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2008年6月

2008年6月30日 (月)

それでも地球は廻る。ガリレオ・ガリレイ

天動説、地動説と言われても知らない若者達が少なくない。最近の学校では教えていないのか?ゆとり教育とか教育の充実とかこの国の教育は地に落ちている。そんな親父のボヤキとは関係ないところで、この国の軸が揺らいでいる。

地球の軸が傾いているのだから、この国のそれが傾いたからと言って親父が嘆く事は何もない。大体何を根拠に戯けた(たわけた)事を言い、人の思いを不快にさせるのだろう。ガリレオ・ガリレイ程の天文学者でもなく、唯の親父だろう。ただの親父の言葉は批判ではなく、最近ボヤキになっている。この親父でも野村のそれは不快だから、思いやりの心をしても聞くに堪えなかったのかも。最近の親父は外見的には変わっても、中身は何も変わっていない事を痛感する。

仕事はそれでも良い。本当は中身も変わらなければならないが、それには歳を取り過ぎた。自己改革とか自己変身とか本当の自分を変える事が、容易に出来る時は過ぎた気がする。正確に言えば頑固になったのかもしれない。老いたるは子に従えとも言われるがこれも核家族の時の話だろう。これからはそれも出来ない。

ガリレオが地球が不動ではなく太陽の周りをまわっていると明言した時、当時のローマ法界では認められるわけもなく、弾圧された。世界の常識は不変ではない。今では笑い話にもならないが、この国で電報制度が出来た時、多くの人は電線に書報が吊り下がると信じられたと言う。

温暖化とか世界の気候変動とかこれからこの国に問われる事は少なくない。それでもこの国は何も変わらないだろう。外交的にどれだけの得点をするのか分からないけれど、訳の分からない言葉のやり取りで終わるだろう。

これからの環境問題は好むと好まざるとに関わらず、国家と企業、国民の生活環境の問題である。イメージと感覚が交差し尤もらしい言葉を重ねながらも、歴史的に見れば改善の足跡は遅いかもしれない。しかし社会的責任は重く、その風評もまた厳しい物がある。

この国の政府組織の規制と補助の評価は非常に甘い。お役所仕事とどんなに揶揄されても組織の感覚に見直しの言葉は無い。長崎諫早の干拓でどれだけの環境破壊がされたのかこの国の学者は評価しているのだろうか?親父が思う以上に当事者の嘆きは深い。

洞爺湖サミットは沖縄のサミットが何も残さなかった以上に、後世の評価は無い気がする。沖縄の米軍基地のグァム移転も一部の基地で来年度の予算に500億を政府は約束している。思いやりとかの名目で。沖縄の基地で働く人は多いが全国の失業率ナンバーワンも又、沖縄である。この国の地方にどんなにお金を落としても、民間の活力が無ければ結果は既に見えている。

税金の事もおなじである。色々言われたが誤解と六回がある。親父の考えはこの国の税制は既に制度疲労だけでなく、破たんしていると思う。この国の多くの人は平成の時と共に感情の剥き出しが無くなり、何を考えているのか分からなくなっている。多くの人は勤勉で従順、決められた事には反論をしない。反論処か他に意見を聞く余裕すらない。

それでも取れる処から取る。所得把握が出来る処から取る。直接税制は現役世代の負担を多くしている。隣の国韓国では国民の政府に対する不信が高まり、デモ行動が激化しているがこの国も対岸の火事とは言えなくなるだろう。低額所得者が総人口の1割を超えたら、必然的に間接税の値上げしかない。その説明が出来ない政府に国民の信頼は無い。

韓国の政治不安は期待の裏返しと言えるだろう。経済の優等生と言われた国でも問題の本質は見失われている。アメリカの存在は以前ほど大きくない。何としても自立の思いを過小評価すれば朝鮮半島の火種は心配しなければならないだろう。外務省の情報分析はどうなっているのだろう?

税金の負担は公平かつ公正で無ければならない。国債に予算の30%も費やしながら歳入の増加を計らなければ、歳出削減しかない。小泉改革はある意味で正論だった。最大の間違いは声高に聖域なき構造改革と言いながら、弱者にしか負担を押し付けなかった事、行政の改革が出来なかった。出来た事と言えば道路公団と郵政の民営化。

福田政権の支持率が低いのは何も出来ないからでも無い。出来もしない事をいかにも出来るかのごとく説明するからだろう。サミットの後しばらくの時を置き、政局は秋の陣を迎える。経済は物価値上がりの中で消費行動は鈍く、ガソリン価格も180円では満タンには出来ない。暑い季節の中でお買い得商品にどれだけの盛り上がりが出るのだろう。

最近の経済ニュースでも問題にならないが、物流のコストは大幅高、1年前に比べてどれだけだろう。天ぷら屋さんの食用油も3割高とか、経営的には厳しい物がある。どうするのだろう?無駄の排除ではやり切れない処は赤字覚悟の商売か?それも長くは続けられない。

切羽詰まれば廃業しかないのだろう。この国の経済の悲鳴を監督官庁は、どんな思いで聞いているのだろう?これも自己責任と思っているのだろう。消費の落ち込みは間違いなく税の減収となる。地方分権どころの話ではない。地方は疲弊するしかなく、親父の故郷も郡と市が合併してもしんどいだろう。

なんか切ない話になりましたが、この思いは親父のボヤキです。君が良いとか悪いとかそんな問題ではありません。福田さんも大変な時に政権を担当していますが、韓国の大統領も同じです。親父達も人の批判をするだけでなく、信頼にこたえる生き方が求められています。

最近、やっとそんな当たり前の事が分かるようになりました。先日、テレビの画面をなんとなく見ていたら三陸海岸の風景に眼が釘付になっていました。「名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実1つ」東海の母さんと行った渥美の海岸道路を思っていました。

君とも兄貴ともいった渥美半島の道。三陸の八戸に近いリアス式海岸の道は元気な間に必ず行きたい。親父もまだまだ道半ばです。もうすぐ朝になるので寝ます。娘からメール来たよ。何処の娘。それは内緒です。

今週も忙しくなるでしょう。親父は今日まで休みです。それでもさすがに疲れて来ました。では又、書きます。行ってらっしゃい。

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2008年6月29日 (日)

梅雨の晴れ間も?減量効果も?

