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2008年2月

2008年2月28日 (木)

3月は弥生、やっと暖かくなる。

今週末は弥生の月。寒さも日一日と和らぎ今年も若葉の時を迎える。親父の心の支えでもある奈良西の京、唐招提寺の鑑真和上もこの国の行く末をどんな思いで見ているだろう。そんな事を考えていると経済と生活の不安も何処かに棚上げにされてしまう。

それではいかんのだろう。それでもこの国の大きな流れは一部の官僚に決められているのかもしれない。どう考えてもおかしいと思われる事がそうでもないのはマスコミの体たらくかも知れない。親父のようにテレビを見ている年代、世代ももう少し賢くならなければ世界の物笑いになる時も遠くないかも知れない。

親父の世代は高齢化し団塊の世代は定年退職の時を迎える。若い世代は減少し孫世代はまだ見えてこない。年寄りの住家は狭くなり若い世代も核家族の代償を払わなければならない。年金の問題、地方の活性化、景気の動向、多くの問題をもっともらしくコメントしても肝心の実行度、結果については評価をしない。

若い世代と話をして思う事は親、家庭、年を重ねた世代は何をして来たのだろう。この国の子供たちの学力が低下していると言われている。当然だろう。何のために学ぶのか?何のために学力が必要なのか分からなければそれも当り前だろう。

団塊の世代が引退して人手不足も問題になっている。大学で大した勉強もしなくても3回生の春から求人の内定が進む新入社員に企業は何を期待するのだろう。若さと活力はあっても知識も専門能力もない彼らに求められる事は何なのだろう?

信じられない事に親父の時代にはなかった、給食費の払えない親に公務員、会社員が少なくないという。仕事をしていてもおかしな親も少なくない。親父もやっと仕事に慣れ、言葉づかいには注意しているが言葉を飲み込む事も少なくない。当たり前の事が当り前ではない。価値観の多様ではない正論。おかしさにムキに成らず対処できる術が少しずつ身に付いている自分に変化の跡が見える。

この世の中に事の正悪をもっともらしく語る虚しさは、恥ずかしながらこの年になるまで分からなかった。この国に仏の真心、教えを説いてくれた偉大な先人、鑑真和上はこの現実を笑いながら見据えている気がする。

仕事の方は新人2名に多くの期待が掛かり、親父は暖かい風を送っている。Hさんがそうであったように親父に出来る事は厳しさの中に優しさと思いやりの気持ちだろう。その事を忘れず新たな挑戦をしなければならない。まだまだ覚える事は多い。この思いを忘れなければ新たな生き方が出来る。

人の考えも思いも仕事の為なら大きく変わる。ここの年で仕事が出来る事は容易ではない。年寄りだけでなく若い人たちもそうだろう。この国を支えている人は政府官僚だけではない。少ない収入の中から税金、健康保険料を払えるのも仕事が出来るからだろう。

これから高齢化社会と少子化社会の中でどんな生き方をするにせよ、大事な事は健康と生き甲斐とそれを支える収入。それがなければ生活弱者となる。当たり前の事が日々の出来事の中に多くの人は埋没し、その危うささえ鈍感になり自己中心の生き方をしている。

仕事が教えて呉れた事は若い頃から少なくはなかった。それなのに結婚し子供たちが大きくなってから本当の仕事が出来ない厳しさを見失い、不毛の愚痴ばかり言っていた。本当に申し訳なく言葉もない。この事だけは何としても忘れてはならない。

仏壇の中の人が笑っている。「あんたは口が旨い。口先だけなら誰でも言える。有言実行を忘れないで」。厳しい言葉の中に思いやりの心が見える。

この仕事を始めて顔のハリ、艶、しわ、シミに関心が出てきた。面白いね。男は化粧はしないが顔形に自信がなければ仕事にも活力は出ないだろう。加齢臭、体臭、口臭も同様だろう。心しておきたい。カッターシャツも毎日替えている。

これが仕事の形かも知れない。今は形から入ってるが中身も伴わなければとても一人前ではない。息子たちも苦労しているが親父も伊達には年を重ねてないよ。3月は飛躍の月にしたい。この国の経済も大きな転換の時を迎えている。変わらないのはマスコミだけかも知れない。

