景気後退の影響、個人的思惑
日本経済の実態が良く分からない。親父達のこれからの生活も不透明であるが、間違いなく言える事は先日も言われたが、「人の事より自分の事だろう」。自分の実態が見えずして、周りの事が見える道理が無い。それでも人の振り見てわが身に照らす賢さは少ない。
無我夢中で生きて来た時は遠の昔の話なのに、何も変わっていない処か生活環境の有様は、余りに改善されていない。元気に生きる事、思いのまま生きる事、自分に素直に生きる事、何かもっともらしい実態は貧困そのもののでありそんな日常に、そろそろ区切りをつけなければならない。
考えてみるとサラリーマン生活の時(18~51)、色んな事があったが自分のやるべき事は明確だった。組織の中で協調し与えられた職務の完全遂行だった。この事は現代の不透明な経済情勢でも余り変化は無い。それどころか成長の幅が狭まり劇的な変化も少ない。
この国の経済の有様はこれまでの成長と後退の時空体験が余り役に立たない。否、そんな時を迎えているのかもしれない。経済の舵取りは昔通産省(今は何処?)、財政は大蔵省だった。今の政権が国民に支持されない最大の要因はここに在るのだろう。
景気も財政も医療も老後も年金も健康保険も全ての舵取りが明確でない。尤もらしい事を言いながら信頼されないのは何も世の親父達だけではない。何をシナケレバならないのか?何の為にその職責を与えられているのか?その基本を明確に出来ないのは何故だろう?
責任の追及?そんな事は理由にすらならない。社会の底辺で名も知れず日々の糧を得ている人ですら、厳しい言葉を平然と投げつけられても頭を下げている。それが仕事の基本。信なくば賃を問え。信頼の裏には多くの支持が在る事を忘れてはならない。
そんな青い事を言うほど若くもないが、間違いなく現実の社会は厳しさを増すだけだろう。先日、天にわかにかき曇り稲光と豪雨が路面を叩きつける。凄い夕立。神戸では川の水かさが一気に上がり4名の尊い命が失われる。これが現実。尤もらしい言葉を口にしても災難を防ぐ手当ては容易ではない。
(これから近くのサンドイッチ店でサンドを買い、近くの公園でぼんやりしてきます。)
公園のベンチで数人が休息していた。6時前、日中の暑さが尾を引き涼しさは無い。先日のクールアースの大雨は一体何だったのだろう?。これから暫くの時を越えなければ秋の涼しさを手にする事は出来ないのかもしれない。
帰りに仕事をしているお店で夕食の買い物をする。さすがにサンドをを食ったばかりで食欲は無い。熱湯3分の塩ラーメンとさけ茶づけ、お気に入りの豆と野菜のサラダ。そして2ℓのお茶。栄養補給にゆず入りの冷奴を付ける。
夜、テレビで信州蓼科(たでしな)の風景を見ていると子供達が幼き頃の家族旅行を思い出す。自然は何も変わっていない。ビーナスライン、霧ヶ峰、車山高原。雨と霧で一寸先が見えなかったミニドライブインも今は無いだろう。全てが昔の話。夏には行けないけれど秋にはどうだろう。無理だろうな。
今日と明日はお休み。明後日から盛夏の時8月。しかし9月の初秋の時に繋がる大事な時。体調と言葉に気を付けて1日を大事にしなければならない。言うは易し、行うは難し。毎日が勉強です。景気も次の踊り場を見つける迄は試練の時でしょう。
東京株式市場は値上がりと値下がりを繰り返しているが、8月になれば外人投資家がバカンスの時を迎え、取引は一段と閑散とし少しの情報に一喜一憂する事もなく一休み、様子見だろう。原油価格も間違いなくこれ以上の値上がりは厳しいだろう。
余りに思惑に引きずられ、国の内外では景気の落ち込みが大きい。政府与党だけでなく国の舵取りに大きな影響を与えるコメンテーターの言葉に、経済の感覚を疑う発言が在る。「このままの値上がりが続けば」、アホか続く訳がないだろう。背に腹は代えられなくても赤字の垂れ流しは個人でも企業でも続けられない。それが出来るのはお役所だけ。身銭を切る経済の基本は「山高ければ谷深し」。何時までも美味しい目が出来ない事は歴史が証明している
この国の経済のけん引役は長い間輸出で支えられていた。これからもその流れは変わらなくても個人の懐具合は千差万別、大事な事は質素倹約だろう。新婚の頃、郵便貯金の金利が6%台(定期ではない)。母さんとそこそこの生活をしながら月2万の貯金が出来た。ボーナス月に25万。3年足らずで000貯まった。これからはそれ以上の事が求められている。
せこい話になりました。これから銭湯です。
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