株価回復?景気対策?自己責任?
朝、6時半起床、厚切りパン1枚、インスタントコーヒー1杯(でも熱くて口を付けるだけ)。そこくさに済ませて6時50分部屋を出て7時の電車に乗り、終点でバスに乗り換え新たな職場に7時40分には到着する。50分の慣れない電車とバスの通勤にも慣れて来た。
研修も後僅かで終わる。お店の出入り管理と巡回の仕事とは比べ物にならない守衛の仕事。親父が大阪の工場から静岡浜松の工場に変わった30年前の時を思い出す。あの時は当然若かったけれど夢があった。歳たけた今はどうだろう。そんな事を考える間もなく、静かに淡々とした日々を重ねている。
ほとんどの出入りの業者は運送会社の運転手。親父も大阪の市場でトラックに乗っていた。何年前の事だろう?大阪に来て2年目の12月。9年前の事か?昔、昔、その昔の気もするけれど、そんなに前の話でもない。何故なら運転手の気持ちが手に取るように分かる。
運転手の気持は仕事に直接関係なくても、気心が分かれば魚心、以心伝心の部分も少なくない。仕事は慣れと阿吽(あうん)の呼吸も大事だろう。そんな事も学習している。(お風呂です。続きはまた明日)
内外の経済情勢は不気味な鼓動を続けている。今週の始め、日経平均株価は26年ぶりの安値をつけた。終値7162円。その後大幅に反転して9000円台に回復しているが、先の見通しは鮮明ではない。それでも10000円回復も近いかも分からない。
親父の様に株も円も無縁の多くの国民にとって、否、個人投資家の多くにとっても今回の眼を見開く下落には、外人投資家の投げ売りとも言える金融行動が要因とされている。外人の機関投資家が6割近くを占める市場が、アメリカの金融損失を出した当事者が、日本の株式市場を積み木崩しの様にガタガタにした。
今回の教訓に学ぶ事はこの国の株式市場の未熟度だろう。企業の多くがどんなにその経営実績を強調した処で、株式市場はアメリカの金融と思惑で大きく左右され、企業の努力など問題にならない。今回の市場から突き付けられた危機も喉元過ぎれば忘れ去られるのだろう。
しかし経済も政治も国民の生活感覚も、これから間違いなく変わる。大きな潮目の変化は既に顕在化しても、見る眼も感覚も意識すらなくてチャラチャラしか出来なければ、手に出来る物は貧しさと絶望そして悲しみと怒りかもしれない。本当に深刻な現実が目前に有る事をどれだけの人が切実に感じているのだろう。
親父達が現役の時、そんなに昔の話ではないが其れほどさかのぼらなくても、この国の経済は競争力、付加価値の創造、価値観の多様化で成り立っていた。今は一体何が求められ何が勝ちなのかその事さえも曖昧にされている。基本はその時々の思惑で変わる。
親父の見方が独断と偏見に満ちているのかもしれないが、金融不安の今日的状況は容易ではない。明日の日銀の金融政策で更なる株価の上昇は有っても、来週は分からない。仕事の方は段々慣れてきています。(今日はこの辺でまた明日
今日日銀の金融政策の変更?がある。良く分からないけれど注目していた。日銀の独自性とか金融政策の分離とか言われるけれど、経済が政治の思惑と全く違った動きが出来ると信じる人がどれだけ居るのだろう?政治と司法、国家権力と行政が無縁でない様に。
日銀の金融政策の変更はアメリカ、ヨーロッパの金利引き下げ追随。短期の金利0.5%から0.3%。0.2%の引き下げ。この数値の重みは立場で変わるが殆どの国民はカヤの外。この国の金利が限りなく0に近づいたのは、我が国の世界ナンバー1神話が崩れてから。
あれから20年の歳月が流れ、多くの失意と絶望の時を乗り越えて来た。製造コストの低いアジアでの物造り、国内のコストの圧縮と金利の引き下げ、円安のメリット等の要因にも恵まれた。しかし景気回復基調は国民生活の向上には及ぶ間も無く、アメリカの金融バブルの崩壊で一気に傾く。
景気の回復基調を声高々と言い続けた責任も問われる事は無い。株式市場はそんな政府と日銀当局の金融政策を既に織り込み、乱高下を繰り返している。暫くは力の弱い個人と会社、地方組織にしわ寄せが出るだろう。人事ではない深刻な現実。当事者の嘆きの声を受け止める日々の重みは無視できなくなるだろう。
行政の責任、社会の問題と尤もらしい事を言っても何も改善しない。他人の問題として傍観者になるのではなく、自分の問題として捕えなければイケないだろう。親父の今の試練もそう考えて見れば、単なる通過点かもしれない。そう考えなければならない。
2週間、実質的には8日間の研修を終える。仮免を貰い休み明けの来週から一人立ちが始まる。工場の空気は業種が違っても懐かしい。朝の早い生活も慣れれば帰りは早い。屈辱の時に手を差し伸べて呉れた感謝の気持ちを忘れずに、新たなる日々を雄々しく行きたい。
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