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2008年10月

2008年10月29日 (水)

株価回復?景気対策?自己責任?

朝、6時半起床、厚切りパン1枚、インスタントコーヒー1杯(でも熱くて口を付けるだけ)。そこくさに済ませて6時50分部屋を出て7時の電車に乗り、終点でバスに乗り換え新たな職場に7時40分には到着する。50分の慣れない電車とバスの通勤にも慣れて来た。

研修も後僅かで終わる。お店の出入り管理と巡回の仕事とは比べ物にならない守衛の仕事。親父が大阪の工場から静岡浜松の工場に変わった30年前の時を思い出す。あの時は当然若かったけれど夢があった。歳たけた今はどうだろう。そんな事を考える間もなく、静かに淡々とした日々を重ねている。

ほとんどの出入りの業者は運送会社の運転手。親父も大阪の市場でトラックに乗っていた。何年前の事だろう?大阪に来て2年目の12月。9年前の事か?昔、昔、その昔の気もするけれど、そんなに前の話でもない。何故なら運転手の気持ちが手に取るように分かる。

運転手の気持は仕事に直接関係なくても、気心が分かれば魚心、以心伝心の部分も少なくない。仕事は慣れと阿吽(あうん)の呼吸も大事だろう。そんな事も学習している。(お風呂です。続きはまた明日)

内外の経済情勢は不気味な鼓動を続けている。今週の始め、日経平均株価は26年ぶりの安値をつけた。終値7162円。その後大幅に反転して9000円台に回復しているが、先の見通しは鮮明ではない。それでも10000円回復も近いかも分からない。

親父の様に株も円も無縁の多くの国民にとって、否、個人投資家の多くにとっても今回の眼を見開く下落には、外人投資家の投げ売りとも言える金融行動が要因とされている。外人の機関投資家が6割近くを占める市場が、アメリカの金融損失を出した当事者が、日本の株式市場を積み木崩しの様にガタガタにした。

今回の教訓に学ぶ事はこの国の株式市場の未熟度だろう。企業の多くがどんなにその経営実績を強調した処で、株式市場はアメリカの金融と思惑で大きく左右され、企業の努力など問題にならない。今回の市場から突き付けられた危機も喉元過ぎれば忘れ去られるのだろう。

しかし経済も政治も国民の生活感覚も、これから間違いなく変わる。大きな潮目の変化は既に顕在化しても、見る眼も感覚も意識すらなくてチャラチャラしか出来なければ、手に出来る物は貧しさと絶望そして悲しみと怒りかもしれない。本当に深刻な現実が目前に有る事をどれだけの人が切実に感じているのだろう。

親父達が現役の時、そんなに昔の話ではないが其れほどさかのぼらなくても、この国の経済は競争力、付加価値の創造、価値観の多様化で成り立っていた。今は一体何が求められ何が勝ちなのかその事さえも曖昧にされている。基本はその時々の思惑で変わる。

親父の見方が独断と偏見に満ちているのかもしれないが、金融不安の今日的状況は容易ではない。明日の日銀の金融政策で更なる株価の上昇は有っても、来週は分からない。仕事の方は段々慣れてきています。(今日はこの辺でまた明日

今日日銀の金融政策の変更?がある。良く分からないけれど注目していた。日銀の独自性とか金融政策の分離とか言われるけれど、経済が政治の思惑と全く違った動きが出来ると信じる人がどれだけ居るのだろう?政治と司法、国家権力と行政が無縁でない様に。

日銀の金融政策の変更はアメリカ、ヨーロッパの金利引き下げ追随。短期の金利0.5%から0.3%。0.2%の引き下げ。この数値の重みは立場で変わるが殆どの国民はカヤの外。この国の金利が限りなく0に近づいたのは、我が国の世界ナンバー1神話が崩れてから。

あれから20年の歳月が流れ、多くの失意と絶望の時を乗り越えて来た。製造コストの低いアジアでの物造り、国内のコストの圧縮と金利の引き下げ、円安のメリット等の要因にも恵まれた。しかし景気回復基調は国民生活の向上には及ぶ間も無く、アメリカの金融バブルの崩壊で一気に傾く。

景気の回復基調を声高々と言い続けた責任も問われる事は無い。株式市場はそんな政府と日銀当局の金融政策を既に織り込み、乱高下を繰り返している。暫くは力の弱い個人と会社、地方組織にしわ寄せが出るだろう。人事ではない深刻な現実。当事者の嘆きの声を受け止める日々の重みは無視できなくなるだろう。