九州や東北地方では自然災害が続いているが大阪は空梅雨気味。土日の天気は毎週すぐれないが今年はそのかんを強くする。お店の事を考えるとその方が良いのだが雨は、降る時を選ぶ。降る時に降らないと降ってほしい時に降って呉れない。それでも今週は叩きつける雨が夜半に掛けて或るかも。そして季節は本格的な暑い日々となるだろう。

これ位の暑さでも堪え(こらえ)性の無い輩は「堪らない(たまらない)」と口を揃える。後1月もすれば何とする。その時は暑いとも言えずに犬の様に唯、あんぐりとするだけだろうか?そんな皮肉が言える親父は九州の暑さの中で育っているので、これ位ではへこたれない。

仕事はある意味人間の器が問われる修行でもある。どんなに仕事が出来ると自負しても落とし穴は少なくない。よしんばそうであったとしても予期せぬ事は思いがけない処で起きる。良き仕事は一人でいくらカッコつけた所でしれている。これからそんな処も学ばなければならない。暑い夏は親父の体力と気力が問われるだろう。何があっても必死の思いを忘れるな。

今日は上半期の集大成?となる競馬の宝塚記念。競馬の知らない人、興味無い人、ギャンブルを鼻で笑う人には関係ないが、人生もある意味ギャンブルです。それを思えば結果は見えてきます。競馬の祭典は大いに盛り上がりますが大事なお金はどうでしょう?

日曜日は殆どが仕事でしたが今日はお休み。何時も昼前後に起きるので分からないけれど散歩がてらに阪神競馬場に出掛けてきます。仕事を始めて馬券も買う事が少なくなったが不思議な事に負けなくなっている。何故だろう?負けて当たり前と考えが変わったからだろう。

美空ひばりの演歌に「勝つと思うな思わば負けよ負けてもともとこの勝負」のフレーズがある。額に汗して働けと言われた時は過去の話となり、今の金儲けの格言は右から左、濡れ手に粟とか。それでもギャンブルで家を建てた人は少ない。その事がこの歳になってやっと分かったのだろう。パチンコの必勝法はやらない事。遊びにもならない事を思い知れ。

不思議な事に公営ギャンブルは農水省が管轄し、高級官僚から順番に官僚達も美味しい思いをしている。その源泉は一体どこから出ているのだろう。勝ち馬投票券に真剣な思いを重ねるギャンブラーにどれだけ感謝しているのだろう。競馬場に行けばその実態が良く分かる。彼等の殆どがその恩恵に与る(あずかる)事は無い。

本音と建前、最近の若者はしたり顔で浅い知識の中から「空気がなんとやら」と表現しているが、思いの丈を(たけを)素直な気持ちで口に出来る時も限られている。しかし、本当に其の場の空気が読める人は賢い人だと思う。この世の中で尤もらしい言葉ほど、欺瞞に満ちていると思うのは、親父の根性が曲がっているのではなく本音とは違う処に建前があるからだろう。きれい事では何事も動かない。したり顔で建前を語るな。

減量の成果が出てお腹の凹みは出て来たが、腹の脂肪は取れてはいない。まだまだ摘まみ(つまみ)甲斐が在り道半ばである。酒は飲まず甘い物には目が無いので余程気を付けないと危ない。もうすぐ健康診断だけれど体質改善は出来て無いだろう。心しないといけない。、

減量の効果は歩く事に限る。ゆっくりでも速歩でもどっちでも良い。最近は天気の所為(せい)にして歩いていない。梅雨が明ければしっかり歩きたい。間違いなく健康体になれる。夜も遅くなりました。ぐずぐずしていると夜が明ける。お休み。又、連絡します。

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2008年6月27日 (金)

二足の草鞋(わらじ)

二足の草鞋を履く。二足の草鞋を履くな。正反対の格言がありこれまでの正論は後者であった気がする。二足の草鞋を履くなの意味は「破滅」でありこれまでのこの国のモラルでもあった。しかし、草鞋で街道の往来をしていた鎖国時代でも、先人の知恵は前者の二足の草鞋だったのだろう。そんな気がする。その頃からこの諺(ことわざ)が生まれたのだろう。

この国が戦国の混乱から曲がりなりにも統一され、街道の通行が許可された時、旅人の必需品は二足の草鞋だったのだろう。間違いない。草鞋の履き潰しは即、旅の中止だった。現代と違いそれは死を意味した。持ち合わせは無くても草鞋だけは欠かせなかったと思う。

何は無くても江戸むらさきではなく草鞋が無ければ旅が出来なかった。そんなに昔の話ではない。便利な世の中になったが、この世のしがらみで四苦八苦している現代人に草鞋の話はとっぴかもしれない。草鞋と草履(ぞうり)の区別すら出来ない若者と言葉の意味すら分からない大人達。

現在人特に若者の1部、ギャルとそうだったと過去形になるおばはん達、いやいや、男たちもおやっさん、おっちゃん、おじん達も同じだろう。2足歩行の重みと価値を忘れた輩は今こそ、草鞋の有難さを忘れてはならない。否、忘れてしまった。角言う親父さえ街中で草鞋を手にする事は出来ない。願わくば自分の身の丈に合う履物と生き方を手にしなければならない。

己の生きれる道は長くも短くもない。長い様で短く短い様で長い。何か大きなインパクトと危機感に追い詰められると、予想外の事を仕出かす輩が出ると、社会はその場しのぎの行動に走るが問題は簡単ではない。その事を忘れてはならない。

親父が経済的に自立出来た要因は、2足の草鞋を履けたのが大きい。この歳になるとどんなに立派な言葉より健康とお金の有難味を痛感する。政府、政治家、経営者、管理者、学者、コメンテーター、色んな人が色んな事を云っても肝心な事は唯、一つ。夢と希望です。

夢の重さは本当は失って見ないと分からない。失っても見出す事は難しい。その事の重みは一時でなくじわじわと効いてくる。親父は格闘技の経険は無いがダウンブローの様だろう。パンチの重みが時の重なりと共に効いて、体の動きを止める。如何にもこうにも為らないとはあの事だろう。努力が足りないのではない。努力の機会すら見いだせない。

若者達が得意げに(実際はそうではない。惨めで哀れな様相)キレるとか、失うものは無いとか言える社会、働き盛りとその時を終えた世代が感じる挫折感、それは何を意味していたのか。その答えを其々(それぞれ)違うだろう。しかしその重みも又、自己責任である。

消えた年金の問題が表面化して早、1年になる。アメリカの金融不安も同じ。何が変わったのだろう?何も変わらない。郵政の民営化で何が変わったの?何も変わらない?それは無いでしょう。民で出来る事を官がやる事は無いと声高に叫んだ人は、今、何をしているのでしょう。それでもこの国の明日にレインボーは在るのでしょうか?

