先見の明を磨く
この言葉が死語になって久しい。目鼻が利くと言われると軽い気もするが、先見の明と言われると何故か賢さと超人的な能力を感じる。多くの出来事が結果論で語られる御時勢、先々の事が分かれば生き方が変わる。多くの凡人に出来ないからこの言葉も実感がわかないのかも知れない。親父の場合、先々を考える事を打算としか思わなかった。
無我夢中の時が過ぎ去れば、この思いがいかに人を不幸にしたかが分かる。繁栄の時には分からない失意の長さと大きさが、その時に成らないと思い知ることが無い。この国では宗教の重みを痛感する人が少ないのも、自己の責任をわきまえているからだろうか?
そうでも無い気がする。この国は単一民族なる発言で大臣を辞めさせられた人もいるが、単一で無くとも多民族でもない。多くの言葉を語らなくても分かりあえる価値観は、是非は別にして目立つ行動と発言にブレーキを掛けているのかも知れない。
サラリーマンの時がそうだった。サラリーマンを辞めても仕事を求める以上はその事に変わりは無い。嫌なら辞めろ。否でもやれ。嫌ならやらなくても良い。色んな言葉を浴びせられどれだけ苦渋の選択をした事だろう。それもこれも先々を見る眼が無かったからだろう。
これからは思いっきり発想の転換をしなければならない。この国の経済も政治も環境対策でも同じ気がする。これまでに常識では不可能と思われていた事が、ひょんな事から大きく変わる事も少なくないだろう。この前のブログにも書いたが、今日の景気後退をどれだけの人が予測しただろう。
アメリカの景気の収縮もこの国のバブルのつけと、共通部分も少なくない。違うのは経済の大きさと国の有様かもしれない。アメリカは世界の富が集中し、日本は裸の王様だっただけかもしれない。貯蓄率と勤勉さがこれ程評価されなくても、当り前になったのはどう考えて見てもおかしいだろう。(遅くなったので今日はココまでです)
今日はお休み。仕事時間が早くなり朝6.30分起床。6.50分に部屋を出て7時ジャストの普通に乗る。7.20分乗り換え、7時25分のバスに乗り7時40分に着く。早い物でこの規則正しい出勤リズムが1月過ぎた。何は無くても何とかやらではないが、決まった時間に朝の勝負が始まる。何もないかの如く電車とバスの中では目を瞑り耳を澄ませているが、何も考えて居ない。雑念は無用の迷いだけで朝の気持ちに馴染まない。(これから洗濯機の洗濯物取り出します)
そんな訳のわからん理由で休みの日でも、早起きになった。早起きは3文の得とは正にその通り。実感できなくても体内時計が元の生活に戻して呉れる。22の時から52の時まで工場の仕事は理屈ではなく時間との勝負だった。始業から就業までやるべき事は決まっていた。
それでもその定例、定量化されていた仕事の中に多くの改善の芽がありその発見と対策が仕事の喜びであり、会社の発展に繋がり目標だった。今はどうなのだろう?景気の低迷で売り上げが減り生産の縮小で人員削減のみがニュースになっているが、実態はどうなのだろう?