行政の責任、社会の問題と尤もらしい事を言っても何も改善しない。他人の問題として傍観者になるのではなく、自分の問題として捕えなければイケないだろう。親父の今の試練もそう考えて見れば、単なる通過点かもしれない。そう考えなければならない。

2週間、実質的には8日間の研修を終える。仮免を貰い休み明けの来週から一人立ちが始まる。工場の空気は業種が違っても懐かしい。朝の早い生活も慣れれば帰りは早い。屈辱の時に手を差し伸べて呉れた感謝の気持ちを忘れずに、新たなる日々を雄々しく行きたい。

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2008年10月25日 (土)

円高、株安、今、突きつけられている課題

多くの人にとって国家とは何だろう?会社とは?日々の生活を支える地域とは?普通の生活をしている庶民?には関わり合いの無い事でも、意外にそうでも無い事がある。具体的には景気の動向、物価の上下、雇用の需給、病気と怪我、重病時の近くの受け入れの体制。他にもよく考えて見ると、無関心では居られないのに平然としている。

一々、そんな事を気にしていたら生きて居れないかもしれないが、これからはそうはいくまい。これまでも多くの困難の時、それなりの対応をしていたが、これからはそれでは間違いなく健康で、文化的な最低限度の生活は出来ない。否、今日既にそんな甘い現実は無いのかもしれない。

在るのは先日、大阪府知事橋本が私学補助を受けている高校生に、いみじくも語った自己責任。この知事は多くの有権者に支持されているが、多くの認識に思い込みが少なくない。多くの人が尤もらしく語る言葉、でも本当にこの国の実情はそうなのだろうか?。

何様と思っているのか?今は政界から引退をした何とか純ちゃんも薮中の平ちゃんも、同じだろう。しかし世間の評価はそうではない。あのクレイジー協奏曲の感想は今でも低くない。理由は既成概念、規制緩和、構造改革、財政改革、多くのチェンジを成し遂げたと勘違いしている事だろう。政治の矛盾を単純明快にした功績は認めても、何も変わらない、変わっていない財政の危機を自己責任の言葉で、くくるのは可笑しい。

今日の多くの混乱の責任を明確にすれば、決してアメリカの経済破綻の原因がヘッジファンド の問題だけではない。これは親父の独断と偏見でしかないが、今日の混乱の張本人は金利ゼロの政策を進めた、日本の財政当局と地道に額に汗して働くナンセンスを痛感していた、アメリカの多くの人達だろう。これからアメリカの経済は大きく収縮する。その責任は誰が取れるのか?。自己責任とはそんなにいい加減なものではないだろう。

その余波を過小評価していた市場(株、通貨、先物取引)は暫く、底が見えないかも知れない。株が大幅に下がり、円の価値が値上がりする事は政府も予想外の事で、その対応に迫られても打てる手は多くは無い。市場がレッドカードを突きつけてもその認識が無いのだろう。何時までも国際協調とか言っても市場は、それ以上に大きく思惑に左右されてしまう。

大体、金利が限りなく〇に近くて預金で金利に期待が持てなければ、小金持ちは言うまでもなく有利な運用を期待する投資ファンドは、国外に金を流すは必然であり、その政策を続けなければならなかった国内の経済事情は、いつかは破たんしても当然だろう。

自己責任、自由競争、規制緩和、構造改革、いかに多くの言葉を尤もらしく語っても、間違いである事は今日の市場を見ればわかる。それでも自己責任の言い訳は少なくない。本当に自己責任を追及して株式市場の底なし沼に、足を踏み入れる愚かさは流石に知事にも政治家にも、財政当局にもない。大阪府の債券が売れない時、本当に自己責任の重さを痛感するだろう。高校生の流した涙をどんな思いで見たかは、その時分かる。

多くの大阪府民が圧倒的に支持した代表者でも、本当の痛みは分からない。私学補助、中小企業対策、景気対策の何処にその差があるのかもっと丁寧に語らなければ、話を聞いてやる意味が無い。大体、オチャラケの弁護士が語る言葉に耳を傾けるのがおかしいのかもしれない。話は外れるが裁判官制度もその程度と考えれば良いのかもしれない。

国の通貨が上がり過ぎて国内の輸出企業の業績も大幅に悪化している。ソニーショック。円のレート設定は常識的に考えれば100円台の前半だとしても、リスク管理の間違いを問われても仕方ないだろう。円が急騰する事は考えられなかったとしたら、その責任は小さくない。通貨の市場は運用だけでないだろう。リスク管理が出来なければ通貨の変動には耐えられないだろう。(そんな事は分かっている?そうかな。それが出来ないからこの有様だろう)。

