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2008年7月

2008年7月31日 (木)

四万十川の想い

四国高知の西部を蛇行して流れるこの川を知ったのは、何時の事だったろうか?初めてこの川と出合ったのは子供達が小学校の低学年の頃だろう。何年生だったのか定かでない。遠州浜松天竜川河口竜洋から九州大分佐伯に正月帰省の時、大阪和歌山県境の加太の港から四国阿波徳島に渡り、高知の室戸に1泊翌日県を縦断して宿毛に出た時だった。

あの時、年を重ねて1人で土方(仮設のモノレール)仕事に仲間3人と来るとは、予想だにしなかった。それでも最初に通った道の記憶と途中の山間の町窪川は、かすかな記憶の中に鮮明に残っていた。徳島から室戸まで車で2時間、室戸から高知市内まで2時間、市内から窪川迄が2時間位l掛かった記憶がある。

窪川は山間のの町で帰省の時は走り抜けただけで、殆ど記憶の外だった。2度目の仕事の時は子供達がそれどれ26と24の時。多くの歳月だけでなく大切な人を失って失意の想いがやっと消えかけていた。正確に言えば止まり掛けていた命の時計が再びの時を求めて、動き始めていた。

四万十の川はあの時初めて対面する。土方仕事は木槌(きづち)を鉄パイプに叩き込むだけで難しくは無かったが、力と集中力が求められた。仮設のモノレールの仕事は地質調査のボーリング機器を運ぶ物で、ボーリングの仕事が済むと撤収し別の現場に移動した。

あの時見た四万十の川はテレビで良く眼にする広い清流ではなかった。上流の狭い川は深く湧水の如く清らかでゆったりと流れていた。仕事の疲れを癒す休憩と食事の時、川面を見ながら幼き頃の田舎の川と対比していた。

あれから8年、高知の西部と愛媛の南部を結ぶ高速道路は貫通はしていない。それでも計画は着々と進行し尺取り虫の如く、工事は進んでいる。どれ位の速さで進むのか?これからの区間は山と川が行く手を阻み、難工事が予想されても道路特定財源が確保されれば、四国一周の高速道路完成の日も遠くは無いかもしれない。

問題は地方の道路がどんなに整備されても、過疎の勢いが止められない事だろう。地方の知事がどんなの声高に道路の整備を求めても、若者の仕事と生活の場が無ければ高速道路は出来ても地方の活性化はない。今、最新の道路地図帖を見てみると良い。鳥になったつもりで田舎の風景を見てみると良い。どんなに高速道路が出来ても地方は寂れる(さびれる)ばかりです。

四万十の川は窪川の先で台地に行く手を阻まれ、山合いを北西に流れ支流を集めて愛媛の県境からやっと南に下る。 その事も知る人は少ない。知らなくても関係ないからと言われれば、その通りだろう。我々の知識とはそんなもんです。

海ののりも最近は口にする事が無いが、川のりは貴重品です。それでもスーパーで買える。四万十の川のり。結構大きめの瓶で4~五百円。以前買った時はすぐに空になり今は500円玉の貯金箱になっている。満杯に出来れば五万は貯めれるが今年一杯掛かるかも。

平成19年の刻印しか入れて無いが稀に珍しい20年とか55年物もあり、見ていると飽き無い。今日の買い物はそうめんとキーウイ。川のりと暖かご飯。漬物は白菜のキムチです。最近腹が減ると肩がコリ、血の廻り(めぐり)も悪くて頭が重い。血糖値も高いのかもしれない。

体の調子はこれからの暑さに比例して間違いなく落ちる。暴飲暴食は言うまでもなく食欲の落ち込みは体調の危険信号です。良く食べ、良く寝て、良い仕事をやろう。シジミのインスタントの味噌汁を飲みながら、フランスパンの買い置きの無い事に残念に思う。

それではこれから買い物です。

買い物はいま評判の石窯焼きのフランスパンとサツマイモ入りのパン買いました。これが意外にいけました。久しぶりにパンを買ったのでブルーベリースプレッドと蜂蜜を買う。長い間、菓子パンは買っていたが固いパンは買っていなかった。これから体の事を考えるともう少しはを噛み締めるような食い物も必要だろう。

果物は巨砲(葡萄)を手にしたが白桃に変える。2個セットのそれではなく1個。それで充分だった。皮が手で向けて果肉も美味かった。種もしっかりしていた。レジで店員がそれを転がし「交換します」とも言われたが、その必要もなかった。人間立場が変わっても態度を変えてはならない。その代償は決して小さくない事を忘れてはならない。

そうめんもキーウィも四万十の川のりも買わなかった。理由は気持ちが変わっただけ。替わりに「得正」の冷凍カレーうどんを手にする。帰ってラベルを見るとメーカーは違う。味もお湯を入れ過ぎて薄味。期待外れ。まあ、こんなもんだろう。職人の味には勝てない。

ご飯に合う国産白菜?使用の塾うま辛キムチは期待通りでした。暑い夏、汗をかきながら美味い物を食う。夏バテ予防にはこれでしょう。これで足りないのは鰻重とひつまぶし。最近サウナとナタデココにハマっているが、これは程々(ほどほど)にしなければならない。

何事も過ぎたるは及ばざるが如し。腹八分を忘れてはならない。

明日から8月。暑さが厳しくても我慢は出来る。余計な事を言わなければ曲がりなりにも仕事の手順に誤りも少なくなってきた。間違いを恐れず誤りには謙虚でなければならない。自分に問題を感じれば正せばよい。一番良くない事は何も変えれない事だろう。

明日から5日迄仕事、1日休みで3日仕事です。これで5キロ弱減量できるでしょう。メタボな親父にとってありがたい事です。仕事でどんなにつらい事が在っても減量が出来る。これは何たる皮肉ではなく喜びです。ではこれから銭湯です。

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2008年7月30日 (水)

景気後退の影響、個人的思惑

日本経済の実態が良く分からない。親父達のこれからの生活も不透明であるが、間違いなく言える事は先日も言われたが、「人の事より自分の事だろう」。自分の実態が見えずして、周りの事が見える道理が無い。それでも人の振り見てわが身に照らす賢さは少ない。

無我夢中で生きて来た時は遠の昔の話なのに、何も変わっていない処か生活環境の有様は、余りに改善されていない。元気に生きる事、思いのまま生きる事、自分に素直に生きる事、何かもっともらしい実態は貧困そのもののでありそんな日常に、そろそろ区切りをつけなければならない。

考えてみるとサラリーマン生活の時(18~51)、色んな事があったが自分のやるべき事は明確だった。組織の中で協調し与えられた職務の完全遂行だった。この事は現代の不透明な経済情勢でも余り変化は無い。それどころか成長の幅が狭まり劇的な変化も少ない。

この国の経済の有様はこれまでの成長と後退の時空体験が余り役に立たない。否、そんな時を迎えているのかもしれない。経済の舵取りは昔通産省(今は何処?)、財政は大蔵省だった。今の政権が国民に支持されない最大の要因はここに在るのだろう。

景気も財政も医療も老後も年金も健康保険も全ての舵取りが明確でない。尤もらしい事を言いながら信頼されないのは何も世の親父達だけではない。何をシナケレバならないのか?何の為にその職責を与えられているのか?その基本を明確に出来ないのは何故だろう?

責任の追及?そんな事は理由にすらならない。社会の底辺で名も知れず日々の糧を得ている人ですら、厳しい言葉を平然と投げつけられても頭を下げている。それが仕事の基本。信なくば賃を問え。信頼の裏には多くの支持が在る事を忘れてはならない。

そんな青い事を言うほど若くもないが、間違いなく現実の社会は厳しさを増すだけだろう。先日、天にわかにかき曇り稲光と豪雨が路面を叩きつける。凄い夕立。神戸では川の水かさが一気に上がり4名の尊い命が失われる。これが現実。尤もらしい言葉を口にしても災難を防ぐ手当ては容易ではない。

(これから近くのサンドイッチ店でサンドを買い、近くの公園でぼんやりしてきます。)

公園のベンチで数人が休息していた。6時前、日中の暑さが尾を引き涼しさは無い。先日のクールアースの大雨は一体何だったのだろう?。これから暫くの時を越えなければ秋の涼しさを手にする事は出来ないのかもしれない。

帰りに仕事をしているお店で夕食の買い物をする。さすがにサンドをを食ったばかりで食欲は無い。熱湯3分の塩ラーメンとさけ茶づけ、お気に入りの豆と野菜のサラダ。そして2ℓのお茶。栄養補給にゆず入りの冷奴を付ける。

夜、テレビで信州蓼科(たでしな)の風景を見ていると子供達が幼き頃の家族旅行を思い出す。自然は何も変わっていない。ビーナスライン、霧ヶ峰、車山高原。雨と霧で一寸先が見えなかったミニドライブインも今は無いだろう。全てが昔の話。夏には行けないけれど秋にはどうだろう。無理だろうな。

今日と明日はお休み。明後日から盛夏の時8月。しかし9月の初秋の時に繋がる大事な時。体調と言葉に気を付けて1日を大事にしなければならない。言うは易し、行うは難し。毎日が勉強です。景気も次の踊り場を見つける迄は試練の時でしょう。

東京株式市場は値上がりと値下がりを繰り返しているが、8月になれば外人投資家がバカンスの時を迎え、取引は一段と閑散とし少しの情報に一喜一憂する事もなく一休み、様子見だろう。原油価格も間違いなくこれ以上の値上がりは厳しいだろう。

