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2008年4月

2008年4月28日 (月)

親父の遺伝子を継いだ息子たち

よきにつけ悪しきにつけ人間の生き様は遺伝子と環境の変化で大きく変わる。自分の生き方とこれまでの生きてきた人生を考えると、非常に興味がある。どんなに自分は違うと思って見た処で所詮、井の中の蛙だろう。歴史的にもその事は証明されても、歴史に学ぶ人は少ない。最近の子供達は言うまでもなく、でかい顔をしている大人でも同類の人も少なくない。歴史に学べ。今日的課題の多くに歴史に学ぶ事も少なくない。

昨夜、F-1のレースを見ながらそんな事を考えていた。スペイングランプリ。フェラーリのワンツーフィニッシュ(1位、2位)は今後のレースに与える影響は大きいかも。ガソリンがぶ飲みのレースは35年前のオイルショック以後、この国の人気は今一でもヨーロッパ、南米、オーストラリアではサッカー以上に大きい。

そのレースでこの国のF-1の礎を築いた中島ジュニアが7位、スーパーアグリの琢磨が13位完走。7台がクラッシュ、激しいレースだった。この国の経済を支える自動車産業、トヨタが参戦して久しいがホンダ程の華々しい戦績は叩き出していない。それだけにF-1のエンジンとボデーの技術開発は一朝一夕には出来ない。

トヨタとフェラーリのエンジンを比べた時、車のうんちくを語れる人はどちらを支持するだろう?フェラーリはスポーツカー、トヨタはハイブリッド、大衆車だろう。ホンダも頑張っている。日産は参加していない。F-1のレースに関心の無い人でも車は関心が少なくない。

車が走る棺桶と言われて久しい。車は今世紀最大の発明と言われているが、これだけが燃料が上がるとは多くの人も理解の域を超えている。決定権のある政府自民党と公明党は連休前にも値下がり前の価格に戻すしかないと決めている。1ℓ125円が150円を超した時、一時の安値に安堵した個人と会社の痛みをどれだけくみ取れるのだろう?

これは単純明快。どんなに多くの言葉で説明しても支持はされないだろう。何事も支持がなければ成り立たない。民意とか内閣支持率と言われても多くの人の生活に関係は少ない。それよりももっと切実な問題は日々の生活だろう。それが厳しくなっている。

その厳しさをどれだけの人が実感しているだろう。本当に些細な喜びが平然と消えて行く。生活必需品、物価が上がり収入の伸びは無い。今までのここ国の実感なき成長から、実感が重い景気動向を噛み締めなければならない。これからが本当の勝負が始まる。

人の批判は何とでもいえる。人の生き様は醜(みにく)ても自分の姿は見えていない。見えて居ない自分の姿は他人は本当によく見ている。その事をどれだけ意識しているだろう?言うまでもなく人の為に会社の為に社会の為にも仕事をしている訳ではない。

全ては自分の為、お世話になっている人の期待に少しでも答える為、お客の喜びの為。その事が少しずつ分かってきた。まだまだ問題が多くてもそれは日々の糧に出来るか、それが問われている。自分だけではない。その事が分かれば言い訳は要らない。

これからの値上げ対策はそれどれの消費者がそれどれの思いでどれだけ賢くなれるかだろう。高い物も安い物もそれどれに価値があり、自分の持ち金でどれだけの買い物が出来るかだろう。仕事のやり方も多様化し益々価値が要求されるだろう。

明日から連休の狭間。親父は仕事です。常に前を向いて明るく楽しくをモットーに頑張ります。ガソリン価格が160円台になった時満タンにする客がどれだけ居るのだろう。

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2008年4月25日 (金)

・・・化の意味…他に影響を及ぼす

昨夜のブログで格差化なる造語を作り出したが意味が明確ではなかった。辞書で…化の意味を調べてみると他に及ぼす影響とある。格差社会が最近になって問題になっているが、何を今更の感がする。人間皆平等を国是とする共産主義に格差があるように、それ以上の貧富の差が資本主義社会に在り、身分に差が無くても平然と職業、雇用、立場、地域でも差別がある。格差をなくせと本当に考えるなら自分の立つ位置から見直さなければならない。

そんな気持ちもなくて人の気持ちも理解できなくてどんなに尤もらしい事を云っても、支持される事はない。最近の政局で混迷が続くのは政策にごまかしがあるからだろう。多くの国民の知らない処で驕り(おごり)の政治が行われていたら、この政権も長くない。

アメリカの景気後退はこの国の景気に直結する。多くの国民には分からない処でこの国の景気も深刻な時を迎えている。物価は軒並み上がり、これまで続いていた安売りの競争も難しくなる。収入の伸びは期待できず、無駄な買い物支出も出来ない。今、国と地方に求められている事は無駄の排除と効率の追求だが、予算の策定にその努力がない。

