日本百名山 深田久弥選定
高所恐怖症の親父が言うのもなんだが山は好きだ。若い頃読んだ哲学者の本に男の子供が二人出来たらどちらかに山の名前を付けろと書いていた。一人目は賢い太郎、二人目は岳の信念だった。二人が幼い頃、家族で旅した上高地の思いは消える事はない。
適う事なら一人でも今一度の思いを河童橋から目前の頂に語りかけたいが、それは余りに悲しい。子供たちと幼き頃の春、毎年桜木を見に行った愛知新城豊川の桜淵のつり橋を一人で渡った時を思い出す。季節はずれの秋の始め、コスモスが涙の中に揺れていた。
あれから12年。それでも心の中に槍穂高への思いは消える事なくくすぶり続けていたのだろうか?。今なら平常心で高き峰々を見上げる事が出来るだろうか?それでも西穂の山荘までが精一杯かもしれない。これから毎月最新版の週刊誌で素晴らしい景色の中に思いを重ねてみたい。そして元気な時必ず笑いながら河童橋の上に立つ。親父のささやかで壮大な願いです。
仕事はやっと冗談も言えるようになりましたがまだまだです。いちびりの気性(人の思いを凄然と無視しながら一方的に冗談を言う)が理解されずに注意されている。もうすぐ2月、体験も2月。言葉に気をつける事をこれからの課題としながら春の息吹きを待ちたい。
2月と言えばプロ野球もキャンプイン。今シーズンの戦いが注目されているがこの世界も外人の戦力が大きい。情けない事に関西のチームに目立つ補強もなく今年も東京と名古屋の戦いを見るだけだろうか。プロの世界は勝ってなんぼの世界。厳しさとの戦いに勝つのは何処だろう。今年の盛り上がりは期待できるのだろうか?
食の安全が問題になっている。2月から値上げが目白押し。懐が温かくない買い物客の財布は誰が緩めるのだろう。今は完全にスタグフレーション(インフレとデフレの同時進行)オイルショック、円高ショックを乗り越えたこの国の経済は今又、困難の時を迎えている。
アメリカの経済はコメンテーターが言うほどよくない事を知らなければならない。この国の基礎的条件がいくら改善されても、内需の盛り上がりに欠ける経済に先行きの明るさはない。それでも道路ありきの政管一帯の盛り上がりに国民の関心が無いのは何故だろう。
親父もそうだったが難しいことは分からないまま、日常の細かなどうでもいい事にもっともらしい理由を見出して納得しているのかもしれない。この国の歴史も現在の問題も未来すら関心がなければ、この先の生き残りは意外に厳しいかもしれない。
いちびりの言葉の意味も以外に死語になっているが、好むと好まざるとに関わらず人気タレントの多くはいちびりです。毒舌の言葉とは少し意味が違う。この都会の冷たい社会で多くの人は他人との関係を否定している。関わりを否定しながら特定の事にはそれが出来ない生き方に以外に多くの人達が苦労している。
若い子達と話をする機会が出来たが馴れ馴れしさはなく、本当に礼儀正しい子と正反対の輩もいる。親父のような生き方と育て方を経験した事の無い若者が社会人となり、これからのこの国の力となる。たくましい肉体に支えられるその日がきっと来る。その日の為に多くの事をもっと知っても良い。これも親父達の問題だろう。
教育の問題も大人の生き方と繋がる部分が少なくない。学力の低下が問題視されても経済のこれからを語れない多くの大人たちに何が教えられるのだろう。今回のアメリカのサブプライムの問題も考えた人は金融のプロ。成功体験の中で生まれた理論がどうして成りたたなかったのか?少しでも経済の原理が分かれば成り立たない事がアメリカの経済を支えたのは人間の果敢ない思惑だった。この代償は計り知れない。テロとの戦いでも同じことを繰り返している。ベトナムの教訓は何処に行ったのだろう?
今日から2月。今月は休みが少ない。それは戦力として認められた事であり同時に日々又新たな課題も少なくないだろう。体と言葉の品性に磨きをかけ気持の良い仕事をやろう。
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