« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

2008年5月

2008年5月28日 (水)

暑い1日、仕事はお休み、本社に行く

暑い1日だった。仕事は休みだったが働いている多くの人を思うと大変さを思う。どんなに大変でもそれが仕事だと思えば当然かも知れないが、当事者でなければ分からない事も少なくない。それでも人事の様に自分の事しか考えていない。それでなければ生きて行けないのかも知れない。本当は全く違う事でも見方で意見が違う。それが現実だろう。

親父が若い頃でも無くはなかったが、最近の働く現場は実に厳しい。「嫌なら辞めれば良い」若い頃、親父もどれだけ言われただろう。親父が逆の立場になった時でも同じ事を云っていた。その価値基準となっていたものは「やる気」と組織の一体感だった気がする。

その成果は大きく企業も組織も個人の収入も右肩上がりの成長を遂げた。高度成長、後退なき景気対策、そしてバブル経済の崩壊、失われた10年の後、今も進んでいるコストの切り下げ、これからはますます厳しい経済環境が予想されるが、生き残れるのは左程多くないかも知れない。

人の事はどうでも良いが自分の生き方と生き残りに関心があれば、強くなければならない。肉体と精神。どんなに不死身な体を手にしても、人の体は半年で全く別人となる。その事を知らない人が余りに多い。思い込み、過信、思い上がり、無意識の暗示。それぞれのサンプルは在っても共通の領域は少ない。精神はもっとひどい。性格とか気質の性にして変われる事を変えていない。先日、隊長に言われて改めてその事を痛感する。

人は多くの事を口にし行動の形を決めているが、個性とか特徴そして態度と言葉使い、自分と同僚を比べて見ると愕然とする。自分なりに心掛けて来た事は一体何だったのか?唯、必死の思いで多くの事を知り、その事に慣れただけかも知れない。

それはそれで大事な事であるが、今求められている事は心地よい対応だろう。自分が反対の立場に立てば分かる事が、意外に見失われている。親父自身がそうであった。しかしその事に気づいても改まる事が無かった。30年前に学習した感謝の生活の実践。改めてその事が問われている。「ありがとうございます」「サンキュウ、ベリーマッチ」 言葉と態度、これが変わると親父は凄い変身を遂げる。

今更、親父が変わっても然したる変化はないかもしれないが、この親父の人生最後の決意かも知れない。大事な人を失っても止めなかったたばこを止めたのが5年前、あんなに大事なお金をどぶに捨てていたパチンコもこの仕事を始めて1回もやっていない。何故だろう?その気に戻ればいつでも口に出来、お店のドアーを開けられるのに。

ライブドアーの元社長堀江氏が逮捕されたのは過去の話となっているが、あの時声高に叫ばれた言葉は「額に汗して働く」だった。この歳になると働きの機会は多くはない。年寄りだけでなく若者、成人でも同じだろう。その事を痛感すれば人に言われるまでもない。精神とお金の相関関係は一言で言うのは難しくても、濡れ手に粟ほど旨い話は無い。

喫煙はストレス解消ではなく血液と細胞の破壊、パチンコは時間と精神、お金の浪費以外の何物でも無い。この国ではギャンブルが禁止されているがパチンコはそうではないらしい。その事が分かれば2度とやる事はない。この事が分かっただけでは元は取れない。生かすしかない。

チェンジ(変化)が求められているのは何も国家、企業だけではない。自分自身の生き方、考え方、口のきき方、物腰、態度に求められていると思えば良い。変わらなければいけない。変われなければ退場しかない。それは出来ない。年金だけでは元の生活に戻る。パチンコのプロでは今や飯は食えない。その事を忘れてはいない。母さんがその事を教えている。

今の楽しみは何だろう?酒も女もタバコもパチンコも止めて何の人生?これから自分の性格まで変えて何を求めるのだろう?そうではない。王道を行く。人と成りは中身ではない。外観で決まる。どれだけ自分を変えられるか?そうして廻りにどれだけの心地よい思いを与えられるか?しかしそんな事は楽しみにはならない。楽しみは通帳の残高か?まさか。

本社の帰り何時ものお店でカレーうどんとビール。これは何よりの楽しみ。楽しみはなんてこんなもんかもしれない。梅田でこれも何時ものお店で「きんつば」お土産。小豆と芋。喜んで呉れたかな?親父の今の喜びと言えばこんなもんかもしれない。

部屋に戻って今朝の咳を思い出す。咽喉のイガイガと耳の外耳炎が気になる。それとも指爪の白癬菌(水虫菌)をかじっているからだろうか(汚い)。(これも欲求不満の現れだろうか)止めて下さい。半年かじらなければ綺麗になる。男もネイルか?いいえネイチャーです。

