今年も紅白とは無縁です?(と言いながら見るかな?)
この国は本当に平和な国です。日本人は先祖を探れば大陸のモンゴロイドと南の海の海洋人、それと北方のアイヌ系に分かれると言われるが、縄文のその昔から受け継がれて来た伝統と文化は、時の移ろいと共に消え去り今日のそれは真に危うい。否、既に失われているのではないだろうか?親父の様に義務教育+3年の教育しか受けていなくても、その事を痛感する。一体、一流大学を優秀な成績で卒業して行政のエリートとなった人達は、この国の行く末に危機感を抱かないのだろうか?そんな思いでここ数年、紅白は見ない。(笑い)
紅白とどんな関係があるの?馬鹿じゃないの。馬鹿ではありません。けじめです。けじめ?誰が誰に?紅白は国民的年末大みそかの行事として親父も長い間、間抜けな顔をしながら見ていた。しかし、流石に今年はそれは無いでしょう。年末助け合いとか言いながら大晦日は、特別な訳が無い。恵まれている人もそれなりの人も今年の歳の瀬はその程度かもしれない。お笑いにしても初出場のお馬鹿に「紅白もちょろい」と言われる事は無いだろう。
今年の歳の瀬はラジオでジャズを聴きながらアメリカとこの国の違いを考えたい。気障(きざ)。親父が鼻つまみになる訳です。でもそれもこれも好むと好まざるとに関わらず、時流でしょう。何時までもあると思うな地位と金、無いと思うな声なき声。(古い)。古い奴だとお思いでしょうが新たな年は、新たな皮袋。これもこの国の伝統です。成るか為らざるかは見てのお楽しみかも。歳の暮はそろそろ、そんな送り方も良いんではないでしょうか?
来年度の予算内示(又、難しい事を平然といいますなあ)。余り気にしていないと思いますが流石の親父も唖然として口が締まらないのではなく、役人の考えている事はこのレベルと思い知らされる。国債が発行され始めたのも、親父達が働き盛りの頃。でもあの頃は建設国債と言われていた。今日の国債残高を聞いて多くの人は関係ないと思っているのだろう。
親父もそうです。恥ずかしながら。政府のその場凌ぎ、問題の先送りが国の財政に穴を開けても国債で補てんをし、無駄の排除、効率化をしなかった。未だに行政の改革と言われても無駄は無い、民間に出来ない事をやっていると言われる。では構造改革とは何だったの?
多くの純ちゃんと叫んだ都会のオバはん達も、郵政民営化を支持した国民もこれから長い間、そのツケを払わなければならない。それだけならまだしも、そのツケの先払いをさせられる生活弱者は哀れである。それも古今東西よくある話かもしれない。でもそれは人事ではなく回りまわって自分達に降りかかる事を、どれだけの人が理解しているのだろう。
国の財政の破たん、それは無いと誰もが思う。しかし、この先に野党が政権を取っても消費税のアップが避けられない事を、どれだけの人が理解しているのだろう。景気は悪いからとか、会社、商店、個人の生活が苦しいとか言えなくなる。間違いなくこれから先も、全てが良くなることは無い。そんな当たり前の事が見失われている。
も一つ難儀な事がある。今はあまり論議されないサラリーマンの源泉徴収。武士の時代は農民が一番、納税(年貢)で泣いていた。今日ではサラリーマンだろう。サラリーマンと言っても正社員だけではない。非正規労働者、バイト、給与所得者全てが前年の所得で税金、地方税、保険料が天引きされる。その負担額が大きすぎて限界に近付いている.
そうなれば残る方法は消費税しかない。他に方法があると言うのは一部の政党と学者だろう。資本主義の国では富める人もそうでない人も無税では成り立たない。国の成り立ちは税である。税を払えなければ企業でも組織でも成り立たない。誰かに恵んでもらわなければ。
共産主義の国でも国が豊かでなければ無税ではないだろう。この国の人達も何か勘違いしているのだろう。会社の利益が出なければ法人税は0。利益が出ないではなく出さなくても存続が出来るからだろう。利益を出さなくても企業が存続できる事が可笑しくない筈がない。
これからはそれが当り前ではなくなる。利益が出せなければ存続できなくなる。問題はそれから先だろう。失業者を誰が支えるのか?来年度予算の様に国がやる?国がと言ってもそれは税金だろう。その税金を払えない人の為に払える人が支えるの?本当に資本主義の国で共産主義の国でもやらない事をやるの?そんなアホな。出来る訳の無い事を本当に景気対策の名の元にやるのだろうか?学問のすすめを説いた明治の賢人に笑われるだけでは済まないだろう。
本当に今やらねばならない事は、この間抜けな親父でも分かる。バラマキではない。分かち合い。片方の手で利益を誘導しながら空いた手でバラマキをしてはならない。生産の規模の縮小は違う分野の拡大を計らなければならない。これからは少子化と高齢化社会と言いながらどんな手立てをしているのだろう。
医者にモラルが無いと言われて総理が批判されたが、過疎の地方にどれだけの献身的な若手が居るのだろう。都市の待遇に惑わされていないのか?そんな問いかけすら出来なくなっている。歳を取っても何とかやらで怪我と病気は自分で予防するしかない。
親父も今日で3回空を飛んだが、何時までもは続かない。その為に命ある限り体を鍛えなければならない。ミカンと旨い物を炬燵で食いながら団欒の時を過ごす事は、これからも無いだろう。寒い夜空を見上げながら初詣に急ぐ事もないだろう。せめて愛しい人を思いながら新たなる希望の年を迎えたい。
| 固定リンク
コメント