ダボス会議の意味?
麻生総理はスイスのダボス会議に出席。とんぼ返りで帰るのだろうけれど、この会議の存在を知る人は少ない。皮肉にもこの会議の別名は世界賢人会議とか。自らそう言ったかどうかは定かでないがどんなに専門的な知識が豊富でも、賢人とは如何なものか?
この国が開かれた国であり、内外の諸問題を世界のリーダー達と語る意義は大きいと、何処かの誰かが言っていた。しかしその知事もお粗末な都政を続けて次は危ない。そう思うのは親父だけで君達にとってはどうでも良い事かも知れない。親父がどんなに口角を尖らせて悪口を言った処で何も変わらないだろう。そう思うだろう。でも本当にそうだろうか?
なんかマスコミの断片的なニュースを見聞きしていると、そんな思いを強くする。口先ばかりと揶揄(やゆ)された親父ですら、そうだから君達にはくだらないとしか思えないかも知れない。そう、くだらない。その程度の話です。そうして一番大事な事を見失っているのだろう。
今、簡保の宿のオリックス不動産の入札を総務大臣が問題にしている。「経緯が不透明」とか「郵政の財産をバナナのたたき売りのように売り渡している」とか今になって何でそんな事を言うのか真意が問われている。郵政民営化とはその程度のものとでも言うのだろうか?
本当にひどい事を尤もらしく声高に叫んだ張本人は、既に政界を引退している。責任の重みとその評価と追及に耐えられないのかと思いきや、そうでもないらしい。さり気なくマスコミに登場して構造改革の意義を平然と語っている。為らばこの景気の墜落は何なのか?
構造改革とは関係の無いアメリカの金融危機。その大波を被っているだけ。アメリカと経済的にも政治的にも繋がりの大きい我が国だから必然的とか。そう言えば未だに選挙の道標さえ指示せない総理も同じ事を言っている。「100年に1度あるかないかの景気不安」。
官から民への構造改革とは一体何だったのか?その言葉に乗せられたお粗末の尻拭いは暫くは出来ない。何かを変えるとはそんな事なのだろうか?オバマアメリカ大統領の支持がどんなに高くても、アフガンにイラクの兵力をチェンジするだけでは何も変わらない。
この国の指導者にはその施策すらない。その総理に多くの主権者がレッドカードを突きつけても居座り、決意も変わらない。この国はその程度の国だとしたら、ガキにジジ呼ばわりする事は何もない。総理もどんな気持でこの難局を乗り越えようとしているのか?それも無いのだろう。
大手企業の決算が発表されても、その経営責任も問われる事はない。他国の所為にすれば自分達の責任は回避出来ると思わないのはトヨタだけなのだろうか?そのトヨタですらどれだけの事が問われたのだろう。この国はその程度の社会的責任しか問われないのだろう。
郵政民営化は為されたと思われるふしも少なくないが、実際はそうではない。株は国が持っている。どんなに選挙を先延ばししても今年の秋までにはその任期も切れる。その時、政権与党の自民党はそのカードをチラつかせたいのだろう。「まだ早いと」。そんな政党にこの国を任せられるのだろうか>野党も大差ない?よく言われた言葉です。その言葉の意味を問い直さない限り、この国の未来は明るくはない。
明るくないと言って嘆く事はない。しかし、関係ないとは言えなくなる。昨年夏までは景気の下支えをしっかりしていると言われていた。その反対の事も言えるだろう。どんなに厳しい状況の中でも大臣の指示さえ無視できる官僚の事を考えると、この国も捨てた物ではないのかも知れない。冗談ではない。何様だと思っているのだろう。エリートとはそんなに偉いのか?
これからその事が思い知らされる。その準備の時かもしれない。
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