暫くは緊張の時が続く。暫くは生活の心配が無いとは言え、慣れない仕事のストレスは小さくは無い。この困難な時を生き抜く術は何と言っても健康と金しかない。どんなに苦しい思いをしても負けてはならない。戦力外通告のあの屈辱は何としてもバネにしなければならない。

これは親父だけの試練ではない。多くの人が同様の思いをしている。捌け口のない屈折した思いを飛行場をテイクオフする機体の様に、力強く旋回が出来ればその先に見える景色は雲上の限りない紺碧の空かもしれない。

現実はそんなに甘くない。その事にいくら歳を重ねても思い知らされる。人間らしい生き方をするには困窮の時と絶望の思いを噛み締めるのが一番とか。自己責任とか額に汗して働くとか尤もらしい言葉を口にしない方が良い。人間が原始の時2足歩行を始めた時から、食うか食われるかの厳しい現実は、必然の道理になったのだろう。

その事を今回の金融の危機は教えている。しかし、深刻な現実は今に始まった事ではない。飽く事無く繰り返される事件と事故を見ても、その厳しさは人事ではない。自分が当事者で無いから無関係で居られるのだろう。奢れる(おごれる)平家は久しからず。この言葉の意味も死語となっている。資材の課長の時、納入の担当者が何気なく語った言葉。それも同じだったのかもしれない。それにしては本当の厳しさが無かった気もするけれど。

明日は第69回の菊花賞(Gー1)。混戦が予想されるが今年はどうだろう。昨年は勝ち馬投票券はゲットしたけれど、今年はどうだろう。有力馬が来週の天皇賞に廻り混戦が予想される。69回、明日は26日、そして何故か邦(9と2)。2と6と9の組み合わせで如何でしょう?

(結果は上り馬の1番人気14番の圧勝。京都競馬場3000mの坂の下りで追うなの常識を覆す堂々の勝ち方。ゴール板手前で騎手が左手ムチを突き上げたのは気に入らないが。2着は2番ノットアローンではなく1番追い込み。これも強かった。3着は5番。これはノーマークの先行馬。これこそ騎手の力。一番人気を評価せず2番の暴走をさせた騎手のミスが敗因でした)

これが自己責任です。自分で責任の取れる施策と方針。今日の経済の暴走はそれを許し、難しい政治と経済の責任者の舵取りに白紙委任した対価かもしれない。それでも多くの庶民には分からず日常の些細な事に一喜一憂するのだろう。

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2008年10月21日 (火)

すみれの花咲く頃の街、今、心新たに研修中 

景気の低迷で雇用の現場が厳しくなっている。小泉改革の光と影が鮮明になっているが、多くの日々の生活には、分からない処が少なくない。そんな中で親父は今、新しい職場で研修をしている。先週、1年足らずの職場で戦力外を通告され、暫くは歳の事を考えると昨年の失業の時が考えられたが、今有り難い事に新たなる職場を紹介され研修中です。

これまでの所とは多くの事が異なり、慣れるまでには多くの試練が予想されるが、こんな親父でも声を掛けて呉れた配慮に感謝し、困難を排除し新たなる挑戦の想いを強くしなければ申し訳が付かない。今まで多くの困難の時、立ち上がった不屈の精神を今一度、思い起こさなければならない。

昨年の12月。この職を求めたのは全くの偶然だったが今考えて見ると、高齢者(64)に出来る仕事と言えば必然の結果だったのだろう。景気の低迷の時、しかも予想外の金融と政治の思い上がりは弱者に容赦のない打撃を与えている。

その事を考えて見るまでもなく、親父は今一度の機会を噛み締めなければならない。暫くの時は多くの事に慣れなければならない。1つは朝、6時30分の起床。サラリーマンの時は当然であった事が今は当然ではない。今までは14時から11時までの仕事。起床はお昼前だった。だらしないとたしなめられても変わらなかった生活が、一変する。

笑われるが目覚ましは携帯で3つ、セットしている。(30分、35分、40分)。念を入れて置時計でもう1つ。それでも今朝は音が鳴る前に起きていた。この緊張に慣れなければならない。今朝、それ程に余裕があっても電車とバスの乗り継ぎは思いのほかロスが出た。

今までの仕事でもそうだったが、仕事になれる事は人になれる事。人とは出入りの人、会社の人、職場の人。それどれのポイントは違っても理解しなければならない事は多い。仕事に慣れる事が一番のカギだろう。まだ分からない事が多いが今はこんな状況です。