「あんた、どれだけの事を知っているのか?」と問われても何も知らない。その事を役所で言われたが殆どの人がそうである。知らないなら言うなと言われればそうかも知れないが、今日の国と地方の赤字を税金で賄う以上、毎年血税を徴収する以上それは言えない。

大阪の地区市町村長が大阪府の補助金カットに口を揃えて反対している。自分達に出来る事をどれだけやったか、何も説明していない。改革の道筋も明確ではない。税金の未納、滞納の取り立てすら分からない。その事で担当窓口がクレームを付けられても何も変わる事はない。財務省の改革は出来なくても国の財政の立て直しは増税しかない。

暫定税率の延長が出来ずに廃止されたガソリン税が、今週末の山口の補選の結果も見ながら連休前に衆議院で再可決され元の値段に戻るとか。ウソでしょう。今、安値で125円から元に戻ればどうなるのか?唖然とするしかない。車が売れない理由が分かる。

アメリカの金融不安が落ち着いても原油の高騰、商品市況の高騰、景気の低迷はこの国の格差化を一段と加速するだろう。一部の金持ちと多くの貧者。如何して国と地方の財政を支えるのか、政府は未だに何とか審議会に答申の域を出ていない。何にも出来ない学識経験者、学者、税制のプロを集めても消費税を何時からなん%にするかしかないだろう。

それ位の事は親父でもわかる。消費税の増税が禁句になって久しい。5%から7%の時を逃した今、本当に今のままで財政の立て直しを計り、高齢化社会の展望を開くには10%以上の消費税が求められる。それだけの説明が出来る政治家は居るのだろうか?

今は過去の人に成りつつある小泉改革でも、消費税には手を付けられなかった。「何、やってんの」言われながらも国と地方の為政者は、入りを計る事より出の策略で美味しい思いを重ねるだけだった。

親父の住民税と健康保険の今年度の概算を聞く。正確には7月にならないと確定しない。知らない人もいるが今年から7月から3月までの9回払い。親父は昨年7ヵ月の失業の時があり今年度はいずれも少なくなる。それにしてもこの歳になっても働けば税金が少なくない。元気で働ける事に感謝しても住民税と健康保険の支払いには留意が必要だろう。

急に暑くなり連休前に5月の時を迎える。ブログを初めて1年。余り進歩はないが日々の想いは確実に検証されている。多くの思いを重ねてもこの歳になると限界が見えてくる。まだまだと思いながら鏡に映る下腹は確実に年を重ねている。

それでも多くの人から多くの励ましを頂き感謝しています。何かに支えられながら日々が重ねられる事は考えてみると最高の喜びです。お互いに体に気を付けて完全無欠(そんなもんないだろう)の挑戦あるのみです。

追加。

住民税と健康保険のそれどれの税額は確定申告者の場合(一部例外あり) 前年度の収入で決まる。昨年まで税金が確定するまで4月から6月分は2年前の収入で捕捉され、7月に確定した年間の税金を4月から6月暫定金額を調整し、9分割される。今年は4月から6月分の請求が無い分、7月からその分請求される。

昨年は一昨年の収入が多く?住民税と国民健康保険で月35000円だった。今年は合わせて12万少なくなるが4月から6月分の支払いが無いので、7月からの支払いは大して変わらないだろう。

どうしてこんな説明を聞きに行かないとしてくれないのだろう。読んでも分からないでしょう。

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差別化、一体化、標準化、格差化

差別化、一体化、標準化等の言葉はあるが、何故か格差化なる言葉は無い。差別化、,一体化、標準化の言葉には…すると続く文体があるが、格差化にはその言葉がない。当然の形として体を為す言葉がなければ、日本語として成り立たないのだろう。

しかし、この言葉も近いうちに聞き慣れた文体として成立する時が来ている。格差社会と言えば通用してもその実態は定かではなく、自分がその構成員だとしても無意識のうちに否定している。自分は格差社会とは無縁と思って見ても実は格差そのものの生き方をしている。これからの年寄りは格差化そのものの生き方を迫られているのかもしれない。

税金、住民税を払えない人は少なくても国民年金、健康保険は払えない人が激増している。年金、保健制度は既に破たんしていると明言する人も少なくないが、曲がりなりにもこの国に天変地異や戦災が無い限り、国民皆年金、保健制度は続く。

国の制度、法令に異議を唱えて見ても何も変わらない。変わる事の出来るのは自分自身。先日その思いを痛感する。大阪の想いは何度もこのブログにも書いたが、街は変わり生きる人も世代が変わっても、この国は何も変わってない。変わったと明言できるのは通りの広さと明るさかも知れない。

久しぶりに18から20の歳に生きた庄内の駅を降りる。正確に言えば今年の始め、自分のではない煙草ケースを求めて目的の店を探した。あの時は予想以上の物を手に出来たが、今回は残念ながら過去の遺物となっていた。「ハーモニカ?もうとっくの昔にやめた。梅田で探したら?」余計なお世話様です。

