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2008年3月

2008年3月30日 (日)

関東は桜満開、関西はまだだよ

3月も本日と明日で終了。早いものでもうすぐ4月。親父の経験も4ヶ月です。必死の思いの時も過ぎ、言葉と態度に気をつけていたら、単純、ポカミスをやる。1・30・300の法則を思い出す。300のヒヤりハット、30のポカ、1の重大ミス。ポカミスを2つもやると確率的には重大事故に近くなる。それだけでなく任されて仕事が出来なくなる。この信頼回復が当面の課題です。

当面の課題と言えば暫定道路特定自動車税(ガソリン税)が期限切れが確定となるが、この期に及んでも福田総理は話し合いの望みを捨ててはいない。親父的には国民、有権者受けのパフォーマンスに過ぎず、問題の解決にはしばらく時間がかかるだろ。

総理の会見でガソリンと軽油の値下がりは、2酸化炭素、温暖化対策にもマイナスばかりでなく、価格が下がればこの国の環境対策が問われるとも言われている。それでは原油価格の値上がりで死活問題となっている消費者の事はどうでもよいのか?政治姿勢が問われるひどい感覚に言葉もない。政府与党は国民の代表ではなくなっている。

それなのにブーイングの声も上がらない。この国はどうなって行くのだろう。このままでは間違いなく4月1日からガソリンは1ℓ25円、軽油は17円下がる。政府与党は1っヵ月もすれば元に戻せると思っているのだろう。インド洋の原油補給が復活したように…。そう行くのだろうか?死活問題となっている会社はそれほどでもないのだろうか?

4月になると色んな事がある。それでも親父の仕事は更なる確実、無欠、安心が求められる。さり気なく親父の好きな唐招提寺、鑑真和上の慈悲の心と優しさを実践しなければならない。恐れ多くて足元にも及ばなくても、心意気だけは若葉の思いです。

4月は多くの企業で新年度を迎えるが、親父の今1番の楽しみは12年振りの愛知豊川桜淵の花見です。本当にどんな花見が出来るのか、その為にもしっかりした仕事をやります。

プロ野球開幕。テレビで優勝チームの予想している。非常に面白い。競馬の予想でもあくまでも予想。予想は逆から読めば嘘よ。予想程大変な商売に大事なものを託す人の感覚が理解できない。だから人生は面白いのかもしれない。

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2008年3月28日 (金)

フォローアップ、カウンセリング

昨年12月、近くの五月山散策予定の足が気分の変化でハローワークに向く。仕事探しのパソコン画面に予想以上の候補が有り、一番気に入った会社の面接を受ける。それでも正直に言えばやりたくない仕事だったが、親父の年になると他には選択の余地もなかった。

面接はハローワークの紹介で早かった。大阪に戻って最初に面接を受けた地下鉄の駅を降りた時、時の流れと翻弄された歳月に淡々としながら、それでも青年の時を考えていた。そう親父にも青春があり若きセピア色の大阪の街があった。野田阪神から玉造、緑橋の市電。今は昔の物語。それでも阪神高速と地下鉄の出入り口の先には、懐かしい靭公園があった。

面接を受けた会社、採用され今働かせて頂いている会社は近くにあった。面接は履歴書の説明を親父が一方的にしながら、若き日々の感想を述べていた。楽しく変な面接は親父の人と成りを正直に表現していた。後日聞いた話では誰でもOK、しかし誰でも出来る仕事ではないとか。もうすぐ4ヶ月になるが本当にそう思う。

3ヶ月と20日間。日数にすると110日間、この間に休みの日が35日前後在り、実質的には70日前後無我夢中だったのだろう。最初の頃は言われるまま、後半慣れるにつれ初期の緊張感が欠けてくる不安が全くなかった。先週の休みを挟んだ単純ミスはその警告だったのだろう。今一度、初心を忘れず苦労の体験を生かさなければならない。

昨日、思いがけなく部長の面接を受ける。さりげない言葉の端々にステップ、アップの言葉と思いを語られる。多忙の日程を割いての面接に言葉の重みをかみしめる。感謝の思いを深々と頭(こうべ)を垂れながら表現する。今週は休みだが来週の仕事の中で必ず活かす決意です。仕事は本当に知識と技能、そして人間その物、表現の結晶でしょう。

この年になってそのレベルの追及が出来るのは、本当に有り難い。有る事が幸運であり更に健康と人間らしい優しさが求められる。これからどれだけ出来るか分からないが体力と知力の続く限り挑戦しなければならない。

自動車特定財源のガソリン価格の値下げも予想外の展開を見せている。多くの人が多くの事を語っているが、問題の本質は高いガソリンと軽油の税金が暫定である事だろう。昨日のブログにも書いたがその事を語る人は少ない。この国の税制の在り方を自民党税制調査会の答申に任せた代償は余りに大きい。

この財源がなければ地方の高速道路が作れないと声を揃えて声高に叫ぶ人達は、その税金のつけを払う人にもっと頭を下げなければイカン。いえ、そんな思いもないのだろう。どれだけ多くの人が原油高の思惑に振り回されて、経済的に苦しんでいるか分かっているのだろうか?春の到来と共に厳しい皮肉な現実を噛み締めなければならない。

