大阪はやっと冬らしくなる。それでも積雪は山からは下りて来ない。
昨日、一時粉雪が舞う。今朝起きて見ると外の吹きだまりに白い物が残っていた。大阪と一括りにしても街中と郊外では様子が違う。積雪が街中に無いと言っても一歩足を北に向けると、景色は一変する。ニュースを見ると多くの事をコメンテーターが語っているが、多くは個人的な意見であり全ては、神のみぞ知るのかも知れない。
昨年の秋、突如として(実は予兆を知らなかっただけだろう)アメリカで金融危機が発生した。アメリカの多くの経済の指導者だけでなく、この国のリーダー達も晴天の霹靂(へきれき)だったのかもしれない。それだけに立て直しは困難がすくなくないだろう。
この国の経済の立て直しも多くの困難の中で、時とお金が居るだろう。政府は成り振り構わず立て直しを計るだろうが、同時に無理と無駄も少なくないだろう。経済の急速な収縮は物造りの大転換と雇用の見直しが伴う。この国には厳しい現実が突き付けられる。
経済の混迷は必然的に雇用の不安となり、消費者の収入が抑えられ消費の盛り上がりも期待出来ない。物が売れなければ販売価格を下げなければならず、価格競争に巻き込まれた力の弱い販売業者は立ち直る事が出来ない。
最近の困難な状況はこの国の各地で見られる。そしてその状況は日に日に改善の兆しが無い。マスコミは尤もらしく不況の嵐を深刻に報道するけれど、その言葉も乾かぬ中に(うちに)次の言葉を続ける。不況の現実は自分達の首を絞めている事にどれだけ気づいているのだろう。二ュ―スソース(ネタの出所)に鈍感な対応を重ねれば、自らの存在価値すら無くなるだろう。
今日の状況は報道されるほど深刻ではないのかも知れない。否、それ以上それ以下ではないのかも知れない。景気の実態はそれ程に深刻で一筋縄では行かないのかも知れない。その実像に迫る事は本当は誰にも出来ないのかも知れない。
反対に考えればその程度の事が、何か大変な出来事であり100年に1度とかの表現になるのかも知れない。それほど大変な事を為すには余りにも不遜で力不足である事を、自覚しなければならない。その思いに些かの(いささか)の思い上がりが在れば、多くの共感は得られない。今日の政治不信はまさにその事を現わしている。
アメリカと日本の株式市場の低迷も、そのアナウンスをしているだけかも知れない。暫くは先行きの見えない混迷の時を重ねても、賢人はその先を見据えながら普遍的な種まきをするしかないのだろう。親父の様な年寄りも今、本当に大事な事は何なのか?見通す透視力が求められている。それが無ければ本当に憐みを乞うしかない。
明日は休みです。少し早起きをして敦賀に行きます。雪景色をカメラに収めて来ます。先日来の冷え込みで積雪の景色を期待していますが、如何でしょう。君が買ってくれた携帯を手にしながら寒い寒い北陸トンネル上の仕事場の後は、どうなっているでしょう?
地方の高速道路網は止め処(とめど)の無い建設工事を続けているが、あの時測量した場所は如何なっているのだろう?まさか道路は出来て無いだろうが分からない。皮肉な事に地方の活性化は高速道路網ではない。どんなに田舎の道路、交通のアクセスが良くなっても過疎の波は止められない。立派過ぎる道路が出来ても生活の基盤を失えば地方は通過点でしかない。その事は地方に行けばよく分かる。
君の体調は大丈夫か?親父はこの通りです。一人で生きていると弱音も吐くが敦賀の写真楽しみにしていてください。寒かったあの時の事をどれだけ思い起こせるだろう。そしてこれからの生き方にどれだけのプラスが期待できるだろう。それは親父の生き方次第かも。
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