う。こんな鎮守の森は規模は違うが全国各地に合った。

本殿は978年建立。1610年織田信長の伊丹城攻略の兵火で焼失。この本殿は慶長15年に再建されている。こんな立派な神社も今はひっそりと息を潜めている。

「千早振る、神田の村の稲なれば、月日とともに久しかるべし」読み人、大江匡房

たあかく伸びる銀杏の様に元気で行こう。アーァ、5年梅、伸びるクラスだー。これは親父が小学校5年の時、担任の厳しい先生と作詞したクラスの歌。日の目をみることはなかった。

その小学校は統合され銀杏の木も今は無い。この大木は雌と雄の1対。これから何時までも見れると思うと嬉しかった。

この地に住んで6年。そんなに遠くなくても生活圏から外れると、知らない所も少なくない事を思い知る。近くを少し歩いて見るとこんな発見が在るとは、知る由もなかった。

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2009年2月24日 (火)

25年前は何してたかな?38の時か。静岡、浜松、竜洋に居た。

株価が28年前の価格だと。親父が25年前は38.考えて見れば日本経済は兎も角、親父人生の最高の時だったかも知れない。平成の時は影も形も無く昭和57年。まだ爺ちゃんも生きていた。この年の子供の春休み帰省して爺ちゃんの入院を知る。末期胃がん。如何ともし難く3ヶ月後に鬼籍に入る。婆ちゃんの悲しみを思うと掛ける言葉もなかった。あれから28年も歳を重ねたのだろうか?

今日の株価の低迷は眼を疑うものが在る。株価は実体経済の鏡と言われて久しいが、昨今のそれはそれではない。理由は単純明快。株式市場の参加者は昔、小金持ちか大金持ちと相場は決まっていたが其処に相場師が入りこみ、今や外人投資家、国内の投資家が大半を占めマネーゲームの投機以外何物でも無くなっている。

その現実を否定も肯定もしなくても今、問われている事はその事では無いのだろうか?その実態が見えれば、これ程の株価の低迷も不自然とは思われないかも知れない。親父は言うまでもなくアメリカの金融の危機(kuraisisu)は底知れぬ損失の大きい物であり、どんなに新大統領が真摯な思いで景気の立て直しを演説しても、多くの困難との戦いだろう。

その事が外人と国内の投資のプロには分かっているから、手持ちの株を可能な限り手放している。売れるだけ。7600円が下限と言われても既にそのラインは崩れている。7000円の大台を割る事はないと思うけど、この流れを断ち切るにはこの国の経済に底堅さを感じる勢いが出なければ駄目だろう。

この国の経済の基礎的条件(ファンタ、メンタルズ)は低くないと言われて久しいが、そうでもないとも言われる。メイドインジャパンの商品は国際競争力が高いと言われたのは、今や昔の話とか。何たる、体たらくだろう。この国の物造りの国際競争力は今でも高いけれど、それにあぐらをかいたのは何処の誰だったのだろう。

アメリカオバマ新大統領と麻生総理が初めて会談する直前の大幅株安。アメリカの大統領よりもこの国の総理に求められている事に、気付いて居ればここまでの不支持には成らなかっただろう。その事に気付かないまま不支持の記録を重ねるのだろうか?

信なくば立たずではなくどんなに不支持の声が強くても、止めないだろう。しかし、起死回生の名案が無ければ間違いなく首。中川大臣の酔っぱらい会見よりひどければ、マスコミの責任も同じ穴の狢(むじな)…どっちもどっちだろう。ひどすぎる株価に貧乏人でも唖然としている。、

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2009年2月22日 (日)

小泉改革が問われた物、麻生総理が問われている事

アメリカの金融危機の影響は昨年の秋に表面化した。しかし、実態はその前から進行していた。多くの人が知らなかっただけである。人の思いは多くの人が考えるほど公正でも正義でもない。当然の事とは言え問題が表面化するまでは、必要悪として黙認されるか、問題にすらされずにその事が全て正当化されるのだろう。アメリカの金融バブルは正にその事を証明している。今日、その代償の大きさに100年に1度の経済不況とか言われているが、その問題の根底にある経済政策の誤りを口にするエコノミストは少ない。

先の衆議院選挙で問われた事は、一体何だったのだろう?その反省も何も無いままアメリカ発の経済不況の大波を被りながら、経済界もマスコミも解決の糸すら見出していない。一方、責任当事国のアメリカは、新大統領が一気に問題解決の法案を、提出していると言われているが、実態の改善はこれからだろう。問題は事ほど簡単では無い。

この国の多くの人がどんなに政権与党と総理の政治責任を追及しても、それは筋が違う。何故なら景気回復の追い風は皮肉にも先の選挙で問われた事だからである。選挙の争点すら忘れたか知れないが今一度、思い起こして当時の問題を明確にしなければ、何も変わらない。それ故に政治不信を口にしても当事者では無い外野席の無責任な観客にも成れない。

小泉改革のまやかしはキャッチフレーズにあった。「郵政民営化が出来なくては構造改革は出来ない」「構造改革なくして財政の改革は無い」。それよりも政策ではなく、都市と田舎の問題認識のズレだった。この国の未来を改革する真摯な思いは都会の豊かさの中には無かった。あの時純ちゃんと声高に叫んだオババ達は今でもあの時の感情の高ぶりに身震いするのだろうか?

今日の深刻な景気の後退はあの時、本当の意味でこの国の構造改革が出来ていたら、今日の危機は半減していたのではなかろうか?アメリカの金融危機は起こるべきして起きた経済の驕り(おごり)だった。この国の諺に(ことわざに)味噌と糞(くそ)を一緒にするなと言う言葉が在る。アメリカの金融のエリート達はその事を正当化し金融工学としたのだか、アメリカが当分立ち直れない事をこれから思い知るだろう。

アメリカの金融工学とはその程度の事であり、この国に求められた経済構造の改革でも何でもない。大体、優良の投資価値と不良の価値すら無い資産を、ごちゃ混ぜにして全世界にばらまいた不良資産の総額が明確にされても、その買取と償却は何処がするの?それすら出来ないのだから問題の解決には、想像を超える損失を覚悟しなければならない。

その事をどれだけ理解しているのだろう?マスコミの伝える事も他人事の様である。問題の本質は何処に在りこれからこの国の進むべき道は何処にあるのか、指し示す責務は何処にもない。その事を考えると今日的混乱は笑止千万かもしれない。この国の財政と金融の担当大臣が世界の会議の後で酔っぱらう恥さらしは当分、忘れられない。