帰りに小銭の持ち合わせがなく、喫茶店でコーヒーとケーキを注文する。これまで経験した事の無い上品なケーキとアイスの付け合わせ。ヤバい。高そう。若い頃、京都三条京阪で天ぷら屋に立ち寄った時の事を思い出す。あの時は小銭をかき集めても足らず、後日の持参を約束する。今回は金の心配ではなく、浪費を反省する。でも心は違っていた。

こんな思いが出来るのも慣れない経験のお陰。この街で母さんは遊園地の飛行機で歓声を上げていた。あれから多くの失意の時が流れ、思いがけない体験が出来るのも何かの縁だろう。満足の思いで千円の代金を払い反対側のバス停で、バスを待つ。

見上げる空には飛行場を離陸した機体が茜空(あかねぞら)に向かって、左旋回をしながら上昇を続け高度を稼いでいた。親父の今の思いと何故か重なるものがあった。飛行機に乗る人は分かるが水平飛行に入るまでの僅かな時。どんなに安全と思ってもお尻と毛の生えた胸がドキドキする時、親父の心境が見透かされていた。

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2008年10月18日 (土)

高級住宅地、そしてそこに住める住民、文化と香り

東京杉並浜田山の行列のできるお店と憧れのマンションとモデルルームが紹介されている。分譲価格6000万~4億とか。どんな人が住むのだろう。景気の後退が心配されているが、住むべき世界が違うとはまさにこの事だろう。

大阪にもあこがれの街、憧れのマンションがあるが東京と大阪ではこれ程までに、文化の香りが違うのだろうか?田舎の高校を卒業した時心に描いた将来の目標は、「自分の可能性への挑戦」だった。抽象的で具体的ではない精神論は、大阪の現実の厳しさに叩きのめされる。あの時は21の冬。高度経済成長の時代の流れとは裏腹に苦しく、哀れであった。

「苦労はお金を出しても買え」とか言われるが、お金の出せない苦労は余りに切ない。出口が全く見えない時、挑戦の方法を変える。口下手で恥ずかしさと自信の無い営業から、物作りの原点、親父の性格にもあった現場の職場に変わる。単調な作業の中で遣り甲斐は無かったが、生活は安定する。それでも当時の給料は今から考えて見ても、安かった。

会社は時代の流れに乗り順調に成長の軌跡を辿る。親会社から独立したカナダ、М社との合弁会社は東京、大阪、九州に拠点の工場を造り時代の先端を走る。ビジネス、フォーム。今でも聞き慣れない言葉。企業の大型コンピューター、タイプライターの連続帳票製造技術は意外に難しかった。40年以上経った今でもこの技術は進歩を続けている。

あの頃は大量の情報を大型コンピューターで処理していた。今日の様にパソコンがビジネスの中心と為るまでは、大企業は言うまでもなく中小企業でもコンピュターとタイプの部屋は、別室に為っていた。そこで使われる大量のプリントは短片(シート)ではなく連続だった。

この流れが変わったのはコンピューターとプリンターの技術革新、改良からだろう。大型から小型化。インパクトからノンインパクトへの変化だろう。今日、何の不自然も感じずこうしてキーボードが打てるのは古い事ではない。パソコンとコンピュターの汎用化が進んだのは最近の事である。

連続帳票の物作りを完成させた現場に暇な時は無く、納期に追いまくられた。今でも会社は成長を続けているけれど、当然ながら製造品種は様変わりしている。あの頃の事を考えると今の出来事も夢物語かもしれない。

歳を重ねて、あの頃と同じ困難の中に入るけれど眼を見開けば、雲レイの差かもしれない。何がどれだけ違っているのか?歳の差だけで無い人生の重みを噛み締めなければならないのだろう。親父にチャンスを与えて呉れた好意に感謝し、来週から新たな研修が始まります。

(雲レイの言葉の意味が辞書にない。漢字も無い。親父の感覚では大きな差の意味だが違うのだろうか?それともこの言葉は親父の勘違いだろうか?そうではあるまい)。何事も案ずるより生むが易し。親父の全てをさらけ出せば失うものは、それこそ何もない。

関西の高級住宅地は昔、帝塚山、箕面、芦屋。今は何処だろう?。間違いなく言える事は全ての人が上流社会人ではなく、思いやりの在る人でも無く、余裕のある人でも無い。その当たり前の事すら意識の中に強くなければ、これからの困難に立ち向かう力はないだろう。