余りに思惑に引きずられ、国の内外では景気の落ち込みが大きい。政府与党だけでなく国の舵取りに大きな影響を与えるコメンテーターの言葉に、経済の感覚を疑う発言が在る。「このままの値上がりが続けば」、アホか続く訳がないだろう。背に腹は代えられなくても赤字の垂れ流しは個人でも企業でも続けられない。それが出来るのはお役所だけ。身銭を切る経済の基本は「山高ければ谷深し」。何時までも美味しい目が出来ない事は歴史が証明している

この国の経済のけん引役は長い間輸出で支えられていた。これからもその流れは変わらなくても個人の懐具合は千差万別、大事な事は質素倹約だろう。新婚の頃、郵便貯金の金利が6%台(定期ではない)。母さんとそこそこの生活をしながら月2万の貯金が出来た。ボーナス月に25万。3年足らずで000貯まった。これからはそれ以上の事が求められている。

せこい話になりました。これから銭湯です。

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2008年7月25日 (金)

椰子の実

名も知らぬ、遠き島より、流れ寄る、椰子の実一つ。                                       故郷の岸を離れて、汝(なれ)はそも、波に幾年。 作詞、島崎藤村

小学校唱歌のこの歌は知る人は少ない。知っていますか?                     愛知県知多半島、先端の砂浜は木曾三川(木曽、長良、揖斐)の小石が、更に細かく磨かれて打ち上げられたのだろうか?浜松の天竜川河口の砂丘も同じだろう。

旧の(もとの)木は、生や(おいや)茂れる、枝はなお、影をや成せる。               我もまた渚を枕、ひとり身の、浮寝(うきね)の旅ぞ。(2番の歌詞)                 

この歌詞は藤村の思いが椰子の実に重ねられている。

実を取りて、胸にあつれば、新たなり、流離(りゅうり)の憂い。                   海の日の、沈むを見れば、激(たぎり)立つ、異郷の涙。(三番)

思いやる、八重の汐じお、いずれの日にか、国に帰らん。(フィナーレ) 作曲 大中虎二

藤村が経済的にも生き方に於いても、後世の文学者が評価したその事とは裏腹に厳しさが感じられる。この歌は藤村がいくつの時に作られたのだろうか?年老いてではなく壮年の時のの感がする。「破戒」は難しかったがこの歌は切々と胸に迫るものと、親父の生き方の重なりを感じる。

最近は海を見る事もないが、伊良湖の灯台の近くで眺めた瀬戸は飽きる事は無かった。沖縄石垣の川平湾の透明な色は無くても、見ているだけで藤村が近くに立っている様だった。  「これからの人生」それを考えると新たなる流離の憂い、その物だったのかも知れない。

人間だけでなく生き物全てに華が在り、喜びと悲しみの時を繰り返す。どんなに威勢が在ってもいつかは萎んで(しぼんで)萎える(なえる)。大分の方言にしぼなえちょると言われた時は、こんな時かもしれない。この歌は一番とラストしか知らなかったが、ネットで歌詞だけでなくメロデー迄何度も聴けるアドレスを知る。

親父の人生も椰子の実と同じかもしれない。身を取りて胸に当てれば新たなり流離の思いではなく、歓喜の思いをする為にもこれからの生き方を今一度、考えなければならない。人は賢くなければ侮りを受ける。賢過ぎても嫌われる。要領と協調性が求められ、それが無ければ生きては行けない。

思いやる八重の汐じお、いずれの日にか国に帰らん。故郷はどこですか?故郷はとうきに在りて思う物、近きに在りて嘆く?物だろうか?故郷は幾つになってもいつかは帰る所でしょう。その時までの辛抱ですが本当は楽しみに出来た時、親父の明日は輝くだろう。

海に沈む日は見た事が無い。沖縄の先島諸島、波照間で見た夜空の星は息子にとって大いなる感動であったが、親父の幼き頃のそれと変わりは無かった。息子の感動に心其処に非ずでも、漆黒の満天に光る星ぼしは久々の歓待だったのだろう。

それ程に海に沈む夕日は中々、お目に掛かれない。その気になればいつでも見れるのに機会が無かっただけなのかもしれない。伊良湖岬の西に沈む夕日は鈴鹿の山と重なり、一時の輝きだろう。

キムタクがカップヌードルのCM。これから夕食の買い物です。今夜は何を食いましたか?親父はひつまぶしと言いたいところですが・・・・。カップヌードルかも。侘びしいね。食い物が貧しいと活力が出てこないとか言われるが、一番の侘びしさは半値の食材かもしれない。

それでも人は生きられる。暑い時に暑気払いが出来なくても、素麺とキーウイで舌包づつみは打てる。鱧の(ハモの)骨切りと冷奴の味に負けない納涼は心意気かも知れない。今日も明日も関西は暑い。それでも盛夏の時を過ぎれば間違いなく残暑、そして秋。

秋の始めは9月。13回忌が過ぎると親父の厄も完全に明けるのだろうか?

切符の手配で忙しい時に手数を掛けています。親父がもう少しネット社会に慣れていれば、手数を掛ける事もないのに、と思いながらも減らず口を叩いています。これからお店で買い物をしてきます。飲み物はお茶、味噌汁はインスタントのしじみ汁。おかずはカット野菜と豚の細切れ。(おいおい、もっと良いものを食え)。こんな夕食でも満足です。悲しい?全然。

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2008年7月23日 (水)

暑き日を海に入れたり最上川

芭蕉は奥の細道でこの句をどんな思いで詠んだのだろう。今と違って最上川の水量は多くその勢いは、酒田の暑さをも日本海に押し込んでいると感じたのだろうか?大阪は明日から天神祭、暑い暑いと言いながら大川の流れにはその勢いは無い。うだる様な暑さの中に一時でも清涼感を感じるのは皮肉にも、サウナの後の一杯ではなく白ブドウとナタデココのゼリーかも知れない。

久しく納涼の旅には出ていない。暑い都会の眠れぬ夜から解放される時は、その気になれば何時でも出来る。出来ると思っているから出来ないのだろう。きっちりかっちり日時と場所を決めなければ、今年の夏も又、これまでと変わらぬ暑い夏に終わるだろう。

子供達が幼い頃から夏の日の思いでは山と川だろう。山と言えば飛騨高山と奥飛騨温泉郷西穂高ロープウエー。川と言えば大井川、杉川、気田川。いづれも過ぎし日の幻であり、陽炎(かげろう)でもある。あれから多くの年が流れ年は取っても自然は何も変わらず、再会の時を待っているに違いない。必ず行こう。必ず老いの時を迎える前に。そう考えれば日々の苦労も大いなる支えに違いない。

昨日と今日は仕事は休み。明日一日仕事で金曜日と土曜日休み。それから3日仕事。そして2日の休みで今月は終わる。最近は不手際と不規則発言が重なり厳しい叱責を受ける。多いに凹んでいるがこれしきの事に弱音は吐けない。今までの事を思えば之もまた、試練である。

最近、痛感する事は「己のミスは人に転嫁してはならない」。人の所為にするからムキになる。自分の言葉と態度に問題があり、その事を指摘されている。それが分かれば態度も変わる。仕事は真剣勝負。食うか食われるかである。その事を今一度、問われている。

自分を余り追い込む事は結果的に逆の効果となる。肩の力を抜いて今一度、自分の仕事の有り様を変える。その事が求められている。人の事を考える余裕は無い。国の無様な姿も今年の夏と同じだろう。親父のつぶやきも何の支えにもならないだろう。

「何かが変わる」「全てが変わる」そんな歌があった。そんな思いを強くした事もあった。親父は単純だから自分の思いを平然と口にする。結果と相手の思いもあまり考えていない。これもこれからの仕事を考えれば変えた方が良い。自分の思いに相手の思いが重なるのは奇跡かも知れない。鶴の恩返しの意味が最近になって分かって来た気がする。

今日は禿頭の散髪に行って来ました。本当は剃髪(ていはつ)の気分でしたが、それ程の髪の長さと黒さもなく変わり映えもなく、気分一新とは行かずそれでも心は日々あらたです。暑い夏、夏バテしないで美味い鰻でも食いましょう。

ナイターが終わりました。阪神の完敗です。しかし、勝利の女神は相手にほほ笑んだだけで今シーズンの優勝は時間の問題でしょう。これほどの圧勝の予測はシーズン前にどれだけの人が出来たでしょう。勝負の世界は事ほど左様に厳しい。況や(いわんや)仕事でも。

経済的事情で公立高校の中退者が多くなっていると言われる。親父達の時代とは様変わりとなっている。世の中はどんなに変わっても人々の生きる時代と生き延びる時代は変わらない。大事な事は不撓不屈の精神かも知れない。

明日も暑い一日になりそうです。無事仕事が出来る様に精進します。

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2008年7月18日 (金)

納涼の旅

昨日、祇園祭が京都で行われた。山鉾巡行。戦災、無病息災、家内安全、多くの願いを込めた京都町家の伝統行事は今年も盛大に行われた。岸和田のだんじりや国内各地の屋台引き回しとは全く違う巡行。見せ場は四条河原町交差点の左折。8トンから11トン余の山と鉾が青竹の上を引きずられる有様は、観光客の歓声を受ける。