今週末は桜咲く弥生の時。その前にこの国の総理はアメリカの大統領と会談するが「I、am,総理」とでも言うのだろうか?2国間の協力をどんなに高らかに協調しても戦後、最悪の総理と揶揄されては立つ瀬もないかもしれない。

万一、今週末に予算案の衆議院通過が無ければ間違いなく、辞職しかないだろう。その時は間違いなく今、問われている多くの事が砂上の楼閣だったと思い知るに違いない。小泉前総理はガリレオ、ガリレィの言葉を引き合いに出して衆議院の解散をしたが、あの時の言葉は皮肉にも「それでも地球は廻る」だった。来年度の予算通過の鍵を自分が握るとはあの時予想できる術もなかったろう。

どんなに景気の低迷が進んでもこの国には声なき声がある。その事をどんなに否定しても天動説から地動説の信念を変えなかったガリレオ、ガリレイに云われるまでも無く、ましてや小泉劇場のカーテンコールでもなく、変化の時は突然である事を思い知るに違いない。そうでなければ明日の喜びはおおきくはないだろう。

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2009年2月20日 (金)

画像挿入とデジカメの扱いが慣れて来たよ。でもまだ勉強中。

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一枚目の写真は先日紹介した黄梅?と思う。フラッシュが効いて良く撮れている。お気に入り。後、1月もするとしだれ桜が見れるでしょう。今年は新婚の時以来行っていない京都丸山公園に行き、満開の桜を切り取ります。(タイミングが合えば・・・)

2枚目もフラッシュが効いている。何気ない公園のベンチ。昼間は入れ替わり立ち替わり、誰かが占有しているが、暗くなって誰もいない。この公園は親父の運動を珠に見ている。このベンチに座り面接のアポを取ったのは6年以上前。その後しばらくぼんやりとしていた。

あの時、偶然出会った前のアパートの大家さん、今はもういない。若くして亡くなった息子に会えただろうか?失意の親父を見て声を掛けて呉れた。「色々、大変だけれど元気で居れば良い事もある」。そんな事を思い出す。親父さんも苦労しただろう。今は如何だろう?

3枚目も空は明るいけれど、夜の公園。親父の今の生き方を端的に表わしている。春は遠くない。黒い木は桜木。枯れてはいない。一月もすればつぼみは膨らみ、その半月後は満開の時を迎える。人の世も同じだろうが親父には久しく、春が無い。それが違うと夜空が教えている。春夏秋冬、時は等しく万人に降り注ぐ。それをどんな思いで受け止めるかはあなた次第。優しい春の空がそこには在った。まだ如月の時なのに。きーちゃん、元気かな?

今、この公園で体を動かす時が多くなっている。体は歳と供に老い此の儘では間違いなく、口先だけで自己㊥の生き方しか出来ないだろう?(既にそんな生き方?アチャパー)。しかしこの親父、自覚の思いが体を突き動かせば、決意は狂わない。今、足を上げながら腹を凹ませている。その内に君の頭位まで上がったらどうしょう?マア無理?見てて下さい。

体調は戻りました。太極拳の真似事と足上げが効いています。人の体は無限の力を秘めています。殆どの人が自分でマイナスの暗示を掛けてプラスの可能性を信じていません。最近その事を痛感します。自分に負けて人に泣き言を言っていた生き方がどれほど惨めかは、もう充分分かったのでしょう。そう考えて見ると困難な時はチャレンジの時かもしれません。

株価の低迷は今日の日本経済の反映では無く、景況感の表れでしょう。政府に何かを求めても特別の繋がりが無い一般国民はカヤの外でしょう。一体、どないするんでしょう?誰が?それが問われています。為替94円?どないなっとる?何でそうなるの?

これが市場の判断。でも情報が偏っていないと誰が言えるの?そのうちアメリカ経済の深刻さが出たら又、円高に成るの?そうらしい。その為替レートで桁違いの好況の仇をこれから何時まで払うのだろう。この国の真価が問われているが本当は違う気がする。

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足を上げる。思いっきり。足が上がるは楽しき事かな?

Img_0206 凄いね。これは紛れもない木の生命力。

何ものにも負けない大らかな力と繁殖力。

親父も負けるな。名も無い雑木が踊る。

木の根がそのまま、空に伸びている。

Img_0208 人が道を造り、崖が崩れている。

山肌をさらけ出し、木々がさり気なくその崩れを抑えている。

人の思いを乗り越えた自然の力。

それでも人の営みはその事が分からない。Img_0210

ここは山の入口の休憩所。

ベンチに座る事はまず、ない。

こんな立派な木をまじまじと見た事はない。

お金は何処から出てるの?税金です。Img_0211

ここは山から下りた街中が近い。

やっとフラッシュが再起動。

起動停止していたら、そのままに為っていた。

暗くなっても黄梅が良く撮れている。自画自賛

残りはまた明日。

今日は良く歩いたのでまだ足が痛い。

明日は午前中雨とか。24節気では雨水の時が過ぎた。中国の暦では雪から雨の時に変わり、農耕の準備、田おこしの始まりの時とか。百姓の日常を知らない今日びの都会人には関係のない言葉かも知れない。しかし、古来の人の生活の知恵を感じなくなっても環境破壊の慄きは(おののは)、現代人にも無関係では済まされない。

その事は自然を見ると良く分かる。人間の考えなんて所詮、屁みたいなもんだろう。屁を馬鹿にするな。ガスと糞が出なくなると御終いだよ。では又、お休みなさい。

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2009年2月19日 (木)

確定申告、今年はパソコンで行う。でもこれは電子申告。

Img_0199 今年は確定申告をパソコンで行う。

しかし、税務署で。自宅では無い。

来年からe-taxでどうぞと案内される。

この話は、又、後で。Img_0202

確定申告の後、山に行く。

春を待つハイキングコース。この左上を有料道路が在るとは、とても信じられない。

行きかう人も少ない。ゆっくり歩けば思いっきり森林浴が出来る。Img_0203

この松は倒れているのでは無い。

否、倒れているがどっこい生きている。

7年前、倒れかけた親父を助けて呉れた。

しかし、今年は様子が違う。上が枯れているImg_0204

幹がめくれているのは大丈夫。

根本の地面が痩せている。

メタボな親父も愕然とする。後ろの若木は孫だろうか?しっかり育っているがまだ若い。

Img_0205 対照的にあんたは凄い。

山肌をガッチリ掴んでいる。

どれ位、生きて来たのだろう?

上の松と同じくらい?