駅前の牛丼屋で飯を食う。ねえちゃん(失礼)の応対も歯切れが悪い。豚汁定食なのに牛丼と卵だけ(しかも生か茹でか分からない)。声を掛けるか躊躇(ちゅうちょ)しているとデカイ汁椀が出てくる。しかし見た目汁が多く具が少ない(細か)。熱い。卵は生だった。(当然だろう)卵かけ牛丼に紅生姜を入れかき混ぜる。味は吉野家に負ける。しかし、見た目とは反対に豚汁はヘルシーでした。

店を出て40数年ぶりの住所を訪ねる(たずねる)。若き頃かっ歩した音大通りは寂れていた。道幅は変わらなくても昔の面影はなく、それでも食堂、喫茶店は代替わりはしても何とか生きていた。あの頃と違うのは商店街が消え住宅と混合し、大学のコンサートホールが出現していた。10年一昔ではなく40数年の歳月は街並みを大きく変えていた。

それでもあの頃と変わった事と言えばその程度だろう。駅のホームも変わらず、変わった事と言えば改札口が地下になり、乗降客が線路上の踏切を渡らなくなった事位だろう。アメリカケネディ大統領が暗殺され、狙撃容疑者のオズワルドも銃撃された18歳の秋、この国とアメリカの衛星放送の始まりの時、両国は軍事と経済の大国になったがその代償も小さくはない。

今、この国もアメリカも未曾有の経済発展と危機の時を迎えている。この国が15年以上の低迷の中でアメリカは製造大国から金融の大国になっていた。アメリカが今でもイラクの戦いを続けられるのは、世界の富が集中した結果だろう。

この国が実体感のない経済発展を続けられたのも、アメリカ追随の政治と経済政策のお陰かも知れない。しかし、これからはその政策の延長ではなく独自の転回が求められる。そのものの生き方をどれだけの人が出来るだろう。その事が求められても長い間ぬるま湯の中で同化した人たちには実感がない。その事が問われた時、人は人として人らしく生きるのだろう。

格差社会ではない格差化社会。その時は目前にある。昨年の今頃、アメリカの今日的問題サブプライムの実態を明確にしたエコノミストは少ない。今年になって経済新聞を読む事に多くの日々を費やしたが、今週やめた。株も買ってないし株式市場がどうだこうだ、どうでも良い。この国の経済がどうだこうだのコメントもどうでも良い。財政状況が良いだ悪いだどうでも良い。親父とこのブログ読んでくれる多くの人が幸せに生きられればそれで良い。

証券会社のインサイダー取引が問題になり、当事者の信用は失墜しているが関係者の情報が漏れないなんて考える方が可笑しい。株式市場の透明性を真剣に考えるならば関係者の市場参加は厳罰、即退場しかない。それが出来ないこの国の市場と投資家に経済新聞はどれだけ警告したのだろう。その程度と思えば読む価値は少ない。

今日はお休みです。仕事は多くの事を指摘されながらメモして改善あるのみです。なんだかんだ言われてもやるのは自分です。言われている意味は分からなければ同じ事の繰り返しです。注意された事は2度と繰り返さず、信頼度の高い仕事が求められています。先日、マイク放送で詰まりました。それでも落ち着いて次の言葉を言わなければなりません。仕事とはそんなもんでしょう。言い訳は許されません。禍、転じて、福と成せ。

もうすぐ、朝です。行ってらっしゃい。気をつけて。

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2008年4月18日 (金)

財政再建、財政改善にどう取り組むの?

二日間のお休み。お金を掛けずにのんびりしていると色んな事が見えてくる。興味が沸くのは国と地方の財政再建。(賢い?)殆んどのコメンテーターと専門家?(当事者)が補助金の削減に反対している。親父もそうだが自分の支出が増える事に誰も賛成はしないだろう。

国の借金が800兆とか大阪のそれがいくら(実は分からない)とか言われても、その解決策は支出の削減か、収入の増加しかないだろう。皆が反対する削減も説明が悪い。親父は支持しなかった橋下知事の支持者が、手のひらを返すが如く反対の合唱は何たる無様、何たる支持者だろう。他に改善の方法があるならともかく問題の先送りは、全く情けない。

大阪の地盤低下が叫ばれて久しいが、草場の陰で幸之助さんがなんと言ってるだろう。身の丈に合った経営は民間企業だけでなく、大阪府、各市町村にも求められて当然だろう。税金は誰が払っているの?毎年、毎月、毎4半期毎に請求される金額はどんな重みがあるのか、分かっているのだろうか?現役世代の高負担と引退世代のしんどい負担に支えられている事を忘れている。

昨年の住民税が増えた原因は法律の改正で、地方の財政再建とも言われたが小泉改革は一体何だったのか、殆どの支持者は分からないまま今年も同じ時を迎える。痛みを感じる税の重みはこれから年を重ねる度に重くなり、官庁、府庁、市町村庁の無駄は上に行く程、多くなる。何たる事か、それでも問題意識は先送りで良いのだろうか?