それでも何度も見たくは無い。棲ざましい人、人、人、そして熱気。1度あの興奮を味わうと充分です。それよりも京都の涼しさは町家の中と北山、東山、西山に在る。南は鴨川、桂川と共に山崎、八幡の括れ(くびれ)を抜け大阪に至る。

北山は高雄、東山は神社仏閣、西山は嵯峨野。大古の人の知識にはそれくらいだろうが、その事は現代でも左程変わりは無い。親父の感覚では何と言っても納涼の旅は、北山杉の周山街道か出町柳から小浜に通じる鯖街道だろう。

先日のテレビで2回にわたって放送されたが、親父の好きな風景は一部分でしかなかった。本当の良さは行って見ないと分からない。今は車を手放しているが(理由、維持出来なかった。仕事に使わなくなったから。)季節の変わり目には必ず行っていた。

今でも免許は更新しているので、その気になれば何時でも行ける。さすがにレンターカーで高速を走るのはどうかと思うが、車の運転は素人には負けない。最近、景気の牽引者でもあった車の売れ行きに陰りが出ているのも、当然だろう。車の価値がどんなに大きくても、費用対効果を考えるとこの動きは変わらないだろう。簡単に言えばお金に余裕が有っても無くても同じだろう。

そんな訳で今度の休み、何処にも行かず暑い夏を実感していました。今月はお休みが多いので気持ちは変わらないでしょう。その気になれば束縛(そくばく)される物は何もない。最近の出来事で不快に思う事も少なくないが、己の至らなさに思いを巡らせば心のいら立ちは一時の浅はかさだろう。本当に馬鹿げた事が平然と行われている。

今日の最高裁判決で旧長期信用銀行の頭取、経営責任者の無罪が確定する。法律論で経営責任が問われても、無罪なら企業を破たんさせた責任はどうなるのだろうか?この国の1番の問題点は事の本質を曖昧にして、尤もらしい言葉を語る。何様と思っているのだろう?

親父の怒りは極論かもしれない。そう思われても仕方がない。今問題になっている年金にしても、燃料費の値上がりにしても、物価の値上がりにしても、景気動向にしても多くの問題が事の本質に迫らず、感情と表面だけをかき回している。何も改善されず、そのうちに話題すらならない。官僚と政治家、学者先生、1部のコメンテーターに引きずり回されている。

この国が棲ざましい経済成長と健康で文化的?な国民生活を達成したと感じたのは、幻だったのかも知れない。高度経済成長が止まり安定した社会の恩恵は、どれだけの人が受けているのだろう。考えてみる事もなかったがこの歳になって思い知るのも無駄ではない。

何事も安定の中に変化が在り、その細かな動きを見誤れば足をすくわれる。これまでどれだけの同じ思いをしただろう。余りに一つの事に真正面から突き進んだ代償は小さくない。後ろを振り向く事無く前を見れば、自ずと道は開ける。大好きな高村光太郎の詩に「僕の前には道は無い。僕の後に道が出来る」とあるが、親父の信念は前を見る事だけです。

先日のブログに書きましたが今年の夏は暑くて、息が抜けないだろう。仕事も同じです。厳しい競争の結果は毎日出る。毎日毎日僕等は鉄板の上で何とかと歌われた、泳げたいやきクンに負けないでアッピールしょう。

アメリカの景気動向は一段と厳しくなっている。いつの間にかこの国のバブル経済と同じ道を歩いていたとは、この国の経済行動の改革を声高に叫んだ小泉改革の当事者でも、知らなかったのだろうか?住宅価格の下落はアメリカンドリームだけでなく、アメリカの金融工学とリスク管理の甘さを露呈している。あまりに理論がお粗末でその言葉に踊らされた代償はこの国の金融のプロ?も払うのか?これは経済の領域ではない。詐欺です。

昨年の今頃、サブプライムの言葉を聞いた。高い金利の負担に支払い不能となり住宅から追い出される悲劇。最近、アメリカにも住宅公社が2社(ファニーメイ・フレディマック)あり、いずれも民間の会社で株価が暴落している事を知る。(60~70ドルの株価が10ドル台)

アメリカ財務大臣、バーナンキ(FRB)議長は経営破たんは無いと強調しているが、政府の保証は日本の国民総生産(GNP)に匹敵すると言われている。民間の債務にどれだけ政府の介入が出来るのか、金額の大きさと対応に万一の事があれば信用不安は、一気に高まるだろう。

親父は明日から3日間の仕事です。世の中は3連休とか。いろんな事が在るでしょう。何事も自分の為と思えば思いは変わるでしょう。これまでの思いは過去の事です。前を見据えて前進あるのみでしょう。言動に気を付けて謙虚な行動に邁進します。

納涼の旅はまだまだ先の事になりそうです。楽しみは先の方が良いかもしれませんが、余り先延ばしにも出来ないかも。それまでは暑さに戯れながらいい仕事(Good、job)をします。今月末は土用の丑の日。美味しい鰻が食えるでしょうか?

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2008年7月16日 (水)

親父の夏休み

暑い日が続いていますが近畿地方も梅雨明けとか。昔は梅雨明け10日は快晴の暑い日が続くと言われたが、昨今の気象状況は少し違って不安定、不確実の感がする。今年の梅雨はまとまった雨は少なかったが、水不足ではないらしい。

その替わり久々に暑い夏の到来を感じる。昨年のこの時期、クーラーの効いた所で否、効き過ぎた所で時を忘れて少ない大事なお金のやり取りをしていた。負けられない勝負、2度と味わいたくない思いと生活からの脱出は困難の時を繰り返していた。

今はあの時の思いが今年の熱波の様に感じられる。朝一番の開店から夜、ほろ酔い気分のサラリーマンと仕事帰りの御同輩と交代するまでは、オバちゃんと失業中のオッちゃん、兄ちゃん、その他の輩と肩を並べて黙々と玉を弾いていた。勝っても負けても喜びは無くそれでも明日の必勝法だけは忘れてはいなかった。負ける事は当然でもそれを続ける事は、即、アウトだったからだろう。言われるまでもなく13階段の道、その先に見える物は再びの天国への一直線。しかし、神は我に再びのチャンスを(試練)与える。

日本人は信仰心に薄く平然と「私には信じる物がない」と口にするとも言われるが、そうではないと思っている。「神も仏もない」と嘆いて見てもそれはその人の生き方だろう。この国には太古の昔から多くの信仰があり、人々の生活はその上に成り立っていた。

最近は日々の生業(なりわい)に目を奪われて、心の安らぎ、精神の支柱を見失っても平然と出来る輩も少なくない。本当に地獄と極楽の意味すら知らない罰当たりも少なくない。人は何故に生きるのか、生かされているのか、全ては神のみぞ知る。神の存在をどんなに否定しても生きて行く事は出来ない。その事が分かれば生き方が変わる。

親父は伝道師でもお母さんの戒名を付けて呉れた静岡掛川大雲院の大和尚でもない。それでも人としての生き方を忘れた事は無い。さすがに明日の糧をなくした時にはこれでおしまいと思ったがそんな勝手な事は出来なかった。人間万事塞翁が馬(中国の格言)。嘆き悲しみの原因は歓喜と興奮の原因でもある。その感じる時がずれているだけである。

この仕事を始めて半年を過ぎた。昨年の今頃はハーローワークに行ってもパソコンを見るだけだった。大体、この組織の管轄は労働省?何で民間の組織になんないの?今だに人気が有りその事自体が胡散臭い(うさんくさい)と思っている「民で出来る事は民でやる」

あのおっさん(小泉元総理)とあの政策(郵政民営化)を支持した有権者は、今、この国でどれだけの税金の無駄使いされているのか知らない。角言う親父もそれ以上だろう。これから情報公開が進めばますますこの流れが進むと思いきや、実態はそうではない。

ここにこの国の有権者の実態が在る。何かを変える時大きな困難が出るのは当然で、これは歴史的に見ても証明されている。変化と混乱は好むと好まざるとに関わらずやってくる。国が豊かになり経済が安定すれば、これも当然の事かもしれない。しかし、安定の時が続けば水は澱む(汚れる)。その事の重みをこれから思い知るだろう。

燃料の高騰で燃料費の補てんが求められている。しかし、どうして全ての業界のコストアップを税金で賄えるのだろう?道路特定財源の時も地方の知事は道路財源の継続を求めた。一方では税収の伸びは期待薄、取り立ての人材は足りず取れる処からしか取れない。

与党も野党すら消費税アップに反対。公約にすれば選挙に勝てないとか?ではどうするの?民間活力を生かす?役人を減らす?行政の無駄をなくす?何もしなければ問題の赤字は先送りか?今の政治家の若手と言えどもその程度です。その代償は限りなく大きい。

親父も3日間夏休み?仕事の時にはまだまだ多くのミスが有りますが、仕事を離れると立場は変わります。お客さんです。いろんな客に色んな事が求められますが、自分がその立場に立って物事の在り様を考えてみる事も、無駄ではないでしょう。

景気の現状はそのポジションで見方も変わる。天気も同じだろう。暑い暑いと顔をしかめて見ても何も変わらず、状況の改善はない。何かを変える前にまず自分が変われ。自分が変わらなくて何が変わる。その事が分かれば問題の大勢は味方となる。

今年の夏、ヨーロッパの為替と金融の関係者はバカンスが取れないと言う。昨年はアメリカの金融問題でゆっくり出来なかったと言われている。国際化、情報化時代と言われて久しいが、ゆっくりバカンス(この国では夏休み)を取るには、開き直りも必要かもしれない。