冗談では咳が止まらないので掛かり付けの医者に行く、夕方の時間、子供達が多かった。夕食は久々のそうめんとお茶づけ。少し贅沢をして買った四万十川の川のり、大分のラッキョウは美味かった。

咳は布団の中でしか出ないけど、あれは睡眠を完全に妨げる。今朝はどうだろう?咳きこむ時は思い切り布団で口を押えてすれば良い。その後で爽健美茶をゆっくり飲む。これで充分です。夜も遅くなりました。暑くなりますがくれぐれもお体に気を付けて。see you ageinです。

| | コメント (0)

2008年5月23日 (金)

3日間のお休み終わり、明日からまた3日間のお仕事です。

床屋で身綺麗になり近くの公園に出掛ける。メタボ感が一服し近くの山登りが億劫になって来た。それでもこの前出掛けたしと自分に言い聞かせながら、お馴染みのサンドイッチ店で苺とキュウイのサンドとブラックコーヒー(伊藤園)を求めて、陸橋を超える。

公園の廻りには若葉が漲り(みなぎり)木陰にはベンチが在る。しかし生憎(あいにく)満席。狭い土のグランドも若者達が駆け回りうっとおしい。気分を変えて山の方向に向かう。足取りは軽くないけど行く先は決まっていた。先週、山登りの帰り薪能の観客を迎えていた城址公園。予定外の散歩になったが山登りに比べると楽勝。汗をかきかけた処で到着。

サンドとコーヒー入りの袋をブラブラさせながら大手門をくぐる。夕暮れには少し早い城内は先客もなくひっそりしていた。散策の道を歩きながらまだ開店中の茶店が意外な感じがした。「このお店も先週は繁盛しただろう」。閉店間際のお店は何故か嬉々として明るかった。

(ここでちょっと失礼して銭湯に行きます。)

さほど広くない城内。先週、多くの観客で賑わったであろう芝生の庭は1人占めだった。再建された天守閣を正面に見ながら石のベンチに腰を下ろしサンドイッチを取り出す。「嬉しいなあ。殿様気分だな」そんな気持ちも束の間、4人の子供達が現れる。

お気に入りのブラックコーヒーアルミ缶の蓋を開け、のどに流し込む。ごっくりと飲み込みながら様子を見ていると先方も意識している。「変なおっちゃんがいる。何か食っている。何か飲んでいる。」 そんな感じを知らぬふりをして視線を合わせない。

見ぬふりをして声だけを聞いていると女の子の無邪気なはしゃぎが始まる。芝生の上を煩くない(うるさくない)範囲で遊んでいる。子供心に親父の気持ちを推し量っているのだろうか?他人の思いを平然と踏みにじる最近の大人達に見せてやりたい。

しばらくして立ち上がる。出口に向かって歩いていると何故か子供達が行く手を遮る。そんな感じがしたが実際はどうだったのだろう?変な親父に何か関心があったのだろうか?声を掛ける。「仲良し4人組。何年生ですか?。今日は何の帰りですか?」

何の恥じらいも感じさせずに算盤塾の帰り、小学4年生、親父を見据えて答える。親父も算盤3級。商業高校で10ヵ月で取ったと自慢すると目を丸くする。「それ程でも無い。君たちは若いからもっと上級になれる」本心からそう思う。それからさり気無い言葉の中に喜びの気持ちが弾ける。「学校が楽しい。いじめが無い。友達も多い。」言葉に嘘が無い。

小学校4年生。女の子。4人組とハゲ親父の会話は続く。好きな科目、得意な学科、先生の話、クラスの話、話、が弾んでいると1人の親が帰りを心配して迎えに来る。3人になっても帰ろうとはしない。もう一人の親が来たのは6時を過ぎていた。ここで話は終わり。

天守閣には登らず西出口の石段を降りる。バスの通りに出て駅への道を戻る。心は浜辺の道を歩いていた。何も捕われず何も恐れず何も計らず唯、淡々としていた。久々の思いは親父の心に意外な一面を感じさせていた。そして彼女たちの未来に希望の明かりを祈念していた。いろんな人が居る。いろんな思いが在る。いろんな価値観が在る。優しさとやるせなさが交錯しても明日は明日の風が吹く。ケセラセラの生き方が求められている。

| | コメント (0)

2008年5月22日 (木)

原油価格の上昇は何時まで?