良いのです。国の財政がどんなに赤字になっても関係ないと思っている輩が余りに多い。大阪の財政再建論議はこれから見ものです。大阪の財政の悪化は殆どの住民にとって知らされていない。この原因は何なのか、今一度、考えてみる必要があるだろう。

大阪は天下の台所と言われて久しい。今後は天下の再建実現団体として注目されるだろう。今月末の山口2区の地方選挙の結果が同じく注目されている。暫定自動車特定財源が今月の始め期限切れとなり、ガソリンは1ℓ25円も税金が下がったがこれも一時の事かも知れない。なんでこんな大事な事が地方の選挙で決まるのだろう。おかしな国です。

テレビを見ていると地上波の役割は終わっている。お笑いと芸能(芸のう)食い物他に何があるのだろう。これからのテレビに求められているのはこんなもんではないだろう。タダより安いものではなく無駄な物は無いと言えるかも知れない。テレビだけでなくマスコミに求められているものはこの程度かも知れない。

国の財政はもっと悪いと財務省は言う。親父は信じていないが100歩譲ってそうだとしてもこの役所の責任者は誰なの?事務次官?大臣?国の財政の破たんの原因と対策はどうなっているの?狼少年では在るまいし本当に悪いなら実態改善がどうして出来ないの?

難しい事に前向きに取り組む努力をどれだけしているのだろう?先日の経済新聞で人気企業のランキングが出ていたが、そんな事よりどこの会社がどれだけの税金を納め、どれだけの税収に貢献しているか明確にすればよい。人気企業でこの国の財政にどれだけ貢献しているか?意外な事実が明確になる。財務省にこの国の財政を語る資格はない。

本腰になって税収の確保をしているのは今問題になっている、年金の天引きだろう。利益が出ようと出まいと一定の収入に対して保険料は天引きするあくどいやり方を、学ぶ気持ちもなく無駄の排除も出来ないで、国に金が無いといくら説明しても信用されない。

昨年、住民税が大幅に増えた時、多くの親父達が嘆きの声を上げたが、社会的問題にはならなかった。今、国会ではガソリン税の一般財源化を論議しているが、安くなったガソリン代を元に戻せの声は意外に大きい。誤魔化されてはいけない。本当に何時までも今のままで良いのですか?本当に道路以外の税金の使い道は無いのですか?そんな事はないだろう。もう少し考えてみればよく分かる。高齢化が進み、物価が上がっても今までの生活保障はだれがしてくれるのだろう。自分でやるしかないだろう。も少し賢く生きなければつぶされる事を知らなければならない。

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2008年4月16日 (水)

堂島大橋、浄正橋、出入橋、桜橋

桜橋は大阪駅の南西にある。親父が大阪に来た18の時ここはサンケイホールがあり、コンサートを見にきた事がある。聞きに来たのではなく人気歌手を見にきた。親父にもそんな時があり、この年になっても鮮やかに甦る。今は建て替えられた高層ビルを眩しく見上げていた。梅田新道はこの交差点の東に在り、母さんと歩いて渡った歩道橋は今も変わらない。

今週の月曜日、日当受け取りの帰り久しぶりにバスに乗る。いつもは地下鉄の乗り換えで帰る道、地上の景色は感慨と懐かしさが交錯して、永き空白の時が霧が晴れるように鮮明になる。不思議な事に若き日日が天然色で無い。セピア色のカットシーンになるのはどうしてだろう。大阪の川に観光の魅力が無いと言われても、都市開発の犠牲にされた歴史を思えば、それも又無碍(むげ)ないかも。隅田川はきれいになっても、関西人は無頓着です。

それでも親父の心の中にはセピア色の大阪が在る。本当は岡崎橋からメタボな体形の腹ごなしに桜橋まで歩くつもりだった。気持ちが変わったのはバス停2,3っ先。バスが来た。停留所は本社の近くだった。堂島大橋、浄正橋、出入橋、そして桜橋下車。交差点を渡り旧毎日新聞本社跡のビルに入る。2フローの書店。目的の本を買う。期待外れ。面白くない。

今日はもう1日仕事のため、また明日。

暑い1日が終わる。今から暑いと言っていたら今年の夏はどうなるのだろう?。何も変わらず5月の洞爺湖サミットが後世の話題にすらならないかも知れない。地球環境は間違いなく良くなる要素は少ない。この国でも地方に行けば環境の厳しさは良く分かる。分からないのは利害が絡む当事者達だろう。それでも国境を越えた環境対策が求められる時は然程(さほど)遠い先の話ではないだろう。