行きつけの床屋の料金が11年ぶりの値上げ。3800円となる。馴染み客が多くて今の処影響なしとか。これから生活必需品、食料品の値上げが目白押し。生活弱者だけでなく多くの生活者が笑えない現実に直面しなければならない。その時、怒りの矛先は何処に向くのだろう。もう少し賢くなければならない。

国内消費の盛り上がりがどんなに期待されても、財布のひもは緩める最大のポイントは懐具合だろう。今年の春闘でどんなに大手企業の賃上げが期待されても、不確かな今日、不要な買い物はしない。美味しい物、健康食品、役に立つ物、自己アッピール出来る物、その他の例外品を除いて本当の差別化はこれからかもしれない。

久しぶりに仕事をしてみると多くの変化が見れる。これはやった者でないと分からない喜びかも知れない。やった者でないと分からない苦しみがなければ頭では分からない。これからそのレベルの積み重ねかも知れない。決定的ミスは事故と苦情。それさえ頭に叩き込めば前進あるのみかもしれない。

今日はお休み。3月はお休みが多い。これも神様からの思し召しかも知れない。「心して掛かれよ」と言われている気がする。季節の変わり目、体調にも注意したい。今夜の献立は何にしましたか?親父はホウレン草のオシタシとしらす干し、かしわのちゃんこ(400円)とミカン。そんなもんです。他にレンジでチンの魚沼産のご飯とお茶づけ海苔です。

仮設のガスボンベもゴミ袋買っても今日の予算内です。もうパチンコで負ける事もなく堅実な生活です。仕事をするとはこんな事でしょう。額に汗して働く意味も分からぬ輩も少なくないがこの年になっても情熱さえ失わなければ、思いがあれば困難な事でもない。

これから買い物です。この時間でも働いている人を思いながら今日はこれまで。長らくのお付き合いありがとうございました。

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2008年2月25日 (月)

物を売る、人を売る、己を売る

消費の冷え込み、買い控え、消費動向の大きな変化はない、政府の消費認識の甘さは何を意味しているのだろう?政局と政府批判を意識しているのだろうか?それとも不要な国民の不安と国内消費に与えるマイナス要因の排除を考えているのだろうか。

しかし、国内の消費の落ち込みは政府がどんなに否定しても間違いなく進行している。経済の知識が少しでもあれば景気の変動に波があるのは誰でもわかる。この国の経済の拡大は長い間止まり、その対策として輸出に糧を見出していた。この状態が長い間進んでいた事に多くの人は気づいていない。

生活格差、賃金格差はどんどん進行し政治家、官僚、地方行政のトップがどんなに声高にその改善を口にしても間違いなく、良くなることはない。その事をどれだけの人が認識しているのだろう。きれい事では問題は何も変わらない。それでも何時までも同じ事が続く訳はない。

社会的責任、情報公開、生活防衛、多くの事が問題になってもその時が過ぎると元の木阿弥になってしまう。何事にも原因と結果がありその場しのぎの対策では問題の改革はない。アメリカの大統領指名予備選挙ではオバマ氏の優勢が決定的になっても、この国の政権交代は何時になるのだろう。ガソリンの値段、小麦粉の値上げ、多くの値上げに対して消費者はどんな対策を取るのだろう。

その予兆がすでに出始めている。買い控え、買い惜しみ、物の品定め、価格競争。加えて余分なものが買えない消費動向。この国がこれまで経験した事のないインフレとデフレ、コストアップを価格に転嫁できないもの造りの現場は、深刻な危機的状況にある。

困難に戯れる余裕が多くの人に無くなり、肩書きと権力を盾に絶対的な服従を求めても、お客様は神様であり通用しない。神様はそれどれの心の中にあり人に強制するものではない。そんな当たり前の事も通用しない世知辛い、笑いの無い未来が差し迫っているのだろうか?

