ジャズスコールと言うよりバック、グラウンド、ミュージュック。
世界遺産屋久杉のドキュメンタリーを見ながら、ジャズストーリーを聴いている。黒人霊歌(ジャズ)は日本の民謡に何故か似ている。違うのはリズムのスピードもあるが長さである。同じメロデーの繰り返しでこれほどに人の心を打つのは、楽器の違いだけではあるまい。
我々の先祖と黒人の生活習慣の違いだろう。ベースのリズムと太鼓の音では人に与える印象も異なるが、今日我々がその魅力に惹かれるのはどこかで通じる物があるのだろう。ジャズのリズムを耳にしなくなって久しい。カラオケで喉の奥から下手な歌を歌わなくなっても耳にする懐かしさは忘れてはいない。
アメリカはブッシュからオバマへのチェンジで大きな変革の時を迎えている。何がどう変わるのか?新大統領に求められる事は少なくないが、アメリカの変化は遠からずこの国に大きな変化を与えるだろう。奴隷解放。文明開化、友好信頼から対立。そして同盟。歴史は変わっても新たな関係が出来る事には変わりは無い。
この国にはその準備が出来ているのだろうか?アメリカとは違う閉塞感。これは一体何故だろう。この国には徳川300年の身分の違いが今でも生きずき、アメリカには弾圧と解放のエネルギーの爆発があるのだろうか?時代の変化を見誤ると失われた10年の教訓は生きない。
「失われた10年」と言われてもその実感は余り無い。ジャパンアズナンバーワンとか言われた時代から住宅バブルが弾けた後の10年(1990~2000)。この国はコストと効率の見直しを迫られ。そのしわ寄せと円安、金利安の恩恵を受けるまでに10年の歳月を必要とする。
それでも本当に失われた10年の意味はこれから、多くの人に問題を投げかける気がする。(これから風呂)
2日振りに銭湯に行く。大きな湯船と入り口横の泡風呂はおっさんが横になってデカイ風体を為していた。横目で睨みながら早め時間の入浴を後悔する。いつもは大勢の客が帰った後の最後近くの常連。番台の女将さん、横のマッサージ器に座って薄目しか開けて居ない親父とも簡単な会話するだけ。それで充分。湯船と脱衣場にワサワサ客が居ると気分が悪くなる。
今日がそうだった。ゆったり入れる大きな湯船を横目にして奥の座り風呂に入る。周りを見渡しながら腰に当たる水圧に目を細めていると、知り合いの若者が入ってくる。彼は派遣の仕事をしていたが2ヶ月前に社員と折り合いを悪くして退社。一週間前にやっと仕事を見つけている。親父が色々偉そうにアドバイスをしたが、昨今の雇用の状況は35の若者にもキツイ。
座りながら話を聞いていると入口の泡風呂に居たおっさんが、前も隠さず目の前の湯船ステップで横に為る。全く礼儀も何も有りはしない。最近こんな輩が少なくない。変に声を掛けても開き直るしか出来ない輩。2人で無視しながら話を続ける。これが拙かった。
暫くして体を洗い、大きな湯船で体を温める間もなく、熱めのシャワーを浴びる。この頃からおかしくなる。気分が悪い。胸が締め付けられる程ではないが不快。ソコクサに汗を拭き脱衣場に出る。のぼせ。座り風呂でいい気分になり調子に乗った罰が当たる。
いつもはゆっくりしている若者も親父が出る時に声を掛けていたので、早めに出てくる。グッドタイミングだった。親父の異変に気付く。どうしたの?気分が悪い。吐きそう。マジかよ。それ以上の言葉は無く洗面台でカラ吐きを繰り返す。胃の中の物は無く胃液も出ない。
若者も流石に尋常でない事に気付く。裸の親父に座れと言うが裸では横に慣れない。何とか下着を身に付け座イスに座ると水を持ってくる。ありがとう。口に付けながら目にすると屋久島の縄文水。美味しい天然水をゆっくり飲んでいるとやっと落ち着く。ありがとう。持つべき物は優しい心。だいぶ前に裸のまま救急車で運ばれた太めのおっさんを思い出す。
昨日は午前中仕事。夕方近くの山の麓まで歩いた事がこの時役に立つ。人間万事塞翁が馬。予期せぬ事が起きた時、誰がが誰かを助ける事が出来る。願わくば体を鍛えて自分の事は自分で守りたい。夜、早めに床に付き爆睡したら今は大丈夫です。
寒くなったので今年の悪いインフルエンザ気を付けて下さい。親父はリバウンドしてしまったメタボなお腹を凹まします。食い過ぎと運動不足を解消すればこの歳になってもまだまだ、やれるでしょう。何が出来るかは問題ですがこれからはその事が問われるでしょう。
親父が馬鹿にしたアメリカの格付け会社は、アメリカの経済、来年の春には持ち直すとか?いくらオバマがチェンジと叫んで政策の立て直しを計っても、その成果が出るのは早くて秋でしょう。大体、この格付会社まだそんな事が言えるの?企業業績と投資家の判断はアンタがたドコサでしょう。日本の格付けがアフリカの何処かの国以下を言ったのは何処の誰?
アメリカの低迷は暫くは世界に大きな混乱と低迷、そして生活弱者も中流も上流もガチャガチャにして、訳の分からない事が正当化されるでしょう。今、自分達の生き方だけでなく国の在り方が問われています。当然ながら企業の社会的責任と財務体質は車の両輪でしょう。
今はチェンジの時だとは思わなくても、多くの潮目は変わるでしょう。それが分からないから混迷の時を迎えても、先見の明があれば雄々しく生きられる。先見の明は容易には手には出来ない。どんなに苦難の道を歩んでも道標が無ければ迷うだけです。
しっかりと道標を手にして着実に歩を進めよう。風邪引くな。
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