故郷の山も川も海も何も変わらない。変わった事と言えば高齢化が進み子供達が少なくなったことだろう。親父が故郷を後にしたのは45年前、この国が「もはや戦後ではない」と言われた昭和38年。大阪に就職したのは可能性を求めた事。しかし現実は真に厳しかった。

しかし田舎に糧を求めたとしても大同小異だったと思う。この国の経済発展は好むと好まざるとに関わらず、環境には目もくれず唯ひたすらに前に進む事だった。前進が止まった時、その場所に留まる余裕はなく、更なる高みが求められていた。それが出来なければ終わり。その厳しさに弱音は無く反対に当たり前の思いが溢れていた。

当時の事を思うと目標はアメリカだったのだろう。技術力の差は歴然として在り全てが劣っていた。あの差は一体どこから来ていたのだろう。コンピュターの発想がこの国には無くアメリカに在ったのは何故?この違いは現代でも超えられない。超えたのは物作りの技術、設備方法。日本人が何処の国にも負けない力は発想ではなく改善である証明だろう。

政治の世界は全てがアメリカ追随だった。1945年惨めな敗戦国家は現代までアメリカの良きライバルにはならなかった。成れなかったのかもしれない。それでもこれからは他に選択の余地が来るだろう。親父たちが次の世界に残せる物は何だろう?

本日は休み。それでも2時過ぎたのでこの辺で寝ます。、

親父達が次の時代に残せる事は、生涯現役です。現代の陶工、技術者、功労者は一部でもこれからの高齢化社会を生きる年寄りの絶対的多数に求められる事、それは健康です。元気な時には当たり前に感じられる事が当り前ではない。この事は大きな病気をしないと分からない。平然と喫煙しつばを吐きながら生きた歳月のツケは軽くはない。

親父の自慢は長年吸い続けたタバコを止めた事。酒も口にする事はない。昨年12月からはパチンコもやっていない。当たり前の事を当たり前にやるには、当り前でない劇的変化が求められ、その決意は決して軽くない。年寄りが長く生きても喜びは限られている。限定された条件の中でどれだけの喜びを手に出来るか、全ては健康が左右すると言えるだろう。

足腰とボデー、頭がどんなにしっかりしていても老いの時は確実に迫っている。どんなに大きな顔をしても神の裁きに容赦はない。何時までも有ると思うな親と金、無いと思うな神仏(かみほとけ)。バアチャン言ってたなあ。

ここで一休み。先日買って読んでない本を読みます。

小泉構造改革の評価は分かれている。それでも今だに元総理の現役復帰を望む声も少なくない。どんなに求められても再登板はないと思われても、現状の政界では何が起きるか分からない。小泉改革の最大の成果は郵政、道路公団の民営化だろうが、民に出来る事を官がやる理由は何もないと声高に叫んだ改革の成果はあったのだろうか?

親父の様に改革の意味に疑問を持つ人も少なくないが、今一この本を読んでも分からない。本当に民で出来る事を官でやる意味がなければ 多くの行政組織は民営化すべきであり税金の無駄遣いは止めなければならない。

この国は一体どこに進むか、もう少し考えなければならない。大阪府の財政改革の為、知事は先の選挙で支持された多くの市町長から補助金の削減の取り消しを求められている。補助金が無ければ道路も公共施設の整備も出来ないと反対されている。同じ事がガソリンの税金でも言われている。補助金, 税金が無くなれば確かに困るだろう。

しかし、本当にそうなのか?税金、補助金の無駄使いは全くないのか?そんな事はないだろう?何時までもあると思うな、親と金ではなく補助金と税金。寄ってたかって食い物にして入る金は、一体どこから出ているのか?それを考えてみれば難しい事ではない。

本当に策が無ければ職を辞せ。高い住民税と親父は払っていないガソリン税、国民はもう少し賢い改善策を期待している。何時までも人のふんどしで相撲を取る恥が感じられなくなったら終わりだが、そんな人が少なくない。

阪神の快進撃の理由は打つべき人が打ち、守るべき人が守り、投げるべき人が投げている。役人達に庶民が求めている事は効率の良い仕事だろう。小泉改革の真価は一体どれだけの人がきっちり評価したのだろう。郵政の民営化で無駄遣いと批判された「財政投融資」の金は何処に行ったのだろう?この本では良く分からない。また桜橋の本屋で勉強する。

明日もう1日お休みです。大阪は明日まで雨です。置き傘が無くなり買い物には雨の合間見て行きます。お店も天気が悪いと客の入りがイマイチです。人間の思惑は大同小異です。本当に物を売るとは難しい。買い物客も金持ちが少ない。少ないお金で必要最小限の買い物しか出来なければ、景気の盛り上がりも感じられない。