えらい違いだのう。人の世も又、かくの如し。

この後、画像の挿入が出来なくなったのでまとめに入る。

確定申告は高額所得者(サラリーマン)と自営業者が行うと思いきや、そうでもない。

親父の場合年金と給与所得が在る為。それでもあくまでも自己申告。これがこの国の税体系のおかしい所。申告しなければ税の徴収が無いのか?天引きだけでは足りない。一番の問題は地方税と国民健康保険の課税と保険金額の査定が出来ない。

この問題は正規雇用者(社員)にはない。年末調整で所得税が清算される。地方税も毎月天引きされ、組合保険と厚生年金も同じ。しかも保険と年金は半分は会社負担。非正規雇用者の場合、給与所得の申告はあくまでも自主申告?これはおかしくない?

今、地方と国の歳入が大きく不足しているが、国は消費税の増額が出来ず、地方は国の補助、財源移譲を求めるだけ?歳入の伸びが期待されない今、国も地方も財政は既に破綻している。そして取れる処から取る。そんな事が何時までも続く筈はない。何処かで誰かが舌を出して笑っている事に気付かなければアカン。それにしてもこの国は変わらん。

確定申告は税務署でパソコンで行う。(と言っても操作はアルバイトのお兄ちゃん)。来年は自宅のパソコンで直接電子申告して下さいと案内されたが、そのつもりはない。国税庁は自宅で出来るこの方法を有名人を使って宣伝しているが、そう簡単では無い。簡単で無いのは理由がある。大体、年寄りにパソコン使えるのかね。つかえたとしても無理だね。

その事を窓口の担当に聞いて見る。正直だった。「来年、年金と給与所得の源泉徴収票、その他の控除の書類持って来て下さい」「お待ちしています」。申告のやり方は難しくはない。それでも出来ないのが多くの納税者だろう。

確定申告は簡単に終わる。パソコンのお陰。それでも操作はバイトのお兄さん。必要事項と書類を揃えれば後は順番待ち。このやり方で何で全部やらないの?パソコンが足りない?それで書かせるの?役人の考えるサービスとはこんなもんか。

画像はその後、山歩きをしたので見て下さい。もっとありますが又、改めて入れます。

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腹は凹まないけれど、足は少しずつ上がっているよ。

Img_0192 今夜の夕食は白ネギがメーン。

時々、手にするネギの3倍。大分のお気に入りのネギの倍はする。でもその価値はある。

ネギの美味さを再確認する。鶏肉は一番安くそれでも充分だった。

ネギの美味さはこれからの体を支える。

りんごは表面に傷は付いているけれど美味い

これからの生き方は食い物で決まる。食い物で体が決まる。体がどんなに丈夫でも心が腐っていたら何んとかとか。それでも人の思いは移ろいと悪態を繰り返す。聖者などいない。アメリカの大統領が期待されているけれど、それが思い通りに為らない時支持者は、どんな行動を取るのだろう。反対にすっかり見放されたこの国の政治体制は、どう変化するのだろう

景気対策に多くの事が求められても、深刻な実態は一部の出来事で当事者とは違う感覚が多いのだろう。マスコミの伝え方も劇場的で視聴者の受けしか考えていない。それもスポンサーと政治状況を考えれば、やむをえない事かも知れない。

今年は間違いなく変革の年だろう。何が変革?アメリカだろうと思いきやそうでは無い。好むと好まざるとに関わらず、後で振り返った時大きなターニングポイントに為るに違いない。

何が変わるのか、そうして何が変わらないのか?その事を明確に出来れば次の時代を間違いなく勝ち抜く事が出来るだろう。その事を学ばなければならない。100年に一度の経済危機と現実の厳しさに右往左往しても、何も変わらない、弱者切り捨て。何が賃上げ要求だろう。戦う力も無いくせにこれこそ口先だけのパホーマンス以外の何物でもない。

アメリカの自動車メーカービッグスリーの経営破たんが現実の問題となり、政府の支援を求めても限りが在る事をどれだけ理解しているのだろう。アメリカの危機はこれからだろう。同じ轍をこの国の労働組合は踏むのだろうか?賃上げで消費拡大。何をとぼけているのか?

そうでは無いだろう?非正規労働者を切れ捨て自分達は賃上げ?そんな道義が通る訳がない。これからの厳しさをこんな感覚で捕えているのだろうか?甘いと言われる感覚すら無いのだろう。それよりもそんな余裕すら無いのだろう?

非正規労働者を切り捨てて、生き残りを計ってもそんな会社の製品は誰が買うのだろう?親父にはその感覚が分からない。親父の様な生活弱者の思いなど問題では無い。そうはいかんぜよ。労働者が本当に求めるもの。それはささやかな雇用の安定しかない。例え、パイを分け合ったとしても。それが実体ではないの?その事もこれから問われる。間違いない。

明日は(今日だけど)お休み。確定申告に行く。親父の様に年金生活者でも元気で働けば当然、給与の申告をしなければならない。これも建前。1年前の時、役所の税の窓口の担当から未納、差し押さえの実態を聞く。人手不足を口実にしていたけれど、どれだけ歳入の確保を計っているのだろう。今年はフルに働いたので地方税と国民健康保険料がまた上がる。

昨年の申告時、半年しか働かなかったので少なくなった分が元に戻る。地方も国もそして国民健康保険制度も財政破綻しても、その問題改善の跡はまっこと少ない。それどころか食い物にされている。制度疲労を起こしてもその実態は何一つ改善されていない事に、今年も思い知らされる。(親父の税金は合わせて幾ら?)それでも少ない金額では無い。

健康保険料も組合員で無ければ馬鹿にならない。(負担が半額では無い)国民健康保険料が払えずに無保険者が多くなっている。これからどれ位に為るのか?多くの人は知らない。病気になったら保険では担保出来ない事も知らなければならない。

又明日。確定申告の報告はその時又。

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2009年2月17日 (火)

血圧を下げる為に、サプリメントお試しセット、買って見たけど・・・

朝、仕事に出掛ける時、この間まで暗かったのに段々明るくなって来た。駅迄の道もすっかり様子が変わっている。変わらない事と言えば小走りの人と靴音の高い人。人の日常は変わらぬ様で変わり、替わりそうで替らない。親父の歩き方も若い頃と変わっていない。

変わった事と言えばハゲに為り貧相になった。親父の親父から言われた歩く姿勢は変わっていない。田舎の川向うの道を歩く人を見ながら親父は何気なく、それでも確信の満ちた言葉で呟いていた。「人間の歩き方はその人の全てを現わしている。」「あの歩き方見て見ろ」