あるんです。信じられないかも知れないがこの国の経済がどんなに叩かれても、政治は2流と馬鹿にされても、英国の経済紙にジャピンと言われてもそれが何じゃい。アメリカの格付会社から財政赤字を問題にされても、この国の底力は外人には過小評価されている。

問題は国内の格差が英国並みになる事。自国の問題に目を叛け(そむけ)他国を批判する事は容易である。多国籍・多文化のスキルを磨けと説く前に自国の問題をどれだけ認識できるか、それが問題である。会社の枠組みの中でも同じ事が言える。自分の仕事のやり方を正面から受け止めて、押し返す力を身につけなければならない。

これが今、親父に求められている仕事の第二ステップかも知れない。当たり前の事を当たり前にやる。仕事の流れに乗り、自然体で困難に戯れる。どんな状況にもバタバタせず的確な対応。問題を先取りして事前対応。不平、不満、悪口を口にしない。それが出来ると仕事の面白みが分かるかもしれない。

これから暑くなる。長袖のシャツにネクタイ。下着にびっしょりの汗をかき、はげ頭をハンカチでなでまわしながらさり気なく人生を語る。それでも他人は冷ややかな目でしか見ない。其々(それぞれ)の思惑が交差し思いが重なる人は少ない。それでも天知る、地知る、己知る。自己満足に陥らず客観的に様相が見れてくると、次の舞台が待っている。

地獄、極楽の境目は何だろう?。地獄の沙汰も金次第とか言われても、天国にはそれもない。お前は前世で苦労したから無条件で天国と、さすがの閻魔大王様も言えないがこの世の功徳がどれだけ積めるかだろう。(親父もたまにはいい事を言う)。大雲院の大和尚の言葉です。

先日、蝉の初鳴きを耳にする。さすがにまだ早いと思ったのだろうか、ほんの一時だった。一か月もすれば蝉しぐれの時を迎えるだろう。蝉は三年地中で過ごし地上で一時の時を過ごせば又、次の世代に様変わりをする。人間は80年の平均寿命をどう生きるのだろう。

昨日はお休み。安くなった住民税を払いながら税金の重みを実感する?オイオイ?総理大臣が消費税の値上げを口にしても、先延ばししか出来ないこの国の有様は真に無様。如何して問題の核心の説明が出来ないのだろう。どんなに美味しい言葉を並べても物事の流れを変える事は出来ない。それとも本当に骨太の方針とやらを実行できると思っているのだろうか?流石にそれは無いだろう。

今週末、(今日だが)東京株式市場からメッセージが出る。国会は閉会中。先生方は地元で暑さに負けず地道な活動と思いきや、そうでも無いらしい。皮肉な見方をすれば次に外遊の機会は無いかもしれない。いくらなんでもそんなに世の中甘いもんやおまへんで・・・

久しぶりに長くなりました。新たにこの難しいブログにお付き合いできたでしょうか?親父的には息子達のメッセージですから気にしないで読み流して下さい。では又、。

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2008年6月24日 (火)

景況感が悪化?何を今更・・・

今日は休み。汗と恥と涙の代償を(オーバーな)受け取る。昨年、仕事を始めて1番の喜びは半月に1度のこの日かも知れない。予想以上のストレスと緊張感(同じ様でチョト違う)の中で学習する事に慣れて来たが、反面、予想外の事が少なくない。仕事は楽しいとか聞かれるとソツない返事はしているが、実態は本当にそんなに甘くは無い。

この仕事だけでなくどんな仕事でも金を稼ぐ事の厳しさは、並大抵ではない。そんな日常から解放される月二回のこの日は昼下がりの2時を過ぎて、阪急の先頭車に乗り大阪に出掛ける。電車、バスの公共機関の利用機会はめっきり減ったが、それでも必ずおかしい輩に出会う。一番多いのがデカ声、次が携帯、三番目は個人的な聞きたくない話。

今の仕事場は徒歩7~8分。ぶらぶらと季節感を味わいながら仕事の準備が出来るのは、何よりの幸せかもしれない。それでも最近の兵は(つわもの)は、信号も対向歩行者も自転車さえも関係ない。無視、避けない、前すら見ない。何処見てるの?分からない。信じられない。親父もそんな時避けない。ぶち当たる寸前で止まる。それでも無言。睨む事もない。

こんな日常はこれから益々進行し、関わりの無い人との関係はそれでも充分とでも思っているのだろう。そんな事を考えていたら地下鉄の出口は小雨だった。梅雨時の今は本当に傘が手離せない。

法人企業の景況感が悪化?そんな事は織り込み済みでしょう。原油の値段、材料価格、物価が上がり、個人の所得が増えなければ当然だろう。これでどうしたら景気が良くなるのか?福田さんでは無理だろう。否、誰がやっても無理だろう。

これからの景気の舵取りはこれまでこの国が経験した事のないインフレと景気の後退の中で、ヨ―ソロ、主舵一杯とは行かないだろう。順風満帆の時は短く内閣改造のタイミングすら見失い、難破、遭難するのかも知れない。

この国の経済はアメリカケインズ理論?の影響が大きいと言われて来たが、目標として来たアメリカの経済理論がおかしくなった時、何処に学ぶのだろう?アメリカの失速は政治の舵取りが余りにも支持基盤のエゴに取り込まれたからだと思うが、この国は何処に向くのだろう?

この国の財政基盤の脆弱性(ぜいじゃく―赤字体質)を問題にされたが、アメリカのそれも対岸の火事とは言えなくなるだろう。訳の分からない格付け会社と金融理論はサブプライムの失敗を教訓には出来ず、石油、食糧の投機バブルが弾けるまで同じ穴の狢(むじな)を続ける気がする。

親父的には梅雨が明け、暑い夏と共にこの国も多くの試練との戦いになる。今年の夏は例年にない厳しさの中に、生きて来た価値が見出せる気がする。「喜びも悲しみも幾年月」古い映画で知らない世代も多いだろう。角言う小生もあらすじは知らない。Ⅰ人になって生きて来た歳月はこの時を実感する為に在るのかも。そんな気がする。

大上段に構えるのではなく、宮本武蔵の生き方に学ばなければならない。武蔵の生き方も他人が見れば喜びではなかったかも知れない。「我事において後悔なし」そんな生き方が今求められている。武蔵は剣豪として後世に名を残すが、生き方にこそ学ぶべき点がある。

本社の帰り岡崎橋の得正でカレーうどんを食う。生ビール(中)の酔いを覚ましながら大阪城に向かって歩いていると、大塩平八郎の記念碑の前に出る。反乱者の名前は歴史に残っても今は、その人の思いを理解する人も少ない。

しばらくうっとおしい梅雨の時が続く。その後は暑くなる。そして9月の時。親父のブログも第二章となる。

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2008年6月21日 (土)

消費動向伸び悩み?