それでもこの筋書きを押し通そうとした役人と大臣は、次のシナリオを考えているのだろうか?まさかと思われた事が現実となれば当然、その裏返しもあるだろう。しかし、事は左様に簡単ではない。桜の季節が若葉の時を迎える前に政局は激動の時を迎えるかも知れない。

これは親父の独断と偏見です。笑って堪えて(こらえて)下さい。今夜からセリーグのペナントが始まります。(プロ野球の開幕) なんだかんだ言われながらもひいきのチームの勝ち負けに一喜一憂出来る事は一服の清涼でしょう。このワクワク感は興味がなければ分からない。それでは3時を過ぎたので今夜はこの辺で終わります。

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2008年3月26日 (水)

問題解決能力、問題先送り責任

親父のミスの原因と責任はこれからも問われる。それにしても現場の責任と仕事の重みを痛感する。どんな仕事にも100%の手順と確実性が求められ、ミスの言い訳はできない。当然の使命と役割があり、多くの人がさり気なく当然のことだと思っている。

しかし、考えてみるとどんな人でもミスの可能性だけでなく、やってしまう確率も低くはない。当然の事ながら許されるミスはない。それなのに仕事に慣れてくると危機感に欠ける。今回のタテ続けの単純ミスが正にその証明であり、警告であった。

今週は4日の休み。明日1日仕事をすると土曜日迄お休み。この間に今迄の仕事の見直しを行い、完璧な対応をしなければならない。ミスの対策には色々あるが、一番大切な事は注意とか確認ではない。基本通りにやる。ミスの可能性を0にする。仕事の見直しを常に行い改善を計る。口先だけではなく身を持って行う。明日からの課題です。

そんな事を考えていたら来月から4月。四月と言えばエイプリルフール。花見。桜花賞。そんな呑気な事考えていたら、そうでもないらしい。今年の初めに問題となり何時の間にか立ち消えとなっていたガソリンの税金が25円下がるとか、下がらないとか。

親父と下の息子の考えは違うが多くの人はどう考えているのだろう?マスコミの報道を見聞きしても事の本質の見定めは全く難しい。円高、日銀総裁、株安、景気動向、多くの報道に個人的、ローカルな要因、感情があり、問題のすり替えが少なくない。

円高は世界の基軸通貨と言われて来たドルの信頼度が揺るいだからであり、この国の経済活力を考えれば1ドル100円でも安いかもしれない。国内消費に活力が無いまま、何時までもアメリカ経済に助けられているこの国の経済体質が問われている。その本質の論議は殆ど無い。口先だけでどんなに国内消費の盛り上がりを期待してもアカンやろう。

日銀総裁人事も政府、与党がどんなに推薦しても野党の同意がなければ決まらない。これは昨年の夏、参議院の勢力が逆転した時から決まっている。野党の同意を求めずにこれまで出来た事が出来なくなった問題の認識があるのだろうか?

原油のほぼ100%を輸入している我が国のガソリン代が1ℓ25円も下がれば、国内だけでなく国外に与える影響も少なくない。このままではエイプリルフールではなくなるだろう。その時になっても尚、政府与党は問題の責任を野党に押し付けるのだろうか?

都会で暮らしていると地方の暮らしが分からない。地方の疲弊した経済と財政の実態も分からない。それでも此の儘道路をどれだけ整備しても問題の解決ではなく、先延ばししかない。この国の財政が危機的状況の中で、道路特定財源の見直しは当然であり、地方の活性化は地域興ししかない。国の予算配分は多くの改革でも 実現せず、その反省もない。何時まで同じことの繰り返しが許されるのだろう。それよりも道路特定財源がいつまでも続くのがおかしくないか?今回の問題はその事が問われている。

マスコミの責任も非常に大きい。地方の道路整備に何時までも特定の税が使われるのではなく、生活道路の整備、補修は行政で使える税があれば良い。ガソリンが仮に下がれば今報道されている問題以上に効果がある事も知らなければならない。

経済の活力は庶民がどれだけ財布のひもを緩められるかであろう。どう考えても今の原油価格は異常である。税金を取れる所から取りながら消費税を先送りにしながら、何を考えているのだろう。その理由に国民の税金に対する無知が無いだろうか?これから何かを求めるならその対価を払う事にもっと真剣にならなければならない。その事が問われている。

昨日、反省の意味も込めて五月山に登る。心の重みとは異なり足取りは軽かった。散策の道から外れた階段を上がるとベンチがあり、手にして来たミネラル。ウオーターは口にする。眼下の街並みの先に梅田の高層ビルが見える。この前見えなかったツイン、タワーのおぼろげな輪郭を見ていると心が和む。(なごむ)。もうすぐ4月。心新たに新しき時を迎える。

仕事は慣れては来たが絶大の信頼は未だ無い。信頼感の前に不信感がある。その払拭の為にはこれまで以上の努力が必要だろう。どんなに努力しても力及ばず負ける事もある。しかし、それを言い訳にしてはならない。その為にどれだけの人が涙ぐましい努力をしているか、忘れてはならない。季節の変わり目、体に気をつけて頑張ろう。