今週からJRA(日本中央競馬会)の秋のG-1戦線が始まる。多くの競馬ファンの夢と欲が交差し、エキサイテングな時を迎える。予想屋さんの言葉を聞かずにどれだけの人が当たり馬券を手にするだろう。本当に勝ちたければ馬券は買うな。買ったつもりで次週の軍資金にすれば良い。それを2,3回続ければ5,6万は固い。これが競馬の必勝法です。親父はこれで勝ちました。パチンコは何時でもどこでも出来るから、同じ方法で大勝出来るよ。

最後の落ちはお粗末です。楽してお金は貯まらない。その事だけは間違いない。

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2008年10月16日 (木)

きんもくせいとぎんなんの香り、匂い、そして鼻つまみ

きんもくせいの香りとぎんなんの匂いは、香(かぐわ)しくはない。見た目は秋の風情を感じるけれど、手に取る勇気は中々無い。特にぎんなんの黄色く色づいた落ちた身は、靴で踏み付けただけでも不快な思いが重なる。それでも茶碗蒸しの味は季節の実りを感じる。そんなもんだろう。

昨年の12月から始まった仕事は昨日で、終了する。親父の度重なるミスと言葉使い、慇懃無礼な態度が、どうにも鼻持ちならなかったのだろう。それでも自分なりにはよくやったと褒めてやりたい。親父の暴言とは比べ物にならない叱責の言葉を受けながら、良い仕事を心掛けた。近くの女医先生の言葉ではないが、求める物が違っていたのだろう。

良くお前の気持ちなどどうでも良いと言われたが、仕事のスキルに感情は不要だろう。しかし人間は考える葦(あし)である事を、どの程度理解していたのだろう。口先だけの対応では人の信頼は得られない。短い間、多くのミスを重ねたが少ない人からの優しい思いも、忘れてはならない。

「ありがとう」「助かりました」「お陰様です」感謝の言葉は多くはなかったが、お金には代えられない体験もできました。額に汗して働く重みはどんなに経験を重ねても、手にする事は出来ません。身の丈に合った生活をしていても苦しさが無ければ、当然の事かも知れません。

仕事を始めて痛感した事は今迄、経験も体験もしていなかった労働の対価とお客の対応です。この歳になると仕事も資格とコネが無ければ、全く惨めです。信じられない事にお客は買物をしてお金を払う人だけではなく、全ての人でした。親父のこの気持ちがある限り、今の仕事にレッドカードが出るのは当然だったのでしょう。

これからどうするのか?その事を考えて仕事をして来たので以前とは違います。生活に余裕は有り健康にも自信があり、仮に病気をしても暫くは大丈夫でしょう。明日は本社に行きこれからの事を相談しますが、短い間の教訓は簡単には変わらないでしょう。

今日は運動靴を買いました。念願の月星です。中国のメーカーで無く国産のメーカー品を手にして喜んでも、実はMEIDOINN、CHINAかもしれません。それでも良いんです。何事も結果が意外に早く出ます。その良否は自分で決めるしかありません。人の所為、社会の所為にせず自分自身の問題として、どれだけシリアスに捕えるかでしょう。

経済も政治も激動の時を迎えています。多くの人はその対策を人に求めていますが、何も変わらず問題の先延ばしか、改善策にもならないでしょう。正直者が馬鹿を見るのではなく、他人に期待しても何も変わらない事に気付くべきでしょう。

11月に予想される選挙も、乱高下(高は少ない)を繰り返している株式市場も、景気後退の波もその結果が出る。政府に何とかしろと言われても為す術がない事に、どれだけの人が気づいているだろう。無駄な支出は出来ない。高額商品だけでなく日常生活品すら買えない人が少なくなくなるだろう。でかい面をしては商売も出来なくなる事を思い知るだろう。

今回の金融危機はアメリカの金融商品の見込み違いではない。アメリカの金融市場は暫くは立ち上がれないだろう。それ程に損失金額は大きい。未だその実態が明確にされていないが、先日の金融大手の決算を皮切りにこれから明らかになるに違いない。

アメリカ経済と国際社会の大きな流れと親父の生き方。全く関係はなくても無関係ではない。間違いなく政治も経済も多くの人の生き方も変わる。物が売れなければ商売は成り立たない。自分達のキャリアで何かが変えれると考えているとしたら、大きな間違いだろう。

あれほどアメリカのメディアが予測した(日本でも)次期大統領もチェンジだろう。「何時までも有ると思うな親と金、無いと思うな人の情け」かも。親父の事は心配するな。自分の事は自分で切り開くしかない。その事が分かっただけでも,,金を貯められただけでも、感謝しなければならない。

