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2008年3月24日 (月)

計算された仕事と信頼感

仕事に慣れ、自分のポジション(立場)が分かりつつあったが全ては過信と慢心であった。事故と怪我、お客とお店のクレームにならなかったのが何よりであり、この4ヶ月足らずの必死の取り組みが救って呉れたのだろう。しかし、取り返しのつかないミス要因の排除が全く為されていなかった事を痛感する。

何の仕事でもミス要因はある。大切な事は注意とか気を付けるではない。そんなことは当たり前であり、ポカミスやうっかりも当り前。100%ミスなく完璧に当たり前に仕事をする絶対的条件はポカ除け、うっかりをなくすことだろう。今まで決定的なミスとクレームが無かった事は、運が良かっただけだろう。

一度失われた信頼感の回復は難しい。これから何かにつけて今回のうっかりミスを引き合いに出されるだろう。その事を肝に銘じて禍転じて福としなければならない。人間の注意力には限界がある。どんなに注意してもミスのない仕事と行動はない。大事な事は指差呼称と間違いの要因の排除だろう。今日出来た事の積み重ねがこれから求められる。

これから暖かさの時は短く、暑い時を迎える。人は人の欠点を平然と口にはするけれど、自分の事が分かっていない。本当のプロ根性とは人を知り己の足らざる事を知る事だろう。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」とは昔の兵法の一の一だが、親父のこれからの課題が明確になる。

考えてみればその事を神様は長い間、教えて呉れていたのに気づくのが遅かった。多くの不満と不遇を口にしても、自分に出来る事をどれだけやっただろうか?その事が分かっただけで本当に感謝している。どれだけの事が出来るか分からないが、この年になってやれることは知れている。それでも求められている事を確実にこなしていきたい。

間違いは誰にでもある。大事な事はやるべき事が決まっている事だろう。どんな事があっても間違える余地のない作業、それは手順が決まり何があっても狂わない。これは言うは易く行うは容易ではない。人間の行動は意識していないと簡単にやるべき手順を飛ばす。

今回のミスもそうだった。考えられないミスもよく観察すれば防止出来る。その知恵も働かせていた。しかしそれは手順の学習であり、ミスの排除にはなっていなかった。万一、その作業が抜けても平然と次に進み、他人に指摘されなければ分からなかった。起こるべくして起きたミスに弁解の余地はない。それだけでなく信頼感を失う。「偉そうにしてもその程度だろう」「またやるだろう」 ・・。絶対にやらない決意と知恵と確認を追及する。それが出来なければこの仕事は出来ない。出来た時の喜びは何物にも代えがたい財産となる。

口先だけの軽い言葉が本当は重みのある言葉にもなる。言葉の力は本当に強い。大した言葉でなくても受け取り方で大きく変わる。人の立場も同じだろう。思いやりのない言葉は暴言であり、情けの無い心は無常である。人は多くの言葉の中にどれだけ優しい思いを重ねられるかの勝負をしている。その事も忘れてはならない。

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