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2008年3月24日 (月)

計算された仕事と信頼感

仕事に慣れ、自分のポジション(立場)が分かりつつあったが全ては過信と慢心であった。事故と怪我、お客とお店のクレームにならなかったのが何よりであり、この4ヶ月足らずの必死の取り組みが救って呉れたのだろう。しかし、取り返しのつかないミス要因の排除が全く為されていなかった事を痛感する。

何の仕事でもミス要因はある。大切な事は注意とか気を付けるではない。そんなことは当たり前であり、ポカミスやうっかりも当り前。100%ミスなく完璧に当たり前に仕事をする絶対的条件はポカ除け、うっかりをなくすことだろう。今まで決定的なミスとクレームが無かった事は、運が良かっただけだろう。

一度失われた信頼感の回復は難しい。これから何かにつけて今回のうっかりミスを引き合いに出されるだろう。その事を肝に銘じて禍転じて福としなければならない。人間の注意力には限界がある。どんなに注意してもミスのない仕事と行動はない。大事な事は指差呼称と間違いの要因の排除だろう。今日出来た事の積み重ねがこれから求められる。

これから暖かさの時は短く、暑い時を迎える。人は人の欠点を平然と口にはするけれど、自分の事が分かっていない。本当のプロ根性とは人を知り己の足らざる事を知る事だろう。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」とは昔の兵法の一の一だが、親父のこれからの課題が明確になる。

考えてみればその事を神様は長い間、教えて呉れていたのに気づくのが遅かった。多くの不満と不遇を口にしても、自分に出来る事をどれだけやっただろうか?その事が分かっただけで本当に感謝している。どれだけの事が出来るか分からないが、この年になってやれることは知れている。それでも求められている事を確実にこなしていきたい。

間違いは誰にでもある。大事な事はやるべき事が決まっている事だろう。どんな事があっても間違える余地のない作業、それは手順が決まり何があっても狂わない。これは言うは易く行うは容易ではない。人間の行動は意識していないと簡単にやるべき手順を飛ばす。

今回のミスもそうだった。考えられないミスもよく観察すれば防止出来る。その知恵も働かせていた。しかしそれは手順の学習であり、ミスの排除にはなっていなかった。万一、その作業が抜けても平然と次に進み、他人に指摘されなければ分からなかった。起こるべくして起きたミスに弁解の余地はない。それだけでなく信頼感を失う。「偉そうにしてもその程度だろう」「またやるだろう」 ・・。絶対にやらない決意と知恵と確認を追及する。それが出来なければこの仕事は出来ない。出来た時の喜びは何物にも代えがたい財産となる。

口先だけの軽い言葉が本当は重みのある言葉にもなる。言葉の力は本当に強い。大した言葉でなくても受け取り方で大きく変わる。人の立場も同じだろう。思いやりのない言葉は暴言であり、情けの無い心は無常である。人は多くの言葉の中にどれだけ優しい思いを重ねられるかの勝負をしている。その事も忘れてはならない。

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2008年3月23日 (日)

休み前のミス 休み明けのミス

仕事に慣れ何処かに慢心の思いがあったのだろう。予期せぬミスを重ねる。1つは休み前、もう一つは今日の閉店作業の基本作業。いずれも単純ミス。信じられないミス。ポカミス。人が犯すミスには単純と複雑、予期できる事と予期できぬ事があるが、今回のそれは余りにお粗末。うっかりミス。全くの空白、漏れ、言い訳の出来ないミスに今までの努力が一瞬に飛ぶ。

考えて見ると今までが出来過ぎだったのだろう。色々と叱責を受けたが同じミスの繰り返しは無かった。それだけ必死の思いの連続だったのだろう。やっと自分のペースで仕事が出来る様になり過信したのだろう。自分の仕事の進め方に自信と確信を持つのは良い。それでも過信があったに違いない。どんな作業にもポカはつきもの。その思いが欠けていた。

決定的なミスになる前に単純ミスの連続で済んだのは、感謝しなければならない。口は禍の元とか反省の態度に問題ありと神様が天罰を下されて、初心忘るべからずと教えてくれたのだろう。多くの作業の中でこれだけはしてはならないポイントがあるが、それだけでは駄目だと改めて思い知る。当たり前の事を当たり前に100%やって1人前。その事を痛感する。

もう1度、やるべき手順と方法の見直しをして改善を計ります。

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2008年3月21日 (金)

春の雨、春の嵐 そして4月

一昨日は春の雨、今日は強風。仕事は休みだったが洗濯物も自転車もなぎ倒されていた。春の訪れを告げる魚の漁(りょう)も海が荒れて、なかなからしい。「春の海、終日(ひねもす)のたりのたりかな」 蕪村?とは行かぬらしい。

今週はアメリカの金融不安が公的資金の保証?があり一段落している。東京株式市場の株価も反発して3日上昇している。それでも株価は大きく落ち込み日本経済に与える影響は大きい。円高、原油高も心配されている。今週の天気の変動は嵐の前の静けさだろう。

今月も後10日。実質的には5,6日しかない。この間に当面の課題(暫定揮発油税)の解決は困難だろう。政府、与党がどんな切り札を用意しているのか分からないが、来月の混乱の責任はこれから問われるだろう。福田総理の政治的、経済的責任は計り知れない。

明日から甲子園では春の選抜が始まる、「春はセンバツから」と関西では言われているが春の到来と共に多くの国民にも、多くの事が問われる。難しい事には関心すら持たず、興味本位、勝手な生き方しか出来ない庶民には厳しい春になるだろう。

景気の回復には個人消費の盛り上がりが必要と言われて久しい。しかし、この国の経済の稼ぎ頭は輸出企業である事に変わりはない。円高デメリットでその影響が大きくなった時、この国は何処にその活路を見出すのだろう?