暫くの間は景気対策が求められる。何をするかが求められた時マスコミが一番強調するのは公共事業。赤字国債を増発して道路、建設、不動産の需要を喚起。10年前の間違いを繰り返すのか?国民の見識が問われている。今、本当に必要な施策は働きの環境改善かもしれない。お役所仕事の見直しがどんなに求められても何も変わらず、親父以下の惨めな生活をしている人が多くなれば、それこそ本末転倒だろう。

原油の値上がりも輸入資源、食料品の値上がりも一段落どころの話ではない。数か月前までは当たり前に考えられていた事が、今では当たり前ではない。常識的に考えて収入の伸びが期待出来ない個人、法人が何時までも高いガソリンが買えるのか。

経済の常識までもエリートの頭脳を以ってすれば、変えられると考えられたアメリカの金融工学の思い上がり。そこにはリスク管理の名の元に「味噌と糞(くそ)」をごちゃ混ぜにした。信用力の在る資産と無い物を一緒にすれば、ぼろ儲けは必然の結果だろう。

ぼろ儲けをして多くの繁栄の中に、破たんの時は潜んでいた。それが噴き出したのが昨年の8月。1年の時を経て今、世界は深刻な景気の収縮の時を迎えている。多くの人が実感しないのは資金を持たず、持って居たとしてもしれているからだろう。

今、世界の株式市場では多くの資金が一瞬の内に消えているが、再びの時は暫く先になるだろう。アメリカンドリームと我が世の春を謳歌したした人達も暫くは、冬の厳しさを思い知るに違いない。親父の様な年金生活者でも生き方の見直しが求められている。君はどうだろう。

賢くあれ。雄々しくあれ。そして不屈の精神と当座の生活資金を持ち合わせていれば、悩む事も苦しむ事もない。これからの時は千載一遇のチャンスかもしれない。先を見通す力が求められている。最近は羅針盤も灯台の明かりも眼にする事は無いけれど、これからは必要になるだろう。

最近、このブログを見て居て呉れる君にも多くの語りが出来るかも知れない。何かの参考にして力強く生きて下さい。日本人も最近はお馬鹿さんが多くなりましたが、最後の力は知識と体力、そしてあなたの運勢です。

親父も先週のお休みの時、奈良西の京、唐招提寺でお守りを手にしました。君が求めて呉れた浅草寺のお守りは願いは叶わなかったが、千手観音様のお守りは必ず運気向上でしょう。毎日身近に置いて握りしめて行きます。

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2008年10月10日 (金)

正に正念場?アメリカ発の金融危機

以前この国では今日(こんにち)と違って政府、金融監督官庁(昔は大蔵省、今は財務省?)は金融市場に介入が出来た。ミスター円と言われ現在は大学教授のS氏は、今回の金融危機を深刻に予測している。ドルの価値が下がれば必然的に円が上がる。多くの人には直接的には関係ないが、日本と世界の経済に与える影響は限りなく大きい。

アメリカと日本、そして世界各地の株式市場も大幅な下落を続けているが、いずれ止まる。その価格と時期を予測出来れば、間違いなく経済学者になれるでしょう。否、今日の危機を予測できず、アメリカの成長神話に追随した学者先生とエコノミスト達の見識を思うと、学識と専門家の評価は改めなければならない。

マスコミもこの期に及んで深刻さを強調するけれど、株式市場の資金の6割から7割が外人投資家とヘッジファンドである事を知れば、この暴落も必然の結果であろう。「山高ければ谷深し」と言われる金融の基本を知らなければならない。

幸か不幸か今日は週末。明日から世間は3連休。週明けの値動きが注目されるが、今夜のG-7(先進国金融担当大臣会議?)で何かが変わる予測も難しいだろう。暫くはジタバタせずに市場の動きを注意深く見守るしかないのかもしれない。

S教授はアメリカのダウ平均8000㌦、日本の株式平均8000円がキーポイントと予測しているが親父の感覚もそんな気がする。来週は模様眺めで推移しながら反転の時を、窺うだろうがアメリカの金融収縮はしばらく続き、日本の株式市場の持ち直しは企業の自社株買いと個人投資家の底値判断だろう。何れにしてもその時は近い?

