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2009年1月27日 (火)

猿から学ぶ風邪対策?久しぶりに静岡白ネギを頂きました。

Img_0107

昨日の敦賀の写真で一番のお気に入りはこれです。

これで見ると積雪は殆ど有りませんが、8年前の仕事の時は辺り一面銀世界でした。

今年はこんな景色でも、春の訪れの前にもう数回は、そんな景色になるのだろう。

このローカル線は敦賀―小浜線。まん中右側が無人駅。電車は1時間に1本。(90分の時もある)。全国何処でもローカル線のお得意は学生と老人。車社会の今日、厳しい現実。

日本全国津々浦々。ローカル線に何処でも見られる踏切。誰からも見向きもされなくなっても、廃線に為らない限りデンとしている。昨日の写真では良く分からないが、右も左も手前に曲がっている。右は4メートル前後の下り。左は少しだけ下がるが線路に沿ってお寺さん迄続いている。そこから先はお寺さんの境内。上にあがると北陸トンネルがある。

この踏切を良く見ると何故か最小限度の通行幅しかない。積雪が多い時は当然除雪されても、脱輪に注意しながら通るのだろう。ライトバンでは気に為らなかった。

Img_0111帰りの特急(サンダーバード)車窓からの風景。予想外に良く撮れている。

琵琶湖の手前、大阪に向かっている。昨日の写真で安曇川の風景とコメントしたが、その相当前(北)だろう。母さんと行った木の本の手前だろう。木の本から敦賀は遠くない。しかし、正面に見える山が高くなリ行く手を遮る。

今は峠道も良くなり鉄路はトンネルとなる。信長の時代、北陸攻めの時この地を治めていた浅井氏に反旗を挙げられ、退路を断たれる。前の敵と後ろの反逆に信長は正面の山の向うを退却する。京への道は意外に近くしかし多くの犠牲を払う。秀吉が命を掛けてしんがりを務める。区画整理された農地にその面影は全く見えず、整然としていた。

Img_0103 

これが北陸トンネルの出口。正確ではないがこの電車は敦賀から出た普通。

大阪方面に向かっている。直線に見えるが緩やかにカーブして登る。すごいね。

このトンネルの技術は明治の中頃には出来あがっている。急勾配のトンネルを諦め円を描いて登る風景は、スイスの登山鉄道で見た事が在るがここはトンネル。こんな技術も今日では忘れ去られている。否、知らない人も少なくはない。知る意味すら感じないのだろう。

今、景気の失速で物造りの原点が揺らいでいる。高い技術も厳しい価格競争に晒され(さらされ)、コスト削減の為に人減らしを余儀なくされている。しかし、コスト削減が雇用の不安を招いた時、消費の落ち込みは誰が補うのだろう。

明治から大正に掛けて全国津々浦々に張り巡らされた鉄道網は、今は新幹線しか注目されない。時代の流れと言うには余りに無策。それでも大政治家(?)の選挙区はこの近くにある。皮肉な事は地方の活性化を口にしながら、地方の活性化が実現しないことだろう。

親父も若い。青い。それでも人並みに咳が出る。今夜は静岡の白ネギ。そして湯豆腐でした。ネギのとろみは風邪に効くのは本当だろうか?猿が口にするのだから確かだろう。親父のお気に入りは母さんが好きだったミカンと言いたいが、ポンカンの方が今はお得です。

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