話は難しくなるから棒読みでも良い。国内の景気の後退が確定しつつあるが、政府の見解は少し異なる。親父の感覚は個人的には小銭が(そうでもない。汗と涙の結晶)貯まったがこれからは厳しいだろう。所得に明るさが無く消費が暗い。買い物が出来なくなる人も少なくない。(信じられない光景。万引き。水汲みのみ。ゴミ捨て。嫌がらせ。クレーム。)

この国に大きな影響を与えるアメリカの金融の実態は予想以上に悪い。金融の危機をこの国で経験したのは10年以上前の事だが、その時、政府の介入が遅れアメリカのエコノミストから批判された。それ以上の問題をどれだけの人が認識しているだろう。

日本の金融当局の政策は「To、late、To、small 」 遅すぎる、小さすぎると言われた。アメリカの今回の対応はどうだろう。親父は今年の暑さ以上の危機(kuraisisu)だと思う。日本のバブルはその代償に10年の長きと多くの犠牲を払うが、アメリカはイラクの戦いの戦費が調達できなくなる。それ程に経済の法則を無視した金融のデタラメは長くは続かない。

大体、格付会社のトリプルAが不良債権ではアカンやろ。格付、会計士、監査、会社業績に不正があればそれは詐欺である。その代償はこれから求められる。アメリカンドリームの言葉と虚像に踊らされた人達は結局、騙されたのだろう。

洞爺湖サミットで環境問題の合意は出来たが、何も変わらない。金融の問題ではドルの安定も論議されても、現状では難しい。ドル高、円安の基調はこれから望まれても難しい。金融のプロでも予測を出来ない混乱の時は、暫く続くだろうが潮目は変わっている。

最後にガソリン価格について。このまま原油の先物価格が上がれば1ℓ200円でもおかしくないとまことしやかに、エコノミストが解説していた。親父はそれは絶対に無いと思っていた。そんなガソリン誰が買えるのだろう。あの時の思いは変わらない。

原油は間違いなく下がる。今の価格が異常に高い事は誰もが認めるだろう。高いと思えば消費者は買わないか、買う量を減らす。それしかないだろう。誰でも分かる経済のイロハ。都内も大阪も車の量が減り、渋滞が解消されている。当然だろう。

ガソリン価格は暴落の予感がする。今の180円では車に乗れないだろう。燃料費の高騰は国内の産業を未曾有(みぞう)の不況に追い込んでいる。コスト高とか企業努力とか言えるレベルではない。政府の施策に期待するのではなく、この状況は続く事を前提に問題の改善を計るしかないだろう。

お仕事ご苦労さんでした。暑い時に暑い語りになりました。しかし、これも現実です。明日は早起きが出来れば(無理だな)、納涼の旅に出たいけど一人では行かないだろう。

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2008年7月15日 (火)

目から鱗(うろこ)が落ちる

何かがきっかけになって急に物事の実態が見えて理解が出来る例え。この言葉の意味を実感する。しかし、日本語としてはおかしい。眼から鱗(うろこ)ではなく心で問題の本質が分かる事だろう。何が相手を不快にするのか?何が欠けて神経を逆なでするのか?説明の言葉は難しくないが、当り前と思われる事が出来ない苛立ちは(いらだちは)表情からありありと覗えた(うかがえた)。説明を受けながらお互いに不快の念が高まる。そんな事は無いだろうか?

今まで多くの事を教わるが、出来なかった事はキャリア(経験と慣れ)でカバーしていた気がする。しかし実際は個性と性格が邪魔をして、自己流で固まっていたのだろう。個性は様々で長所を生かし短所を補うのがリーダーたる者の要件と信じ込んでいた。

その思いが急に変わる。仕事だけでなく個人的にもオーバーに言えば人間関係でも、親父が鼻持ちならぬ存在である事が、本当には理解できていなかったのだろう。人の事を批判するのは簡単でも自分自身の事は本当には良く分かっていない。

自分が分かれば全ては自明(じめい…明確)。目から鱗の言葉はキリストの教えを説いた例えで言葉としては分かっていたが、実感する事は全くなかったと言えよう。昨日、それが体験出来た。(ウソでしょう、信じられない、一時の錯覚でしょう)。何とでも言って下さい。

親父の一番苦手と言うより出来ない事、正確に言えば嫌な事。それは相手に媚びる事。掌を(てのひらを)変える事。慇懃無礼(いんぎんぶれい・・・物腰は柔らかくても礼がない)。個性が無い。そんな生き方を続けて変える事をしなかった。

自分で誇りにしていた事がこの仕事では何の役にも立たない。逆の言い方をすればそんな物はマイナスでしかない。この仕事を本当にやろうと思うなら人間としての生き方だけでなく、全てを変える。そんな当たり前の事が分かった気がする。それ程に親父の態度はデカかったのかも知れない。自分では全くその気がなくても廻りはそんな目で見ている。当然の結果と思う。その事に気付けばこれからの仕事の評価は全く違うだろう。

言葉と態度は一朝一夕には変わらない。それでも自分の姿を鏡に映す気持ちがあれば、全てが変わる。言葉も態度も研修の時から考えれば大きく変わっている。今日からの仕事で昨日感じた思いを忘れなければ、必ずかわる。その時、お金に換えられない悦びを手に出来るだろう。煙草を止めた。パチンコを止めた。そして仕事の取り組む態度を変える事が出来たなら、生き方が変わる。今年の夏は本当に暑い。

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2008年7月13日 (日)

サウナも体力勝負

静岡浜松二俣の地名と場所を知らない人は少なくない。親父も32年前、大阪から浜松に転勤するまでは知らなかった。昨日はその二俣で今年初めての暑さを記録したとか。何度だったのだろう?そんな事はどうでも良いが何で南の島より暑くなるのか?これはチョト難しい。

太平洋の高気圧、熱風が日本列島に押し寄せる頃になると山脈のふもと、盆地は高温になる。京都の暑さも今年の夏は大変だろう。それ故に洛北鞍馬、貴船、高雄の納涼は何よりの夏の贅沢だったのだろう。庶民には出来ない高価な避暑も身分と経済力さえあれば、容易い事であり、生き方すら変わったのかも。それ程に生活格差は何も今日的問題ではない。

大阪も昨日は暑かった。これからしばらくは激暑の時を迎える。庶民に出来るお手軽な避暑法は何と言っても銭湯です。最近は家庭風呂が当たり前になっているが、広くて深く綺麗なお湯はなによりです。近くの銭湯は炭酸泉、疲れが取れる触れ込みは本当だろう。

最近は汗が肌に残っているからだろうか、ねっとりとした肌感触は室内の暑さと複合して気持ちが良くない。そんな時はサウナに限る。銭湯料金+200円。お金よりこの歳になると体力に気が掛かる。サウナの室温は半端ではない。若い頃は噴き出す汗に自慢し合っていたが、さすがに今はそんな元気もない。動悸、息切れは無くても熱風に体が耐えられない。

汗が出てくると滴り落ちる快感を感じる間もなく、水風呂に体を沈める。昨年まではこれが定番だったが一回だけ目まいがした事がある。あれから水風呂は止めていたが、昨日は工夫をする。足の痒みには高温の肉体を一気に冷やすのが一番。汗かいた体を一気に入れず膝まで、腰まで、胸まで、最後に肩まで順番に入れる。

これは正解だった。数回繰り返して最後に火照った(ほてった)体に、水のシャワー。10年前の勢いが消えたのは寂しいが、これからは自分の体と上手に付き合わなければならない。昨日、健康保険料の今年度の確定通知書が来る。今年は前のブログにも書いたが、年間の保険料が9回払いになる。昨年の所得が減ったので保険料も比例したが、それでも少ない金額ではない。国民健康保険料の未納者が多くなるのは必然かも。それでもその後の無保険状態は病気が出来ない事の証明である。病気が出来ない。その意味の理解が出来ていないと大変な事になる。

年金と保険の理解は難しい。年金の在り方も健康保険のそれも、若い時、元気な時はその重みと負担の大きさも気にならない。皮肉な事に年老いて病気をしてその事が分かる。今は年金生活者となっても働ける事に感謝しなければならない。

気持ちだけではない。行動が伴わなければならない。これは言うは易し、行うは難しだろう。もうすぐ朝が来るが親父にとって本当の朝は、もう来ているのかもしれない。長い長い暗闇の時を抜けた感覚は誰にも分からないのかもしれない。後になって気付くものだろう。

このまま気付かないかも知れない。人生はそんなに甘くはないと何度も実感した。それでも運命の悪戯は(いたずら)誰にも公平であり不公平でもある。運命は変える事が出来ないけれど試練は勇気を持って乗り越えなければならない。

暑い夏、喜びの時を重ねなければならない。その為に何を為すべきか?親父の一番大事な誇りと自負の思いすら脱ぎ捨てて、何を求めるのだろう?それだけは今までもそうだった様に出来ないかも知れない。その時は次の策を考えれば良い。自分の心にそんな思いがあるのは、同世代に自慢できる事かも知れない。その為に耐えれば良い。

期待していた鯖街道のテレビはイマイチでした。親父の好きな朽木の道はホンの一時で、期待外れ。それもやむおえない。朽木の天国との梯は(かけはし)親父の体験であり、テレビで伝える事は出来なくて当然です。興味があればいつでもご案内しましょう。では又。

