早春賦
早春賦と言われてあなたは何を思い感じるだろうか?慌ただしい日々の中でそんな思いも感じる間もなく季節は着実に変化している。24節気(中国の旧暦)の雨水の時から啓蟄の時を過ぎ間もなく春分の時を迎える。関西では昔から(それほどでもないが)春はセンバツからと言われているが間もなく、春、爛漫の時を迎えるだろう。
春爛漫の時、上の息子が生れて4ヶ月、大山埼(京都と大阪の境)の聖天さんの桜を見る。今ではその面影もないがあの頃の彼はベビーカーの中でまるまるとして寝ていた。下の息子と行ったのは京都清水、三年坂。親父は焼き物のお店のトイレを借りていた。
春になると本当は心が沸き立つ頃なのに何故か、悲しい。「会うは別れの始めとは知らぬ私じゃないけれど」なんて歌の文句にあるけれど、そうかもしれない。出会いと別れを繰り返しながら人は年輪と優しさの思いを重ねるのだろう。母さんが生きている時にこの優しさがあればもっと長く生きていただろうと、春が来る度にどれだけ思ったか分からない。
それでもあの別れの時から今日まで何とか生きて来たのは、これからの生き方が問われているのだろう。どんなに多くの思いを重ねても無駄ではない事を最近、実感する。すべての出来事に意味があり自分の有り様が問われている。その単純な事が恥ずかしながらこの年になるまで分からなかった。
全ては経験の中に自分の存在があり価値観を決めている。何の為に?何の意味があるのだろう?その答えは全て自分の中にある。そんな単純な事が何故分からなかったのだろう。この仕事を始めて必死の思いでメモを取ったのが正解だった。
出来ない事、分からない事は覚えればよい。そんな簡単な事も出来ずに同じミスを繰り替えせる余地は全くなかった。出来なければ仕事が任せられない。任せられない親父に仕事はない。そう考えるとやるしかなかった。最後のご奉公、最後のチャンス、最後の試練。色々な最後の時を考えると迷いは何もなかった。
昨年亡くなったおふくろが親父が幼い頃、教えてくれた言葉、「為せば成る。成らぬは為さぬ事なかれ」。親孝行な生き方はほんの一寸の間しか出来なかったその些細な代償がこれから始まる。後どれ位この仕事出来るか分からないけれど、今の心意気を忘れなければ何物にも替え難い力を手に出来る気がする。気力、体力、時の運。これは高校生クイズの掛け声だけではない。(と言われても分からないかも)。まあ息子たちが分かればそれで良い。
ブログの模様が又、替わりました。今度はどうでしょう?ひまわりからブドウの模様替え。親父の潜在意識の中に夏の思いが深いのかもしれない。夏は厳しい暑さの中に多くの思いがこもっている。先日まで寒い思いをしていたのに暑い時は相遠くない。
ブログ開設が昨年の五月。もうすぐ1年。何事もやる気が一番かも知れない。活力。元気。若さ。仕事をしながら手に出来る事も少なくない。その事に感謝しながら日々勉強です。老眼鏡せっかく出来たのに傷が付き、作り直し。お金は返して呉れたけどなんとなくいい気分はしない。しかし、これも現実です。物を売る。サービスを提供する。人を売る。この厳しさは何時までも勉強です。その事が本当に分かれば真の達人です。
靴も気合いを入れて手にしたのに残念ながら左足の親指の下の靴床の凹み変わらず。最近の靴は中国製。靴床が固くない。親父の足は体重が左足親指の付け根に集中しているのだろうか?靴、眼鏡、そのうち入れ歯も手造りが求められる社会が目の前にある。
景気動向も政府は一進一退とか言っているが間違いなく一進はない。ガソリン、重油、軽油の価格がこれだけ上がりコストを圧迫しても、政府には道路建設の財源の確保しかない。信じられない事に地方の声もその思いが強い。この税負担に何時まで声なき声が黙っているのだろう?
日銀の総裁が国会の混乱で決まらない。もし空席になれば云々の論調も少なくない。しかし、この国の金利が政治の圧力で歪められた事は全くなかったとは言えないだろう。金余りの流れが今やるべき改革のあしかせになっていたら、どう答えるのだろう。間違いなく今の株価低下の原因は外人投資家にあり、アメリカのおごりとこの国の経済政策の誤りである。
何時までも円安の恩恵で輸出企業が高い収益を上げる時代ではない。物作りの現場は厳しい状況にさらされ生き残りの為に必死の努力をしても尚、楽観はできない。時代の変化に取り残された国家、企業、地域、個人は生き残りはないだろう。
これからはこの大きな潮流の変化は変わらないだろう。高い物でも価値が認められれば売れる、無駄を省き身の丈に合った生活をする、ゴミを大切にする。そんな現実が目の前にある。そして自分を見直し人への思いを大事にする。それ位の気持ちと余裕が求められている。
明日から久々の4連仕事日。一日おきのお休みでも親父の闘志に陰りはない。明日は昨日手間取りオタオタした作業の原因を明確にして、同じ轍は踏まない。借りは必ず返さなければならない。そうでなければ一人で任せてもらえない。困るのは他ではない。自分自身であれは何でも出来る。その決意は変わらない。
言うは易し 行うは難しです。足元をしっかり固めて3歩進んで2歩下がりたい。春は目前。今年も諦めかけた愛知豊川桜淵に兄貴が連れて行ってくれると言う。あのつり橋をどんな思いで渡れるだろう?今から心待ちです
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