個人消費の伸び悩みが深刻になっている。政府、行政の経済分析はそれほどでも無い見方もあるが、我田引水の感が強くてあまり信頼はしていない。君は如何だろう?現実の社会と乖離した(かいり)見解をお役所感覚とも言われるが、暫くは消費動向も非常に厳しくなると考えて当然かも知れない。

若者の世代(30~40代)に買いたい物が無いとコメントされているが、実際は買いたい物が在っても簡単には買わないのが正解だろう。買いたい物が多くても高過ぎて買えない。一生ものの買い物をしてローンの支払いに追われれば、それどころではないかも知れない。

親父の感覚では先日のブログにも書いたが、人間の魂を揺さぶる宣伝効果が足りないと思う。今までは全国津々浦々マスプロのコマーシャルを、朝から晩まで垂れ流せば物は売れた。今日では全国ネットのコマーシャルも以前ほどの効果が無いと言われて、企業の広告宣伝費に陰りが出ているとか。これだけ消費が進めば当然の事かも知れない。

買いたい物がないのではなく買える物が少ないのかもしれない。買いたい物を選択し吟味する喜びは人間の欲望として当然である。その琴線に触れる物が少ないとしたら、それは販売のプロとして努力不足だろう。厳しくとも多くの人は物を売ってなんぼの生活をしている。

テレビの買い替えを20年していない。冷蔵庫は買い換えない。車は要らない。オイオイ、どんな生活しているのかとぶつぶつ言っていたら人事ではない。親父の様な年寄りには物欲はあっても若かりし頃の勢いがない。せめてあの頃の勢いが在っても無理かも知れない。

そう考えてみると若い世代の考えも理解できる。アメリカでは景気対策として戻し減税とやらを実施しているが、この国では反対の事しか考えないのだろうか?サラリーマンと親父の様な年金世代にまで取れる所はなりふり構わず、税金を掛ける政策はそろそろ終わりにしないといけない。

現実は歳入不足。小泉改革に多くを期待したあの熱気は最初から眉唾(まゆつば)にしか感じていなかったが、多くの支持者の期待とは裏腹に多くの矛盾とまやかしが深刻になりつつある。劇場型と揶揄(やゆ)された痛みを伴う構造改革とは、一体何だったのか?今となっては説明すら聞こえてこない。本当にこの国の形を変えるには痛みが伴う事をどれくらい認識していたのだろう。

今真剣にテレビの買い替えを痛感している。親父の様にテレビをバックグランドにしながらブログを書いていると、右耳と眼から否応もなく映像と音声が飛び込んでくる。この内容たるや全く不快。食い物とレベルの低いお笑い。大阪はこんなに映像文化が無いのか?こんな番組にコマーシャルを流す会社と広報は一体何を考えているのだろう。

本当はテレビを変えるのではなく音楽が聴けるラジオが良いのかもしれない。ラジオの方が聞き甲斐が在るかもしれない。親父は単純だから多チャンネル、デジタル、薄型を望んでいる。アホやなあ。テレビは住まいを変えた時にしなはれ。幸之助さんが言っている。

これから活力のある経済と消費の在り方に環境が絡み、暫くは複雑な展開を見せるだろう。税制も消費税の在り方が議論されているが。不思議な事に現状分析とその説明に言葉も熱意も足りない。多くの無駄と無理、組織の見直しを棚に上げ、歳入不足の改善が見えないままに骨太の方針はないだろう。

不思議な事に消費税の10%には反対。その前に行政の無駄をなくせとどんなに叫んでも、政府、与党にはそんな物は無いと言われて議論はかみ合わない。親父的には消費税は10%でも良い。その代り行政の無駄を徹底的になくせ。予算の執行には責任を持ち余ったお金は国庫に返納。それが出来ない官僚はリストラ。これが民間の常識。

民間の会社も利益が出せない企業に存続の意味がない。税金免除の団体は解散。それが当り前だろう。個人には痛みを分け与え、特定の企業、団体に税金免除の特典を与えて来た責任は明確には成っていない。本当にこの国の在り方は何時からこんなに変わってしまったのだろう。

政権交代の時は景気がおかしくなった時。来月は洞爺湖サミット。臨時国会は8月からだが政局秋の陣は実質的には9月に入ってからだろう。その時、景気はどうなっているのだろう。一進一退を繰り返しながら多くの国民の思いはくすぶり、爆発のエネルギーさえ失せているかも知れない。今年の夏は久々に暑い感がする。

昨日は嬉しい事があった。1つは新しい事を覚えた事、2つは親しい人が昇格した事、3つは思いがけない人から声を掛けられた事、全てが些細な事だが親父の喜びはこの程度でも充分です。大阪は不安定な蒸し暑さの中で暫くはこんな感じかもしれません。

国の在り方や未来の展望は親父達には関係ない。年老いた政治家たちに多くの事を期待するのは無理だろう。さりとて橋下大阪府知事の改革案にも若さがない。若者達にこの国を変える勢いは親父達の頃と違ってないのかもしれない。何時までも在ると思うな。何んとかだろう。

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2008年6月20日 (金)

信なくば立たず。信なくば役立たず 

今は死語となっているが政治家の先生は選挙で負ければただの人。ただとは一市民となる。その惨めさは体験者でなければ分からない。どんなに内閣の支持率が下がっても衆議院の解散が無いのはその為でもある。しかし、何時までも出来ない。この国は建て前と本音の間に阿吽の(あうん)呼吸があり、タイミングを見誤ると多くの失われた時と対価を求められる。ジャパンはナンバーワンではなかった代償の時を、10年をはるかに超えているも取り戻してはいない。経済は1流、政治は2流と揶揄(やゆ)されたのは15年以上も前の事、今はこの国の対外的な存在感は思いやりと援助協力、金の支援を求められても政治的影響力は求められる事は無い。