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2008年7月12日 (土)

禍転じて福となせ これからが勝負

昨夜は寝れなかった。銭湯に入って汗とミスの洗い流しをした筈なのに石鹸の使い方が足りなかったのだろう、軽い睡眠の後、脛(すね)と甲、膝頭(ひざがしら)と痒み(かゆみ)が止まらない。暑さの中、ポリポリとかいていると目が冴えてくる。同時に頭もミスの大きさと信頼の揺らぎに胸まで搔き毟りたくなる。(かきむしりたくなる)。 悶々と寝返りを打ちながら覚悟を決める。(これも新たな試練。ミスの重みを痛感するなら再発防止の策を成せ。)

そう思っていたら昼前だった。仕事は2時から。その前に隊長から厳重注意を受ける。細かい事から大きな事までこれまでミスを起こす度に、再発防止の対策を取っていたが長く続かないのは何故か問われる。頭を下げるしかなかった。言い訳の言葉もない。

考えてみると知らない事、分からない事が少なくなり、ヒュウマンエラー(人間性ミス)ポカミスが多い。この対策はミスの要因を明確にしてその要素を排除する。多くのミスは一つ一つの事に集中せず、別の事を考えている。今回のミスもそうだった。やるべき事をすっかりやらなかったのは、他の事に注意が集中してその行動に先走りした事。

やるべき事は決まっている。この手順は如何なる事が有っても変えてはならない。仕事をしていると予期せぬ事が起きる。手順の途中に別の事をやらなければならない事も要求される。その時ミスをしている。其の侭作業の変更が無ければミスに全く気付かない。

この対策は頭の中だけで考えて来たが、それでは駄目、チェックリストを作る。マイチェックリスト。これを作る。作業手順のメモ帳は今では見ずに仕事が出来る。そこにミスの要因は在る。明日(今日)は休み。文具屋さんで金箔のあのメモ帳を買おう。

この仕事を始めて半年が過ぎた。昨日も色んな事があったが禍を(わざわい)福とするのがこれからの仕事だろう。自分の仕事の評価は人が決める。その事を忘れてはならない。自分の事を棚に上げて人の批判をするのではなく、「己が変われ」その事が今問われている。

この夏の課題です。暑い夏、汗をものともせず味方にして乗り切るキーワードはこれしかありません。これが出来ると親父も一皮むけるでしょう。この歳になっても尚、挑戦あるのみです。どんなに笑われてもどんなに人の誹り(そしり)を受けても、人は人に笑われながら成長すると教えられた研修語録は今でも忘れてはいない。

この夏は間違いなく盛夏です。好むと好まざるとに関わらず多くの人が、これからの生き方を問われるでしょう。嘆きも哀しみも乗り越える試練の時は目前です。スイカを英語で言うとwater,melon これは直訳の気もするけれどモリモリ食いながら、汗をぬぐいたい。

今夜の10時半、テレビ大阪、東京 「鯖街道」後編、必ず、見て下さい。そして感想聞かせて下さい。あなたの知らない道がきっと虜にしてくれるでしょう。(宣伝し過ぎかなトヨタさん)

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2008年7月10日 (木)

大気不安定、景気も不透明、親父はどうだろう。

昨日は朝昼兼用の弁当と新聞を買ってチャりで戻る途中、土砂降りの雨に合う。シャツもズボンもビショビショ、弁当は大丈夫だったが新聞も濡れ、散々(さんざん)だった。それでも何故かこれから始まる暑い気候を肌で感じて、実感の薄くなった幼き頃の夏の夕立ちを思い出していた。

今日も夕方から雨になり甲子園の巨人線も中止となる。4年前の夏、球場近くの駐車場で半月近く働いた時は9月になっていた。あの夏は台風が関西を何度も直撃し、地震もあった。今年は暑い夏になったとしても、心豊かに安息の日々を過ごしたい。その為には何を為すべきか?心に深く定めて記憶に残る盛夏にしたい。

そんな訳で近くの五月山には登れず、雨のお陰で何処にも出掛けずのんびりとしていました。これまでの生活習慣なら休みの時、気分転換とか暇つぶしとか尤もらしい言い訳を考えてパチンコをしていた。昨年の12月、仕事を始めてきっぱりと止めた。

禁煙は5年前、禁酒はするほど飲まずそれでも食い過ぎでメタボだった。体重が85kg。胴周りが105㎝でも全然平気だった。意識に変化が出たのは昨日のブログにも書いたが、体に異変が起きた時昨年の夏、ふらつきとむかつきが出た時だった。

真っ先に心配になった事は脳の血管。太り過ぎと高血圧については下の息子から、電話の度に厭味(いやみ)を言われていたので(失礼、心配でした)これまでかと覚悟する。市内の専門病院は検査の予約がなかなか取れず、隣町の開業医の診断を受ける。

今でもあの時の不安は忘れられない。年寄りが多い待合室で検査結果を待つ時間は長かった。あの時の気持ちがあったからその後の決意があったのだろう。「減量しょう。しないとアカン」「手遅れかも知らないが・・・」。検査結果は先生の一言でセーフだった。

「100点満点はやれないが90点以上95点以下。減点の箇所は出ていないが太り過ぎ」。安堵の思いを重ねながら先生の言葉を噛みしめていた。「何としても痩せる。何としても血圧を下がる」。真剣な思いで診断の結果を聞いている私に先生はダメ押しの言葉を呉れる。

「元気な時に今の思いを重ねなさい。歳の割には血管の状態は良い。しかし、何時までもは続かない」「腹八分に心しなさい」。あれから1年、減量の思いが変わらないのは決意の強さだろう。人は本当に大事なものを無くさないとその大切さが分からないのだろう。

その一端に手を掛けた時、本当は分かるのかもしれない。

洞爺湖サミットが終わり原油の値上がり、インフレの進行が深刻になりつつある。原料を輸入して加工して付加価値を付け輸出して経済が成り立つこの国の明日が厳しい。しかし、経済のサイクルはエコノミストがもっともらしく語るように複雑ではない。

今回の不況の原因は政府、行政の危機認識の甘さに在る。難しい話になるが任期が半年になったアメリカの大統領が、どんなにドル高を強調しても無理だろう。ドル高で長い間世界経済が回っていたからと言って、これからもそれを望むのは無理だと市場から通告されている。今、世界の経済大国の共通の課題は利上げしかない。金利が限りなく0に近い日本がインフレに歯止めが掛かるのは、暫く先の事だろう。

暑い夏は電気の使用料がピークとなり原油価格も高止まりかも知れない。しかし、高速道路の自家用車両の通行は減り、都市の交通量に変化が出ていると言われている。間違いなくガソリンの使用量は減るだろう。需要が減れば供給価格は下がる。どんなに輸入価格が下がらなくても値崩れの時は、遠くは無い。そうでなければ物流業者の経営は成り立たない。

生活必需品の値上がりも同じ事が言える。親父が何時も買っている飲料茶2ℓも230円前後では売れない。198円でも当たり前。高い商品はそれなりの収入が無ければ買えない。一回の買い物でどれだけの買い物をしているか、正確に書き出して見ると良く分かる。

収入に伸びが無く将来の生活設計に不安を感じれば、どんなに価値があっても低所得者には手が出ない。だから高い買い物はカードで無ければ出来ないが、それも無限ではない。消費生活者は正規の雇用者だけでない事をこれからの景気動向で知るだろう。

政治は分からなくてもいいが経済は分からなければならない。政治は分からなくても大きな混乱はマスコミがチェックできる。経済はどうだろう?需要と供給のバランスから思惑と金あまりでおかしくなっているが、何時までも美味しい思いが出来る訳がない。経済がクレームをつけている。思い知らされるのもこの夏かも知れない。

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2008年7月 9日 (水)

夏の食事はアッサリ系,でもスタミナも忘れずに

昨日は結構まとまった雨があり、お昼前、屋根を叩く雨で目覚める。最近は夜が遅く朝食と昼食は重なる。メ二ューは近くの惣菜屋さんのお弁当。肉と魚があり魚しか口にしない。以前の親父には考えられない事。魚と言ってもフライ。惣菜の付け合わせ少々が一人暮らしの親父にはありがたい。一口足らずの椎茸、芋の煮っ転がし、タケノコ、酢の物、大切に味わう。哀れと言えばその通りと思うが、以前の様なコンビニのこってり弁当は口にしていない。

夕方は仕事の時は5時半過ぎ、スーパー内の中華弁当+おーいお茶、仕事終わってコンビニでおにぎり2個+冷凍食品のうどん。仕事オフの日は夕と仕事終わり分合わせて夕食。殆ど野菜と魚か、たまに肉の鉄板焼き。米飯はお茶碗1杯程度。口にしない時もある

この他にパンを空腹のとき口にする。仕事オンの時、夕方の食事に欠かさず冷笑されても気にしない。先日の健康診断でも痛感したがまだまだ太り過ぎ。その原因は食い過ぎです。パンを止めたら間違いなく体重が70台(それでも後半)の突入が出来るでしょう。

親父の信念は無理をせず、しかし決意は翻さず(ひるがえさず)です。口先だけの言葉は軽い。レベルは違うがこの歳になると命が掛かる。血圧、中性脂肪、血糖値の基準アウトは健康の危険信号です。病気は薬で治すと考える人が多いがそれは違う。病気の元は大半が食事と生活習慣です。自分の体は自分が一番知らなければならない。食事は体質の源泉です。