職業軍人で戦いに負けた失意の時から10年は経っていたが、歩き方、食事の仕方、話し方、生き方については何も変わっていなかったのだろう。親父自身、田舎で過ごした時以上の軍隊生活で叩き込まれた精神と行動規範は、戦いに負けても替わり様が無かったのだろう。そんな親父を見ながら子供心に凄いと思っていた。そんな親父の歳を既に超えている。

親父は職業軍人に憧れて志願した。体には恵まれていたが学力は何処で身に付けたのだろう?それも生まれつきだったのかも知れない。そうでなければどんなに努力をしても志願兵から江田島兵学校には入学は出来なかったろう。それも結婚してからだから。

そんな事を考えて見ると今の無様な太り方は、会わせる顔が無い。それでも親父は厳しい顔の中に笑顔を浮かべながら「先は長い」と笑っているだろう。そんな親父だった。そう、後どれ位生きられるか分からないけれど、これからの生き方は自分の思いで決まる。

口先だけだと笑われても所詮、人の生き方はその程度の物だろう。悲しい事に親父達の様な偉大な先人は若くして国破れ、志を踏みにじられた。そのお陰で生かされている。死んで当然の人が生き長らえ、生きて国と郷土の為に役立つ多くの人が失われた。

今日多くの問題が在り、100年に1度とかの経済危機を口にしているが、どれだけの心意気と先達の思いを噛みしめているのだろう。この国だけでは無いがどんなに政府が、そうして他人が多くの施策を口にして何かを行っても、そのツケは自分達に降りかかる。

今でも多くの人が多くの思いの中で無念の思いをしているだろう。しかし、考えて見れば過ちの分岐点は運、不運もあるが己の不徳とするところだろう。仮にそうではなくてもそう考えれば良い。親父はその事を身をもって教えて呉れた事にこの歳に為って気付く。

昨日、血圧が高めに適したサプリメントが来た。早速お試しセット服用する。敏感な体質が反応する。6粒は効き過ぎ。そんな感じ。飲み続ける事はないだろう?そんな気がする。血圧を下げるには減量しか無い。その為には食についても言われた事を忘れてはならない。

親父は食いものについての執着は余り無かった。それよりも事に処する対応を厳しく説いた。感謝とか思いやりとか絆とかそんな言葉より重い物が在った。「食える事に感謝しろ」その言葉を忘れて食い過ぎていたらそれこそ天罰が当たるだろう。否、もう当たっている。

その事が分かればサプリメントでは無く食の削減だろう。食いたい物を食いたいだけ食うのでは無く、食えない時に食いたい物を眺めて辛抱したあの日の事を、忘れてはならない。食える時に食っておく。これも貧乏人の知恵だが本当の賢さは、その上を行かなければならない。食える時に食えない時をしれ。腹八分に医者要らず。その親父も77で鬼籍に入る。

今、親父は夢枕にも立たず何も言われないが、このままでは長くないと思っているだろう。親父も怪我をするまでは元気だった。その事を考えれば自分の体は自分で管理するしか無い。色んな人が色んな事を言うけれど、胸に手をあてて見れば大同小異だろう。

この国の未来を悲観する人も景気の先行きを嘆く人も、昨今少なくない。その反対に近くのパチ屋で一喜一憂する人も少なくない。朝、7時過ぎ大阪に向かう電車も既に多くの乗客。それぞれのささやかな思いは、それどれで思い計るしかない。その事を忘れてはならない。

今夜は久しぶりに白ネギと鳥のもも肉。鴨にネギならぬ鳥にネギ。フライパンで上手く出来る。鶏肉を白ネギで塩コショウの味付けでした。これも田舎で口にした御馳走。滅多に口には出来なかった。これがレストランで食するとワインの炎が上がるのだろう。

これから精々、足を上げて腹を凹ませれば親父に負けない生き方が出来るかも?無理かな?親父に負けない我儘な生き方を変えるつもりはないが、その為には人も羨む(うらやむ)体力が無ければならない。ストレッチと太極拳。何時まで続くかな?

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2009年2月15日 (日)

夜のウオーキングは初めての事、酔っぱらい会見は首

Img_0164 近くの銀行の入口。閉店時この扉もしまる。

光っているのはフラッシュ。

近くで写しているので、全体像が良く分からない。石堂造り。デンとしている。

しかし、昨今の金融危機の影響も少なくない。

それにしてもGー7の中川大臣の会見?首。Img_0171

近くの公園。市役所の前。今夜は暖かい。

地面は土。歩いていると心地良い。

ゆっくり歩いても広くないので何度も行帰する

この桜の木も40日もすると夜桜で満開になるImg_0173

カメラが横に為っている?いいえ縦にしたから

このアングルにしたのは、このレンガの高さが、親父の足上げのストレッチに合ったから

エッチラ、オッチラ足上げしていても目立つ事はない。これからいい運動が出来る。Img_0172

この大木が上の写真のアップ。

フラッシュが作動していないので暗い。

カメラの使い方もこれから勉強です。

この歳になっても飽くなき探究在るのみ。Img_0167

君から言われる様にブレている。

御愛嬌。

しかし、国際会議の会見で酔っぱらいはないだろう。どんな顔をして帰国するのだろう。

この国の景気の対策はそんなもんでは無いだろう。何を考えているの。恥さらし。

明日から又、仕事です。体に気を付けてがんばります。これから銭湯に行きます。

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2009年2月14日 (土)

異常な暖かさ。でも明日から又、寒くなる。

Img_0147 親父の散歩コースの途中のお寺さん。

始めて見た時はびっくり。母さんの戒名?

でもチョト違う霊場。親父の日常見てる?