その事が問われている。地方自治の活力が求められて久しいのに、国の財政の立て直しが求めれれて久しいのに、税金の無駄使い、垂れ流し、しか考えられないのだろうか?綺麗事でなく国と地方のリーダーに求められている事は「経済的な活力」だろう。

何時までも人の褌(ふんどし)人の懐(ふところ)に頼って生活をしていると、アメリカの轍(鉄)を踏むだろう。既にアメリカ無しの国防、政治、経済は成り立たないのかもしれない。しかしその情けない現実も何時までも続く保証はない。アメリカの経済破綻はしばらく続く。

アメリカの成功は日本の経済成長の軌跡を学習していると言われて久しい。「ジャパン、アズ、ナンバーワン」になった大きな要因は徹底的な分析と研究だったのかもしれない。同様な歴史がゼロ戦の戦いにもある。

太平洋戦争の戦いは言うまでもなくアメリカとの戦いであり、軍事的にも経済的にもアメリカとの戦いは無謀であった。その無謀の戦いを迫られた帝国海軍は、戦いの寸前迄反対だった。「戦う前に負ける」戦いを回避出来なかった理由は精神論。やってみないと分からない戦いの始めはゼロ戦の勝利だった。

戦いの華々しさとは逆に戦果の反転まで長くの時は掛からなかった。アメリカの賢さは戦いの度に負けるゼロ戦の徹底分析だったと言われている。向かう処敵無しの戦闘機にも必ず弱点はある。その分析に狂いはなかった。どんなに攻撃能力が強くてもパイロットの防御に弱い機材の軽さと薄さを見逃す事はなかった。戦闘機の生産能力は工業力の差、貴重なパイロットが失われたミッドウエイの戦いの後、惨めな戦いの連続だった。

今日、正確にいえば昨年の夏、アメリカの金融経済の活力に陰りが見えたのは、皮肉にもこの国がバブル経済の破たんを経験してから20年後だった。実態以上の思惑に成功体験を重ねたこの国とアメリカの思い上がり。それでも多くのエコノミストとリーダー達は破たんの時を知る術さえ持ち合わせていなかった。

アメリカの事は分からない。この国のこれからも何も変わらないと思う事は変えなければならない。大きな変わり目の中でわずかな変化を読み取る術は簡単ではない。今まで気づく事無く見逃してきた多くのシグナルに何を感じるだろう。これから多くの人に問われている。

仕事の方はもうすぐ4ヵ月。それでもまだまだ学ぶ事は多く、一時たりとも油断大敵。不用意な言葉と態度はこれまでの努力を水泡と為す。言霊は宗教の世界だけでなく弱者にとって最大の鉾(ほこ)である。「言葉に気を付けろ」どれだけ言われた事だろう。心して成長しなければならない。この仕事を極める事の難しさはまだ始まったばかりです。

今年は花粉の被害が大きい。親父は幸いな事に平気です。今年の春のワルツは如何でしょう? しかし、一人になって生きる術さえ失っていた頃の事を考えると、今は幸せかもしれない。その実感は今一だけど人とのつながりの中で噛みしめたい。

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2008年3月18日 (火)

経済の流れが大きく変わる

急な円高と株式市場の株安が進行している。一般市民と経済指標に興味のない人にも今週の出来事は「関係ない」では済まされないだろう。仮に今、そう思っていても間違いなく日々の生活に影響が出るだろう。この国が経済大国から長い間経済混乱の時を送り、「失われた10年とも言われた。

経済のイロハが分かれば今日のアメリカの「金融収縮」は必然の結果かもしれない。報道の情報はどれだけ真実を伝えているのか、分からないが間違いなく言える事はアメリカの経済実態は深刻と言えるだろう。

好むと好まざるとにかかわらずドルの信頼度は下がり、世界の基軸通貨としての思い上がりはこれから大きな代償を求められている。この国のマスコミとエコノミストがどんなに声高に深刻な状況を説明しても何も変わらない。変化が出るのはしばらく掛かるだろう。

親父の感覚で言えばアメリカの現状は西部劇の時代に似ている。何時までもゴールドラッシュ、西部開拓が続く訳がない。銃を突きつけてテロとの戦いを続けながら国内の経済が破たんした時、現政権は何を残すのだろう。