景気が悪くなっても車が売れなくなっても、企業と組織の収入が減ってもそれが全ての現象ではない。その事を忘れてはならない。最近の間抜けな事件と報道の仕方を見ると、その事を痛感する。色んな事がありいろんな価値観があり、多様な事象の中でどうして何かを断定できるのだろう?かく言う親父でも君達に危害が及べば、タダでは済まさないだろう。
景気とはそんなものかもしれない。景気が戦後最大の拡大を続けた時、多くのマスコミと見識者が見落としていた事が今、深刻な不況として声高に語られている。「おいおい、それはないだろう」と、どれだけの人が思っているだろう。好景気と繁栄の時、その恩恵は大手輸出産業にあり円安デメリットで国内の中小企業の多くは、逆に倒産の憂き目にあっていた。マスコミの報道はその程度であり、深刻さを声高に叫ぶ滑稽(こっけい)なパフォーマンスに冷静な判断を失ってはならない。
会社の研修で「犬が人間にかみついても大した二ュ―スにもならないが、かみ殺せば飼い主の責任と損害賠償が問われる」と聞いたことがある。最近の犬猫はペットになっているが飼い主の責任をどれだけ認識しているか分からない。その程度である。
これからが本題。でもその前にお食事です。
いつものお弁当は売り切れだった。どうするか思案するまでもなく総菜だけ求める。久しぶりのカキフライ、野菜のてんぷら、そしてもうひと品。お昼にしては豪華。まっいいか。お気に入りの塩味のヌードルを追加して意気揚々と引きあげる。それ程のもんか。食い過ぎ。
№1からオンリーワンが求められて久しい。親父達の工場は今は亡き会長の思いで、静岡西部近くの浜松工場を凌ぐ規模で昭和54に建設された。今でも忘れられない近代的なモスク、イスラムの寺院を彷彿(ほうふつ)させる食堂は南向きで、ゆったりとしていた。
そんな立派な工場も会長の思惑とは違い、仕事が無かった。全国で8番目の工場がその広い敷地を埋めるのに長い期間はなかった。会長の思いは東京、大阪のメイン工場の仕事を減らしても軌道に乗せたいと思っていたのだろう。
そうして広い工場の中には生産機械が1台、2台と増え輝きを増していた。その全ては最新の設備ではなく先輩工場のお古でも、ピカピカに磨かれて活躍の場を待っていた。中には現場を知らない機械屋の見込み違いもあったが、床面迄ピカピカの1年生にはその違いさえ、乗り越えて突き進むしかなかった。
ゴミなし、汚れなし、仕事無しと先輩工場に揶揄(やゆ)されても何とかしたいと思う気持ちに一点の曇りもなかった。時代も味方したのだろう。高度成長の日本経済はあの時、今日では予想できない発展成長を遂げる。それまでの小口輸送を劇的に変える物流の流れも、あの時誕生した。今では当たり前の事があの時は当り前では無かった。
30年前の事、それまでの物流を大きく変え今では無くてはならない小口の宅配も、関係者で無いと分からない多くのシステムとツール(どうぐ)に支えれれている。システムがスタートしても乗り越えなければならないクレームも少なくは無かった。
今でも成長から成熟の時を超え、発展している分野も少なくない。それでも初めの頃は苦難の連続だった。今、困難と試練の時、多くの企業も人も打開の方法に活路が見出せない。何故だろう?誤解と侮りの言葉を無視して言えば「先見の明」の無さだろう。
暫くはリーダーたる者、その事が問われる。どれだけの人がその難関を突破できるだろう。きっと人事の様に感じているのだろう。親父が20そこそこの時、暗殺されたアメリカの大統領ケネディ―は、就任の演説で「国に何かを求める前に、自分に何が出来るか問へ」と述べた。
アメリカの新大統領オバマは何を国民に問うのだろう?黒人大統領の余計な心配しか出来ないこの国のマスコミには、その事を問う資格さえ無いのかも知れない。国民の消費の冷え込みは年末を迎えて斑模様を大きくしている。富める時も貧しき時も優しい心だけではアカンかもしれない。さすがの親父でも信じられない事と人が少なくなくなっている。
付加価値。この言葉も死語になりつつあるが経済の用語としては生きている。「付加価値を付けないといけない。」「付加価値が無くなっている。」付加価値とはなんだろう。価値が付加されている?オイオイ。商品には価値が付いていて当然でしょう。価値の無い物を買う?
これから始まる景気の落ち込みは暗い話も少なくないが、君達にとっては親父世代が歩んだ道の苦難が見えるかも知れない。それだけでも大きな試練かもしれない。何かを為す事は口で言うほど簡単ではない。先見の明を磨くには歴史に学ぶ事かも知れない。
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