(忙しくてそれどころでは無い)

そうでしょう。そんな気がしてる。Img_0148

梅は咲いたか?桜は未だかいな。

春一番が吹き、暖かいけれどこれも一時。

見上げる人も無い梅の花は、老木の枝にしっかりと早春の時を、主張していた。

土塀ごしに見える空が、梅の花を引きたてるImg_0149

ここまで来るとしんどい山登りの迷いはない。

左の道を行くと石段が、待っている。

右上の桜の老木が、表情を変えずに歓迎してくれる。

(歩け、歩け、歩けば道が開ける)

Img_0150_2 石段の先は明るい。

この道は腹が気に為り出した時か、体力を衰えを感じた時に歩く。展望台まで390段。

流石に一気には上れない。息の切れが気に為りゆっくりと歩く。何度も立ち止まりながら。

それでも何にも聞こえない。何にも。Img_0153

右上の鳥居が一の鳥居。

この道は石段の道から外れた道。

写真で見るより傾斜と足元は悪い。

それでも元気が在れば一気に駆け上がれるImg_0154

ここが見晴し場。(展望台は上に在る)

縁石に腰を掛けて街並みを見下ろしていると多くの思いが胸中を去来する。全ては夢の如し。(誰かがそんな事を言った気がする)

なにわの事は夢の又夢。(秀吉)Img_0156

下り道は踵から着地すると心地よい。

軽い衝撃が脳天を突き抜ける。

エスカレーターの下りでは体感できない。

カメラでは明るいが夕闇が迫っている。Img_0158

駅まで2,2キロ。歩けるかな。体調が良ければこんな気持ちにはならない。

でも冬だと言うのにこの木々の盛り上がり。

この勢いこの生命力にあやかりたい。

早く帰らないと暗くなる。心はそこに無い。Img_0159

暗くなり何処かで見られている気がする。

そんな気持ちが表れている。

何に焦点をあててシャッターを押したのだろう

後ろから声を掛けられる気がしていた。Img_0161

アカン。暗い。大木も顔をしかめている。

ここまで下りて来ると街中は近い。

今日、血圧を下げるサプリメントのお試しセット注文する。トクホの許可を得ている。親父は暗示に弱いから効果てきめんだろう。

最近、足上げの効果?を感じる。

今は肩までしか上がらぬ足が頭まで上がるようになったら、どうしょう?アホか・・・

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2009年2月13日 (金)

春は未だ、遠からじ。今夜はまとまった雨と春雷?

葉書、受け取りました。ご心配かけて恐縮しています。しかし、嘆きのセレナーデの割には自分の体調は良く分かっています。君が心配するように血圧は高く太り過ぎ、食い過ぎ、運動不足です。田舎の貧しい生活の中で、しかし、未来が輝いていた時とは今の生き方は大違いです。一人になって干支が一回転しましたが、親から貰った健康な肉体だけで生きている感じがします。

最近の体の不調は太り過ぎが全てです。一人で生きているのを口実に自己管理が出来ていない。それでも有り難い事に親父の健康の源は血管です。その中を流れている血液は食生活に左右されるが、管は生まれつきとか。体にふらつきが出た時頭の断層写真を取った時、医者から言われた。眼も検査の度に掛かり付けの先生からそう言われる。

親父の不調の原因は、これも近くの整形外科の先生に云われているが、首の骨が血管を圧迫している。これも生まれつき。今まで気に為らなかったのは太って無かったから。それと体力の衰えだろう。改善の方法は首の牽引(けんいん)。2,3回やって其の儘になっている。

意味が無いと勝手に判断してそのままになっていた。このままではアカン。そう思っても行動しなければ状況は悪くなる。その事が分かっただけでも良かったのかもしれない。血圧も医者から薬より食事療法と言われているので、君から言われる様に小食に務める。

太った原因もはっきりしている。毎日の買い物。毎日の片手鍋の野菜炒め魚炒め。お気に入りのアゲとバアチャンが売っていた魚の練天。鍋一杯を余さず食っていたらそれはアカン。飯を食わなくても量が多ければメタボは当然だろう。

腹の出方が元に戻っている。前の職場で笑われた時一念発起した。今は楽をしているのだろう。座っているから。これでは本当にアカンと思えば運動しか無い。今、太極拳の真似事で足を上げている。空手の型の練習が出来なくなって体がリバウンドしてしまった。その事に気付けば元気な体も夢では無い。親父の事を反面教師にして下さい。飲み過ぎないように。

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2009年2月12日 (木)

ガトーレーズンから小麦胚芽のクラッカー

Img_0145 お気に入りのガトーレーズンはそろそろ卒業。レーズンとミルククリームの味は何ともハッピーな気分にさせてくれたが、メタボには良くない。

何か替わりの物をと思ってクッキーを手にとる。一人身の時によく買っていたナビスコ。そう思っていた。しかし、良く見ると味の素。

Img_0146

包装も良く出来ているけれど、これで儲かるのだろうか?余計なお世話だけれど。

良く見ると製造元は森永。技術はカナダのデアー社と提携。

クラッカーは一人身の生活の必需品かも?

商品を下に置いてこうして見ると、親父の食生活が良く分かる。何とも情けない。

それでも本人は自覚しているのである。不健康の始まりは食と睡眠から始まる。

どんなに自分の体を過信しても、意識の中に過信と無関心が重なると人の体は脆い。

これからの高齢者は不健康では生きて行けない。何時までもあると思うな親と金と言われたが、これからは健康と生き甲斐かも。益々厳しさの増す経済情勢の中で、他人事と思われた事が自分の周りで現実の問題になるだろう。その時どんな生き方が出来るだろうか?

最近、街中に出るとカップルのお手てつないでを良く見る。中には向かい合いながらくっ付いて居るのも居るが、その時が何時まで続くのだろう。そうしてその時が過ぎたら憎しみを重ねるのだろうか?余計なお世話だが気になる。親父のデカ声がうるさいとか大きいとか言われるが、それもお愛嬌ではと思えるバカタレも少なくない。

最後に少し賢い話?

オバマ政権の誕生でアメリカの景気対策が期待されているが、株式市場では失望感が出ている。確かに株価はアメリカも日本も一時的には下がっているが、これも長くは続かない。株の事は良く分からないが、なんだかんだ言いながら上がり下がりを繰り返すのだろう。

アメリカの株式市場は金融バブルの反動が暫く続くかも。円レートも90円を保つのは難しい。暫くは85円のラインが妥当なレベルかもしれない。遅くなりました。また明日。

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2009年2月11日 (水)

お休みの午後、FM放送で夏川りみを聴いている。

君と行った沖縄、先島(石垣、西表、波照間、もう一つなんだったけ)の旅が思い出される。紺碧の海と言うより薄いイエローの混ざった海は、間違いなく台湾と南の海に繋がっていた。親父の親父が生きた海、戦った海、そして多くの英霊が沈んだ海、そこは何も語らず激戦の面影は何も無かった。始めて見た海、本当に静かだったけれど今日の平和は、忘れさられた風景が其処に在った。その事を少しだけでも忘れなければ親父の思いに近づけるけるかもしれない、あの時沖縄の海を見ながらそんな事を考えていた。

今、戦後最大の経済危機に落ちつつあるとか言われるが、何度も言われた言葉の重みは一般の低所得者には感じられない。これから仕事を求めてもその需要に答えられない厳しい現実が目前に迫っても、自分がその身に為らなければ実感できないのだろう。