そう考えてみると「医食同源」と言われた言葉の重みが良く分かる。食事に気を使わない神経と料理の無神経は自分を惨めにしている事を痛感する。それにしては親父の食事は余りにお粗末。こんな食事をしていたら永くは生きれない。

それでも不思議な事に今は食事の不満は無い。一番の御馳走はうどんです。毎日のキンレイの冷凍(フタを取って火にかけるだけ)。具材充実、野菜たっぷりうどんは飽きる事は無い。しかし、大阪、岡崎橋「得正」の手打ちの味は絶品。美味しい物は毎日だと飽きが来る。それ故に月に2度の再会はお互いの無事と変わらぬ美味さの探り合いかもしれない。

食事のバランスを考えた時、同じ物を同じ形で食するのは良くないと言われる。本当に健康でありたいなら何と言っても自炊だろう。健康を考えた食事とは程遠い生活をしながら健康について考えるとは何たる皮肉。昔の人が長生きであった訳が理解できる。

今月末は土用丑の日。静岡掛川の甚八さん。忙しいだろうなあ。母さんが亡くなる前の5月。食ったのが最後となる。今でも繁盛しているだろうか?炭火焼の皮パリパリ、中身ジュウシィの鰻重はもう食えないだろう。その気になれば新幹線でいつでも行けるのに。磐田の花火も確か今月末だったと思う。全ては夢のまた夢、遠き日の蜃気楼の様です。

夢でない現実は今年こそ、大阪の鰻のお店でリーズナブル(お得な価格)の鰻重を口にする。うどん屋チェン店の店長、紹介して呉れるだろうか?兄貴は如何だろう?無理か、テナントの店長が「今夜はソウメン」と言っていた。ガラスの食器に三輪そうめん、氷を浮かべて一気に口にする。ネギと生姜(生姜)煎り胡麻も付けて。ビールはコップ一杯。最近はお店で買う360円?のセットの味しか知らない。

食べ物の話は尽きない。それでも美味しい話に耳を貸さない人も少なくない。どうしてだろう。意地汚いとか食欲剥き出しとか言われても人間は欲の塊です。欲望剥き出しのギンギンギラギラも感心しないが、さりげない仕草の中に本音が語れるのは何とも言えないだろう。

これから始まる今年の暑さは準備OKだろうか?厳しい暑さに負けない爽やかな立ち振る舞いは、滴る(したたる)汗を物ともせず、笑顔の中に柄も言えぬ何かを輝かせるだろう。去年の夏はパチンコ屋の涼しい所にいたが、心の中では喜びは無く焦りと苛立ちの中に居た。

それに比べると今年の暑さは感謝以外の何物でも無い。どんなに暑くても苦にならない。この歳になっても入道雲の盛り上がりに目を輝かせていた幼き頃の自分がいる。本当の苦しみを忘れてはならない。自分では気付かなくてもその気にさえなれば一杯見れる。そして自分を大事にして下さい。

もうすぐ朝です。今日はお休みだから散らかった室内を片付けて山に行きます。メタボな親父のお腹も少しづつ凹んで来ました。まだまだですが夏の終わりにはきっとハミ肉も落ちているかも。無理だろうけれど・・・。分からん。

では又、お楽しみにして下さい。

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2008年7月 8日 (火)

小暑、サミット、景気動向、健康診断

昨日は小暑(しょうしょ)。この言葉は24節気の大暑の前。余りマスコミで紹介されないので知らない人も少なくない。あなたはどうでしたか?。親父も長い間小暑(しょしょ)と覚えていた。中国の旧暦で暑さが始まる時と言われていたが、温暖化の時代、地球規模で環境は爆発していると感じるのは親父だけだろうか?

この時期に室内でも親父達が立哨している横の温度計は、32度を超えている。室内は機械機器とモニターのカメラが在るのでクーラーが効いているが、それでも暑い。これから大暑の時を過ぎ9月の秋分の時を迎えるまで、どんな生き方と考え方をすれば良いのか問われるだろう。

親父はどんなに暑くても平気です。暑ければ暑いだけ汗をかいてハゲ頭を拭(ぬぐ)えば良い。最近は仕事の後、下着がびっしょりになっても心地良い。これって可笑しいかも。そうではない。毎日無事、1日が終わった証です。風呂上がりの白ブドウとナタデココゼリー、最高です。

サミットは先進国首脳会議。これも殆どの人はマスコミが報道する程、何の為の会議か分からない。先進国が世界に冠たる影響を与えた時は、皮肉にも国際紛争と対立が厳しかった時だったかも知れない。今日、どんなに国際環境が悪化しても他国との利害が絡めば、1国の首脳でも自国の利害抜きの対応は出来ないだろう。

そんな訳の分からない会議でも当事者にとっては大変だろう。ご苦労様です。頑張って下さい。昨夜、全国の有名ポイントのネオンが一時消えた。なんで一部なんだろう?なんで都市のネオンが遅くまで輝くのだろう。コンビニの24時間営業も見直しをしないのだろう。

営業時間の短縮は消費者の1部には不便だろう。しかし、そんな生活と環境改善の両立は無い。便利な社会が当たり前になり、何時になっても不夜城の様な都市の有様は、自然破壊の要因でもある。。「それがどうした?文句がアンのか?」。彼等の意識の変革を明晰(めいせき)に語れる大人も少ないだろう。経済の発展は最低の社会的責任も問われる事を理解しなければならない。

サミットの後、環境にどれだけの負荷を与えるのか、与えないのか、国家だけでなく地域も企業も個人さえもその社会的責任の重さを認識しなければ、そして言葉だけでなく行動が無ければ生き残れない事を痛感するだろう。暑いのは自然界の警告でもある。クーラーが無くても50年前の都会では珍しくなかった事を、知らない事はある意味幸せなのかもしれない。

経済の発展と環境の両立はこの国に課せられた問題でもある。中国やインドでは同じ事は出来ないかも知れない。島国で化石燃料の最大の輸入国。天然資源を大量に輸入して製品を輸出する国、製造大国。ピンチを逆手に取れれば未来は明るい。

景気の動向は阪神の快進撃にはほど遠い。政府の舵取りに選択の余地は無かったとも言われているがそうは思わない。最大の誤りはガソリン、軽油価格の見誤り。道路財源の為にこれまでと同じ税金を掛けなければいけないと声高に叫んだ、地方の知事達は今どんな思いなのだろうか?道路財源は確保できても地方の悲鳴は耳に届いているのだろうか?

報道の責任も少なくない。尤もらしいコメントを叫ぶ前に地方の地道な取り組みをどれだけ伝えているだろう?地方の行政も自治拡大を叫びながら、国の補助金と利権に頼る行政をしていないだろうか?故郷の教員試験と利権の汚職報道に怒りを爆発させている。

健康診断の結果は予想どうり?血圧最高値が150.最低が85.下がったとは言えまだ高い。それでも食事制限なし、薬飲まずにこの数字は評価できる。体重が今、80kg。5キロ痩せたからこの夏頑張れば目標達成。目標?内緒ですが78です。これでもまだ多いけれど良しとします。18の時と28で結婚した時は68でした。そこまではチョト難しい。

腹周りは93センチと言われましたが、計測時腹を凹ましていたので正確には100チョツト。105からでしたからOKでしょう。ゴルフのベストスコアー88が目標です。一見困難の様ですがあと少しの努力です。これも格闘技の練習を始めれば一発でクリヤーでしょう。(ホンマにやるの?・・・冗談から駒かも。その時はまたお知らせします。歳?マダマダ)

朝が近くなりました。暑かった室内も扇風機の風で少しは凌ぎやすくなっています。東京は大阪ほどでも無いが今日も元気で頑張ってください。兄貴へ、メールの返事下さい。では又。

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2008年7月 7日 (月)

久々の健康診断

会社勤めの時は年に1回の健康診断が当たり前だった。会社をリタイヤしてからは住民検診となる。それでも一人になって気持ちが整理出来るまでは余りやらなかった気がする。自分の健康に自信が有った訳ではないのに、気力と健康への畏敬の思いが失せていたのだろう。早く、自分の人生に区切りをつけたいともっともらしい言い訳を考えていたのかもしれない。唯、無表情に生きる執念が無かった気がする。

母さんが逝って12年。もうすぐ干支が一周する。今は健康でないと大変と思う気持ちを取り戻している。当然ながら自分の体の事は気を付けている。その割にはメタボな体形で血圧も高め、血糖値も低くない。昨年の夏、仕事をしていなかったがふらつきが出る。

原因は幸いな事に頭(脳)ではなく、太り過ぎ、血圧の高さだった。カロリーの高いラーメンの食い過ぎ、塩分の取り過ぎ、野菜と魚のとらなさ過ぎ、1言で言えば食い過ぎだった。他に楽しみもなく美味しい物に目が無ければ必然的な結果だった。

脳神経外科の先生の言葉を聞きながら、脳の輪切りの写真を見ながら血管の力強さに感謝する。昨日のブログにも書いたが親父の眼ん玉と言い、脳細胞もまだまだ行ける。大事にしなければ親に対して面目ない。減量を決意したのもあれからだった。

もう1つ、気になる事と言えば不整脈。これは会社勤めの検診の時異常を指摘され、再検査の時嘱託の医師に笑われる。「心臓に生まれつきの穴が有り、そこから血圧が漏れる。しかし君、これまで生きて来て何か不都合でもあったかね。息切れ、動悸(同期)は在っただろうがそれ位は誰でも在るし、心配は無い。」太鼓判を押される。