物理と化学のノーベル賞受賞学者が色んな発言をしている。最近の教育は間違っていると言われても、大学受験と条件の良い会社と未来を求める大人達の欲と願望を考えると、何も変わらないだけでなく、問題は加速するだろう。格差の連鎖、嫌な言葉だけれど現実は真に厳しい。大学も例外ではなくなり親達の思いも正確には伝わらない。

本当に賢い人は現実の中に理想と醜さを知る事だろう。どんなに多くの事を語っても現実の醜さと矛盾を断つ事は出来ない。今シーズン圧倒的な力でペナントレースをリードした阪神が、シーズンのラストで失速する事を誰が予測出来たであろう。これが現実。余りに残酷。その事を思い知らなければならない。それでもこれで終わりではない。プロとアマの違いはそこに在る。

「そうか」自社株買いには規制があるのか?それも取り外されるだろう。この国に求められた事が今、逆にアメリカに求められている。「税金の投入」。民間企業がどんなに経営的に苦しくても拒否する訳は、経営者の交代を求められるから。

どんなに政府、金融監督官庁から資本注入(税金)を迫られても、最後の最後まで抵抗するのは日本の教訓を見ても分かる。資本主義経済の原則にも反する事を国家としてどこまで出来るのか?アメリカの金融危機はそれ程に大きい。

人事ではない。この国のファンタメンタルズ(基礎的条件)はアメリカとは違っても、貿易立国で円安メリットのお陰を享受し、経済発展の時を続けた事には変わりはない。アメリカの金融収縮は市場の破たんを意味している。暫くはウォール街の投資家達も為す術を失うだろう。

この国を代表する自動車メーカーの社長が多くの事を語っている。しかし、この国で自動車の売れ行きが今迄とは違う事も覚悟しなければならない。今は車のハンドルを握る機会もない親父でも7台の車を乗り換えた。それだけ豊かでは無かったが時代の流れが、そうしたのだろう。今日の豊かさとはその程度の物である。

高い買い物と豊かな生活が出来る人は限られ、多くの人がアクセクと働かなければならない。経済番組のコメンテータが自動車メーカーの社長にヨイショしているが、これからの物造り競争で勝ち抜く決め手は消費者の求める物を、今までの延長線で作る事では無い。

他所では出来ない事。他所では出来ない物造り。常識を超える物造り。何処かで誰かが口にした「メイク、ミラクル」が求められている。出来るでしょうか>やるしかないのです。勝ち組とか負け組とか言われた評価の基準も180度変わるでしょう。

ほんの1部の勝ち組と多くの負け組が対等の立場で語り合う機会は、全くありません。この国は共産主義国家でも全体主義国家ではありません。しかし紛れもなく資本主義の国です。資本主義とはどんな国なのか?これから金持ちもそうでない人達も思い知らされるでしょう。

当然親父達も例外ではありません。心して仕事をしなければ何時までもは続けられません。メイクミラクルで無くメイクレジェンド。伝説を作ろう。そう言えば買わなかったけれどそんな名前の車あったなあ。親父はシビックからアコードだったけれど・・・。

アコードの後は1800ccのスカイライン(名前だけ?)そして待望の2000GT。この車が結果的には親父の最高の相棒。この後の新スカイラインと2500ccの車はオマケ。最後の車は12万キロ(走行距離)。しかし別れの時は下取り価格ゼロだった。本当にありがとう。

経済が正念場を迎えていると声高に語られても、自分達の生き方が問われているとは思わないだろう。今回の金融の危機は対岸の火事ではない。自分達に降りかかる火の粉の大きさと多さに驚く事無く、毅然とした雄々しさで立ち向かわなければならない。

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2008年10月 6日 (月)

グッドラック、フォーユアー、ジョブ(良い仕事を)

久しぶりに笑う。9歳の少年。名前はセナ君。日本ジュニアーのカートチャンピオン。彼は10年後のF-1ドライバーになれるのか?それは分からない。それでも日本にも次世代を担いであろう少年が、現われている。それは間違いない。

親父達には間違いなく欠ける事。それは若さだろう。マッカーサーが座右の銘としたサミュエルソンの青春とは、人世の或る期間を言うのでは無いと言われているが、若さとは紛れもなく或る期間を言うのだろう。精神的にどんなに若くても体力と外観の老いの時は、誰にも平等にやってくる。

経済も政治も社会の森羅万象、その活力に盛りの時と衰退が在るのも、歴史的に証明されている。知らない事は幸せとからかわれた事が、今や立場が逆転している。しかし親父達が若かった時は必死の食い付きがあった。今はそれも無い。何かを疑問に感じる事も若さの条件では無くなっている。

若者達だけでなく壮年も高齢者も激動の時を迎えても、為す術がない。それ故に何かを思う徒労の大きさを敏感に感じているのかもしれない。明治の維新は武士階級が職を失い、先の大戦では職業軍人のみならず、多くの尊い命と共に国家の土台が揺るいだ。

