物つくりの未来。製造業の近未来。
物つくりの未来を語るには歳を取り過ぎた気がする。親父の人生の終わりは自給自活が夢です。健康で足腰がしっかりしていればそれも夢ではないと思っているがどうだろう?歳たけて又越ゆべきと思いきや命なりけれ小夜の中山(西行)、ならぬくにの直川は夢の又夢か?
あんたの言う事は難しすぎる。西行の生き方は自己中心、その意味でも足元に及ばないけれど乾坤一擲(けんこんいってき)載るか剃るかの大一番の時は、意外な時かもしれない。今日書き込みをくれた君も、同じかもしれない。就職活動頑張って下さい。君の目標もどんなに高くても若さの証は「飽くなき挑戦」です。この前のブログにも書きましたが「求めよ、さらば与えられん」。青いと言われても春の言葉が繫がればそれが青春です。旨い。座布団一枚。
就職活動どうですか?昨今は3回生の秋から勝負とか。親父的にはチョト違うと思うけれど少しでも早くと思う企業と学生の思惑が、合致した皮肉な結果かもしれない。皮肉の掛け算をすれば企業の求める人材は、その程度かもしれない。
景気が一気に反転している。戦後最長の成長とか言われた時がアメリカの金融危機で、無残にも崩れ落ちている。これから本当の貧しい暮らしが多くの人を直撃するのに、人事の様に感じるのは何故だろう?直接的には自分とは関わりが無いと思っているのだろうか?
テレビの報道を見ているとその思いを強くする。この国は何時からこんなになってしまったのだろうか?ミサイルの迎撃実験失敗。62億の無駄?そうではないらしい。でも失敗でしょう。ミサイルの迎撃は信頼度が限りなく低い。その信頼性を左右する条件は情報探索の速さとか。そのシステムの完成は何時になるのか、今は定かでない。
今、都会でも地方でも物つくりの現実は厳しい。生産者と消費者の垣根は高く、求める価値感が違うと言われて来たけれどそうだろうか?そうは思わない。安くても高くても物には価値があり、価値の認識が足りないと大きな間違いが発生する。今日の食の問題はその問題提起と思われる。そう思いませんか?
思わない。そうかもね。食の安全について表示の事が声高に語られるが、安全な食品は生産者、流通業者に求めるのではなく、消費者の求め方だと思う。安売りと輸入に頼る物の買い方、そんな時代が長く続くとは思わない。何故ならお金は天下の回りものと昔から言われた言葉を忘れて居ないからです。自己防衛はもっと違う事だと何時になれば分かるのだろう。
アメリカの車メーカーの損失補てんを政府に求めている。その経営者は自家用機でワシントンに乗り込み、議会で厳しい追及を受けている。当然だろう。今は日本でも構造改革の中身が問われているが、自らの無駄と浪費をそのままにして、政府の保証を求めても無理だろう。
日本の物ずくりが変わるのもこれからだろう。就職活動のヒントは食品でも商社でしょう。これから物流も大きく変わる。何時までも市場のセリで価格が決まる事はない。間違いなく生産地で価格が保障され、流通が決まる産地と消費地の直結。その役割が商社に求められる。バイヤーのプロになって下さい。
物つくりのプロはこの国に少なくない。その殆どがオンリーワンの企業になっている。大量生産、大量消費の時は終わったと言われて、コンベアー生産が見直されても、この国の物つくりの大勢は基本的には何も変わってはいない。国内の消費が輸出で支えられる時は既に過去の話では無いの?そうでもないのが自動車産業かもしれない。
今から来年の話をする必要はない。今こそこれからの自分の生き方と生活保障を考えないと大変です。今夜は掛け布団を1枚買いました。明日朝はゆっくり出来るし嬉しいな。今夜から電機代の安いストーブも付けました。これから始まる寒さの時を雄々しく行きたい。
| 固定リンク
コメント