心臓には毛が生えていると言われてもその構造は、人工では簡単に再生が出来ない。人間の体は本当に素晴らしい再生と活力を繰り返している。その源は心臓である。命に限りがあり無限から有限の現実を突きつけられた時、慟哭の涙すら支えにならない事を多くの人は知らない。

その思いを口にした時、自分の思いとかけ離れている人には通じない。自分が同じ境遇に立たなければ分からない事をどれだけ痛感しただろうか?今はそんな思いも過去の事、人の事より自分の事を考えておけば充分と思っている。

昨日はお仕事ご苦労さんでした。ブログ見て呉れていますか。また感想聞かせて下さい。暫くは暑い日が続きますが頑張ってください。では又、お会いしましょう。

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2008年7月 6日 (日)

サウナで眼(がん)付けられたよ 「なんや」 親父もまだ若い

なんかめちゃ暑い。暑いとか寒いとかあんまり言わない親父が今年はさすがに悲鳴を上げている。それでも夏は暑くなければ本物ではない。暫くは噴き出す汗に負けないで頑張りーやと元気づけられてる感じです。

昨日(土曜)久しぶりに早起きをする。(と言っても朝8時だけれど)。親父の朝は何時も昼近いのでこれは一大事だったかも。暑くて寝てられなかったのと用事があったからです。用事と言っても近くの生田眼科に検診と眼薬の処方の為でした。

親父は眼がでかく結膜が充血しやすい。この歳になるまで両眼の視力が1.0~1.2を保って居られるのは先生のお陰だろう。血圧も血糖値も高くメタボな体質は眼の健康も大きく左右する。老眼もメガネがいるが年の割には進行が遅い。きようの検診でも眼球の異常は無かった。結膜に傷があり潰瘍(かいよう)が白眼の充血の要因とか。眼薬で心配ないと言われた。眼は口ほどに物を言いと言われる。大事にしなければいけない。

夜、久しぶりに気合を入れてサウナに入る。暑いのも一因では在ったがサウナは健康でないと入れない。それだけの体力と気力が要る。一気に噴き出す汗は血圧にも作用する。デブの親父にはそれが快感だが、噴き出した汗を水風呂で一気に流すので血圧の高い親父的には禁止事項です。最近、体調も良いので今日は試み的?に試してみました。ノン、プロブレム問題ありませんでした。

その代り2人の先客に違和感?を与えたのは態度が無礼だったのかも。それは無いでしょう。2人の会話が品が無く無礼だったかも知れないが。そんな感じで二人の会話を聞きながら素知らぬ顔をしていると、1人から視線が集中する。何故?何か失礼な事をした?

そんな気がして相手を見据える。「何や?」 ヤバい。2対1では勝ち目がない。それでも聞いて見ないと分からない。売り言葉に買い言葉になれば仕方無い。サウナで殴り合いになれば笑いものになるかもしれない。親父の言葉に相手は答えず視線を相棒に戻す。それだけだった。親父の存在が邪魔だったのだろう。座る場所を入口近くに変える。

銭湯には色んな人がいる。仕事も同じ。色んな人がいろんな思いの中で生きている。叶う事なら不快な思いをさせず気持のよい仕事をしなければならない。人は人を見ている。人の思いは千差万別、不快な思いをさせた時には対応の仕方に問題がある。それが仕事です。

テレビの番組は今一ごめんなさい。来週、後半に期待です。仕事は今週も全力投球。休みは月曜日、水曜日、土曜日です。暑さに負けるな。

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2008年7月 4日 (金)

夏が来れば想い出す、遥かな尾瀬遠い空

何故だろう?行った事もないのにこの時期になると、この歌が鎌首(かまくび)を持ち上げる。最近は盛夏の時でもモクモクと湧き上がる入道雲が少なくなったのに。この歌の最初のフレーズが心を捕えて離さないのかもしれない。時が止まる事無く静かに過ぎ行くと次は「今はもう誰もいない海」となるのだろう。

昨夜は汗まみれの体を銭湯閉店間際のジェット水流で洗い流す。腰の疲れと足のむくみに心地良い。極楽極楽と思いながらこれから始まる熱帯夜の日々に、うんざりとする。「ま、良しとしょう。苦あれば楽あり」単純な親父の回路はすぐ発想の転換をする。

「ナタデココがあるでしょう」「一気飲みのビールがあるでしょう。(ビールは最近、カレーうどんとしか合体していない)。それでもナタデココのブームが去ったと言うの白ブドウと冷たいゼリーは何とも言えない美味さです。この商品はコンビニでも限定のお店しかないのは特製だろうか?価格破壊の時から差別化の移行はこんな処にも現われている。

物が売れなくなった時代。多くのエコノミストと評論家はもっともらしい解説をしているが、単純明快な事は時代の流れだろう。どんなに貧しくても安物や見切り品ばかりでは、人の心を満たす事は無い。手にとっての感覚、口にして身につけて使って見ての感じが悪ければ2度と手にする事は無いだろう。経済の実態、現場の感覚の無い人には理解できないかも知れない。

理解できなければ語らなければ誤解される事もないが、行政の改革を出来ないこの国の総理がパフォーマンス?で本当に改革が出来るのだろうか?殆どの国民はそんな感覚とはほど遠い厳しい日々の生活に追われている。暑い夏を逞しく乗り越えるか、必死の思いで付いて行けるか、賢い生き方が出来るか、今年の暑さは久々の試練でしょう。

昨夜は本当に暑かった。扇風機しかない部屋は熱風地獄だった。最近になって熱帯夜なる気象用語が生まれているが、エアコンの無い部屋は今年はアウトの気がする。どれだけ辛抱できるだろうか?息子に冷蔵庫買ってやると言われたが親父もやっと③Cの仲間入りが出来るかも知れない。エアコン、液晶テレビ、冷蔵庫。多分買わないだろう。

欲しければ額に汗して手に入れよ。「ほしい」「ほしい」と思っても手には出来ない。この国が先進国と言われる前に日本人はエコノミックアニマルと揶揄(やゆ)された。さすがに今日ではこの言葉も死語?。発展途上の国と国民は何と言われても経済の力で相手を打倒するしかない。どんな国でも組織でも会社でも個人でも、対人関係すらも生活格差は己の力でぶち破るしかない。

それでも今日の危機的状況に対して、この国の舵取りを国民の支持で託されている政治家の感覚はひどくは無いだろうか?株式市場の低迷に対して政府の関与の余地が本当に無いのなら、せめて希望的観測でも指示(さししめ)せないのだろうか。それすら出来ないのであれば、何の為の政治、たが為の政治なのだろう。(誰がやっても同じと又、言われるだろう)

それでも老い先短い年寄りは声を上げ、現役世代の指針を指し、示さなければならない。親父はまだ若い。世間一般の考えは国の事でも地域の事でも無い。自分の事、会社の事しか眼中に無いのかも。こんな時、求められるのは理屈ではない体力、気力、時の流れだろう。

サウナ風呂の手前の部屋で恋文を書いている。浴衣姿の君と今年は猪名川の花火を見れるだろうか?子供達と母さんと行った磐田の花火は遠い、遠い昔の夏の思い出です。遠花火に吸い寄せられ打ち上げ真下で見たあの迫力は、2度と味わう事の出来ない感動でしょう。(交通規制の中、1代目の車スタンザでよく行けたな。おおスザンザに感謝)

今年もまたそんな時を迎える。大阪の天神祭を後輩と一緒に見たのが44年前、京都の祇園祭を見たのもそれから6年後ぐらいだろう。結婚の年、見た宵山の艶めかしいまでにあでやかなそして、さ迷っていた夏も1人だった。あれから多くの歳月が流れても、心の中には新たなる思いが秘められている。

仕事場と巡回中に声を交わす娘に活発な子がいる。利発で顔形も悪くない。「悪い男に騙されるな」自分の事は棚に上げ声を掛けるとさり気なく帯を見せられる。黒帯。空手。[父が道場やっています。何時でもどうぞ]と練習に誘われる。なんかその気になりそう。でも、これからの年寄りも体を鍛える術は必要かも。己に勝つ。親父の生き方その物です。

ここで訂正を1つ。今夜の10時30分放映と言っていた番組は明日の同時刻です。ごめんなさい。地球街道。テレビ大阪、東京です。鯖街道は1つの道ではなく小浜から京に魚が運ばれた生活の道です。今回紹介される街道が代表される道であり、親父の思い入れの道です。最初に車で走ったのは今から29年前の事。当時の道は今の良くなった道ではない。

それでも子供達が4歳と6歳の時、昔の話が今でも鮮明に蘇る。美しい国日本と言われなくても、この国にはスイスの山間に勝るとも劣らない谷合(谷間)の道がある。この道も同じだろう。信長も知らなかったが現代でも知らない人が少なくない。

信長は戦国の時代、総力を挙げて北陸の雄朝倉氏を攻めていた。その時、同盟関係を結んでいた琵琶湖東の雄浅井氏の反逆で挟み打ちに合う。この時、流石の信長も退路を断たれる。躊躇なく選択した事は退却。殿(しんがり)を子飼いの秀吉がつとめ、家康が支援する。

鯖街道の途中に在る朽木(くつき)の村はそんな自然豊かな村です。テレビ、必ず見て下さい。暑かった日差しも六甲の山並みに落ちましたが、今夜も熱帯夜でしょう。早くクーラー手配しないとアカンかも知れない。冷風扇ではなくウインドーエアコンか.