アメリカ原油価格の上昇が止まらない。原因は色々言われているがドル価格の下落とサブプライムも影響が在ると言われているが、親父のような貧乏人にはよく分からない。いろんな情報サイトにアクセスしても、コメンテーターの思惑と判断基準で異なる。昨年の今頃、アメリカ発の金融不安が起きた時、日本のエコノミストが楽観的な見方をしていただけでなく、問題にすらしていなかった事を考えると、当り前の事かも知れない。

この国の社会現象、経済現象、多くの出来事を良く観察してみると面白い事に気づく。日本人が勤勉であると言われて久しい。社会に秩序が在り不安が少ないとも言われる。多くの人の生活が安定し、モラルも高いとか。しかし、一人一人はどれだけの事を知っているのだろう。親父の場合いまだにこの国の社会基盤が、マスコミで言われるほど弱いとは思えない。

何か、問題を抱えるとこの国のマスコミだけでなく多くの人が同じ思いをする。どうして人とは違う行動をしないのだろう。単一民族、農耕民族、島国根性、否、育ち方と受けた教育、周りの影響が大きいからだろう。処が最近はグローバル社会とか。国境無き情報が世界を瞬時に駆け巡る。大体、1年前の今頃、サブプライムとか原油価格の上昇をどれだけの人が予測しただろう。その程度の事と思えば多くの困難も乗り越える事が容易かも知れない。

ガソリンと軽油の給油価格もその変動に耐えられなくなった企業は、必然的に淘汰される厳しい現実も多くの人は知らない。今、社会問題にすらならない物流コストにどれだけの企業が耐えられるのか、親父にも分からない。この圧力が負担に耐えられなくなった時、間違いなく今より大きな価格破壊となるかもしれない。

それでもこの国のガソリンと灯油の価格は、外国と比べてまだまだ安いとか。ホンマかいな。これは何か作為を感じる。それならば1年前の今頃、何でガソリンが100円そこそこだったのだろう。親父が車に乗っていたのは6年前、あの頃は92~3円だった気がする。

最近、マイカーを手にする若者が減少している。大阪ではまだ必需品でも維持費と燃費を考えると、そこそこの収入が無いと手には出来ない。車の新車売上が減少しているのも当然だろう。車の製造と売上で世界ナンバーワンとなったトヨタも、戦略の見直しと地方の買い替え需要だけでなく、新たな市場開拓が迫られている。

親父が下の息子と賭けをした原油価格の上昇は、100ドルどころか130にもならんとしている。この要因は全て先行きの需要予測、言わば思惑に過ぎない。思惑は何時かは外れる。その時は何時なのだろうか?今年の夏は世界的に暑いだろう。その時の需要予測が外れなければ原油は未だ上がると考えるのが主流かもしれない。しかしどう考えてもその高いコストに平然と出来る企業と個人はこの国には少ないだろう。

母さんの13回忌法要の希望日を田舎のお尚に伝える。メールの返事で了解を貰う。時間が決まれば連絡されたいとの事。これが済めば親父も一区切りが出来る。長い様で短かった12年の時ももうすぐ終わる。それにはこれからの暑さと試練を乗り越えなければならない。

まだまだ、問われる事は少なくない。それでも間違いなく老いの歳を重ねている。何時までも在ると思うな親と金、無いと思うな情けと助け。ばあちゃんも天国から見ているかな、このブログ。もう少しの間、試練の時を与えてください。

| | コメント (0)

2008年5月18日 (日)

昨日も歩いた。近くの公園で土を踏みしめていた。

夏服のズボンが支給された。その前に申請したサイズはさすがに恥ずかしかった。この歳になり運動不足、暴飲暴食が祟り(たたり)胴周りが105になる。アンビリーバブルです。腹が出て来た事には気になっていたが、さすがにこのサイズは許せない。メタボが如何だ(どうだ)とか言う問題ではない。腹周りを擦りながら一大決心、一念発起、一発逆転。その結果が少しずつ出て来た。試しにはいてみたズボンはブカブカ。気持ちはニンマリ。

裾直しと胴周りの直しの為近くのリーフォム店に行く。これまでは腹周りが窮屈で広げて貰う事は有っても逆は無かった。自慢げに6センチ詰めれると聞く。「おいおいホンマかいな」ホンマです。笑いながら店の主人ズボンにメジャーを当てて一言。このサイズ109です。

親父の胴周りは103になっていた。それでも是までの努力を続ければ100切りも夢ではない。目標の95を達成しても未だ道半ば(なかば)。86までは行きたい。なんかゴルフの目標スコアみたいだが努力すれば達成できる。そんな気がして来た。

仕事の休み2日目。夕方近くの公園でブラックのコーヒーとサンドイッチ食いながらベンチに座っていると5年と半年前の事を思い出す。あの時偶然に合った前の大家の親父。今は亡き人になっているが励まされていた。「色んな事が在るから負けずに頑張りなさい。」優しい言葉を思い出していた。本当に生きる事は簡単ではない。さり気なく清明。その思いを忘れてはならない。

もうすぐ小満の時を迎える。立夏の前。今年は21日。この国でも死語になりつつある言葉の意味は「野山に草木が満ちてくる」。若葉の時から野山の緑が沸き立つ季節が目前に在る。まだまだ、初心を忘れずに謙虚でありたい。今日から3日間。気持ちを引き締めてやります。

| | コメント (0)

