二足の草鞋(わらじ)
二足の草鞋を履く。二足の草鞋を履くな。正反対の格言がありこれまでの正論は後者であった気がする。二足の草鞋を履くなの意味は「破滅」でありこれまでのこの国のモラルでもあった。しかし、草鞋で街道の往来をしていた鎖国時代でも、先人の知恵は前者の二足の草鞋だったのだろう。そんな気がする。その頃からこの諺(ことわざ)が生まれたのだろう。
この国が戦国の混乱から曲がりなりにも統一され、街道の通行が許可された時、旅人の必需品は二足の草鞋だったのだろう。間違いない。草鞋の履き潰しは即、旅の中止だった。現代と違いそれは死を意味した。持ち合わせは無くても草鞋だけは欠かせなかったと思う。
何は無くても江戸むらさきではなく草鞋が無ければ旅が出来なかった。そんなに昔の話ではない。便利な世の中になったが、この世のしがらみで四苦八苦している現代人に草鞋の話はとっぴかもしれない。草鞋と草履(ぞうり)の区別すら出来ない若者と言葉の意味すら分からない大人達。
現在人特に若者の1部、ギャルとそうだったと過去形になるおばはん達、いやいや、男たちもおやっさん、おっちゃん、おじん達も同じだろう。2足歩行の重みと価値を忘れた輩は今こそ、草鞋の有難さを忘れてはならない。否、忘れてしまった。角言う親父さえ街中で草鞋を手にする事は出来ない。願わくば自分の身の丈に合う履物と生き方を手にしなければならない。
己の生きれる道は長くも短くもない。長い様で短く短い様で長い。何か大きなインパクトと危機感に追い詰められると、予想外の事を仕出かす輩が出ると、社会はその場しのぎの行動に走るが問題は簡単ではない。その事を忘れてはならない。
親父が経済的に自立出来た要因は、2足の草鞋を履けたのが大きい。この歳になるとどんなに立派な言葉より健康とお金の有難味を痛感する。政府、政治家、経営者、管理者、学者、コメンテーター、色んな人が色んな事を云っても肝心な事は唯、一つ。夢と希望です。
夢の重さは本当は失って見ないと分からない。失っても見出す事は難しい。その事の重みは一時でなくじわじわと効いてくる。親父は格闘技の経険は無いがダウンブローの様だろう。パンチの重みが時の重なりと共に効いて、体の動きを止める。如何にもこうにも為らないとはあの事だろう。努力が足りないのではない。努力の機会すら見いだせない。
若者達が得意げに(実際はそうではない。惨めで哀れな様相)キレるとか、失うものは無いとか言える社会、働き盛りとその時を終えた世代が感じる挫折感、それは何を意味していたのか。その答えを其々(それぞれ)違うだろう。しかしその重みも又、自己責任である。
消えた年金の問題が表面化して早、1年になる。アメリカの金融不安も同じ。何が変わったのだろう?何も変わらない。郵政の民営化で何が変わったの?何も変わらない?それは無いでしょう。民で出来る事を官がやる事は無いと声高に叫んだ人は、今、何をしているのでしょう。それでもこの国の明日にレインボーは在るのでしょうか?
あるんです。信じられないかも知れないがこの国の経済がどんなに叩かれても、政治は2流と馬鹿にされても、英国の経済紙にジャピンと言われてもそれが何じゃい。アメリカの格付会社から財政赤字を問題にされても、この国の底力は外人には過小評価されている。
問題は国内の格差が英国並みになる事。自国の問題に目を叛け(そむけ)他国を批判する事は容易である。多国籍・多文化のスキルを磨けと説く前に自国の問題をどれだけ認識できるか、それが問題である。会社の枠組みの中でも同じ事が言える。自分の仕事のやり方を正面から受け止めて、押し返す力を身につけなければならない。
これが今、親父に求められている仕事の第二ステップかも知れない。当たり前の事を当たり前にやる。仕事の流れに乗り、自然体で困難に戯れる。どんな状況にもバタバタせず的確な対応。問題を先取りして事前対応。不平、不満、悪口を口にしない。それが出来ると仕事の面白みが分かるかもしれない。
これから暑くなる。長袖のシャツにネクタイ。下着にびっしょりの汗をかき、はげ頭をハンカチでなでまわしながらさり気なく人生を語る。それでも他人は冷ややかな目でしか見ない。其々(それぞれ)の思惑が交差し思いが重なる人は少ない。それでも天知る、地知る、己知る。自己満足に陥らず客観的に様相が見れてくると、次の舞台が待っている。
地獄、極楽の境目は何だろう?。地獄の沙汰も金次第とか言われても、天国にはそれもない。お前は前世で苦労したから無条件で天国と、さすがの閻魔大王様も言えないがこの世の功徳がどれだけ積めるかだろう。(親父もたまにはいい事を言う)。大雲院の大和尚の言葉です。
先日、蝉の初鳴きを耳にする。さすがにまだ早いと思ったのだろうか、ほんの一時だった。一か月もすれば蝉しぐれの時を迎えるだろう。蝉は三年地中で過ごし地上で一時の時を過ごせば又、次の世代に様変わりをする。人間は80年の平均寿命をどう生きるのだろう。
昨日はお休み。安くなった住民税を払いながら税金の重みを実感する?オイオイ?総理大臣が消費税の値上げを口にしても、先延ばししか出来ないこの国の有様は真に無様。如何して問題の核心の説明が出来ないのだろう。どんなに美味しい言葉を並べても物事の流れを変える事は出来ない。それとも本当に骨太の方針とやらを実行できると思っているのだろうか?流石にそれは無いだろう。
今週末、(今日だが)東京株式市場からメッセージが出る。国会は閉会中。先生方は地元で暑さに負けず地道な活動と思いきや、そうでも無いらしい。皮肉な見方をすれば次に外遊の機会は無いかもしれない。いくらなんでもそんなに世の中甘いもんやおまへんで・・・
久しぶりに長くなりました。新たにこの難しいブログにお付き合いできたでしょうか?親父的には息子達のメッセージですから気にしないで読み流して下さい。では又、。
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