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2008年4月16日 (水)

堂島大橋、浄正橋、出入橋、桜橋

桜橋は大阪駅の南西にある。親父が大阪に来た18の時ここはサンケイホールがあり、コンサートを見にきた事がある。聞きに来たのではなく人気歌手を見にきた。親父にもそんな時があり、この年になっても鮮やかに甦る。今は建て替えられた高層ビルを眩しく見上げていた。梅田新道はこの交差点の東に在り、母さんと歩いて渡った歩道橋は今も変わらない。

今週の月曜日、日当受け取りの帰り久しぶりにバスに乗る。いつもは地下鉄の乗り換えで帰る道、地上の景色は感慨と懐かしさが交錯して、永き空白の時が霧が晴れるように鮮明になる。不思議な事に若き日日が天然色で無い。セピア色のカットシーンになるのはどうしてだろう。大阪の川に観光の魅力が無いと言われても、都市開発の犠牲にされた歴史を思えば、それも又無碍(むげ)ないかも。隅田川はきれいになっても、関西人は無頓着です。

それでも親父の心の中にはセピア色の大阪が在る。本当は岡崎橋からメタボな体形の腹ごなしに桜橋まで歩くつもりだった。気持ちが変わったのはバス停2,3っ先。バスが来た。停留所は本社の近くだった。堂島大橋、浄正橋、出入橋、そして桜橋下車。交差点を渡り旧毎日新聞本社跡のビルに入る。2フローの書店。目的の本を買う。期待外れ。面白くない。

今日はもう1日仕事のため、また明日。

暑い1日が終わる。今から暑いと言っていたら今年の夏はどうなるのだろう?。何も変わらず5月の洞爺湖サミットが後世の話題にすらならないかも知れない。地球環境は間違いなく良くなる要素は少ない。この国でも地方に行けば環境の厳しさは良く分かる。分からないのは利害が絡む当事者達だろう。それでも国境を越えた環境対策が求められる時は然程(さほど)遠い先の話ではないだろう。

故郷の山も川も海も何も変わらない。変わった事と言えば高齢化が進み子供達が少なくなったことだろう。親父が故郷を後にしたのは45年前、この国が「もはや戦後ではない」と言われた昭和38年。大阪に就職したのは可能性を求めた事。しかし現実は真に厳しかった。

しかし田舎に糧を求めたとしても大同小異だったと思う。この国の経済発展は好むと好まざるとに関わらず、環境には目もくれず唯ひたすらに前に進む事だった。前進が止まった時、その場所に留まる余裕はなく、更なる高みが求められていた。それが出来なければ終わり。その厳しさに弱音は無く反対に当たり前の思いが溢れていた。

当時の事を思うと目標はアメリカだったのだろう。技術力の差は歴然として在り全てが劣っていた。あの差は一体どこから来ていたのだろう。コンピュターの発想がこの国には無くアメリカに在ったのは何故?この違いは現代でも超えられない。超えたのは物作りの技術、設備方法。日本人が何処の国にも負けない力は発想ではなく改善である証明だろう。

政治の世界は全てがアメリカ追随だった。1945年惨めな敗戦国家は現代までアメリカの良きライバルにはならなかった。成れなかったのかもしれない。それでもこれからは他に選択の余地が来るだろう。親父たちが次の世界に残せる物は何だろう?

本日は休み。それでも2時過ぎたのでこの辺で寝ます。、

親父達が次の時代に残せる事は、生涯現役です。現代の陶工、技術者、功労者は一部でもこれからの高齢化社会を生きる年寄りの絶対的多数に求められる事、それは健康です。元気な時には当たり前に感じられる事が当り前ではない。この事は大きな病気をしないと分からない。平然と喫煙しつばを吐きながら生きた歳月のツケは軽くはない。

親父の自慢は長年吸い続けたタバコを止めた事。酒も口にする事はない。昨年12月からはパチンコもやっていない。当たり前の事を当たり前にやるには、当り前でない劇的変化が求められ、その決意は決して軽くない。年寄りが長く生きても喜びは限られている。限定された条件の中でどれだけの喜びを手に出来るか、全ては健康が左右すると言えるだろう。

足腰とボデー、頭がどんなにしっかりしていても老いの時は確実に迫っている。どんなに大きな顔をしても神の裁きに容赦はない。何時までも有ると思うな親と金、無いと思うな神仏(かみほとけ)。バアチャン言ってたなあ。

ここで一休み。先日買って読んでない本を読みます。

小泉構造改革の評価は分かれている。それでも今だに元総理の現役復帰を望む声も少なくない。どんなに求められても再登板はないと思われても、現状の政界では何が起きるか分からない。小泉改革の最大の成果は郵政、道路公団の民営化だろうが、民に出来る事を官がやる理由は何もないと声高に叫んだ改革の成果はあったのだろうか?

親父の様に改革の意味に疑問を持つ人も少なくないが、今一この本を読んでも分からない。本当に民で出来る事を官でやる意味がなければ 多くの行政組織は民営化すべきであり税金の無駄遣いは止めなければならない。

この国は一体どこに進むか、もう少し考えなければならない。大阪府の財政改革の為、知事は先の選挙で支持された多くの市町長から補助金の削減の取り消しを求められている。補助金が無ければ道路も公共施設の整備も出来ないと反対されている。同じ事がガソリンの税金でも言われている。補助金, 税金が無くなれば確かに困るだろう。

しかし、本当にそうなのか?税金、補助金の無駄使いは全くないのか?そんな事はないだろう?何時までもあると思うな、親と金ではなく補助金と税金。寄ってたかって食い物にして入る金は、一体どこから出ているのか?それを考えてみれば難しい事ではない。

本当に策が無ければ職を辞せ。高い住民税と親父は払っていないガソリン税、国民はもう少し賢い改善策を期待している。何時までも人のふんどしで相撲を取る恥が感じられなくなったら終わりだが、そんな人が少なくない。

阪神の快進撃の理由は打つべき人が打ち、守るべき人が守り、投げるべき人が投げている。役人達に庶民が求めている事は効率の良い仕事だろう。小泉改革の真価は一体どれだけの人がきっちり評価したのだろう。郵政の民営化で無駄遣いと批判された「財政投融資」の金は何処に行ったのだろう?この本では良く分からない。また桜橋の本屋で勉強する。

明日もう1日お休みです。大阪は明日まで雨です。置き傘が無くなり買い物には雨の合間見て行きます。お店も天気が悪いと客の入りがイマイチです。人間の思惑は大同小異です。本当に物を売るとは難しい。買い物客も金持ちが少ない。少ないお金で必要最小限の買い物しか出来なければ、景気の盛り上がりも感じられない。

福田総理は「物価の値上がりはしょうがない」とか言っているが、この人だけでなく多くの政治家の感覚に緊張感が無いのはどうしてだろう?国民が軽視されているのではなくこの国の政治感覚がこの程度だろう。無策の政治に怒りの言葉は余りに少ない。

親父達に残された時は多くない。同様にこの国の未来も決して明るくはない。何とかなると思っても為らない時、そのしわ寄せは強者にはない。年金問題、高齢者医療保険、迫り来る試練を払いのける準備が求めれれている。

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