2008年5月17日 (土)

歩け、歩け、もう一度。

久しぶりに近くの山に登る。そして歩く。先日のコースは階段中心。今日のコースは一番ハードな高原コース。高原とは名ばかりの尾根の上。それでも山は低いので木立が絶える事はなく、緑のトンネルの中をひたすらに登る。せいぜい300メートル前後。それでも足腰に自信がないと歩けない。最近の若者は体力が無いと言われるが、成人、老人も同じだろう。

これからの時代を生きる生きとし生けるもの全ての人が問われている事。それは安全と安心、そして健康と少しでも多くの貯えだろう。どんなに尤もらしい事を云っても、この国のこれからと個人の生活保障は自分で支えるしかない。政府がどんなに多くの言葉を費やしても内閣の支持率が20%を切るとその先行きは見えている。

生活防衛に消費者は舵を切っていると言われても、何を今更の感もする。政府に求められている事は特定財源の継続、交付税の継続、公共事業の継続、利権の継続、etc.。こんな事だけでなく財政の構造改革も行われている。それでも官僚の考える事は小泉改革に言われる痛みは国民に、利益は組織の為だろう。国を憂い国民の生活向上の政策はこれからも期待しない方が良い。

本当の生活防衛とは何だろう。無駄な買い物でも無駄な支出でもない。不健康な生活、不健全な健康管理だろう。健康な時過信しているおのれの肉体は、余りに脆い(もろい)。自分の体にどれだけの投資が出来るかはお金の問題ではない。健康器具、健康なんとかでもない。歩くだけ。最近暇があると歩いている。今のシューズが買い替えられて靴床の塩梅(あんばい)が良くなれば、もっとハマる気がする。

歩きの秘訣?は何もない。五月山のコースは親父の場合基本的には3コース。その日の体調と気紛れな思いでコースは足の向くまま、気の向くまま。それでも多くの発見がある。山登りは基本的には体力との勝負。体調が悪いと街なかの登りだけで止める。今日みたいに汗かきながら木漏れ日の山道を歩けると、本当にストレスが発散される。

先日、本社の帰りいつものカレーうどん食って梅田まで歩く。岡崎橋から東に御堂筋まで。それから北に向かう。銀杏並木の若葉がこれからの季節を語る。残念に思うのは大木の幹が黒い。今は北から南の一方通行だが車の排気ガスはこんな所にも痕跡を残している。

親父の若い頃と基本的には何も変わらぬ風景も、良く見ると建物とお店の移り変わりがあり時代の流れを感じる。親父が老いた分、街並みには若さと希望の息吹を感じた。これからどれ位歩けるか、その事も考えると歩ける事は本当の生き方かも知れない。

| | コメント (0)

2008年5月14日 (水)

10年先に見えるもの。

高齢化社会、高齢者医療費の大幅な伸び、高齢者の年齢基準は70歳として、親父もあと7年で仲間入りとなる。親父が若かった20~30代の頃でも年寄りは元気だったが、これからはもっと元気でなければならない。この国の未来は決して暗くはないが良くもならない斑(まだら)模様だろう。最近のマスコミと政治家、労働組合、コメンテーターが頻(しきり)に口にする格差は益々拡大し、社会問題となっても何も変わらないだろう。

何故なら格差の無い社会は今日の何処を探してもない。貨幣経済社会の歪みと矛盾にどんなに疑問を感じても、持つ人と持たざる人の差は誰にも如何ともし難い。今でも共産主義のどんなに徹底した国家でも個人資産の差は少なくない。マルクス、レーニンの共産主義宣言は過去のイデオロギーに過ぎないと考えられている。資本主義のこの国の仕組みに多くの規制と保護が長年続いているのもおかしいけれど、多くの人の価値観にその矛盾はない。

昨日、衆議院で可決された道路整備費財源の再可決を見ていてそう思う。これからも必要な道路を整備することに異論はない。この法律に反対する多くの人もそうだろう。それでもなお道路の整備に特定の財源を求めなければならないのは、この国の貧しさだろう。

多くの人々は年老いても満ち足りた日々でありたいと思う。親父もそう思う。しかしこれからの年寄りは言うまでもなく、若者たちも豊かではない。元気で安定した収入があれば気にならないが、現実は実に厳しい。仕事が出来る人はそれでも生きて行ける。

今、テレビを見ていると健康保険が払えない人が少なくない。企業は可能な限り正社員を減らし、非正規のパートや派遣にするのは年金、保健の負担が多いからである。親父もこの歳になって国民健康保険料の高さに愕然(がくぜん)としている。

それでも親父は昨年の12月から働きの場を得た。この幸運に感謝しなければならない。元気であれば、知恵があれば、お金の価値を噛み締めるならば生き方は変わるだろう。セイフティネットは自分で考えなければならない。

