椰子の実
名も知らぬ、遠き島より、流れ寄る、椰子の実一つ。 故郷の岸を離れて、汝(なれ)はそも、波に幾年。 作詞、島崎藤村
小学校唱歌のこの歌は知る人は少ない。知っていますか? 愛知県知多半島、先端の砂浜は木曾三川(木曽、長良、揖斐)の小石が、更に細かく磨かれて打ち上げられたのだろうか?浜松の天竜川河口の砂丘も同じだろう。
旧の(もとの)木は、生や(おいや)茂れる、枝はなお、影をや成せる。 我もまた渚を枕、ひとり身の、浮寝(うきね)の旅ぞ。(2番の歌詞)
この歌詞は藤村の思いが椰子の実に重ねられている。
実を取りて、胸にあつれば、新たなり、流離(りゅうり)の憂い。 海の日の、沈むを見れば、激(たぎり)立つ、異郷の涙。(三番)
思いやる、八重の汐じお、いずれの日にか、国に帰らん。(フィナーレ) 作曲 大中虎二
藤村が経済的にも生き方に於いても、後世の文学者が評価したその事とは裏腹に厳しさが感じられる。この歌は藤村がいくつの時に作られたのだろうか?年老いてではなく壮年の時のの感がする。「破戒」は難しかったがこの歌は切々と胸に迫るものと、親父の生き方の重なりを感じる。
最近は海を見る事もないが、伊良湖の灯台の近くで眺めた瀬戸は飽きる事は無かった。沖縄石垣の川平湾の透明な色は無くても、見ているだけで藤村が近くに立っている様だった。 「これからの人生」それを考えると新たなる流離の憂い、その物だったのかも知れない。
人間だけでなく生き物全てに華が在り、喜びと悲しみの時を繰り返す。どんなに威勢が在ってもいつかは萎んで(しぼんで)萎える(なえる)。大分の方言にしぼなえちょると言われた時は、こんな時かもしれない。この歌は一番とラストしか知らなかったが、ネットで歌詞だけでなくメロデー迄何度も聴けるアドレスを知る。
親父の人生も椰子の実と同じかもしれない。身を取りて胸に当てれば新たなり流離の思いではなく、歓喜の思いをする為にもこれからの生き方を今一度、考えなければならない。人は賢くなければ侮りを受ける。賢過ぎても嫌われる。要領と協調性が求められ、それが無ければ生きては行けない。
思いやる八重の汐じお、いずれの日にか国に帰らん。故郷はどこですか?故郷はとうきに在りて思う物、近きに在りて嘆く?物だろうか?故郷は幾つになってもいつかは帰る所でしょう。その時までの辛抱ですが本当は楽しみに出来た時、親父の明日は輝くだろう。
海に沈む日は見た事が無い。沖縄の先島諸島、波照間で見た夜空の星は息子にとって大いなる感動であったが、親父の幼き頃のそれと変わりは無かった。息子の感動に心其処に非ずでも、漆黒の満天に光る星ぼしは久々の歓待だったのだろう。
それ程に海に沈む夕日は中々、お目に掛かれない。その気になればいつでも見れるのに機会が無かっただけなのかもしれない。伊良湖岬の西に沈む夕日は鈴鹿の山と重なり、一時の輝きだろう。
キムタクがカップヌードルのCM。これから夕食の買い物です。今夜は何を食いましたか?親父はひつまぶしと言いたいところですが・・・・。カップヌードルかも。侘びしいね。食い物が貧しいと活力が出てこないとか言われるが、一番の侘びしさは半値の食材かもしれない。
それでも人は生きられる。暑い時に暑気払いが出来なくても、素麺とキーウイで舌包づつみは打てる。鱧の(ハモの)骨切りと冷奴の味に負けない納涼は心意気かも知れない。今日も明日も関西は暑い。それでも盛夏の時を過ぎれば間違いなく残暑、そして秋。
秋の始めは9月。13回忌が過ぎると親父の厄も完全に明けるのだろうか?
切符の手配で忙しい時に手数を掛けています。親父がもう少しネット社会に慣れていれば、手数を掛ける事もないのに、と思いながらも減らず口を叩いています。これからお店で買い物をしてきます。飲み物はお茶、味噌汁はインスタントのしじみ汁。おかずはカット野菜と豚の細切れ。(おいおい、もっと良いものを食え)。こんな夕食でも満足です。悲しい?全然。
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