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2008年4月 4日 (金)

桜淵の道は遠かった。

2度と行く事はないと心に決めていた愛知豊川桜淵の花見に、息子の誘いを受けて出掛ける。年甲斐もなく前の夜、なかなか寝付けず今は行ってないゴルフか、幼き頃の遠足か楽しい行事の前の夜の事を思い出していた。久々の朝起床も目覚まし要らずに苦笑していた。

出発もほぼ予定の時刻。コンビニで買ったパンと飲み物を口にしながら、今年2回目の息子と嫁の会話の中に安堵の思いを重ねていた。お互いに遠慮のない会話をしながら変わりの無い日常に感謝する。何時まで自分の思いと行動に不自由を感じたくなければ、健康と経済的自立が必要だろう。人は何の為に生きるかと問われれば今は明確に答えられる。

仕事の目的と意義を今更問われるまでもなく、明確にしながらこれからは益々の節制をしなければならない。人間自己の過ちは棚に上げ、他人の事は批判できるが親父の場合、これからも自説を曲げたくなければ健康と仕事への、あくなき探究のみしかない。

老いたるは子に従えと言われるがこれからの社会は、老いたる者、節制と探究あるのみ。高齢化社会の生活格差は益々拡大し、日常化するだろう。そんな事は全く考えずに草津のインターから新規開通の第二名神に入る。

新しい高速道路は10年前に走った山陽道、8年前の四国の松山、鳥取の米子自動車道に似ていた。山をトンネルで抜け谷に橋を掛け、丘を切り通していた。これからの高速はどうしてもこんな構造になるのだろうか?用地買収と土木技術の進歩を考えれば当然かも知れない。今、問題となっている自動車特定財源の必要根拠も理解できる

この思いは亀山から名古屋の道でも痛感する。交通の大動脈が完成している。これだけの投資に見合う交通量と経済効果は一体どんなものだろう。確かにこれだけの道路を造れば何時まで経っても特定の財源が必要だろう。しかし問題はその財源が暫定であり、納税者の合意理解の無いところだろう。国に有り余る予算があれば別だが道路だけがいつまでも特定では無い気がした。

桜淵は大阪から3.5時間。予想外の近さに在り感慨ひとしお。長い間の空白の時は親父の年齢に比例して枯れた感じがした。満開の時が少し過ぎただけでなく川添いの土壌が痩せて来たのかもしれない。親父のメタボな体格に見合う桜木は無かった。大きな幹を擦りながら会話して見てもけな気な若さが無く、多くが老木となり若木にも瑞々(みずみず)しさが無かった。それでも本当の活力を見せるのは5月の若葉の頃かもしれない。

今、問題となっている気候変動もこんな所に現われているのだろうか?朱色に塗りかえられた吊橋を渡りながら思いの外多い水量と変わらぬ川幅を眺めていた。息子たちと母さんと乗ったボートは営業中。余り人気は無く係のおっちゃんは暇そうだった。それでも息子と親父の思いに些か(いささか)も迷いもなく乗り場に直行。怖がる嫁を舳先(へさき)に乗せ漕ぎ出す。

川の流れは緩やかでも風が強く、息子はボートのオール、コントロールに苦戦。慣れていないからと苦笑しながら漕ぎ手交替。昔取った何とかで進路が安定する。それでも長くは続かない。息が切れる。要領を見せて交替。今度はうまく行く。川面の輝きはキラキラとして穏やかだった。

桜淵を後にしたのはそれから間もなく。反転して帰路と思いきや息子の計らいで静岡掛川まで足を延ばす。13年間住み慣れた家も2度と見る事はないと思っていたのに、意外な展開に複雑の思いが交錯する。親父は全くの予想外でも息子は息子なりに考えていたのだろう。

考えを翻し、子供達が幼い頃、この春先何度も越えた引佐の峠を越える。13年近く途絶えた山間の道も整備され、走り易かったがカーナビは何度も親父の記憶を否定し、正確な道をガイドする。懐かしい道と風景に亡き妻と子供達の幼き頃が重なり、記憶の片隅からも消えた思いが鮮明に蘇る。

引佐の街に入ったところで昔、口にした鰻屋の事を思い出す。カーナビの目的地に立ち寄り場所を加え検索する。庭園を知る人ぞ知るお寺さんの前だった。20年近く前の印象とは異なり店内は殺風景だった。時間帯が3時過ぎだったこともあり客はなく、高校野球の放送だけが空しく流れていた。うな丼1600円。待たされる。なんかいやな予感。

お待ちどうさん。どんぶりの器と大きさを見て安堵の思いがした。蓋を開けてかおりを嗅いで思いが一変する。長い間の時を経ても浜松のうなぎの美味さは失われていなかった。今まで口にした鰻のこってり感はないが皮が香ばしい。料理人の心意気が感じられた。

掛川の風景に大きな変化はなかった。亡き人のの戒名を付けて呉れた大和尚は亡くなり、優しく慈悲に溢れた大声は聞けなかったが、お母さんの言葉に絶える思いは無かった。夫婦とはかく在るべきであり、生きる道の重みを滔々(とうとう)と語る言葉に、暇(いとま)のタイミングが難しい。6時前に寺を出る。

大阪への道は適当に寝ていた。交通の便が良くなったとは言え桜淵の道は遠かった。息子はこれからの新桜淵伝説を約束してくれたが、来年は荘川の桜が見たい。岐阜と富山の境にある荘川の桜にも多くの人の思いがある。今、地方の過疎が問題になっても多くの歴史を語る人は少ない。東海と富山を結ぶ桜の道も一人のバス車掌の思いが込められている。

メタボな体系を整え健康で文化的な生活をすれば来年の夢は実現可能かも。3日間のお休みも終わり明日から又、心と制服新たに(クリーニング済み)責任のある仕事をしなければならない。

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