明日も休みです。大阪は暫くは暑い日が続きこのまま、梅雨明けかも。経済的にも精神的にも厳しい時が続きますが、暴飲暴食に注意して夏バテしないようにしましょう。 夏バテと言えば鰻でしょう。今年花見の時行った豊川桜淵の帰り、立ち寄った浜名湖の鰻の味は最高でした。今、生産地の偽装が問題になっているが、美味いものを、安心出来るものを、安すぎる値段で求める消費者に、どれだけの人が問題意識の改革を求めているのだろう。

今月末の土用丑の日。コンビニの弁当ではなく鰻丼食いたいです。年金積立基金の5.8兆の損失。まだ儲けがあるから大丈夫とか。彼等はプロと言われているが本当にそうなのか?運用で失敗してもそれまでの儲けで責任の追及は無いの?プロとはそんな物?

国の無駄使いを福田総理は見直しを計ると言われている。計るでなく何故やらないのか?やれもしない事をもっともな言葉で語ってはならない。そんな意味で洞爺湖サミットは注目していいのかもしれない。

今夜、そうめんの付け合わせに二ュージーランド産のキーウィを求める。正確に言えばゼスプリグリーンとか。味も中身もチョト違う。安くておいしい。新たな発見でした。

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2008年7月 2日 (水)

暑い、暑い、も一つ暑い。でも負けないどー

昨日の仕事は久々に合掌、有難うございますの実感でした。季節は梅雨の晴れ間ではなく、息子と行った沖縄波照間のサイクリングロードの暑さだった。この国の最南端の暑さの方がさわやかだったかも知れない。それでも噴き出す汗も苦には成らなかった。段々、慣れて来たのだろうか?それだけではない喜びの時、自分の行動と対応の仕方に少しづつ自信が出て来たのだろうか?英語で交わされる言葉、good、job 日本語では適当な言葉が無い。

仕事に喜びも哀しみも怒りも蔑み(さげすみ)も、多くの思いを重ねながら仕事をして来た。母さんの看病が実りの時を迎えず、定年に8年もの時を残して34年の会社勤めが終わった時、心に去来する感情に一点の曇りもなかった。

あの夏の日も今年の夏も何も変わらない。変わった事と言えば1人になった事。惨めになった事。元気になった事。他に何があるのだろう。それが今、問われている。

最近、お腹の出方が気になり減量を決意している。否、すでに実施中です。考えてみれば全ての現実はただ一時の幻(まぼろし)に過ぎない。自分の世界に閉じこもっていれば、何時になっても、どんなに時を重ねても何も変わらない。決意の強さと困難に立ち向かう力が、全てである。コンプレックス、禁煙、キンパチ、減量、自分が変われば何でも変わる。

この仕事を始めて半年足らずで多くの事が分かる。お金に換えられない事。それは自己変革でしょう。どんなに侮りの言葉を浴びせられても、平然と生きて行けるのは政治家、経営者、評論家、学者、お金持ちだけではなくどんなに貧しくても心模様で明日が変わる。

少年よ、大志を抱け。(ボーイズ、ビー、アンビシャス)の言葉は死語になっているが、そうではない。今日の自分は明日に続く。(今日は一生)の生き方に生き甲斐を感じた若きに日が疎ましい(うとましい)。あの頃今の思いがあったなら人生はどうなっていたか分からない。

それでもこの歳になってこんな思いが出来るのも、幸せだろう。禁煙。キンパチ。減量。それよりも言葉に詰まって苦労していた親父が、早口になっている。ウソだと思うだろうが親父の一番苦手は音読だった。国語の授業中ドキドキしてどもっていたのが信じられる?

人間は暗示に弱い。出来ないと思えば出来ない。出来ると思っても力が無ければ出来ない。如何すれば出来るのだろう。それが分からず出来ない事から逃げていた。逃げれば苦手は何処までも追い掛けてくる。そんな時如何していたのだろう。唯、耐えるしかなかった。

中学の時、お袋にさり気なく相談した事がある。「どうしたら良いんだろう?」お袋は顔も見ず前を見据えてさり気なく答えていた。「気にすんな」それだけだった。しかし正解の言葉ではなかった。親父の欠点は大阪の職場でも訥弁(とつべん―とつとつとして言葉がたどたどしい)であった。あの頃、今のしゃべくりが出来ていたらどうなっていただろうか?

間違いなく今の自分はいない。生きているかもわからない。それでも楽しかっただろうと思う。人間意識しなくても言葉の重みは訥弁より能弁の方があるに決まっている。しかし、そのしゃべくりも自分の心が決めている。口が重いのは軽くする努力が足りなかったのかもしれない。

先日、テレビで日本のヘレンケラーの言葉を聞く。眼が見えなくなったのが小学生の途中、耳が聞こえなくなったのも同じ頃。それでも彼を支えたのは母であり、指会話であり学力だった。点字の会話が指で出来る事を知った親子の発見は、彼に人生をも変える力を与える。

眼が見えず声が聞こえなくても彼は東大の準教授であり、中学生の子供達に大いなる感動を与えていた。それを引き合いに出すのは心得違いかも知れない。しかし、無い物を求めるのではなく有る者を伸ばす。これは自分にしか出来ない悦びでしょう。

暑くなりますが親父は小5の時夏休み明け、自慢ではないが、くろんぼ大会で優勝。先生に2人の決勝をエコひいきされたのは、親父の方が貧乏だったからです。賞品は鉛筆1ダースでした。勉強も出来ましたが?朝から夕方までよく川で遊んでいました。

今年の夏は海に行けるだろうか?約束しましたが正直に言えば海は怖い。笑わないでね。子供達も同じ思いかもしれない。その代り今週末の金曜日、夜10時半前後のテレビ見て下さい。親父のお勧め「鯖街道」が出ます。スポンサーはトヨタです。北陸小浜から京都出町柳までの道。きっと気に入ってもらえるでしょう。

遅くなりました。鯖街道の道はまたの機会にします。関西に近い琵琶湖の西に北陸と京都を結ぶ交易の道は、この国に大陸の文化を伝えて呉れました。鯖街道と名付けられたのは天下統一が出来て、戦乱の世から太平の世に変わってからでしょう。

親父の故郷は九州大分ですが、第二の故郷はこの街道の途中にあります。それはテレビを見れば分かるかも。では又。

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2008年7月 1日 (火)

日本国債の格付けが上がる?

アメリカの格付会社ムービーが日本国債の信頼度を1ランク上げた。親父的には訳が分からないが、サブプライムの問題が良く分からない多くの人にとって、関係ない話かもしれない。ところがそうでもないらしい。経済がグローバル化(国際化)、情報化、ファンド化?(お金の流れが低きから高きへ)すれば、このビジネスは成り立つのだろう。

本当は格付(投資価値)は自前で出来る財務分析が必要であっても、更なる専門知識と分析が必要なのかもしれない。そう考えてみても日本国債の信頼度がこの程度では、誰が考えてみてもおかしいだろう。日本の財政危機はこの国で感じる以上に、大きいのかもしれない。

今日から7月。原油の値上がりが止まらない。国内のガソリン価格も180円とか言われているが、暫くこの状況は続くかもしれない。それでも昨日のブログではないが、この価格も長く続く事は無い。高止まりで無く高天井に穴が開くのは、最後は消費者の買い惜しみだろう。

経済がコストの上昇に耐えられなくなれば、必然的に価格の下降はそんなに先の話ではないかも知れない。国内の消費の現場は多くの警告は発しながら、ダッチロールを始めている。舵取りを間違うと深刻な不況が考えられるが、幸いな事にそのレベルに差があるのだろう。そうでなければこの楽観的な現実が理解できない。

昨日の日経は久々に面白かった。当面の景気見通しと内閣支持率、それにサミットの話だった。景気の見通しは芳しくない。それでも親父的には斑模様だと思う。景気が良い会社、地域はごく僅かでも深刻な部分が、表面化していない。不可解な現象と言える。

内閣支持率は26%。これは意見の分かれるところだが、経済紙の見方、分析と思えばそれで良い。どう考えてみた処で積極的な意見ではなく、多分に変革を望まない現状肯定の思いだろう。このままの閉塞感が続けば変革を望む小さな流れは、一気に潮目を変えるかも。

サミットの話が一番、面白かった。34回目を迎える主要国?首脳会議。34年前にフランスパリの郊外で始まったランブイエ会談の参加国は、日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、そしてイタリアだった。第二次世界大戦の戦勝国3と敗戦国3だった。

会議の目的は石油高騰、国際金融の混乱、ドルの下落の立て直し、国際協調だったとか。その後カナダが加わりG-7.ロシアが加わりG-8 今、中国とインド、ブラジルの参加も時間の問題とか。それでもこの会議の意義は既に終えているのではないだろうか?

洞爺湖サミットではマスコミも盛んに環境問題が討議されると報道しているが、セレモニーに過ぎないだろう。誰もが地球環境の改善は望んでも、具体的な対策は問題が深刻になり生命と国家の危機が現実にならないと進展はないだろう。国益の壁をを突き崩すのは容易ではない。

今日から3日間の仕事です。汗と恥をかきながら一杯一杯にならず、前進あるのみです。「人は人に笑われながら成長する」この歳になってもこの格言は忘れていない。

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