日産自動車の経営者カルロスゴーン氏は、今回の金融危機の原因はアメリカに在り日産の経営判断には些かの問題も無いとコメントしているが、本当にそうだろうか?今日、この国の経営者の多くにも同様の経営判断が多くを占めているが、そうだとしたら今回の問題が解決される迄に多くの犠牲と時間が掛かるだろう。

その証拠にアメリカのオバマ大統領は自国の景気対策に多くの税金の投入を示唆しているが、議会の合意迄至っていない。アメリカの景気対策は連邦政府がやらなければ、市場では如何にもならない所迄来ていると言われる。そこまで悪化させた金融の寵児達はどんな思いでこの景気の底なし沼をどう見て居るのだろう。間違いなく懺悔の思いでは無く自分達も被害者だと思っている事だろう。

先の経営者にもその思いは無いだろうか?昨年までの景気回復の恩恵は間違いなく、アメリカの見せかけの繁栄に支えられていたのではないか?史上最高の利益をどれだけ蓄積し今日の混乱に対応したのだろう。派遣と期間、そして正規の労働者の切り捨てでは生き残れない事をどれだけ実感しているのだろう。このままではそんな会社の商品を消費者は見向きもしなくなる。そんな厳しい認識が無ければ社会的責任が問われる。

その事が成功体験の連続では見失われている。その事がこれから問われるだろう。これからの生き残りは自分達だけでは無く、自分達と共存出来るパイの大きさで決まる。それが無ければ企業の生き残りはない。暫くその事を思い知らされるだろう。

トヨタの車、日産の車、ホンダの車、スズキの車、三菱の車、ダイハツの車、その他、それどれの生き残りを掛けた厳しい競争は人事で無い事を思い知らなければならない。多くの人が高い車、ステイタスシンボルの車、便利な車さえ何故買えなくなったのか?お金が無いからだろう。違う?価値が無くなったから?他に価値を見つけたから?それでも金が在れば別かも知れない。手持ちの金が少ないから生活給付金。こんな政府は長くは続かない?

本当にこれからの経済は学者でも学識経験者でもエコノミストでも、経営者でも難しい。唯単に利益を上げられた時が過去の話となり、これからは本当に人に何かを求めるのではなく、自分に何が出来るかが問われる。43年前に暗殺されたジョンFケネディーは口先だけだったかも知れないが、その事を大統領の就任演説で求めていた。アメリカの偉大さと罪の深さ、飽く無く利益の追及が今日の危機を招いたと、親父は思う。

これから出かけて来ます。体調は心配かけましたが何とかなりそうです。今夜は近くの銭湯で首を温め血の巡りを良くし、両手の親指でマッサージすれば改善するでしょう。太極拳(これが正しい漢字)ももう少し様に為らないと、健康を手にする事は出来ない。

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2009年2月10日 (火)

血の巡りが悪い?首筋、肩がこってる?頭がふらふらする?

Img_0144 この歳になっても見聞きする事は若き頃と何も変わらない。歳を重ねるともう少し見る目も考える事も賢くなれるかと思っていたがそうでもないらしい。しかし、老いたりと言えども心意気が変わらなければ何時までも青春だとも、思わない。最近ガラスに映る己の姿を見て愕然とする。若き頃、自分の体形に自信を持った事もなかったが、今の姿は無様以外の何物でもない。せめて老いぼれた時に雄々しくありたいと思っていたその時が近い事を思い知る。

老いたれば子に従えの格言も今の世の中には死語となる。そうでもないと言う人もいるが昔と違う事は、世代間の考え方の違いだろう。それは理屈で無く感情で如何にでも成るのだが、自己を捨てられない今日的生き方では無理だろう。元気な時はそれで良いのだが元気で無くなった時、如何するのかその事が問われている。

そんな事を思い知る出来事が起きる。人並み以上に血の気の多い親父が、最近、首筋、肩のこりを痛感する。近くの銭湯に行けば炭酸温泉でも天然ではない。天然の温泉でのんびりと湯治でもしなければ、この按排(あんばい)は良くならないかも。すっかり弱気になっている。

一番の対処法はプールでクロールをする事だが、恥ずかしながらそれも出来なくなった。顔上げて息継が出来ない。親父の事だからその気になれば不可能もないが、その気力も失せて大曲拳の真似事ぐらいしか出来ない。ああ何たる事だろう。それでも自分で蒔いた種だと思えば自業自得しか無い。そう思えばゆっくりと体を動かし指先と足先、頭の天辺(てっぺん)に感じる何かに感動すれば良い。

ゆっくり体を動かせば小指の下側面が凹む。一心に気を集中すれば息が詰まる。息を止めそのままの形を続けていると無の境地になる。ホンの一時。次の瞬間深呼吸をせずに一気に息を吐き出す。親父の無様な大曲拳です。(これからキムチと漬物を買いに行く)

挿入の画像は手の影でよく見えませんが、お気に入りの「長田のキムチ」と大分の国産らっきょうです。富有柿、いよかんも買いました。キムチはそこそこの値段ですがらっきょうは中国産の倍。余程の事情が無ければ国産は買わんでしょう。親父が買うのは地元産だから。

柿は冷凍貯蔵されこれも高い。(198円)それでもそれだけの価値が在る。今、食の安全と安心が問われているが、多くの勘違いが在る。人の健康も同じだろう。何も心に探究の思いが無ければ「棚からぼた餅」はないだろう。これからの年寄りと運動不足の若者達も他人事では無い。誰もが思う健康な体は意外に少数の人しか手には出来ない。

昨日は本当にヤバいと感じた。ささやかでも食い過ぎの夕食の後、寒気と眠気が襲う。遠赤のセラミック反射板の電気ストーブを近付け、毛布に包まって横になる。「枕がほしい」そのリクエストに答える間もなく、毛布がストーブに当たらない様にするのが精一杯だった。

意識は在るのだが体が言う事を聞かない。テレビで見たいものが在ると思いながらも音楽だけを聴きながら半分意識は無かった。それでも体のふわふわ感は落ち着いてくる。「ああ」、横になって毛布に包まり暖かくしていると何とも言えない心地がしてくる。

気が付けば12時をこえていた。「お父さん、直って寝てよ」言われたのではなく気付く。慌ててエフエム放送のお気に入りのダイヤルに合わせる。番組は後半に入っていたが流れてる曲は親父に元気を与えてくれる。「ウィーンの森の物語」ヨハンシュトラウス。何とも言えない。

