差別化、一体化、標準化、格差化
差別化、一体化、標準化等の言葉はあるが、何故か格差化なる言葉は無い。差別化、,一体化、標準化の言葉には…すると続く文体があるが、格差化にはその言葉がない。当然の形として体を為す言葉がなければ、日本語として成り立たないのだろう。
しかし、この言葉も近いうちに聞き慣れた文体として成立する時が来ている。格差社会と言えば通用してもその実態は定かではなく、自分がその構成員だとしても無意識のうちに否定している。自分は格差社会とは無縁と思って見ても実は格差そのものの生き方をしている。これからの年寄りは格差化そのものの生き方を迫られているのかもしれない。
税金、住民税を払えない人は少なくても国民年金、健康保険は払えない人が激増している。年金、保健制度は既に破たんしていると明言する人も少なくないが、曲がりなりにもこの国に天変地異や戦災が無い限り、国民皆年金、保健制度は続く。
国の制度、法令に異議を唱えて見ても何も変わらない。変わる事の出来るのは自分自身。先日その思いを痛感する。大阪の想いは何度もこのブログにも書いたが、街は変わり生きる人も世代が変わっても、この国は何も変わってない。変わったと明言できるのは通りの広さと明るさかも知れない。
久しぶりに18から20の歳に生きた庄内の駅を降りる。正確に言えば今年の始め、自分のではない煙草ケースを求めて目的の店を探した。あの時は予想以上の物を手に出来たが、今回は残念ながら過去の遺物となっていた。「ハーモニカ?もうとっくの昔にやめた。梅田で探したら?」余計なお世話様です。
駅前の牛丼屋で飯を食う。ねえちゃん(失礼)の応対も歯切れが悪い。豚汁定食なのに牛丼と卵だけ(しかも生か茹でか分からない)。声を掛けるか躊躇(ちゅうちょ)しているとデカイ汁椀が出てくる。しかし見た目汁が多く具が少ない(細か)。熱い。卵は生だった。(当然だろう)卵かけ牛丼に紅生姜を入れかき混ぜる。味は吉野家に負ける。しかし、見た目とは反対に豚汁はヘルシーでした。
店を出て40数年ぶりの住所を訪ねる(たずねる)。若き頃かっ歩した音大通りは寂れていた。道幅は変わらなくても昔の面影はなく、それでも食堂、喫茶店は代替わりはしても何とか生きていた。あの頃と違うのは商店街が消え住宅と混合し、大学のコンサートホールが出現していた。10年一昔ではなく40数年の歳月は街並みを大きく変えていた。
それでもあの頃と変わった事と言えばその程度だろう。駅のホームも変わらず、変わった事と言えば改札口が地下になり、乗降客が線路上の踏切を渡らなくなった事位だろう。アメリカケネディ大統領が暗殺され、狙撃容疑者のオズワルドも銃撃された18歳の秋、この国とアメリカの衛星放送の始まりの時、両国は軍事と経済の大国になったがその代償も小さくはない。
今、この国もアメリカも未曾有の経済発展と危機の時を迎えている。この国が15年以上の低迷の中でアメリカは製造大国から金融の大国になっていた。アメリカが今でもイラクの戦いを続けられるのは、世界の富が集中した結果だろう。
この国が実体感のない経済発展を続けられたのも、アメリカ追随の政治と経済政策のお陰かも知れない。しかし、これからはその政策の延長ではなく独自の転回が求められる。そのものの生き方をどれだけの人が出来るだろう。その事が求められても長い間ぬるま湯の中で同化した人たちには実感がない。その事が問われた時、人は人として人らしく生きるのだろう。
格差社会ではない格差化社会。その時は目前にある。昨年の今頃、アメリカの今日的問題サブプライムの実態を明確にしたエコノミストは少ない。今年になって経済新聞を読む事に多くの日々を費やしたが、今週やめた。株も買ってないし株式市場がどうだこうだ、どうでも良い。この国の経済がどうだこうだのコメントもどうでも良い。財政状況が良いだ悪いだどうでも良い。親父とこのブログ読んでくれる多くの人が幸せに生きられればそれで良い。
証券会社のインサイダー取引が問題になり、当事者の信用は失墜しているが関係者の情報が漏れないなんて考える方が可笑しい。株式市場の透明性を真剣に考えるならば関係者の市場参加は厳罰、即退場しかない。それが出来ないこの国の市場と投資家に経済新聞はどれだけ警告したのだろう。その程度と思えば読む価値は少ない。
今日はお休みです。仕事は多くの事を指摘されながらメモして改善あるのみです。なんだかんだ言われてもやるのは自分です。言われている意味は分からなければ同じ事の繰り返しです。注意された事は2度と繰り返さず、信頼度の高い仕事が求められています。先日、マイク放送で詰まりました。それでも落ち着いて次の言葉を言わなければなりません。仕事とはそんなもんでしょう。言い訳は許されません。禍、転じて、福と成せ。
もうすぐ、朝です。行ってらっしゃい。気をつけて。
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