東京、アジアに株安が走る。原因はインフレ圧力とか。それだけではないだろう。これから潮目が変わる。デフレからインフレ。バブル崩壊から長い間続いた価格破壊の時代は終わっている。これだけ原油の価格が暴騰しても市場原理に振り回され無策の政府と行政。

燃料費の死活問題に何の対策も打てなければ市場は敏感に感じ取る。先週鳴り物入りで開催された大阪の財務大臣会議でも韓国の会議でも、打開策を打ち出せない。アメリカのドルが政治的発言で一時的に回復しても、アメリカ経済の活力がこのまま下がれば世界の金の流れも変わる。アメリカはイラクの戦いを続ける限りドルの価値を高めることはない。

親父が若かった頃、今から40年前の笑い話。3万円弱の昇給が在り同僚が会社の先行きを心配した。基本給が5万ナンボの時だから50%の昇給。笑いが止まらないとはあの時を除いてもう1回位しか記憶にない。どんなに狂乱物価と言われても堪える事は無かった。

その次はオイル、ショックの時。子供達はいなかった新婚の時。あの時も物価高の実感は無かった。今度は如何だろう?先日のブログにも書いたが収入に見合う生活をすれば良い。スーパーに行けば有り余る食品、コンビニは24時間営業。当たり前の生活も収入に余裕がなければそうではない事を、思い知らなければならない。

日本人は英<エコノミスト>誌元編集長に指摘されるまでもなく「外人」には理解できない物がある。この人の「アジア三国志」は難しい。親父が言うのだから間違いない。この国の分析は兎も角、中国とインドは分からない事と予測、個人的感情が多すぎる。まだ半分も続破していない。この本の訳も良くないのかもしれない。

中国にしてもインドにしても大国と言われるには多くの問題が在る。共産主義を国是とする国とカーストの国、越えなければならない問題は山積している。どんなに経済の発展が目覚ましくても個人がそうでなければ、国の混乱は留まる事を知らないだろう。

仕事の方は卒のない対応が求められている。色んな人がいる。色んな事が求められる。色んな状況がある。同じ人間なのに別人でもなければならない。個人的な想いとか感情を押し殺し冷静で沈着な対応。親父の場合、余計な感情と正義感が強い。そんな物は全く不要。

梅雨の晴れ間も長続きはなく、暫くはうっとおしい日々が続く。景気の良い話は少なく些細な事に神経を磨り減らすのではなく、大らかでなければならない。信なくば立たずとは政治家に求められる言葉から私達に求められている。君の場合、如何だろう?

夜、寝る前に通販の番組を見るのが日課になっている。何回も同じ内容を見ていると何故か効果が実感できる。人間は欲望の塊かも知れない。それでも自分の息使いは他人には分からない。どんなに満ち足りた生活をしていても(実際はいない)、飽くなき願望は少なくない。

その事を実感出来れば人生は変わる。自分に暗示を掛ければ良い。普通通りの生活をして何かを変える?これだけでこれだけ変わる?そんなに甘いもんとちゃうと言う前に自分で自分に暗示を掛ける。出来ない。分からない。変わらない。そんな自分を今、変えている?

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2008年6月16日 (月)

大阪は梅雨の晴れ間?明日も暑い

「暑いね」「たまらないね」明日は1月先の天気になりそう。しかし親父は九州生まれ、寒いより暑い方が強い。昨年の寒さも股引もはかず風邪も引かなかった。今年の夏は如何だろう?昨年より間違いなく暑い夏、温暖化とか季節変動とか言葉を越えた暑い夏。今年の夏は何を教えて呉れるだろう?通り魔ではなく間抜け、腰抜け、地震の災難は人事ではない。

昨日も酔っぱらいが居た。以前、警察の手間を掛けた御同輩。今回は怪我もなく店外に出すが夜半の雨、帰宅する事無くいじけていた。「酒は飲んでも飲まれちゃ為らぬ。それが男と言う者さ。」親父は酒は飲めないから気持ちは分からない。しかし、ほってはおけず結局お巡りさんの御世話となる。

今日はお休み。隣の住民も最近失業したのだろう朝から煩い。お昼過ぎ洗濯済ませて夕方から靴を買いに出掛ける。今年の始め気合いを入れて買った靴も左の親指と付け根の位置が凹む。靴底の外ではなく内側が凹む。原因はメイドインChinaの靴床の材質。ウレタン。靴の修理屋さんから鼻先で笑われる。「中敷きを変えなさい」変えても一時も持たない。

日本製の足に優しい靴は何処に行ったのだろう?これから年寄りが多くなり足の健康が問われる。歩く事は交通の便利さに反比例して減っている。多くの現在人は健康で文化的な生活を失い、その代償の大きさにこれから多くのツケを払わなければならない。その事を今、痛感している。

足の事を考えると靴底はコルクが良い。ウレタンでは半年しか持たなければその思いを強くする。今回も高い靴は買えなかった。この仕事は歩く事と立つ事、それの勝負だから靴は思い入れを強くしなければならない。この靴は意外にフィットした。それでもすぐ凹むかも?

大阪の財務大臣会議が物々しい警備とは裏腹に、予想通りの成果?。来月の洞爺湖サミットも同じだろう。政治が何かをやるには主権者の後押しがなければ出来ない。その事を当分思い知ることだろう。アメリカのドルが今、戻しているがその根拠は政治家の思惑。実態のない経済は強くはならない。その事を思い知るには政局と同様、暫くの時が掛かるのかもしれない。その事をひしひしと感じているのは国民の多くである事を見失ってはならない。

政府の経済見通しも円レートも株式市場すら、これからのインフレの重さを軽視していると思われる。インフレの進行と景気の後退。この国はその事を余り経験していない。物の価格が上がり収入が増えなければ消費は低迷しかない。生活不安と社会不安。人は何の為に生きるのか?その答えを明確に出来ない人が多くなれば社会の活力も見えてこない。

「貧乏人は麦飯を食え」池田隼人元総理大臣が言った言葉は、今こそ噛み締めてみる必要が在る。身の丈に合った生活をしなければ再びの苦汁を口にしなければならない。咽喉元過ぎれば、熱さ忘れる事は無くても歴史に学ぶ事は痛感する。

歴史は繰り返されると言われる割には、歴史を知らない。楽観的な人が多いのはこの国の特徴かも知れない。英エコノミストビル・エモット氏の中国、インド、日本の大戦略を読むとその事を痛感する。知らない事が多過ぎる。分からない事が多すぎる。その事を感じれば景気が悪いのは必然かも知れない。

反面、景気は天候、人の思惑に大きく左右される。この仕事を始めて雨の影響の大きさを知る。今年の梅雨は出足からその影響が少ない。雨が少ないと水不足が心配されるが今の処その心配もない。先日の父の日イベントも終わりこれからはお中元か?