不思議な事にその後もぐっすり眠る。疲れと睡眠不足で体が付いて来れなかったのだろう。朝は目覚ましが鳴る前に目覚める。体内時計に狂いも無い。仕事もノウプロブレム。しかし、帰って来るとまだ本調子ではない。凄いね。体の動き。仕事は出来てもまだ本調子では無い。大曲拳の仕方も良くないのだろう。

明日は休みです。英気を養い又新たな思いで頑張ります。「歳は取ってもお船を漕ぐ時は、元気一杯櫓がしなる」と言われても分からんだろう。最近は船はエンジンで進むからな。親父も元気一杯でヨ―ソロと頑張るしか無い。

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2009年2月 7日 (土)

久し振りに山に行く。階段で苦しくなる。太り過ぎ。

Img_0124 久し振りに山に行く。この大木は勇気とやる気を与えてくれる。樹齢どれ位だろう。

この歳になっても枝が幹に負けない。寒い時だと言うのに緑が落ちて居ない。

新緑の時には空が見えなくなるのだろうか?

「若いの、幾つになった?」「64です」

「わしとは比べられない寿命だのう」Img_0125

この木は桜の老木です。この木と出合った時、お袋はまだ元気だった。

親父も元気だった。

お袋にこの木の生命力を伝えたのは、9年前になる。こんなにどてっ腹が空洞化しても、春には小枝の先に満開の花が咲く。

あれから多くの年が流れたが、この老木は何も変わっていない。Img_0126

「どうだ。これでも生きられる」

「どてっ腹をえぐられても樹枝は生きている」

春になると今年も幹から小枝が伸びて、花が咲く。今年は紹介出来るだろう。

人間の生命力も負けたらアカン。

人間の生き方もこうありたい。Img_0128

桜木が春を待っている。未だつぼみは固いけど、2月もすれば花満開となる。

今年は暖かい。つつじの植え込みも緑が残っている。

此処から階段を上がると、一気の登りが続く。

この木でも樹齢は親父と変わらない?Img_0131_2

この道は階段が続く。

腹が出た時、体に不安が在る時、この道を登る。息を切らしながら呼吸を整える時、母さんの苦しみが分かる。

人間はどんなに長生きが出来たとしても、いずれ老い朽ちる。その前に歩けなくなる。其の現実を知る人は意外に少ない。

人間はいつか歩けなくなる。その時は?Img_0130

展望台に上がると夕日は六甲の山に沈んでいた。手前に流れる川が光っている。

夕日は画像では扇型に広がっているが、見た目ではこれ程の輝きは無い。

これからの日常に祝福しているのだろうか?

大きな輝きの先に見える物は暗黒の時代かも知れない。その時、どう生きるか?問われている。Img_0136

日は沈み暗闇の時が迫る。

その時をどう受け止めるかが問われている。

この頃、夜休む時FM放送にタイマーを掛け心地よい朝を迎えている。

夜は疲労回復の時。バアチャンが言っていた言葉。「極楽、極楽」の意味がやっと分かる。Img_0137

「どうだ。参ったか。おれの生きた時代はこのこぶを見てくれ。時は流れ人の移ろいは在っても、何も変わらぬ。」

変わった事と言えば何だろう。

樹齢1世紀を超える大木は、何も答えず無視された。そうだろう。そう簡単には教えられない。苦しみながら何かを掴め。何かにすがれ。そうすれば足元に近づける。Img_0138

最近の人の在り方はよう分からん。

人が人として生きる重みがよう分からん。

俺が人の家に食いこんでいる訳がよう分からん。俺が先か?家が先か?よう分からん。

君が俺に何かを感じるとしたら、それはそれで勝手だけれど、俺に答えはよう分からん。Img_0141

家に帰って干し柿を食う。

干し柿の価値はなかなか上がらない。

この一袋の価格も安くはない。

それでも薬代程高くない。

この食物繊維の塊の美味しさは、山道を歩いて来ないと分からない。

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2009年2月 4日 (水)

立春大吉

立春大吉、静岡掛川の主を失った家にお寺さんから頂いたお札が、デンと貼られていた。あるじは親父の筈なのに、生き永らえた屍にその面影はなく、お札の4文字が皮肉にもその有様を淡々と見つめていた。春の訪れとは名ばかりの一人暮らしに掛ける言葉が無かったのだろう。思いも因らぬ寂しい春がどれだけ心に重くのしかかるのか 知る由もなかった。

あれからまるまる12年。長くも有り短くもある。次の12年は在りでもその先の12年の保証はない。当然ながら24年の歳月は長くはない。親父が平成になって生きた歳月と同じ年をどう生きるか考えた時、これまでの生き方が教訓となるだろう。

同じ事がこの国にも問われている。今、読んでいる中谷氏の「日本再生の提言」にも同様の事が語られ、親父の毒舌も強ち(あながち)間違いでは無かった事に意を強くしている。アメリカンドリーム、アメリカの覇権、アメリカの栄光が崩れた時、この国の拠りどころは何処に行くのだろう?

混迷の先には何時の時も輝きの展望が開けているが、これからの景気の落ち込みを考えた時、その手がかりを探す事は容易では無い。多くの人が多くの事を語っても正解は違う気がしている。意外な所にその答えは在るのだろう。今までの延長線では無い事に間違いないだろう。

立春大吉の言葉の意味はその人の生き方で決まる。立春とは暦の上だけでは無く中国の旧暦であり、今の暦では1月先の事である事を知る人は少ない。暫くは暖かな日が続いても本当の春の訪れは3月になっての事だろう。

景気の反転は今年中は無い。親父の反転は如何だろう。その事を考えながら平成の始めからの侮りにかたを付けないといけない。昨年の夏までの景気判断は何だったのだろうか?景気とはその程度の事なのだろうか?、

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2009年2月 2日 (月)

今年、初めての雑煮?えっ、何それ?

