今年は今年、来年は来年。しかし激動と変革。
今年もあと1日で終わり。テレビでは帰省の混乱を伝えているが、昨日の新幹線の混乱は正に今年の世相と政治経済の象徴でもある。何たる無様、何たる体たらく、何たる無策、それでも利用客は口先では不満の声を挙げても、コンピュターのシステムトラブルならばと諦めている。文句を言った処でしょうが無い。問題解決まで待つしかない。そう思うしかない利用客の弱みに当事者の問題認識は余りに小さい。企業の社会的責任がどんなに問われても、喉元過ぎれば何とかとやらで、コンピュターの発達は益々、多くの人の思いを飲み込んで便利さだけでなく、不便さも押し付けて行くのだろう。今年前半のこの国の活力が如何に砂上の楼閣であったかが、秋になってアメリカの金融破たんで現実問題となったが、本当はこれからの対応が問われる事をどれだけの人が認識しているだろう。
かく言う親父も今年は無策だった。自己弁護が許されれば必死だったのかも知れない。昨年12月からの新たな生活の糧の為とは言え、何の取り柄のない親父に求められた仕事の内容は「余計な事をしない、言わない」だった。無我夢中の時に体験した叱責と若者の非礼な振る舞いは忘れられない。それでも春の時を過ぎ夏の厳しい暑さの頃には、一人前の顔をしていた。今、考えて見ると赤面の至りである。その延長線に戦力外通告があるとは予想外だった。それでも捨てる神あれば拾う神ある。これが今年の親父だった。
それでも有り難い事にメタボな体形は一時改善した。ハードな肉体作業から解放された時、せっかくの減量成果も店内巡回が無くなると共に元どうりの腹になる。ウエスト105は余りに無様。座ってパソコンのキーボードを叩くとお腹が閊える(つかえる)。それでも他の親父と違うのは自覚がある事。最近は近くの山の麓まで歩き、帰りに駅の近くの公園で体の曲げ伸ばしをしている。それだけでも効果は少なく無い。しかし、それだけでは足りない。
本当の減量は食事制限。体重だけでなく血圧と血液濃度を変えるに食べ物のコントロールをしなければならない。今の体重は食い過ぎ以外の何物でも無い。新しき年はまずこの事を改める。腹8分目、それで辛抱できるか?それで満足出来るか?その為には今年続けたカット野菜とモヤシ、白菜と豆腐、魚、豚の細切れ肉中心の食事。その量を半分にすれば良い。時には少し贅沢をしても量は増やしてはならない。(インスタントラーメんも程々に)。グラッチェ。でもあの塩味は何よりの癒し。あれが無くなると活力がなくなるかも・・・・。
今更長生きをしょうとは思わない。それでも死ぬまで現役で無ければならない。夫婦で無くても雄々しく生きるには仙人でなければならない。仙人は霞を食って生きると言われているがこれからの高齢者は健康でなければならない。健康の財産を手放した時、棺桶が近くなる。
親父は5年前タバコを止めた。1年前にはパチンコも止めた。新しき年、ウエイトコントロールが出来た時、理想の体になるだろう。その時ようやく精神だけでなく健康な肉体を手に出来るかも知れない。年老いて若々しさを求める軽薄な思いは無い。しかし、本当に健康な肉体を手に入れた時、意外にも朽ち果てる時は近いのかも知れない
来年の事を語ると誰かに笑われると言われるが、親父の来年のキーワードは産地再生です。今年ほど産地が問われた事は無い。産地偽装が問題になっても産地の問題が提起される事は少なかった。消費者が産地に求めた事、それはコストダウンしか無かったのだろう。口先では安全安心を問題としながらそれにはコストが掛かる事を、どれだけの人が理解していたのだろうか?安全安心でコストを下げるには国産では無理である事を、どれだけ理解出来ていたのだろうか?安全安心を馬鹿の一つ覚えの様に口にしても、高い物は買えない多くの消費者に行政はどう説明するのだろう?その為には物流と経済構造の大幅な見直しが要る事を、どれだけの人が理解しているのだろう?消費者はもっと賢くなければならない。
産地偽装がいけないと言われる。産地偽装をした会社の社長が頭を下げている。産地偽装をしなければ物が売れない現実は、舌を出して笑って居ても当然の様に問題にもならない。そんな物造りと食の安全が両立出来る訳がない。本当に安全な物を口にしたければ、何処で誰がどんな思いをして生産しているかが、分からなければならない。それは食べ物を口にしただけで分かる物でなければならない。食の安全と安心はそんなもんだろう。違うか。