今、正に同様の時を迎えていると言っても過言ではない。外観的には内乱も爆撃もなくてもこれからは間違いなく、価値観が変わる。大量生産から計画生産。円安メリットを最大に生かしてこの国の経済を牽引した企業も、大きな試練の時を迎える。

政治も同じだろう。政治が変わらなければ国も変わらないと言われて久しい。この国は世界に例を見ない文明開化と戦後の復興、高度経済成長時代を経験した。これから始まる高齢化と少子化の世界は新たな教訓と試練の時を体験するのだろう。

政治と経済の混迷の時はしばらく続き、その先に見える物は何だろう。その時は何時になるかは分からないけれど成功体験を実感する人は、間違いなく少ない。その事は覚悟しなければならないだろう。そう考えて見ると親父の困難は取るに足りないのかもしれない。

今日から始まる試練の時をそんな事を考えながら、挑戦です。頑張りましょう。

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2008年10月 3日 (金)

激動の時、対応が問われている

10月になった。朝夕は本当に涼しくなり油断をすると風邪を引く。流石に日中は日差しがきつく汗ばむが、あと半月もすると秋たけなわになるだろう。仕事は新たな試練の時を迎えている。親父のキャラがプラスに出ず、多くのマイナスだけが目立ってきた。

今の仕事を続けようと思うならばやるべき事と、やってはならない事が明確になって来た。やるべき事は絶対的信頼の獲得、やってはならない事は余計な事。親父の態度と物の言い方は根本的に変えなければ、この仕事を続けられない。その覚悟と決意が求められている。

出来るかと問われれば出来ると即応する。しかし、言うは易く行うは難しだろう。親父が永年身につけたキャラが一朝一夕に変わるとは、無理に違いない。無理を承知で可能にするには、考え方を変える事。信じている事を変えなくても、口にする不快な言葉を慎めば新たな日々が開けるだろう。

仕事の知識も突発的、非日常的、非常識的、予期せぬ事への対応は未だ未熟である。どんなに仕事に慣れたと思って見ても、何が起きるか分からない。その時の対応は口で言うほど簡単ではない。今回のミスを頭に叩き込んで対応の仕方を改善します。

経済の動向も厳しくなっている。アメリカの金融収縮は予想以上に大きい。海の向こうの話だから関係ないと思う人は少ないが、実態が良く分からない。何とかなる話ではなくても直接の係わりが少なく、関係ないと思っているのだろう。

この国の経済が成長体験を重ねていると思われたのも、数字の見方の違いだったのかもしれない。景気の力強さが声高に強調されていたのが、もろくも崩れこれからは何を目標にするのだろう。大企業だけがこの国を支えているのでは無い事を、これから痛感するだろう。

その大企業の冠たる自動車、精密企業にも大きな陰りは出ている。多くの人が多くの言葉で予測の言葉を重ねても、先行きの予測は難しい。しかし、日本企業の強さはこれまで多くの危機を乗り越えている。オイルショック、円高ショック、今度の危機はそれ以上と言われても新たなショックと語られるだろう。その鍵は何だろう。それが今問われている。

どんなに国家と企業が成長しても、個人が豊かでなければ景気の回復は難しい。個人消費の伸びはこれからも厳しいだろう。給与所得は伸び悩み多くの庶民にとって金融資産もない。株式市場と投機のチャンスも混迷の時を続けるだろう。

それでも尚、資本主義経済は活路を見い出すに違いない。何故ならどんなに市場経済の矛盾を口にしても、金持ちと中流、下流の格差は無くなる事はない。これからは年寄りが多くなり、子供達が減少する。間違いなく質素倹約と必要な生活資金が求められる。

親父の生き方と同様、国も企業も社会も地域も多くの人達さえも、考えと生き方を変えないと生き残りは困難になる。今回の金融危機はその事を問い掛けている。そう考えて見ると大きな事が見えてくる。今まで出来なかった事、今まで悩み苦しんだ事が発想の転換で、大きく変わる事が実感できるかもしれない。甘いか?それもいずれ分かる。

物を売る。物を買う。物を作る。物を使う。産業革命は19世紀のイギリスの出来事だったが、21世紀の今、新しい物造りと使い方、リサイクル、循環サイクルの確立が求められている。その変化と対応が出来た時、後世の人達が記憶と歴史に留めるのかもしれない。

困難に直面した時、たじろいでばかりいた今迄の生き方を変えるには、開き直りではなく謙虚さと簡明さが求められている。もうすぐ誕生日を迎えるけれど、今求められている事はそんな事かも知れない。関係ないか?寒い冬が来る前に温かい秋の時を満喫しょう。

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