福田総理は「物価の値上がりはしょうがない」とか言っているが、この人だけでなく多くの政治家の感覚に緊張感が無いのはどうしてだろう?国民が軽視されているのではなくこの国の政治感覚がこの程度だろう。無策の政治に怒りの言葉は余りに少ない。

親父達に残された時は多くない。同様にこの国の未来も決して明るくはない。何とかなると思っても為らない時、そのしわ寄せは強者にはない。年金問題、高齢者医療保険、迫り来る試練を払いのける準備が求めれれている。

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2008年4月 9日 (水)

満開の八重の桜は散りゆきて 秘めやかに咲く山桜かな

満開の桜も今年はそろそろ見納め。今週末の阪神競馬場桜花賞迄持たないだろう。明日は終日雨。今年の春は急に若葉の頃の陽気となっているが、暑い時はまだ早い。まだ4月。一雨毎の暖かさだろう。温暖化に関係ないとは言わせないと天と地の神様が言っている。

言うまでもなく化石燃料の大幅消費は現代の時を生きる私達に、有形無形の便利さと豊かさを与えて呉れたが反面、環境破壊の現実は未来を生きる後世の人達に多くの困難を残している。それでもそんなの関係ないと思っているリーダーも少なくない。マスコミ登場のコメンテーターの言葉に説得力無いのは御愛嬌では済まされない。

今年の桜は近くの山、愛知豊川、静岡引佐、掛川のお寺さん、多くの場所で見る事が出来た。親父の桜の想いは半端ではないが、まだまだ知らない日本各地の桜を、これからどれだけ見れるだろう。満開の時はこれから日本列島を北上する。津軽の桜は何時だろう?北海道は5月になってから?網走の流氷はまだ居座り、海明けの時は遅れている。

仕事は先月のポカミス2件の教訓と部長のフォローアップ面接の体験を生かし、若葉の息吹を心掛けている。ミスに言い訳は要らない。原因の追及と要因の排除しかない。誰でもミスの要素を抱えながら結果に差が出る。それがその人の評価になる事を痛感しなければ、同じ事の繰り返ししかないだろう。

昨日、退館機械警備のチェックを隊長から受ける。数回は自分でやっていたが手順とスムーズな作業が求められる。事前に要点の確認が出来ていたので落ち着いて出来る。ミスなく出来て当たり前。当たり前の事を当たり前にやるのは偶然ではなく必然。それがプロだろう。

近くのパチンコ屋。2店が地域ナンバーワンを競っている。昨年の12月、今の仕事を始める前、何かのイベントに誘われて大金を預けていた。勝つ事は少なくてもうまく立ち回れば負ける事も多くはなかった。それでも所詮(しょせん)ギャンブル。パチンコで飯は食えなかった。

その2店は仕事の行き帰りの途中にあるが、新台交換以外に足を踏み入れる事はない。足を踏み入れても眺めるだけ。出玉の多さに通路の狭さを感じてもやる気には全くならない。負ける事がやらなくなって実感できるのもなんとも皮肉な話だが、他に選択の道が無ければ今でも同じ勝負に、熱い思いを重ねているかも分からない。

このお店に前後して今話題の新台が入る。それどれ4島(しま)28台。店の投資金額は1週間で回収出来る?人気台は1年以上稼いで呉れるが多くの台は数か月で廃棄処分。それが現実。大事なお金を粗末にすればどんなに思いを重ねても楽しくはなれない。

それでもパチンコの人気に衰えが無いのは手軽に、大金を手に出来る可能性が在るからだろう。確実性はなくても大当たりの快感を1度でも味わえば、10倍の負けにも怯む(ひるむ)事はない。パチンコの必勝法はやらない事。どうしてもやりたければⅠ万以上のお金を持たない事。今のお店のお客にはそんな言葉は通じない。寅さんの結構毛だらけ猫灰だらけ何とかのお尻は真っ黒けです。(失礼)

春の雨が続いています。菜種梅雨と言われた言葉を知らない人も少なくないが、暫くはこんな天気の繰り返しでしょう。天気が悪いと客足に影響がある事を知る。それでも今月の下旬になると天気は安定し、さわやかな5月の時を迎える。風薫る時、若葉の時を初心忘れず迎えたい。もう1日お休みです。関西は明日は雨です。

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2008年4月 7日 (月)

おいおい老い、オイオイメタボ

生きとし生けるもの、好むと好まざるとに関わらず年を重ねて、老い屍(しかばね)の時を迎える。若き時、成人の時、壮年の時、いかに大声、壮語を重ねても必ずその時を迎える。マッカーサーが座右の銘としたと言われる「青春」とは、年を重ねただけでは老いる事はないと言われるが、人間何時までもは若くない。若さは一時でありその事は全てに平等である。