技有り、日本の底力。これは親父が見ている経済番組の1つだが、個人も会社も地域も国も同じかも知れない。どんな些細な事でも人に負けない底力。それが自然な心使いだろう。色々な人がいる。どんな人にも対応できる自然体。それが本当のサービスかもしれない。

アメリカの証券大手の決算発表が始まる。予想以上の経済損失?予想以下ではあるまい。それでもドル高は進むのだろうか?ヨーロッパのインフレは進行している。この国も石油の値上がりに歯止めが掛からなければ、景気の足が止まるかもしれない。

ではでは講釈はこれ位にして、暑さに負けない爽やかな仕事を心掛けて生きて行きます。人は人に支えられ生きている。人の力は有限でも無限でも無い。学習する心がけと汗の量を惜しまなければ成長の足跡を実感できる。そんな些細な事に喜びと感謝の心を重ねよう。

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2008年6月13日 (金)

お見送り、ありがとう。しおりちゃん

今年度の住民税の通知が先週来た。大幅減額にラッキーと思いながらよく考えてみると複雑な気持。期別(3月分)の金額が約半減の17000円。月にして6000円弱。昨年は12000円だった。半減の原因は収入が減ったから。前のブログにも書いたが税金支払いの為職を求めても8ヶ月失業した。1月分の補てんがなければ70万の収入減。その結果です。

これも前のブログに書いたが7月には国民健康保険料の確定通知があり、支払いが始まる。昨年度と異なり今年度は4~6月の暫定金額の支払いが無いので、年間保険料が12分割から9分割となる。前年度の収入減で親父の場合、支払い額は減るがこれも手放しでは喜べない。後期高齢者の保険料が問題となっても税金と保険料の負担の重さは、何故か問題にされていないのは何故だろう?

今読んでいるイギリスのエコノミスト元編集長、ビル・エモット氏の言葉を借りるまでもなくこの国の財政再建は、無駄の排除と消費税のアップしかないだろう。どちらも出来ずに問題の先送りを続ければ、この国だけでなく世界の経済の混迷は一進一退だろう。

皮肉な事に明日大阪でG8の財務大臣会議が行われる。何が話し合われ何が変わるのだろう?各国の昨今の深刻な石油高騰、食糧高騰、物価上昇に歯止めは掛けられない。協調、支援、他にどんな言葉が在るのだろう。

しおりちゃんとは市役所のロビー出口の水槽の前で出会う。近くを流れる川魚が勢い良く泳いでいた。親父が子供の頃の川魚とはちょっと違って名前が分からない。それでも親父と幼い女の子は飽くなき思いで小魚をガラスの上から指さしていた。歳を重ねた親父と2歳足らずの子供は警戒感を捨て、通じない言葉とは裏腹に話しかけていた。

知らない人が見たら爺ちゃんと孫。親父は窓口で用事をしているママの姿を確認しながら相槌(あいづち)を打っていた。人を見たら泥棒と思え。優しい顔をしている見知らぬおっちゃんに近かづくな。しおりちゃんにもママにもそれがなく、それが心配だった。見守り。幼い子供と年老いた人。これからの行政に求められる事。その事を図らずも体験する。

用事を済ませてロビーに戻ると、幼子はまだ手続きの続きをしているママのスカートを、しっかり握っていた。頭をなでながらママの手を離すなよと諭す。市役所の外で自転車の鍵を外してふと中に目をやると幼子とママが手を振っていた。「病気すんなよ、怪我すんなよ、誘拐されるなよ」。笑いながら声を掛けるとその時には視界から離れていた。

プレゼンテーションお疲れでした。親馬鹿でさすがに気にしていたが仕事は休み。最近は仕事でもお休みでも起きるのはお昼のニュースの時です。昨今のテレビ放送は一人暮らしの親父の生活にはバックグランドミュージックです。もうすぐデジタル放送の時代ですがもっと多チャンネルにならないと意味がないかも。ニュースとドキュメンタル、映画とクラッシック音楽が見聞き出来たら満足かも。

今日から日曜日迄仕事。梅雨の合間の好い天気が続きそうで暑い毎日になりそうです。今年は週末になると毎週雨に泣かされていますが、今週はその心配もなさそうです。仕事はまだまだです。それでも大分変って来た事は実感しています。まだまだ慢心する事無く謙虚で行きます。昨夜、テレビで人の心臓の動きを見ていたら、急にドキドキしていました。人間の生命力の偉大さと果敢なさ。もっと生きる事の重さを感じないといけないかも知れません。

では又。「アジア三国志」の感想はまたにします。内容が難しくてまだ半分も読んでいません。新調した老眼鏡の度数を上げないとアカンかも。掛かり付けの眼科の女医さんに笑われるかも。文字が小さくて読みにくい。兄貴も忙しそうです。体に気を付けて下さい。

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2008年6月10日 (火)

景気の拡大は終わったのか?

経済の専門家をエコノミストと言うらしい。彼等の現状判断は間違いなくイエスだろう。今後の見通しは楽観的でも悲観的でもない。多くの指標は前年比マイナス。原因は原油高とアメリカ経済の後退(マイナス)、この国の消費と株式市場の低迷。明るい材料は少ないが歴史的にみると多くの困難を乗り越えて来た過去と比べて差が無いのかもしれない。

それにしても余りに遣る瀬無い秋葉の事件を見ると、老いたる者だけでなく若者の未来に危うさを感じる。親父もこの仕事をやりながら痛切に感じる事は護身。我が身を守るには最低限度の技が要る。今はその術がない。君子危うきに近か寄らずでは生きて行けないかも知れない。卑劣な犯罪者は強きに立ち向かえる力は無い。好んで危機に立ち向かう事は無いけれどその事だけは忘れてはならない。

今日と明日(と言っても今日)はお休み。本社所用の帰り、何時ものお店でカレーうどんとビール。このささやかな喜びは汗と恥を掻いている仕事のお陰と感謝している。大阪岡崎橋交差点、本町通りの西側を少し歩くとそのお店は在る。

初めてこのお店を知ったのが昨年の12月の中旬。今の仕事の記念すべき労働対価を最初に手にした時だった。暮れも近かづいていた。昔、市電が走っていた通りにそのお店は在った。カレーには目が無い親父でもカレーうどんのお店は知らなかった。

「得正」は大阪では知る人ぞ知るチェン店。親父は知らなかった。カレーとうどんのコラボ(組み合わせ)は珍しくなく大阪では昔から親しみをこめて、カレーうろん?と言われていた。今は暑くなったがカレーうどんに冷(ひや)はない。親父は紙の前掛けをしないので少し温め(ぬるめ)の(えび天入り)上を注文する。じっくり煮込まれた牛肉と甘みのあるカレー味は青ネギの風味とマッチしてコシと弾力のある手打ち麺に、良く絡んでいる。生ビールによく合う。

カレーは辛口が好き。阪急三番街のインデアンカレーを口にしたのは20代。あれから多くの歳月が流れてもその思いは変わらない。頭の地肌から汗が出る辛味とは正反対の甘み(うまみ)は汁が無い。病みつきになるのは味だけでないもてなしの心かも知れない。

カレーの味は本当に奥が深い。日本独特の味。インデアンカレーとは一味も二味も違う。カレーライスとうどんも又違う。お店の雰囲気と店長の味、仕事も同じだろう。人と同じ事をしても駄目。違う事をして目立っても駄目。もてなしの心は自然体でなければならないのかもしれない。

帰りに英(エコノミスト)誌元編集長のビル・エモット氏のアジア三国志を求める。国際経済の中でこの国の成長と停滞、繁栄と衰退の歴史認識はこの国の未来予測に欠かせない。今日多くの内外エコノミストが悲観的見方をしている日本経済は、必ず転換の時を迎える。

アジア三国志とは訳者の付けたタイトルで、中国、インド、日本の過去、現在、未来予測かも知れない。アジアの未来予測で大きなインパクトを与えるのは他の国かも知れないが今、言える事は間違いなく中国とインドの理解に違いない。国益の対立から協調関係の転換は在るのだろうか?今日読み終わったら感想を書きます。お休み。

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2008年6月 6日 (金)

財政再建(個人、地域、企業、国家)

オイオイ。今日は難しいタイトルを大上段に構えてどんな講釈をするの?大阪府知事の大阪府財政再建の話を聞きながら考えていた。4か月前の知事選挙で親父は正直この候補者では勝てないと思っていた。理由は支持基盤。大阪だけでなく全国多くの地方自治体は言うまでもなく、国の財政破綻の原因は単純明快。それが理解されていない。

親父も死を覚悟した惨めな生き方は収入が無い事。それでも長い間豊かな生活をしていると本当の厳しさが分からない。なんとかなると思っているのだろう。何とかならない。何とかなるのは人の財政の支えが在る人達だろう。親父も本当に迷惑を掛けた。それでも個人には限界の時が来る。地域、企業、国家でも同じだろう。親父は生死の境目でその事を思い知る。大阪の財政再建に橋下知事がどんなの多くの思いを語っても、その事がなければ絵に書いた餅にもならないだろう。

大阪だけでなく企業は言うまでもなく国家でも支出を超える歳入が無ければ赤字。財政再建を口にしながら多くの赤字を垂れ流していては問題は先送りされているだけ。こんな当たり前の事も問題が深刻になっても建前とか先延ばしをするのがお役所仕事です。

大阪の財政悪化の原因は1つに大阪湾の埋め立て地の無駄。公共工事の無駄、人材の無駄。実際は数え切れない無駄。全てが役人の金銭感覚の無さ。議会の無能。他に何が在るのだろう。予算の無駄遣いは出来ても活用が出来ない役人に何が出来るのだろう。

今回の再建案に歳入の改善策が無いのがその事を証明している。多くの事を語る必要はない。やるべき事をやる。尤もらしい能書きをどんなに言っても結果は着いて来ない。今日から日曜日迄仕事です。人の事をどうこう言う前に自分が変わる。それが問われている。

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2008年6月 5日 (木)

枇杷(びわ)からぶどう&ナタデココゼリー

親父の寂しい食事も書き忘れましたが、暫くの間枇杷のゼリーが欠かさず付いていました。時々、コンビニの買い物で節約した時に後悔した事がある。それ以来買うのを止めていない。枇杷の時は暫く続いたけれど最近、白ブドウとナタデココゼリーに変った。

枇杷の実は本当の美味しさを知らない世代と人達も少なくない。親父も良く知らないが本当の美味しさはブドウやリンゴ、みかん、梨等と同様木から直接口にする事だろう。都会の人はお店に行けば何でも買えると思っても不思議でないが、それだけでは手にとって買う気持ちすらならない。本当の美味さと価値を知らないからである。

ブドウはこのブログのタイトルバックにもなっているが、親父にとってはピオーネかも。大粒の実を1つ、2つしか口に出来なかった人が居なくなっても、ブドウへの思い入れは変わらない。しかしピオーネはまだ高級品軽々しく口には出来ない。そんな訳で白ブドウとナタデココのゼリーです。ナタデココは何処の産でしょうか?

先日、国民健康保険料の事を書きましたがこの国の保健制度は、制度疲労となり多くの綻び(ほころび)が深刻な問題となっている。しかし、世界の多くの国から賞賛された国民皆保険は年金制度と同様、財政の立て直しを求められている。

原因は年寄りが増え現役をリタイアすれば厚生年金、健康保険組合から外れ国民年金、国民健康保険の加入が必然的になる。多くの団塊の世代、高齢者が自前で保険料を払うには無理が在る。この事実を多くの人は知らない。政府も行政も問題がこれ程深刻になるとは予測していなかったとも言える。しかし、一番の問題は年金にしても健康保険料にしても問題は先送りされていたのが現実だろう。

この国の医療と保険制度は様々な困難の中で技術と豊富な資金で支えられていた。今、多くの国民は医療費の重さと格差の大きさを過信しているが、空気も水も医療費もタダではない。タダどころか多くの負担に耐えられない貧困層は人事ではない。その認識が余りに足らない。今月手にする本年度の地方税の納付書を溜息をつきながら、どれだけ多くの高齢者と低額所得者が見て居るだろう?