それでも悲観することは何もない。「天、地、仁、己、人」親父の好きな言葉です。昨年亡くなったおふくろが親父が幼い頃、悲しい時に目に涙を浮かべながら教えてくれた言葉です。人のあり様は神様が見ている。大地の神が見ている。仮に見逃してくれても自分の心は嘘をつけない。そんな人の思いが分かる知識と心意気を持て。ラストサムライの世界は見失われているだけと感じる人も少なくない。

それでも親父の生き方はこれからの社会では通用しないかも知れない。ラストサムライの社会が銃、大砲でぶち壊されたように。人の思いは千差万別。言葉の意味より言い方が問われる。接客言葉が問題になっているのはあながち笑えない事かも知れない。敬語の使い方を今、真剣に考えている。親父の常識は通用しない現実も少なくない。

間違いは直せばよい。指摘されたことは理由のいかんを問わず必ずメモし同じ事を繰り返さない。それでも誤解の種は尽きない。誤解を解く術はない。弁解が通じるほど甘くない。同じことを繰り返すより己の態度を改める。この要領がなければ禍の種は尽きない。物事の全ては誠意を尽くす事ではなく、相手の立場に立つ事と考える事だろう。

この前のブログにも書いたが経済新聞が売れている。親父もスポーツ誌からチェンジした。それでもこの先の経済予測は難しい。実態を正確に捕捉する数値が無い。経済の専門家が予測を間違うのはここにある。今日のアメリカの経済後退を予測出来たエコノミストは、この国にはほとんど居ない。円高予測もそれ以上に少ない。その程度です。

大事な事はサバイバル(生き残り)競争。食うか食われるかの厳しさはなくても自分の明日は自分で切り開くしかない。経済的に曲がりなりにも保障されて生きてこれた昨日は明日にはいとも簡単に壊れる。その悲哀をどれだけ感じただろう。それがこれから生きる糧となる。

親父の変化は年と共に変わって来たが、この仕事のプロになれば更なるチェンジが期待できる。親父の欠陥は馴れ馴れしい事。親しげに何気なく語る言葉の厭味を全ての人が優しく受け止めては呉れない。人を見て法を説け。仕事に慣れても人を馴れ馴れしく語るな。

早いものでもうすぐ3ヶ月。石の上にも3年の言葉も古いが信頼の言葉はまだ無理だろう。当たり前の言葉を聞きながら当たり前に当たり前の事が出来る。そんな仕事が求められている。仕事の現場は厳しい。売上が人の評価に繋がり己の存在も其処にある。それだけは忘れてはならないかも。間違いなくこれからの経済は未知との遭遇だろう。

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2008年2月23日 (土)

老眼鏡出来たよ

老眼鏡が出来た。一万円の予算では無理だった。約2倍の金額になったが親父は満足している。フレームがチタンで軽量、レンズはメーカー品。店じまいで半額。このブログを見て息子から笑われるだろう。しかしこれから長い付き合いになるメガネの品質は良くなければ、この親父納得しない。良い物にはそれなりの対価を払うのが当然だろう。

この国の経済にも曲がり角が来ている。何事もよい事が長く続かず、悪い事は続き過ぎる。多くの人には人事のように聞こえる「力強い景況感」「7年を超える好景気」そんな実感のない経済指標のからくりは円安と低金利。そんな景気にも暗い影が忍び寄りの気配がする。

それなのにこの緊張感は当事者しかない。多くの人がコストアップ、生活費アップ、明日をどう生きるのか苦労しているのに他人事としか映らない。気づいた時には遅い。どれだけの人がその厳しさを実感しているのだろう?

人の事はどうでも良い。親父は昨年の12月、神様がチャンスを与えてくれた。このままではアカンと思いながらもどうしょうもなかった。親父の努力不足と思われても仕方なく唯ひたすらに、出口を求めていた。信じる者は救われる。その為には不屈の志。それを支える肉体。人は人らしい思いだけでは生きていけない。人の役に立つだけでも足りない。生きる力。それはこの年になっても働ける機会を与えてくれた出会いだろう。

今、多くの事が問われている。格差とか景気とか日雇とか。高齢化社会、少子化、子育て支援、年金、環境、温暖化、消費拡大、etc.。これからは病気も出来ない。体に気をつけて頑張れ。仕事にはようやく慣れて来た。分からない事出来なかった事が少しずつ出来るようになり新人の指導も生意気に出来る様になった。これからも初心忘れず謙虚でありたい。

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2008年2月20日 (水)

昨日より今日 今日より明日

2月も早いもので雨水の時を過ぎました。立春から数えて半月、この国では殆ど使われないこの言葉は大好きです。穀物の種まきの時が近い雨と水、そんな季節になったと昔の農耕民は心に喜びと高ぶりの思いを交錯させたのでしょう。

命の源泉は食と空気、水と新陳代謝にある事をどれだけの人が日々の営みの中に感じているのだろう。安い輸入食品に何の躊躇いもなく口にしながら安全も要求するこの国の消費者は何と不遜な生き物だろう。自分たちが口にする食べ物を何処の誰がどれだけ苦労しながら作っているのか、分かっていないから騒いでいる。餃子ぐらい手作り出来ないのか、どうしてそんな意見がないのだろう?