介護保険がスタートして8年。要介護の実態は分からない。元気な時には関心すらない。本当は元気な時に考えておかねばならない。これからの年寄りの生き方は馬鹿になるだけでなく、賢くならなければならないだろう。小泉の構造改革は弱者切り捨て、たが為の改革だったのだろう。そのカリスマ的行動と発言には今なお多くの支持があるが、この実態を何とも思っては無いだろう。

今、考えている事はどれだけ元気に働くか、どれだけ蓄えを多く出来るかだろう。必死の思いではなく淡々と生きる。淡々として清明。長い間失っていた喜びと希望。その為に生きる。これからの歳月はそうありたい。そう思うと政治の低迷と経済の混乱は一時の事かも知れない。しかし、生きる希望と確信の思いが格差の社会でしっかりと芽生えているのかもしれない。

経済の流れは水の流れと同様、高き所から低きに流れる。人間の思惑と一時の勢いに左右されても、経済と社会、自然の流れには逆らう事は出来ない。多くの人は日々の出来事に一喜一憂しても、本質の動きが分からない。知る由もない。平然と知らない事に慣れている。知らぬは一生の不覚である事を思い知るには余りに日々が平穏なのかもしれない。

この国の経済が発展しアメリカと肩を並べるまではそれでも良かった。実態は今でもアメリカの発展なしにはこの国の成長もないが、追いつけ追い越せの目標が無くなったのは自明である。今、求められている事は「オンリーワン」の製品、品揃え、サービスに成っている。

多くの企業、多くの個人が路頭に迷ってもこの国のセイフテイ、ネットは、今や完全ではない。これからの社会構造は好むと好まざるとに関わらず、貧困の問題は国家、社会、地方行政だけではなく個人を直撃するだろう。このブログでも何度も書いたが今必要な国の課題は、本当に必要な道路だけですか?その事が問われている。

| | コメント (0)

2008年5月 7日 (水)

暑い1日、のどごし生は旨かった。

仕事をしていると家に帰ってビールを口にする事はまずない。どんなに汗をかいても部屋に入る頃はクールダウンしているからだろうか?否、基本的に1人では飲む気がしないからだろう。人はアルコールを何の為に口にするのか?様々な理由があるが、休日のウオーキング後の一杯は、心地よい気分にしてくれる。

さすがに今日の休日は昨日の嫌な思いが尾を引き、布団を干しても気分は晴天ではなかった。気持ちを変えるには想いのまま、足の向くまま歩くのが一番。近くの山を目標に歩き出す。しかし、靴が減って気持ちが良くない。運動靴を買うかと思いながらそれでも昨日の事を考えると、買う気にもならない。

途中でいつものサンドイッチを買い歩いていると、さすがに靴の塩梅がよろしくない。足の向きを商店街に向け靴屋をのどく。アサヒの運動靴買いたいなと思いながらも足は止まらない。足にピッタリの靴は中々無い。多くの人が靴に足を合わせているが、それでは長い距離を歩く事は出来ない。中高年に比べて若年層の体力に弱さが見えるのも、足腰の差が出ている。

運動靴を諦めると心は決まる。迷いは消え商店街を抜けると山は近い。何時ものコースではない。メタボに効果の大きい石段コース。上り詰めると300段を超す。体調の良くない時は息切れと胸の苦しみに喘ぎが重なる。今回は大粒の汗もなくゴールの鳥居をくぐる。

カーブの縁石に腰掛けながら下界を見下ろすと、高速道路、猪名川、空港、遠くに競馬場、梅田の高層ビル群が見える。秋になると空気が乾燥し大阪湾、淡路島も望める。持参したサンドイッチを紙袋から出しているとカラスが様子を窺う(うかがう)。 

2個のサンドイッチの1部を呉れてやる。3年前の南の島のカラスの様な人を恐れぬ様子はない。警戒心の中に食い気だけは見える。都会で生きるには人間が口にする残飯を漁らなければ生きてはいけないのだろう。毛並みも良くないがしっかり生きている。

都会で生きるとは生、易しくない。南の島でも同じだろう。どちらがどちらとも言えない。好むと好まざるとに関わらず、親父の場合18から31の歳までと53からこの歳まで大阪で生きている。大阪の良さは昔々の語り草となっても生まれ故郷に帰るのは、納骨の時だろう。

今の仕事は5ヵ月足らずの経験だけれど、最近、やっと慣れてきた感じがする。多くの事が求められ理不尽の事も少なくないが、同じミス、トラブルをなくせばそれだけの成長が自分の物になる。これは本当に大きい。誰にでも出来る事ではない。他の人には出来ない事。それが今、求められている。