最近の夕食はお気に入りの片手鍋で、殆ど済ませている。何を食っているかと言えば殆ど野菜と魚の炒めもの。米も三度に一度くらいしか食わない。それもレンジでチンする何とかのご飯。このパターンに完全にハマっている。不満もない。すっかり慣れてしまった。

毎日の仕事帰りスーパーにより、地下の食糧品売り場に直行している。食パンと爽健美茶は1階に在るので、注意しないと買い忘れる事が在る。その時は辛抱するしかない。それなのに人間の行動パターンは一度決まると、なかなか変わる事はない。

一人で食事をしていると外食が多くなるが幸か不幸か、この近くには美味くて安い食堂がない。探せば無い事も無いし在ったとしても面倒だけかもしれない。母さんが亡くなった時、生きる為には自分の食いたい物を食うしかなかった。

あれから12年。生き永らえたのは何だったのだろうか?多くの人に助けられたが生き抜くためには寝る事と食う事が、最低の条件だったのだろう。その事は恥ずかしながら一人になるまで気付かなかった。そして一人身になってその重みを痛感する。しかし、その事にも慣れた。今年は正月に雑煮も食っていなかった。その事にも気付く事も無かった。

昨日の婆もそうだが一人で生活をするとは、そう言う事かも知れない。気儘に生きる。誰からも束縛されない。自由と安気。しかしその反対の生活は体験して見ないと分からない。どちらも経験した親父にとって今の暮らしは何時までもは続けられない。

しかし、皮肉な事にこの暮らしは簡単には変えれない。今、生活弱者のセイフティーネットが問題視されているが、これからもっと厳しさが加速する。その事をどれだけ認識しているのだろう。親父も良く分からない。断言できる事は一度踏み入れた生活はなかなか変えれない。

今夜、片手鍋でカット野菜と信州のえのき、ホッケ塩焼き、京のポタポタ焼き、ごった煮。味付けは塩コショウだけ。薄味にして物足らなければ薄口醤油を垂らす。この反対は食えなくなる。今夜はホッケの塩焼きが新しく身が骨と綺麗にほぐれる。えのきの炒めも良い。

その後、煮込んだ極厚大根を汁と共に鍋で沸騰させる。昨日気付いたパックされた切り餅を焼かずにそのまま入れる。餅の溶けが心配されたが、火加減で上手く雑煮が出来る。これに白菜と紅白の蒲鉾が入ればパーフェクト。それでも大根の味が出てニンマリしていた。

君から親父の考えには理論武装が無いと言われて、今日帰りに足を延ばして豊中の書店に出掛ける。買いたい本が池田に無かったから。豊中にもなかった。店員に聞くと蛍池に在ると言われ引き返す。蛍池は伊丹空港の乗り換え口。行って見ると大きな書店だった。

買った本は「日本、再生への提言」著者中谷巌。この人のキャリアが注目。経済学者。大学教授。某大手金融リサーチセンター長。某大手電機メーカー取締役会議長。市場原理、構造改革の推進を唱えたその問題と今後の課題を述べている。いずれにしろ課題は多い。

これから景気の失速がどれだけ続くか分からないが、これからの時代を生き抜くためには知力、体力、時の運、そして種銭が必要でしょう。どんなに年を取ったとしてもこれからの老いも若きも男も女もそれが問われる。最近、オチャラケとお間抜けが少なくないがその内、思い知るだろう。「転向」最近この言葉の意味も知らない人も少なくない。

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2009年2月 1日 (日)

放歌、阿呆、悪口雑言、今何時や、怒鳴り止まず、気がつけば・・・

アパートの入口、と言っても4,5メートルもない。何処の誰だか知らないけれど、怒鳴っている。休日のゆったりした時を早めの夕食(と言う程の物でもないが)を済ませて、ジャズなど聴きながら競馬新聞を読んでいると、今度は歌を歌って怒鳴っている。

「バカ野郎、何処のどいつ」と舌打ちをしながらドアーを開け、入口の上り土間を見ながら怒鳴る。「バカ野郎、何をしてる。ウルサイ。」頭に血を登らせながらわめく。良く見るまでもなく婆(ババア)がへたり込んでくだを撒いている。酒に足を取られたのだろう。ズボンも汚れている。

このオバはん。年甲斐もなくしらふでも自分の部屋の入口を開け放して、デカイ声を出している。何時かは言ってやろうと思いながらの思いが、一気に爆発する。「ウルサイ。バカ野郎。引きずり出すど。迷惑を考えろ」いつもは睨みつけるだけのおっさんがまくし立てる。

それでも敵も然る者。酩酊しているので言われている意味が分からない。しかし、負けていない。「コラオッサン、誰に向かって言っているんや?何様やオンドレ」こうなると引っ込みが付かない。久しぶりに(否、何時かは記憶に無い)ブチ切れる。こうなると一発カマスしかない。

しかし、どんなに逆上しても酔っぱらいの婆に手を上げる事は無かった。親父のストレートは今や凶器になる。ましてや酒に足を取られている婆の減らず口では無いか?そう思うと踵を返す(きびすを返す)。処が婆は減らず口を畳む(たたむ)事は無い。「今、何時や?」

哀れの思いが一気に膨らむ。年老いて酒の勢いが無ければ威勢も出ず、愚痴しか言えない。そんな優しさは誰も無い。しかし、関わりたくないから、皆知らん顔をしている。その事を考えればお前も大差はない。そう思いながら頭を冷やす。

少しジャズのボリュームを上げ耳を澄ませば、婆は腰を上げる様子もなく喚き方(わめきかた)は変わらない。腰を上げドアを蹴ったら「タダでは済まんぜよ」と思っているとその様子も無い。暫く喚いていたが静かになる。酔っぱらいの減らず口に関わりの親父もまだ若い。

今日から2月が始まりました。早い物ですが1月も色んな事が在りました。気分の悪い事も少なくありませんでしたが、君からデジカメ買ってもらってパソコンに画像挿入が出来る様になったのは嬉しい事です。この歳になって何よりもうれしい事は、思いやりの気持ちと困難な事がさり気無く出来た時です。気持ちの行き違いは合っても分かりあえる心は無くしてはいけない。そう思います。それ故に憎しみの思いも強いかも知れません。

先行きの見えない時、人は多くの思いの中で生きていますがどんなに多難な時でも、その先は意外にも開けています。今景気の先行きが見えない時ですが、そんな時でも突き進むしかありません。親父は今、足がへそ近くしか上がりませんが、そのうち肩位まで上げて見せます。

足を上げて見て感じる事は体の衰えです。ガキにジジイと呼ばれる惨めさを感じたくなければ足は自分の頭迄は上げないといかんでしょう。踵(かかと)落としは出来なくてもそれ位の体力が無ければ、老後は年金だけでは生きて行けません。

これからは如月の時を迎えますが、春の暖かさを迎える試練の時は一時でしよう。昨日、あんなに喚いた婆も今日はすっかりおとなしくしています。人の生き方も会社の盛衰も国の在り方もそんなものでしょう。何時までも威勢の良さだけでは息が持たないでしょう。

今年の春はどんな春になると思いますか?親父の予見はどうだろう?いずれ分かる。

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