親父が今年元気でいられたのはそんな思いだったのかも知れない。食い過ぎは不覚だったけれど食い物に安さのみを求めた事は無い。無農薬農業はこの国の農業の成り立ちに、どれだけマイナスであるかすら、消費者は知らない。農薬が悪いのではなく使い方が悪いとつぶやいている西会津農家の母さんの言葉に何故か、説得力がある。
この国の経済の落ち込みも深刻になっている。製造業の好不の分岐点は売れ行きにあるが、今年の前半の好況も9月のアメリカの金融危機と共に大きく国内の景況感も失速している。景気の落ち込みは暫く続くと言われても、アメリカの活力に再びの時がなければ終わりの時は見い出せない。その事が現実の問題となってもなかなか軌道修正は困難かもしれない。
その時、この国の物造りはどうなるのだろう?どうも成らない。どうか成るのは勝者でありその代償は小さくない。国内での物造りは難しいと言われても、国内の労働者が物を買えなくなれば企業の生き残りも容易ではなくなる。国内で物を売り国内で生産が出来る、そんな企業でなければ消費者の支持はない。支持が無ければ生き残りも難しいだろう。
物造りの喜びは他に真似の出来ない品質と価値。それが無ければコスト競争になる。今やアメリカでもヨーロッパでも電化製品では、メイドインコーリャ。その差は無いと言われている。そうなると価格競争では必ず負ける。ライバルにすら成り得ない。
車はアメリカの市場で圧倒的なシェア―を獲得したが、肝心のユーダー(購入者)に高い車のローンが組めなくなる。金融危機の直撃を受け深刻な買い控え。そうではなく買えない。乗れない。車を手放すしかない。何たるアメリカン、ドリームだろう。夢が覚めた時、これ程までの結果になるとどれだけのアナリストが予測しただろう。経営判断に誤りが無かったとは言えないだろう。グリコのオマケになった国内売上にどれだけの危機感を抱いていたのだろう?この教訓をどう生かせるか?その事が来年問われている。生かせないかも知れない。
そうなると来る年の物造りには厳しい日々しかないだろう。物造りの現場だけではないこの国の経済に暗さと深刻さだけが残る。そんな年には成って貰いたくないけれど親父の思いなど遥かに越える息吹は今、秘めやかにその時を待っているのかも知れない。
春の息吹は心躍るけれど、生活弱者、ホームレスの増加は景況感を一層悪くする。国民の支持を失った今の内閣にはその対策は余りに無い物ねだりだろう。在る時は財政の立て直しを口にし、ある時は景気対策を口にする。年末の景況感は100年に1度の危機と盛んに口にしても、その原因と対策が余りにお粗末だろう。
アメリカの金融危機はアメリカだけが作り出した危機ではなく、世界的なお金の流れと国内の金利、経済政策に誤りがあった事を認識しなければ何の解決策とはならない。それ位の事が分からない経済の認識で景気対策をすれば、来る年の経済に出口はない。
この閉塞感を叩き破るには、何が必要なのだろう?。その事が問われている。非正規の労働者、生活困窮者、生活保護者、多くの恵まれない人々だけの問題ではない。彼等も厳しさだけを口にするだけではなく、何が問題なのか考えなければならない。不安定な生活は今日の激変には耐えられない必然の結果とどれだけの人が思い知るのだろう。
今、問われている事はその事かも知れない。人は何故に生活をするのか?生きて行くのか?大変だからと言って誰も手は差しのべては呉れない。一時的、緊急的救済は在っても恒久的に貧者の救済はない。今回の危機はその事を教えている。
今年も多くの事を語ったが来る年の親父の生き方も又、人事ではない。今年も何とか生き抜いたけれど多くの思いは実現していない。歓びと哀しみの中に多くの徒労が少なくなかった。侮りと冷笑の中に優しさと思いやりの心は小さかったけれど、それをどれだけバネに出来るかが問われている。この世の中綺麗事だけでは済まされない。
最後にここまで読んで呉れたお礼に来る年の多幸を祈念しています。又、頑張りましょう。良いお年を。


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