この国もアメリカの軍事と経済の大きな傘の中で発展してきた。それでも変化の兆しは表れている。気づいてない人も少なくないが、この国を支えている多くの国民の民意は既に自民党から離れている。今、ねじれ国会とか言われているが、衆議院の解散があれば政権は野党に移るのは間違いない。それほどの危機感が政府、与党、国民の多くに無いのは何故だろう。

何とかなると思っている輩が多いのだろうか?それとも何とかなるのかもしれない。原油と穀物価格の投機資金の流れ、輸入材料、貴金属価格の上昇、国内の製造業がどんなにコストダウンに取り組んでも焼け石に水かも知れない。それでも日はまた昇る。どれだけの企業が生き残れるのだろう。大企業にも中小企業にもその事が問われている。

それだけでなく景気は間違いなく悪くなる。それでも来年度の予算にその配慮はない。本当にこの国の政治家と官僚にその思いのかけらすらないのだろうか?今週の経済週刊誌に「アメリカが戦争を止められないように日本は道路建設が止められない」とコメントされている。財政の赤字を止められないように道路の暴走も止められないのだろうか?

明日(と言っても今日だが)から3日の仕事。毎日が学習です。人の侮りと誹り(そしり)をバネにキビキビと的確にレベルを上げて行きます。余計な事と言葉に気をつけ明るく、楽しく、元気良く、まだまだ発展途上です。体に気をつけて。ゴーイング、マイ、ウエイ。春はそこです。

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2008年3月17日 (月)

花見の時は何時にする?

温暖化の影響ではないと思うが一気に暑くなり、昨日は西館に冷房が入る。この建物は熱放出が少なく、冬暖かく夏は暑い。エコ効果は良くない。ショツピングフロアーの上に駐車場があり、その上がマンションだから建物の構造が厚いのだろうか?

温暖化はこれだけ化石燃料の消費が続けば進む事はあっても、止まる事はない。それでも今もっともらしい発言をしている多くの人がいなくなるまでは、深刻にはならないだろう。人間の欲望に限りがなく、お金の力で何でも出来ると信じているリーダー達が居なくならない限り無理だろう。

しかし、環境、政治の世界で何も変わらないと思っても、経済は生き物。これから激動の時を迎える。長い間値下がりを金科玉条のように競争の錦の御旗にしていたデフレ経済が変化する。物価が上がり収入が増えなければ景気は良くなる可能性はどうなのだろう?

信じられない事に原油の価格は金余りのターゲットにされ値上がりを続けている。アメリカ経済の暴走はいつまで続くのだろう。大金の運用資産の成功体験が崩れた代償は誰が払うのだろう?これからその事が問われている。

経済の流れは非情。金持ちが一夜にして全てを失う可能性があり、金無しは何時までも可能性とは関係ない。この国通貨円がドルに対して値上がりしている。輸出代金が減り、輸入代金が増える?輸出利益が減り輸入価格が下がる。多くの材料を輸入して加工、組み立ての後輸出している製造業の影響はどうなのだろう?

このまま円高が続けばこの国の経済は深刻な影響を受けると懸念されている。そうだとしても経済の活力は失われる事はない。人々が生きて行くには消費の活力が求められる。勝ち組と負け組の差は先見の命にある。先手必勝。活力が道を切り開いて行く。

仕事は緊張の中に喜びを見出しています。余計な事をせず、余計な事を言わず、余計な事を考えなければ注意される事もなく、自分のペースで仕事が出来るようになりました。それでも分からない事、知らない事、予期せぬトラブルは絶えません。毎日が学習です。

今日、掛けと敷き布団買いました。長い間使い親しんだ布団達に感謝し、今夜から新しい肌触りに感激でしょう? もう一日お休みです。豊川の花見4月の2,3,4のどちらかにしましょう。20迄に来月の休みを決めるので19日迄に決めて下さい。

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2008年3月12日 (水)

春霞の中に街並みはあった。しかし梅田は見えず

仕事、3ヶ月が過ぎ大分慣れてきて冗談が多くなり誤解を招いている。その度に厳しい注意を受けている。冗談も程々にしないといけないと最近痛感している。冗談は通じる人とそうでない人がいる。冗談も通じないほど余裕のない仕事をしている訳ではない。立場を弁えぬ(わきまえぬ)慣れ慣れしさが鼻持ちならないのだろう。

「勝手な判断をするな」とも言われる。親父もサラリーマン現役の頃言っていた気がする。しかし多くの人が例外的な対応を様々な価値観で判断し、結果責任を負っている。そうでなければ仕事は出来ない。任せるとはそういう事だと思うけど今の仕事の進め方に不信感を持たれる事は本位でない。指摘された事は必ずメモし改善を計る。同じ轍を踏む過ちだけは繰り返してはならない。それが出来れば必ず自信と誇りが持てるだろう。

毎日の仕事の中で最近感じる事は自己防衛です。親父のように自己顕示欲の強い人は特に意識して行動しなければならない。自分の価値観の押しつけは一番嫌われる。馴れ馴れしい言葉と態度、心を開いている人ばかりではない。大阪の気安さは今の常識ではない。