親父の体調は年の割には健康と思っていたが、最近頗る(すこぶる)食欲があり、悪い事に夕食が仕事の関係で深夜(pm.11.20頃)になり、冷凍食品のうどんorチャンポン、おにぎり2個、かりんとう(これが旨い)。こんな食事が肥満体質を加速させ、先日の花見の帰り、長男の嫁から食い過ぎと蔑み(さげすみ)と労り(いたわり)の言葉を受ける。

余計な御世話と思ってみても、最近、自覚症状が出てきた。腹の出方が醜い。和式のトイレがしんどい。ズボンのベルトの穴変わらなくてきつい。これはアカン。そろそろ減量しないと。今の腹回り一メートルを超している。メタボの基準は信じていなくても90は切りたい。

自分の健康管理を体重中心に考えている1部の人の意見は別にして、皮下脂肪の蓄積は余りに情けない。これから一念発起、食事の見直しと運動、そうして何よりも腹を鍛えて横のたるみを取る。夏が来る前に90は無理にしても90代に載せよう。自分の健康は人に云われるまでもなく自己管理です。人の事を云う前に己の姿を鏡に映せばよく分かる。

深夜の放送は健康器具、レッスンビデオ、健康食品、飲料その他多くの紹介がある。これは見ていて面白い。自分の減量作戦が失敗したとき注文する気がする。それにしても肥満の親父、御母が少なくないのはダラシが無いのではなく気にしていないからだと思う。おっかあが10キロ痩せた時、喜んだ気持ちが良く分かる。しかし、体調の変化に気付いた時には手遅れだった。病院のトイレの鏡に映った痩せた体を見て、悲しい顔と不安げな表情が忘れられない。メタボの基準はそう言う意味で信用出来ても過信は出来ない。

(用事と買い物で一時中断します)。今日は休みです。

傘を差して久々の雨の中出かけて来ました。用事の相手は残念ながら休み。買い物は久々に青森りんご3個、バナナ一房、天ぷら(総菜)、日清ごんぶと天ぷらうどん(これはアカン)。生活習慣の改善。これはビジネスにもなるけど行政がペナルテーを付けるのは?医療費の削減はこれからの年寄りだけでなく、若者も壮年も不健康な生活(酒飲み、喫煙者)睡眠不足、人の意見に耳を貸さない生き方、全てが問われるだろう。アーユーレデイ?(準備ok?)

人間万事塞翁が馬。良い事と悪い事はあざなえる縄の如し。表裏一体。人の事は口に出来ても自分の改革が出来るかが問われている。これまで仕事ををしていなかった時の体重増は有っても、仕事を始めると減っていた。それなのにこの有様は何だろう?全ては不節制。

中国人にメタボは少なく、欧米人に多いのは食事と生活環境の差だろう。これから健康で生きたければ漢方と太極拳だと思っている。親父はこの年になっても体は鍛えなければ衰えると思っている。若者よ、体を鍛えておけと言われるのは自己防衛です。

最近の出来事はセンセーショナル事が多く報じられているが、それにしても弱い者しか傷つけられない輩がなんと多い事か。誰でも良いとかむしゃくしゃしたとかで被害を受ける社会の守護神は自分の中しかない。法治国家と言われるこの国の守護神はジャッキー・チェンです。(笑い事にならないのは皮肉な出来事が多すぎるからでしょう)

なにはともあれ、逞しい体を手にする事は出来なくても心の鍛錬(たんれん)は出来る。自分に出来る事を自分のペースでやれば良い。出来ない事をやろうとするから心の負担となる。心のストレスは意外に多い。成るようにしかならない。あくせくすることはない。

昨日は暑い一日でした。夜、遅くなったが勉強になりました。1つ、一つの事が学習です。何事にも前向きな思いが重なるように頑張ろう。花散らしの雨で今日は涼しくなりましたが又、明日から若葉の頃への挑戦です。

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2008年4月 4日 (金)

桜淵の道は遠かった。

2度と行く事はないと心に決めていた愛知豊川桜淵の花見に、息子の誘いを受けて出掛ける。年甲斐もなく前の夜、なかなか寝付けず今は行ってないゴルフか、幼き頃の遠足か楽しい行事の前の夜の事を思い出していた。久々の朝起床も目覚まし要らずに苦笑していた。

出発もほぼ予定の時刻。コンビニで買ったパンと飲み物を口にしながら、今年2回目の息子と嫁の会話の中に安堵の思いを重ねていた。お互いに遠慮のない会話をしながら変わりの無い日常に感謝する。何時まで自分の思いと行動に不自由を感じたくなければ、健康と経済的自立が必要だろう。人は何の為に生きるかと問われれば今は明確に答えられる。

仕事の目的と意義を今更問われるまでもなく、明確にしながらこれからは益々の節制をしなければならない。人間自己の過ちは棚に上げ、他人の事は批判できるが親父の場合、これからも自説を曲げたくなければ健康と仕事への、あくなき探究のみしかない。