カラスを見ているとその生命力を感じる。他を押しのけてでも踏みつけても食える物なら何でも良い。あれはイカンとかこれはクエンとかは口にしない。善人の格好なんて要らない。それでも最低限度の礼節をわきまえ、不快の念を与えてはならない。その為にはもっと多くの人の気持ちを汲み取らなければならない。

設備機器の正確な理解と共有、言葉と態度の明確さ、それに知識と教養が加われば真のプロと言えるだろう。これからは物を買うにも気分次第だろう。価格の安さ、品質の良さは必然的に反比例する。これからは客層も格差が出る。金持ちとそうでない人、心の優しい人とそうでない人、余裕のある人、無い人、様々な人が居て当たり前、そんなレベルの仕事が求められている。単純では生き残れない。複雑怪奇な出来事が日常化されている。

複雑怪奇と言えばこの国の政治と世界経済だろう。殆どの人が関心を持っていない内閣支持率も経済紙の世論調査でも21%台とか。実質的には20%を切っているだろう。この数字が10%を切るとこれまでの内閣は総辞職しているけれど、福田内閣は違うらしい。?

今選挙は出来ない。やっても負ける。その事が理由らしい。どんなに尤もらしい事を云っても国民の支持がなければ裸の王様となる。経済は1流、政治は2流と言われたのは高度経済成長の時。今は経済は斑模様、政治は問題外かも知れない。   

政治が世界の注目を浴びるのは決して良い事とは思わない。世界がこの国を見る目はひとえに経済協力しかないだろう。これからは環境問題、温暖化対策の技術協力だろう。国連負担金のように多くの金額を求められても、1流とは認められない。何とも情けない。

それでも何事も長くは続かない。悪政のツケは国民一人老いも若きも背負う事を忘れてはならない。親父がどんなに嘆いても何も変わらないのも一時の事だろう。このままでは国も地方も行政その物が成り立たなくなるだろう。その前に財政の立て直しが出来るのだろうか?

ガソリン税の暫定税率の復活、後期高齢者の医療費アップ。福田総理は説明が足りないと認識しているようだが、どんなに説明しても高いガソリン、医療費は払えない。今年の住民税、国民健康保険の支払いは7月から。今以上の反発が眼に見える。

なんでこんなに批判されるのだろう?やるべき事が官僚に丸投げされ政治にリーダーシップが無い。この国の政治がこれ程までに国民不在となったのは政権の交代が久しくない事だろう。多くの人々は政治に無関心となると言うより無知になってしまった。

野党がどんなに美味しい事を云っても、それに負けない政策は国民に聞かなければならない。選挙の時だけどんなに美味しい事を云っても、これだけの不人気な政策を続ければアカンやろう。その事が2代目の代議士先生には分からないのだろう。

今の政権が衆議院の解散に追い込まれた時、結果は惨憺たる物になる事をどれだけの人が理解しているだろう。これからは今より、生活水準に格差が出るだろう。その時、自分はどのレベルで生きているのか?その事だけは忘れてはならない。

大体、ガソリン価格が160円を超した時、どれだけの人の生活が成り立つと思っているのだろう?温暖化対策の為にガソリン価格が上がるのは止む終えないと考えているのは、滑稽だろう。原油価格の上昇に投資マネーが流れていると言われているが、思惑が外れた時の結果はサブプライムの破たんを考えれば言うまでもない。

投資に関係のない多くの人々が物価の上昇に対処するには、もっと賢くならなければならない。今まで以上に消費者は財布のひもを緩める事はない。反面、安全、安心、良品には敏感になっている。かっては殆どの人が中流と言われたが、今では殆どの人の収入に伸びは無い。買い物を真剣な思いでしている人の事を忘れてはならない。

大多数の人がこれからは未知との戦いになる。会社組織の力、保護が弱まり個人の生活力が問われる。一部の企業と税金天引きのサラリーマンだけでは国も地方も支えられない。利益が出せない会社は税金を払わない。税金は払えない企業がこの国にはごまんとある。

税務署の脱税追及も充分とは言えない。歳入欠陥がこのまま続けば間違いなく取り立ては厳しくなる。間接税の比率(直間)・・直接税、間接税・・も変わるだろう。税の公平を考えるなら金持ちも持たない人も関係ないかも。そんな時代も遠く無い。

準備をしなければならない。間違いなくその差は大きくなる。働き始めてその事を痛感する。どんなに不快な思いをしても、その種をまいたのは自分自身であり、刈り取るのも自分の責任である。その事を忘れてはならない。                

| | コメント (0)

風薫る5月、連休も終わる

今年の連休は暦の関係で短かった。実質5月の3日から6日。4日間だった。それでもその短い間も働いていた人も少なくない。親父もその1人だった。連休と言っても皆が皆お休みではない。そんな錯覚を与えるのはマスコミの報道だけでなく、思い込みにもあるのかもしれない。人は誰しも自分中心であり、他人への思い入れ等ある人は変わり者と言えるだろう。