本当に心の狭い人、ねじ曲がりの人、同じ大阪人かと思われる人も少なくない事を痛感する。力のある人、権限のある人に逆らう根性はなくても自分より弱い立場の人には、平然と主義主張を振りかざす。信じられない行動と言葉に唖然とする事も少なくない。

大阪のおばちゃんは強いと言われるがこの言葉の裏返しとしておっちゃんはどうだろう?品性がない。こんな事はブログでないと言えない。おばちゃんが強くておっちゃんに品性がなければ必然的に態度と言葉使いに要求されるレベルが高い。その事が分かって来た。

それでもそんなに悲観的になる事もない。もちろん気持ちの大きな人、優しい人、ほっとする人も少なくない。そんな人に甘えてはならない。調子に乗ってもいけない。自分の立場と役割を充分に考えて行動しなければいけない。やるべき事に全霊を傾注し、余計な事をしてはならない。これからの課題です。毎日、仕事始めにメモを見て忘れずに実行あるのみです。

日々の出来事の中に他人事とは思えぬ事象も少なくない。閉店業務の時、買い物客の若くもない2人連れが平然とクレームの話をしている。下手な対応は出来ない。難グセをつければ何でも出来ると思っているのだろう。この仕事の難しさだろう。

難しい事が山積している。景気の低迷が確実視されても打つ手がない。今から30年以上前日本経済が直面したオイルショック以上の危機が目前に在る。それでも豊かさと安定の社会に慣れた多くの人々にその実感は未だ無い。現実の問題となったとき如何対応するのだろう?

親父的には関係ないと思われてもこれからの生活弱者の働きの場は厳しい。生活弱者はこれからもっと多くなり景気の足かせとなる。当然ながら収入に応じた買い物しか出来ない。それだけではない。国内消費の落ち込みは企業収益の低下に繋がる。日本型経営の弊害のみが問題になり、メリットが生かせなければ経済の再生はない。

イギリスの経済紙が日本の政治と景気の低迷、世界のお金の流れが日本から流失していると批判している。しかし、この国の物造りと労働者の力を過小評価している。イギリス病と言われた時を克服しても今日のイギリスにこの国を上回る物造りの技術はない。

違うのは豊かさの価値観だろう。外国からの批判でこの国は「エコノミックアニアル」と呼ばれた事がある。さすがに最近言われないのは世界が日本化されたからだろう。経済の非情さと無常を比喩(ひゆ)し嘲笑う事は今も昔も変わらないのかもしれない。

この国の政治と経済の報道の仕方も今日的課題を、見誤りアメリカとイギリスのエコノミストの意見を代弁するのではなく、真摯(しんし)に問題の本質に迫らなければならない。アメリカの経済に赤信号が点滅してもイラクの戦いを止めない、止めれない現実がいみじくもその事を教えてはいないだろうか?サブプライムの問題は殆んどの人が分からない。

しかし、間違いなく世界の経済大国の金融危機は指導者の交代がなければ、改善しないかも。この国の景気の動向はどうだろう?春、爛漫の時、ガソリン価格が下がらないと無理かも知れない。現実的には難しいけれどこのまま無策の時を重ねていると、何が起きるか分からない。

これから遅い買い物に行ってきます。買い物は小田原の干物とカット野菜、京都の豆腐。レーズンパイと伊予かん。コロッケ2個、鮭のフライ、ねばねばつけもの(半額)。しっかり買い物しているでしょう。健康は生きる糧。しっかり食べてしっかり寝る。これからは体が資本。病気したらアウトです。

久しぶりに五月山に登る。住まいから片道3キロの散策コース。仕事を始めて初めての山登り。ゆっくり歩いて30分。ウッドデッキの展望台から見える町並みは春霞の中にあった。天気が良ければ生駒の山から大阪の街並みも見えるのに、今日は靄っている。(もやっている)。山の散歩道は明るくなっていた。以前の茂みも刈りこまれ若葉の時を待っていた。

体の調子はさすがに歩き慣れてはいたが、呼吸に乱れはあった。久しぶりの山歩き。木々の息吹は目前でもじっと沈黙の気配で、親父の歩きを見ていた。「息切れ」はしなくても股関節の動きに滑らかさはなかった。「メタボな腹何とかしろ」そう言われていた。

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2008年3月 7日 (金)

早春賦

早春賦と言われてあなたは何を思い感じるだろうか?慌ただしい日々の中でそんな思いも感じる間もなく季節は着実に変化している。24節気(中国の旧暦)の雨水の時から啓蟄の時を過ぎ間もなく春分の時を迎える。関西では昔から(それほどでもないが)春はセンバツからと言われているが間もなく、春、爛漫の時を迎えるだろう。

春爛漫の時、上の息子が生れて4ヶ月、大山埼(京都と大阪の境)の聖天さんの桜を見る。今ではその面影もないがあの頃の彼はベビーカーの中でまるまるとして寝ていた。下の息子と行ったのは京都清水、三年坂。親父は焼き物のお店のトイレを借りていた。

春になると本当は心が沸き立つ頃なのに何故か、悲しい。「会うは別れの始めとは知らぬ私じゃないけれど」なんて歌の文句にあるけれど、そうかもしれない。出会いと別れを繰り返しながら人は年輪と優しさの思いを重ねるのだろう。母さんが生きている時にこの優しさがあればもっと長く生きていただろうと、春が来る度にどれだけ思ったか分からない。

