昨夜寝る前にブログの模様替えを思いつき、手を加えていたら何か地味となりがっかりです。でも親父の外見もこんな物でお似合いかもしれない。記事も読み易く(自己満足)暫くはこのままにするしかない。寂しさと喜びもこれくらいで上等かもしれない。(翌日変更しました)
仕事は厳しい口調で注意される事がなくなり、言われる事とやるべき事の垣根も取れ、自分の心と体にも余裕が出来ている。まだまだ分からぬ事も少なくないが、この職場で先輩が経験した時と同じ3ヶ月が過ぎた。仕事に慣れた時の慢心に気をつけ信頼の絆を強くしなければならない。
先日、教育担当のN氏から多くの思いを語られる。本音の言葉を聞きながら反論もしていた。熱い思いの中に不覚にも込み上げる物を抑えながら、この仕事の短い間に学んだ体験を重ねていた。この年になっても仕事が出来る事は本当に喜び以外に多くの思いがある。
一番の感動は幼い子供とのふれ合い。ありがとうの言葉の重みと喜び。心無い一部の大人と若者達とは違い、言葉に嘘がない。心無い人間は本当に信じられない言葉を口にする。この国は表向きには差別はなく、一皮剥けば平然と「何様と思っているのか」と嘲り(あざけり)の言葉を口にする。
自分の振る舞いを棚に上げ、力関係の弱い者を罵倒する。それだけでは足らず責任の取り方まで追及される。この仕事を始めて痛感するけれど ,本当の人の在り方と心の持ち方は 千差万別、多種多様です。自分の紋様は自分で意識していないと本当に分からない。
今、心掛けている事は言葉と態度。自分の欠点に気づけば必ず長所が生きる。人の評価は自分で決めて来たがこれからの生き方はそうではない。人は見かけによらず噛みしめてみないと分からない。親父は単純な生き方しか出来なかったが、これからは見方も見られ方も変わる。そんな生き方をしたい。
矛盾、言う事とやる事が違う、そんな生き方は絶対したくなかった親父の変身は子供たちにどう映るだろう?親父が親父らしい生き方が出来るのはもう少し先の事か。まあ、無理かも?それでも段々変っている姿は成長だろうか?
今、親父だけでなく多くの人の生き方が問われている。誰もが人に認められる生き方がしたい。誰もが惨めな生き方を求めてはいない。それでも不本意な生き方しか出来ない多くの人がいる。誰かが言った「人の痛みがわかる生き方」それだけは忘れてはならない。
反面、仕事も生活も生き方さえも綺麗事ばかりでは成り立たない。昨今の景気、政治、経済情報を見聞きすればよく分かる。下の息子から紹介された「週刊ダイヤモンド」を、大阪に出掛ける度に買い求めているが、見向きすらしなかった景気動向が良く分かる。
「親父の知識はテレビか、週刊誌か?」と幼い頃馬鹿にしていた息子から言われる。それでも高度成長期、オイルショック、円高不況、バブル経済の時を知る親父は負けていない。「この国は政治家と一部の官僚が支えているのではない」。マスコミも事件の度にもっともらしく正論とやらを口にするけれど何も変わらない。
今、国会が止まり来年度予算の成立も危ぶまれていると思いきや、衆議院の議決が優先し今月末の成立が確定とか。それでは一体何なのか?この状況が続けば日銀総裁も決まらず日本経済が混乱するとも言われる。そんな事はない。筋書き通りの決着しかない。
国権の最高機関である国会に期待される建前と本音は大きく違う。その事を理解すればこの国の未来は本当に暗い。経済も同じだろうか?政治はどうだろう?変わるのだろうか?その前に親父が変わらなければならない。
この年になると国の未来を語る若さはない。しかし無駄な事をしなければこの国はまだまだアメリカに次ぐ経済大国です。バブル以降の日本経済の低迷は一体何だったのだろうか。その事が今、問われている。アメリカは暫くは大変だろう。この国はどうなのだろう。
今月は斑模様(まだらもよう)の勤務が続く。お休みの日が多い。季節も冬から春への変わり目。今年の寒さは厳しかったが3週間もすれば桜の開花も始まる。1月弱で花見の時となる。今年は近くの五月山の花見を誰と出来るだろう?
子供達と行った愛知豊川桜淵の桜木は、今年も変わる事無く花見の時を迎えるだろう。親父はその機会を今年も見逃してしまうのだろうか?。否、2度と訪れる事はないかもしれない。他にも行きたい所は荘川桜、うすずみ桜。早咲きの河津桜はもう満開かも知れない。
人間は本当に勝手な生き物です。今、円高がこの国に与えるマイナスのみが強調されている。この国の経済の歪は金利が実質ゼロに近く、金余りがデフレ圧力を加速させ、そのシワ寄せが生活弱者に来ている。国内の消費が期待されてもその活力すら弱い。
春が来て花見の時を迎えてもどれだけの人達が、美味しいお酒を頂けるのだろう?親父が若い頃、京都と大阪の境にある大山崎聖天さんで笑い歓談した時はもうない気がする。歳を重ねるとはこんな事では在るまいと嘆いた事も今は笑い話と笑っている。
今日は啓蟄の時。冬眠から虫たちが目覚め動き始める時とか。親父も長い冬眠からそろそろ腰を上げないと立ち上がれないかも知れない。この頃食い過ぎの体が悲鳴を上げている。体の節々が痛い。メタボな体形は銭湯の大きな鏡に醜く映る。もう一度、体の形も引き締めなければならない。「若者よ、体を鍛えておけ。逞しい体に支えられるその日が必ず来る。その日の為に体を鍛えておけ」 親父も人事ではない。
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