老いたるは子に従えと言われるがこれからの社会は、老いたる者、節制と探究あるのみ。高齢化社会の生活格差は益々拡大し、日常化するだろう。そんな事は全く考えずに草津のインターから新規開通の第二名神に入る。

新しい高速道路は10年前に走った山陽道、8年前の四国の松山、鳥取の米子自動車道に似ていた。山をトンネルで抜け谷に橋を掛け、丘を切り通していた。これからの高速はどうしてもこんな構造になるのだろうか?用地買収と土木技術の進歩を考えれば当然かも知れない。今、問題となっている自動車特定財源の必要根拠も理解できる

この思いは亀山から名古屋の道でも痛感する。交通の大動脈が完成している。これだけの投資に見合う交通量と経済効果は一体どんなものだろう。確かにこれだけの道路を造れば何時まで経っても特定の財源が必要だろう。しかし問題はその財源が暫定であり、納税者の合意理解の無いところだろう。国に有り余る予算があれば別だが道路だけがいつまでも特定では無い気がした。

桜淵は大阪から3.5時間。予想外の近さに在り感慨ひとしお。長い間の空白の時は親父の年齢に比例して枯れた感じがした。満開の時が少し過ぎただけでなく川添いの土壌が痩せて来たのかもしれない。親父のメタボな体格に見合う桜木は無かった。大きな幹を擦りながら会話して見てもけな気な若さが無く、多くが老木となり若木にも瑞々(みずみず)しさが無かった。それでも本当の活力を見せるのは5月の若葉の頃かもしれない。

今、問題となっている気候変動もこんな所に現われているのだろうか?朱色に塗りかえられた吊橋を渡りながら思いの外多い水量と変わらぬ川幅を眺めていた。息子たちと母さんと乗ったボートは営業中。余り人気は無く係のおっちゃんは暇そうだった。それでも息子と親父の思いに些か(いささか)も迷いもなく乗り場に直行。怖がる嫁を舳先(へさき)に乗せ漕ぎ出す。

川の流れは緩やかでも風が強く、息子はボートのオール、コントロールに苦戦。慣れていないからと苦笑しながら漕ぎ手交替。昔取った何とかで進路が安定する。それでも長くは続かない。息が切れる。要領を見せて交替。今度はうまく行く。川面の輝きはキラキラとして穏やかだった。

桜淵を後にしたのはそれから間もなく。反転して帰路と思いきや息子の計らいで静岡掛川まで足を延ばす。13年間住み慣れた家も2度と見る事はないと思っていたのに、意外な展開に複雑の思いが交錯する。親父は全くの予想外でも息子は息子なりに考えていたのだろう。

考えを翻し、子供達が幼い頃、この春先何度も越えた引佐の峠を越える。13年近く途絶えた山間の道も整備され、走り易かったがカーナビは何度も親父の記憶を否定し、正確な道をガイドする。懐かしい道と風景に亡き妻と子供達の幼き頃が重なり、記憶の片隅からも消えた思いが鮮明に蘇る。

引佐の街に入ったところで昔、口にした鰻屋の事を思い出す。カーナビの目的地に立ち寄り場所を加え検索する。庭園を知る人ぞ知るお寺さんの前だった。20年近く前の印象とは異なり店内は殺風景だった。時間帯が3時過ぎだったこともあり客はなく、高校野球の放送だけが空しく流れていた。うな丼1600円。待たされる。なんかいやな予感。

お待ちどうさん。どんぶりの器と大きさを見て安堵の思いがした。蓋を開けてかおりを嗅いで思いが一変する。長い間の時を経ても浜松のうなぎの美味さは失われていなかった。今まで口にした鰻のこってり感はないが皮が香ばしい。料理人の心意気が感じられた。

掛川の風景に大きな変化はなかった。亡き人のの戒名を付けて呉れた大和尚は亡くなり、優しく慈悲に溢れた大声は聞けなかったが、お母さんの言葉に絶える思いは無かった。夫婦とはかく在るべきであり、生きる道の重みを滔々(とうとう)と語る言葉に、暇(いとま)のタイミングが難しい。6時前に寺を出る。

大阪への道は適当に寝ていた。交通の便が良くなったとは言え桜淵の道は遠かった。息子はこれからの新桜淵伝説を約束してくれたが、来年は荘川の桜が見たい。岐阜と富山の境にある荘川の桜にも多くの人の思いがある。今、地方の過疎が問題になっても多くの歴史を語る人は少ない。東海と富山を結ぶ桜の道も一人のバス車掌の思いが込められている。

メタボな体系を整え健康で文化的な生活をすれば来年の夢は実現可能かも。3日間のお休みも終わり明日から又、心と制服新たに(クリーニング済み)責任のある仕事をしなければならない。

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