それでもあの別れの時から今日まで何とか生きて来たのは、これからの生き方が問われているのだろう。どんなに多くの思いを重ねても無駄ではない事を最近、実感する。すべての出来事に意味があり自分の有り様が問われている。その単純な事が恥ずかしながらこの年になるまで分からなかった。

全ては経験の中に自分の存在があり価値観を決めている。何の為に?何の意味があるのだろう?その答えは全て自分の中にある。そんな単純な事が何故分からなかったのだろう。この仕事を始めて必死の思いでメモを取ったのが正解だった。

出来ない事、分からない事は覚えればよい。そんな簡単な事も出来ずに同じミスを繰り替えせる余地は全くなかった。出来なければ仕事が任せられない。任せられない親父に仕事はない。そう考えるとやるしかなかった。最後のご奉公、最後のチャンス、最後の試練。色々な最後の時を考えると迷いは何もなかった。

昨年亡くなったおふくろが親父が幼い頃、教えてくれた言葉、「為せば成る。成らぬは為さぬ事なかれ」。親孝行な生き方はほんの一寸の間しか出来なかったその些細な代償がこれから始まる。後どれ位この仕事出来るか分からないけれど、今の心意気を忘れなければ何物にも替え難い力を手に出来る気がする。気力、体力、時の運。これは高校生クイズの掛け声だけではない。(と言われても分からないかも)。まあ息子たちが分かればそれで良い。

ブログの模様が又、替わりました。今度はどうでしょう?ひまわりからブドウの模様替え。親父の潜在意識の中に夏の思いが深いのかもしれない。夏は厳しい暑さの中に多くの思いがこもっている。先日まで寒い思いをしていたのに暑い時は相遠くない。

ブログ開設が昨年の五月。もうすぐ1年。何事もやる気が一番かも知れない。活力。元気。若さ。仕事をしながら手に出来る事も少なくない。その事に感謝しながら日々勉強です。老眼鏡せっかく出来たのに傷が付き、作り直し。お金は返して呉れたけどなんとなくいい気分はしない。しかし、これも現実です。物を売る。サービスを提供する。人を売る。この厳しさは何時までも勉強です。その事が本当に分かれば真の達人です。

靴も気合いを入れて手にしたのに残念ながら左足の親指の下の靴床の凹み変わらず。最近の靴は中国製。靴床が固くない。親父の足は体重が左足親指の付け根に集中しているのだろうか?靴、眼鏡、そのうち入れ歯も手造りが求められる社会が目の前にある。

景気動向も政府は一進一退とか言っているが間違いなく一進はない。ガソリン、重油、軽油の価格がこれだけ上がりコストを圧迫しても、政府には道路建設の財源の確保しかない。信じられない事に地方の声もその思いが強い。この税負担に何時まで声なき声が黙っているのだろう?

日銀の総裁が国会の混乱で決まらない。もし空席になれば云々の論調も少なくない。しかし、この国の金利が政治の圧力で歪められた事は全くなかったとは言えないだろう。金余りの流れが今やるべき改革のあしかせになっていたら、どう答えるのだろう。間違いなく今の株価低下の原因は外人投資家にあり、アメリカのおごりとこの国の経済政策の誤りである。

何時までも円安の恩恵で輸出企業が高い収益を上げる時代ではない。物作りの現場は厳しい状況にさらされ生き残りの為に必死の努力をしても尚、楽観はできない。時代の変化に取り残された国家、企業、地域、個人は生き残りはないだろう。

これからはこの大きな潮流の変化は変わらないだろう。高い物でも価値が認められれば売れる、無駄を省き身の丈に合った生活をする、ゴミを大切にする。そんな現実が目の前にある。そして自分を見直し人への思いを大事にする。それ位の気持ちと余裕が求められている。

明日から久々の4連仕事日。一日おきのお休みでも親父の闘志に陰りはない。明日は昨日手間取りオタオタした作業の原因を明確にして、同じ轍は踏まない。借りは必ず返さなければならない。そうでなければ一人で任せてもらえない。困るのは他ではない。自分自身であれは何でも出来る。その決意は変わらない。

言うは易し 行うは難しです。足元をしっかり固めて3歩進んで2歩下がりたい。春は目前。今年も諦めかけた愛知豊川桜淵に兄貴が連れて行ってくれると言う。あのつり橋をどんな思いで渡れるだろう?今から心待ちです

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2008年3月 5日 (水)

仕事は斑(まだら)模様

昨夜寝る前にブログの模様替えを思いつき、手を加えていたら何か地味となりがっかりです。でも親父の外見もこんな物でお似合いかもしれない。記事も読み易く(自己満足)暫くはこのままにするしかない。寂しさと喜びもこれくらいで上等かもしれない。(翌日変更しました)

仕事は厳しい口調で注意される事がなくなり、言われる事とやるべき事の垣根も取れ、自分の心と体にも余裕が出来ている。まだまだ分からぬ事も少なくないが、この職場で先輩が経験した時と同じ3ヶ月が過ぎた。仕事に慣れた時の慢心に気をつけ信頼の絆を強くしなければならない。