親父も例外でない。この仕事を始めて時間との戦いが始まった時、腕時計はしていなかった。携帯の時計で充分だったからである。お店の閉店時、分刻みの仕事をしながら携帯を見ていると侮りの指摘を受ける。あの時は本当に我ながら情けないと思っていた。

最初の俸給で真っ先に時計を買う。電波のソーラー。G-SHOCKで18000円。親父にとっての思い入れもあっさりと交わされる。半年で電池の充電切れ。それは無いだろうと購入のお店にクレームをつけると考えられる説明を受ける。それはあなたの考えでしょう。そんなクレームをつけて文句を言っていた。その罰が当たる。?。

その時の親父の言い方が悪かったのだろう。またその時に渡された預かり証の返却をそのままにし、今日返却を求められた時、保障証と勘違いをして戯けた事を口にする。厳しく反論されても当然だった。どんなに罵られても謝るしかなかった。言い訳しても聞く耳の無い人に為す術もなく情けなかった。今は正常に動いている時計を見ながら言葉の重みと、今週目にした多くの出来事が走馬灯のように心を搔き毟る(かきむしる)。

この仕事をしていなければ絶対に言われない言葉にも、笑って対応できる自分に少しは自信が出ていたが若葉の域を抜けていない。まだまだ未熟者と試練の時は続く。お客様は神様と言われて久しい。しかし、多くの勘違いも少なくない。人の弱みに付け込む商売は何時までもは続かない。その事だけは忘れてはならない。

今日と明日はお休み。夏服のサイズ記入で105㎝はさすがに見っともなかった。今年の目標は98だから7センチのサイズダウンは結構しんどい。それでも今まで禁煙、禁パチの困難も難なく達成。メタボな下っ腹蔑みの視線を跳ね返すだけでなく、これから健康で生きるための必要不可欠、皮下脂肪の削ぎ落としを意識の本線に定めれば不可能ではない。

冗談でなくこの目標はこの夏迄、次は冬服用の95これが出来た時、本当の健康への道が開けるだろう。喫煙者の煙が絶えない喫煙場の通路を見ていると人間の肺が見える。切ない思いが見える。己の戦いに勝利するのは健康しかない事を、多くの健常者は知る術もない。健康で長生きする喜びはどう考えてみても無縁かもしえない。しかし、失って見ないと本当の事は分からない。それが生きる証と最近になって実感させられている。

お店の前の数本しかない木の枝が、幹の近くから切られる。落ち葉の掃除が大変とクレームが有り殺風景だけでなく、心の痛みを感じる。温暖化とかヒートアイランドとか言われてもこの程度の事しか考えられない人もいる。そろそろ考えを変えないと本当におかしくなるかも。

先日のブログに書いたF-1のスーパー、アグリのチームのスポンサー、ホンダの100億円支援が打ち切りとなる。他の支援は難しく実質的解散になる。厳しい現実の中でスポンサーの大きさが改めて浮き彫りとなる。寂しさと厳しさの現実は如何ともし難い。

| | コメント (0)

2008年5月 2日 (金)

若葉して、御目の雫、拭わばや 芭蕉

奈良西の京、薬師寺の前に唐招提寺がある。親父が青春の頃、新婚の頃、母さんが元気だった頃、何故か尋ねたことはなかった。お寺の由緒は若き頃から知っていたが、開祖鑑真和上の想いとこの国の仏教の指導について、断片的な知識を得たのは一人になってからだった。母さんが元気で子供達が幼き頃、仕事が休みの休日、静岡から奈良に来て斑鳩の里、法隆寺を訪ねても何故か、この地に心、休める事は無かった。

奈良時代、聖武天皇の招きで大陸の唐から老体と困難な玄界灘の時化(しけ)を乗り越え、難破を繰り返しながら失明にも負けず、この国の東大寺修行僧の仏師としてその身を粉と為す。それまでしてこの国に伝え様とした事は一体何だったのだろう?

そうして一身を擲って(なげうって)迄教えて呉れた事も、東大寺の仏門では教えの厳しさに次第と役割を終える。その事も予想の範疇(はんちゅう)だったのだろう。和上として祖国の地を踏むのは1000年の時を超える。当然ながら今の中国にはこの国と大同小異の仏教と寺院しかない。それでも長年の時を超え両国の仏教の礎(いしずえ)を築いた開祖に違いはない。

唐招提寺を知る人は少ない。奈良の西に位置して地の利も良くない。それでも車の足をなくした親父でも大阪地下鉄難波から、途中一回の乗り換えで簡単に行ける。昨今は日々の生活に追われ、心にも余裕が無くその汚れを落とす術は浅ましい。本当に毎日のストレスを考えると休みの日ぐらい肉体の疲れだけでなく、精神の解放をするときは無駄ではない。