今、国民健康保険料の未納者がどれだけ居るのか分からない。保険料は少ない金額ではない。それが払えなくなった時、医者には掛かれない。この説明は本当に難しい。何故なら自分がその立場にたっても分からないのだから。しかし、本当の理由は制度設計にある。

国民健康保険料が被保険者の前年度の所得で決まる現行の制度は、財政が赤字となるのは必然だろう。右肩上がりの高度成長期は過去の幻となり低成長期の保険者の所得の伸びが期待できない。逆にマイナスだろう。医療費が伸び保険収入が減れば必然的に保険料を上げるしかない。高い保険が払えなければ滞納、保健資格がなくなる。こんな事は誰でも分かる。年金の問題と違う深刻さをこれから噛み締めなければならない。

それでも凄いと思うのはこんなにひどい取り立てにも文句も言わず、多くの人が納付している。しなければ即資格を失う。その為に元気で働かなければならないのだろう。親父は今幸いな事に年金を手にしながら働きの場を得ている。昨年の今頃、高い地方税と国保の払いに耐えかねてハローワークで職を求めた時、感じた屈辱の思いは今でも忘れては居ない。。

大体、職安がハローワークと名前を変えても失業者の安定の場ではない。本当に働きたいと思うなら何でも出来るだろうと言われた事もあるが、そんな働き方をどれだけの人がしているだろうか?自分は違うと思っているのだろう。親父もそうだった。

これからの生き方はその代償を払うだけでなく、生き方その物さえ変えざるを得ないかも。しかし、どんなに変わったとしてもそれは外観であり内面ではない。この国の多くの課題がそうである様に、そう簡単には変われない。チェンジの意味はそれほどに重い。

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2008年6月 3日 (火)

梅雨入り、今年は早い。あんたはどうよ?

幼い頃、我が家は一軒家。家の前には見下ろす位置に小川が流れ、その先には田が在り道が在り小山が在った。右手は視界が開けその先には線路が田畑を遮っていた。そんな田舎の風景は今も変わる事はない。変わった事と言えば住人の世代と田んぼの中の家、小山の雑木が炭の原木となり禿山となった事ぐらいかも知れない。

書き出しからおかしくなったが、親父の子供の頃は雨は宝だった。この事は今でも変わらない。それなのに雨の風情は余り喜ばれる事がない。なんでだろう。農業中心の生活から商業、工業、味気ない日常を考えると無碍(むげ)無いかも。今は車と無関係な生活だが、雨の高速を幅広のタイヤで疾走する快感は今でも忘れていない。

雨の日は買い物客の出足だけでなく熱気も低い。食料品しか買わない親父にはイマイチ理解が出来ないが車の買い物も億劫になり、自転車のおばちゃん群が途絶えるからだろう。これから始まる梅雨の時、買い物客は何に糧を求めるのだろう?

親父の最近の食事は固定している。こんな食事をしていたら永くは生きられないと思って久しい。「偏った食事はよくない」とか色々言われたけれど、全て不正解です。極端な事を言えば人間の生きる力は無限です。どんなに不摂生な生活をしても簡単にはギブ、アップしない。但し、体系と顔つき、目つき、歩き方、生き方は変わってくる。不思議な事に自分では気付かない。人に言われても気にならない。何故ならそんな生き方に共鳴する必然性が無いからだろう。親父の生き方がそうだった。

夜の就寝が2時過ぎ、起床はお昼過ぎ。当然、朝食はなし。お昼は惣菜屋さんのお弁当500円。夕食は仕事の時はお店のお弁当とパンとお茶。仕事無しの時は近くのサンドイッチ屋さんのサンドとコーヒー(ブラック)。夜食はコンビニの冷凍うどんかチャンポン、おにぎり2個。こんな食事では健康で文化的な食生活とは言えない。体にヘタリがで出た時、思いっきり野菜と魚又は肉のバーベキューを作る。一人の食事の長年の知恵?かもしれない。

食いたいものを食いたい時に食いたいだけ、人に指図される事無く食らう生活は12年の歳月を重ねた。親父的には無理かも知れないが後同じ歳月健康でありたい。その為には歩く事だろう。幸いな事に禁煙してからもうすぐ6年、酒はたしなむ程度、減量の決意さえ変わらねば実現不可能でもあるまい。

梅雨時の食事は食当りに気をつけ良く噛んで腹八分の心掛けを大切にしなければならない。この頃痛感することは「良い仕事」です。その為には肉体のコントロールでしょう。自分の体を自分で管理できなければ管理者失格とアメリカのビジネス格言を親父は信じていない。それでも健康な体を求める純粋な心は失ってはならない。

梅雨が明ければ夏が来る。夏が来る前に今一度の試練の時を迎える。この前のブログに書いた親父の変身。この歳になっての意識改革は容易ではない。しかし、決意に些か(いささか)の揺るぎもない。やるしかない。人に出来る事が自分に出来ない訳がない。この思いが変わらなければ梅雨明けには意外な自分に出会えるだろう。そう信じて止まない。

もうすぐ芒種(ぼうしゅ)の時。今月の末には夏至。芒種の時は知らなくても夏至はそうでも無い。芒種とは中国の旧暦で今年は6月5日環境の日とか。何でや?芒種とは種を亡くす事ではない。中国黄河流域の農民が米ではなく稗(ひえ)粟(あわ)の種を蒔く(まく)時期と決めていた。今、世界的に食糧の危機が問題視されているが、食い物を粗末にする国家に繁栄はない。援助?自国の農政に失敗しても平然とよくそんな事が言える感覚に言葉が無い。

先月と今月は国民健康保険の支払金額が前年度の収入が行政に確定されず、納付していない。しかし、免除ではない。今年から年間保険料を9分割で払わなければならない。間違いなく昨年より多くの低所得者が保険料を払えないだろう。払えなければ一定の期間の後、無保険者となる。今、後期高齢者の年金天引きが問題になっているが、国民健康保険も負担の高さに耐えられない人が無保険者となった時、行政はどう対応するのだろう?

取れる所から取る。保険の未払いが増え赤字が累積すれば必然的に加入者の負担は増える。保険制度が見直しを求められても「説明が足りない」と平然としている政府と行政に今年も又、厳しい批判はあっても何も変わる事はない。今月通知のある住民税の金額も注目している。

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