先日、教育担当のN氏から多くの思いを語られる。本音の言葉を聞きながら反論もしていた。熱い思いの中に不覚にも込み上げる物を抑えながら、この仕事の短い間に学んだ体験を重ねていた。この年になっても仕事が出来る事は本当に喜び以外に多くの思いがある。

一番の感動は幼い子供とのふれ合い。ありがとうの言葉の重みと喜び。心無い一部の大人と若者達とは違い、言葉に嘘がない。心無い人間は本当に信じられない言葉を口にする。この国は表向きには差別はなく、一皮剥けば平然と「何様と思っているのか」と嘲り(あざけり)の言葉を口にする。

自分の振る舞いを棚に上げ、力関係の弱い者を罵倒する。それだけでは足らず責任の取り方まで追及される。この仕事を始めて痛感するけれど ,本当の人の在り方と心の持ち方は 千差万別、多種多様です。自分の紋様は自分で意識していないと本当に分からない。

今、心掛けている事は言葉と態度。自分の欠点に気づけば必ず長所が生きる。人の評価は自分で決めて来たがこれからの生き方はそうではない。人は見かけによらず噛みしめてみないと分からない。親父は単純な生き方しか出来なかったが、これからは見方も見られ方も変わる。そんな生き方をしたい。

矛盾、言う事とやる事が違う、そんな生き方は絶対したくなかった親父の変身は子供たちにどう映るだろう?親父が親父らしい生き方が出来るのはもう少し先の事か。まあ、無理かも?それでも段々変っている姿は成長だろうか?

今、親父だけでなく多くの人の生き方が問われている。誰もが人に認められる生き方がしたい。誰もが惨めな生き方を求めてはいない。それでも不本意な生き方しか出来ない多くの人がいる。誰かが言った「人の痛みがわかる生き方」それだけは忘れてはならない。

反面、仕事も生活も生き方さえも綺麗事ばかりでは成り立たない。昨今の景気、政治、経済情報を見聞きすればよく分かる。下の息子から紹介された「週刊ダイヤモンド」を、大阪に出掛ける度に買い求めているが、見向きすらしなかった景気動向が良く分かる。

「親父の知識はテレビか、週刊誌か?」と幼い頃馬鹿にしていた息子から言われる。それでも高度成長期、オイルショック、円高不況、バブル経済の時を知る親父は負けていない。「この国は政治家と一部の官僚が支えているのではない」。マスコミも事件の度にもっともらしく正論とやらを口にするけれど何も変わらない。

今、国会が止まり来年度予算の成立も危ぶまれていると思いきや、衆議院の議決が優先し今月末の成立が確定とか。それでは一体何なのか?この状況が続けば日銀総裁も決まらず日本経済が混乱するとも言われる。そんな事はない。筋書き通りの決着しかない。

国権の最高機関である国会に期待される建前と本音は大きく違う。その事を理解すればこの国の未来は本当に暗い。経済も同じだろうか?政治はどうだろう?変わるのだろうか?その前に親父が変わらなければならない。

この年になると国の未来を語る若さはない。しかし無駄な事をしなければこの国はまだまだアメリカに次ぐ経済大国です。バブル以降の日本経済の低迷は一体何だったのだろうか。その事が今、問われている。アメリカは暫くは大変だろう。この国はどうなのだろう。

今月は斑模様(まだらもよう)の勤務が続く。お休みの日が多い。季節も冬から春への変わり目。今年の寒さは厳しかったが3週間もすれば桜の開花も始まる。1月弱で花見の時となる。今年は近くの五月山の花見を誰と出来るだろう?

子供達と行った愛知豊川桜淵の桜木は、今年も変わる事無く花見の時を迎えるだろう。親父はその機会を今年も見逃してしまうのだろうか?。否、2度と訪れる事はないかもしれない。他にも行きたい所は荘川桜、うすずみ桜。早咲きの河津桜はもう満開かも知れない。

人間は本当に勝手な生き物です。今、円高がこの国に与えるマイナスのみが強調されている。この国の経済の歪は金利が実質ゼロに近く、金余りがデフレ圧力を加速させ、そのシワ寄せが生活弱者に来ている。国内の消費が期待されてもその活力すら弱い。

春が来て花見の時を迎えてもどれだけの人達が、美味しいお酒を頂けるのだろう?親父が若い頃、京都と大阪の境にある大山崎聖天さんで笑い歓談した時はもうない気がする。歳を重ねるとはこんな事では在るまいと嘆いた事も今は笑い話と笑っている。

今日は啓蟄の時。冬眠から虫たちが目覚め動き始める時とか。親父も長い冬眠からそろそろ腰を上げないと立ち上がれないかも知れない。この頃食い過ぎの体が悲鳴を上げている。体の節々が痛い。メタボな体形は銭湯の大きな鏡に醜く映る。もう一度、体の形も引き締めなければならない。「若者よ、体を鍛えておけ。逞しい体に支えられるその日が必ず来る。その日の為に体を鍛えておけ」 親父も人事ではない。

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