今年の開山忌は例年通りなら6月の初旬。江戸中期芭蕉が訪れたのは若葉の頃、タイトルの句を詠んでいる。この句は芭蕉の遣る瀬無い(やるせない)思いが込められている。この句の本当の意味を社務所で聞いた事があるが、教えてもらえず勝手にそう思っている。

数年前、掛り付けの眼科の先生に聞いた事があるが、盲目の和上がこの国に難行の末12年の歳月を費やし来日した感動はいかに大きかった事だろう。眼には見えなくても予想を超えるこの国の貧困と腐敗。今日、格差化されつつある社会現状をどんな思いで見ているだろう。

盲目の人は心で目前と未来の様子を見ていると言われるが、芭蕉は若葉したたる緑の雫で御目を拭ってやりたいと思ったのだろう。(平凡か)。今年も必ず精進の成果を報告したい。(それにしては物欲、健康欲、その他の私欲が強すぎる)。怒りは敵と思え。心に不快の念が湧きあがる時こそ、夏の日の入道雲の中で戦ったゼロ戦の若きパイロットの無念の思いを思い起こせ。今日のいら立ちの原因はその程度ではないだろう。これから暑くなる。

暑さの中で無念の思いのまま、不遇の時を終わる人がこれから多くなる。そんな生き方をしない為の修行と思えば人生は捨てたものではない。世間では今日から4連休の人もいる。親父は毎日仕事が出来る喜びを噛みしめながら、汗をかいています。

先月末、のどを痛める。扁桃腺?しゃべりでなんぼのこの仕事、のどが痛くても言葉の不調は許されない。テキパキした行動と言葉は健康でなければ成り立たない。夏服のシャツ姿は下腹部の出っ張りを隠せない。それでも減量の成果は出ている。ベルトの穴が1つ詰まる。

今日の連休前、掛り付けの耳鼻咽喉科はやっていたが、いつもの3倍待たされる。喉の腫れはしばらく続くだろう。体はだるい。それでも気合いを入れて困難に立ち向かいたい。飯は食えるし体力の衰えは未だ無い。

| | コメント (0)

2008年5月 1日 (木)

今日から5月、風薫る、5月.夏服になる

昨日までの暑さが連休の終わりまで続く予報が出ている。この暑い気候の中で背広を抱えながら多くのサラリーマンが仕事をしている。親父達の仕事も制服を着用だから冬服のままだった。急に暑くなり仕事を始めた12月と同じような汗をかいているのも何故か可笑しい。

仕事には本当に慣れてきた。人並みの事が出来るようになると言葉使いも嫌味に聞こえるらしい。何時までも初心を忘れてはならないが卑屈になる事はない。そんな思いが親しさの中に自然と出て先輩に注意される。親しき仲に礼儀ありだろう。その割には無神経な仲間内の内緒話も少なくない。出る杭は打たれる。打たれながら強くなる。これは何処の社会でも同じ事だろう。打たれ強くなれ。杭は打たれる事で丸くなりそして強く結ばれる。

可愛くないとか空気が読めないとか、最近仲間外れの言葉を聞く事が少なくない。反対に少し行動がおかしいと無視される子供達。しかし良く見てみるとかわいい処も少なくない。大人達はどれだけ他人の事を理解しているのだろう?この仕事を始める前と今では少し考え方に差が出ている。おかしい事に多くの大人達に優しさが無くなり、人に対する見方が明るくない。

何故だろう?これから遠くない未来にその事が証明される気がする。高齢者の線引きが65歳以上と言われて久しいが、後期高齢者の意味が分からなかった。75歳以上とか。85歳以上は末期高齢者か。こんな社会でも輝かしい未来は大人達でなく若者が支える。その事をどれだけの人が共有しているだろう。

大人達の醜さは生活の疲れが全身の等身大となっている自覚が無い。生きる糧は生易しくないが全てを犠牲にする事は何もない。生き方は中々変えれない物と思っていたがそうでもない。在るがままに生きる。失う物は何もないと卑下(ひげ)する輩に明日はない。

5月の時は生きる息吹を実感する時。急に暑くなり幼き頃の薪取りの頃が思い出される。今では田舎でもマキで炊飯する事もない。風呂も五右衛門ではない。生活習慣が変わり野山の植林も年寄りには出来ない。これからのこの国の林業に明日はどれ位、あるのだろう。

親父が高校の春休み、バイトで測量した植林地はどうなっているのだろう?森林組合は機能しているのだろうか?いずれにしろ55年前のこの国は活力に満ち溢れていた。緑色濃き直見杉、川原木、平和な村は今はない。市町村合併で九州①の市となっても故郷の村と町は日の目を見る事はないだろう。

志を果たして何時の日にか帰えらん、山は青き故郷、水は清き故郷。(小学校唱歌ふるさと)でした。

| | コメント (0)

« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »