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2008年10月25日 (土)

円高、株安、今、突きつけられている課題

多くの人にとって国家とは何だろう?会社とは?日々の生活を支える地域とは?普通の生活をしている庶民?には関わり合いの無い事でも、意外にそうでも無い事がある。具体的には景気の動向、物価の上下、雇用の需給、病気と怪我、重病時の近くの受け入れの体制。他にもよく考えて見ると、無関心では居られないのに平然としている。

一々、そんな事を気にしていたら生きて居れないかもしれないが、これからはそうはいくまい。これまでも多くの困難の時、それなりの対応をしていたが、これからはそれでは間違いなく健康で、文化的な最低限度の生活は出来ない。否、今日既にそんな甘い現実は無いのかもしれない。

在るのは先日、大阪府知事橋本が私学補助を受けている高校生に、いみじくも語った自己責任。この知事は多くの有権者に支持されているが、多くの認識に思い込みが少なくない。多くの人が尤もらしく語る言葉、でも本当にこの国の実情はそうなのだろうか?。

何様と思っているのか?今は政界から引退をした何とか純ちゃんも薮中の平ちゃんも、同じだろう。しかし世間の評価はそうではない。あのクレイジー協奏曲の感想は今でも低くない。理由は既成概念、規制緩和、構造改革、財政改革、多くのチェンジを成し遂げたと勘違いしている事だろう。政治の矛盾を単純明快にした功績は認めても、何も変わらない、変わっていない財政の危機を自己責任の言葉で、くくるのは可笑しい。

今日の多くの混乱の責任を明確にすれば、決してアメリカの経済破綻の原因がヘッジファンド の問題だけではない。これは親父の独断と偏見でしかないが、今日の混乱の張本人は金利ゼロの政策を進めた、日本の財政当局と地道に額に汗して働くナンセンスを痛感していた、アメリカの多くの人達だろう。これからアメリカの経済は大きく収縮する。その責任は誰が取れるのか?。自己責任とはそんなにいい加減なものではないだろう。

その余波を過小評価していた市場(株、通貨、先物取引)は暫く、底が見えないかも知れない。株が大幅に下がり、円の価値が値上がりする事は政府も予想外の事で、その対応に迫られても打てる手は多くは無い。市場がレッドカードを突きつけてもその認識が無いのだろう。何時までも国際協調とか言っても市場は、それ以上に大きく思惑に左右されてしまう。

大体、金利が限りなく〇に近くて預金で金利に期待が持てなければ、小金持ちは言うまでもなく有利な運用を期待する投資ファンドは、国外に金を流すは必然であり、その政策を続けなければならなかった国内の経済事情は、いつかは破たんしても当然だろう。

自己責任、自由競争、規制緩和、構造改革、いかに多くの言葉を尤もらしく語っても、間違いである事は今日の市場を見ればわかる。それでも自己責任の言い訳は少なくない。本当に自己責任を追及して株式市場の底なし沼に、足を踏み入れる愚かさは流石に知事にも政治家にも、財政当局にもない。大阪府の債券が売れない時、本当に自己責任の重さを痛感するだろう。高校生の流した涙をどんな思いで見たかは、その時分かる。

多くの大阪府民が圧倒的に支持した代表者でも、本当の痛みは分からない。私学補助、中小企業対策、景気対策の何処にその差があるのかもっと丁寧に語らなければ、話を聞いてやる意味が無い。大体、オチャラケの弁護士が語る言葉に耳を傾けるのがおかしいのかもしれない。話は外れるが裁判官制度もその程度と考えれば良いのかもしれない。

国の通貨が上がり過ぎて国内の輸出企業の業績も大幅に悪化している。ソニーショック。円のレート設定は常識的に考えれば100円台の前半だとしても、リスク管理の間違いを問われても仕方ないだろう。円が急騰する事は考えられなかったとしたら、その責任は小さくない。通貨の市場は運用だけでないだろう。リスク管理が出来なければ通貨の変動には耐えられないだろう。(そんな事は分かっている?そうかな。それが出来ないからこの有様だろう)。

暫くは緊張の時が続く。暫くは生活の心配が無いとは言え、慣れない仕事のストレスは小さくは無い。この困難な時を生き抜く術は何と言っても健康と金しかない。どんなに苦しい思いをしても負けてはならない。戦力外通告のあの屈辱は何としてもバネにしなければならない。

これは親父だけの試練ではない。多くの人が同様の思いをしている。捌け口のない屈折した思いを飛行場をテイクオフする機体の様に、力強く旋回が出来ればその先に見える景色は雲上の限りない紺碧の空かもしれない。

現実はそんなに甘くない。その事にいくら歳を重ねても思い知らされる。人間らしい生き方をするには困窮の時と絶望の思いを噛み締めるのが一番とか。自己責任とか額に汗して働くとか尤もらしい言葉を口にしない方が良い。人間が原始の時2足歩行を始めた時から、食うか食われるかの厳しい現実は、必然の道理になったのだろう。

その事を今回の金融の危機は教えている。しかし、深刻な現実は今に始まった事ではない。飽く事無く繰り返される事件と事故を見ても、その厳しさは人事ではない。自分が当事者で無いから無関係で居られるのだろう。奢れる(おごれる)平家は久しからず。この言葉の意味も死語となっている。資材の課長の時、納入の担当者が何気なく語った言葉。それも同じだったのかもしれない。それにしては本当の厳しさが無かった気もするけれど。

明日は第69回の菊花賞(Gー1)。混戦が予想されるが今年はどうだろう。昨年は勝ち馬投票券はゲットしたけれど、今年はどうだろう。有力馬が来週の天皇賞に廻り混戦が予想される。69回、明日は26日、そして何故か邦(9と2)。2と6と9の組み合わせで如何でしょう?

(結果は上り馬の1番人気14番の圧勝。京都競馬場3000mの坂の下りで追うなの常識を覆す堂々の勝ち方。ゴール板手前で騎手が左手ムチを突き上げたのは気に入らないが。2着は2番ノットアローンではなく1番追い込み。これも強かった。3着は5番。これはノーマークの先行馬。これこそ騎手の力。一番人気を評価せず2番の暴走をさせた騎手のミスが敗因でした)

これが自己責任です。自分で責任の取れる施策と方針。今日の経済の暴走はそれを許し、難しい政治と経済の責任者の舵取りに白紙委任した対価かもしれない。それでも多くの庶民には分からず日常の些細な事に一喜一憂するのだろう。

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