お店にも多くの買い物客がいるが本当の神様は何処に居るのだろう?これからは今より厳しい生活が多くの人々の肩に圧(の)し掛かる。神様の存在を否定する人はよいが親父の様に信じる人は救われないかも知れない。この国には神も仏も信じない人も少なくないと言われるがそうではないだろう。教えを乞う思いがなければ何時かは罰が当たる。

人の生き方はそれどれ。親父も勝手な生き方をして多くの罪と罰を受けたがこれからは「昨日より今日、今日より明日」 そんな生き方をソロソロしなければならない。

仕事には慣れて来ましたが日々新たの感です。余計な事に不快な思いをしなくなりました。余計な事をしなければ仕事の流れは淡々としてスムーズであり、よどみもなく快適です。今月末まで2日の休みしかなくても親父は元気です。老眼鏡も今週の金曜日に出来上がります。10年来の眼科の先生にお墨付きの検査結果をもらいました。

そんな処です。では又。今日より明日。

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2008年2月11日 (月)

老眼鏡のレンズ紛失

10年前に新調した老眼鏡が昨年親父の不注意で片側のレンズが外れた。それ以来しばしば外れて昨日ついに紛失した。フレームから外れて何処かに行った。買い替えの最後の抵抗だったのかもしれない。長い間のお付き合いに感謝しながらメガネ屋に行く。

しかし今日は祭日。先客がいた。簡単には作れない。今はメガネがないと新聞も読めないので100均で100円のメガネを手にする。「老眼鏡は100円でも良い」これは嘘だと実感する。100円には100円の価値しかない。10年前は3万のメガネを買ったが今度はいくらにするだろう?1万以内で決めたい。

今、この国の経済の先行きにイエローのシグナルが点灯している。しかしその実感はほとんどの人にない。どうしてだろう?人事だと思っているのだろう?それともそんなの関係ないと思っているのか?イエイエ関心はあっても如何ともし難いのが実態だろう。

それにしても今年の景気動向は、景気のリード役をしてきた輸出企業の足踏みが影響してしばらくは良くないだろう。政府、行政には多くの期待が寄せられても打つ手は少ない。考えてみれば選挙の度に国の財政に多くの事を期待する団体、組織の圧力が景気の足を引っ張っているのだろう。

これからのこの国の景気は一括りでは語れない。どんなに景気が良くても悪くても関係ないと言える人も少なくないだろう。しかし間違いなく経済的に余裕のある人は多くはない。国内経済は良くなる要素は小さい。アメリカの経済に活力がなければこの国の経済は一体どれくらいの明るさがあるのだろう?

その答えは残念ながらない。そんなアホなと思いながらもこの国にはアメリカの様なダイナミックな力はないのかもしれない。よきにつけ悪しきにつけアメリカには政権交代があり、この国にはそれがない。黒人の大統領が万が一ではなく現実の問題となってもこの国の多くの人は政治に無関心を決め込むのだろうか?

そんな気がする。若い人と話が出来る親父があまりに少ない。これからの政治も経済も景気動向さえ左右するのは50代以下の世代の動向だろう。今春の労使賃金交渉の注目点を日経でアンケートしているが笑えない厳しさがある。「賃上げなければ消費切り詰める」

どんだけの賃上げが期待できるのだろう。この国のナンバーワン企業トヨタの賃上げ要求でも1500円と言われる。実態は生活だけで余裕のない消費動向はしばらくは続くだろう。そんな中で仕事が出来る人は本当に感謝の気持が大事かもしれない。だろう?

感謝の気持ちと言えばこの言葉の意味は本当に深い。なんのこっちゃと思う事が少なくない。人の非難を平然としながら己の思いを語っても感謝の気持ちは伝わらない。本当の感謝の気持ちに理屈はない。誰にも在る思い。それは悪意を感じさせてはならない。

この2ヶ月の体験の中で学んだ事は人の思いは様々で単純ではない事です。色々な思いの中で力関係を敏感に感じ取りながら話をしている。今は士農工商の身分もいわれのない差別も死語と思われていたが、そうではない。その事を毎日噛みしめながらマイペースで仕事が出来る様に心している。

口は禍の元と言われるがそうではない。謙虚さと頭を下げる誠実な思いがなければ誤解を生む。完全無欠な人はいない。足らざれば補うべし。毎日が学習です。少しづつ慣れて来たが調子に乗るな。毎日、手帳に書くミスも少なくなっても気持ちはまだまだです。

お客の財布のひもが締まればお店の売上は下がるだけでなく今の仕事のスキルを上げないと生き残れない。この事は親父にも大きな刺激となる。生意気な態度は許されない。しばらくは人の振り見て我が振り直せです。

お休みの今日、前住んでいた所の大家さんちに行きました。久々に心開いて大笑いのネタは親父が提供していました。短い間に人間が変わったのではなく違いの部分が可笑しかったのでしょう。人は幾つになっても童心に帰れるのでしょう。涙を流しての笑いの種は親父の高いテンションでした。「いらっしゃいませ。ありがとうございます。」親父の変り方が余りにも可笑しかったのでしょう。人間は幾つになってもチャレンジの心があれば心の底から笑いの思いが込み上げるのかもしれません。

明日も休みです。今月はそれから休みが少ない。明日はメガネ屋とズボンの寸法直しに行きます。ブログも暇があれば書きます。では又。

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2008年2月 8日 (金)

今、やるべき事。今、知るべき事。

今日はお休みです。今月は後半休みが少ないので今の内に英気を養い、心新たに信頼される仕事と生き方をしたいと思っている。この仕事を始めて早いもので2ヶ月経ちました。多くの汗と恥をかきながら感じた事は、どんな仕事にも多くの知識と体験が必要で「ローマは一日にして成らず」との思いを強くしました。

それでも親父の態度、言葉の使い方がこの年になってそんなに悪いの?と思いながら指摘された事の改善をチェックしています。それにしても人間の紋様は多種多様で親父のような単純そのものな性格は、ぼろくそに言われても変わりようがないのかもしれず情けない思いも少なくありません。

これから一人立ちをしながら自分の足りなさを改める謙虚さが試されて行くのでしょう。仕事だけでなく日常の生活にも多くの困難があり、人から何と言われても自分の生活基盤は強くするしかありません。人が人らしく生きるにはきれい事だけでは通じない事も知るべきだろう。

そんな親父の心を見抜いて優しいHさんは「毒舌のKさん」と親しみの?ニックネームを付けて呉れました。Hさんには多くの事を教えてもらいながらも歯に衣着せぬ本音を言える喜びは、大阪のおもろうないお笑いより涙と感動の物語です。阿吽の呼吸、この言葉もすっかり死語になってしまったが二人の語らいが、今、最高の癒しかも。仕事に喜びを感じなくても自分の心の中に支えを失わなければ、より良い自分に出会える事が実感出来るだろう。

人間は勝手な生き物です。牛の肉を食らいながらクジラはイカンとか、テロを憎みながら他国の罪のない子供、女性を傷つけ殺しても戦いの正当性を何の躊躇いもなく口にする。多くの国民の生活を圧迫している価格の値上げには口先だけの事を云う政党が与党?この矛盾も何時の間にか正当化されるのだろうか?

親父達に出来なかったこの国の在り方を変える変革は、皮肉にも今アメリカで論議されている。ベトナムの教訓を生かせなかった大国は今、又政権交代が確実視されその担い手と予想されるオバマとクリントンの候補者指名競争の論点が「変革」。そう言えばこの国での昨年の地方選挙でお笑いのタレントが「どげんかせんといかん。変わらんといかん。」と絶叫して当選した。その知事の人気は未だ衰えを知らない。しかし、その知事が地方の道路整備を声高に叫ぶ。何も変わってない事に誰も気づかないのだろうか?もうそんな時代ではない。

道路の整備をどんなにしても地方の活性化はできない事を、地方の過疎地域に生きている人は知っている。どんなに道路を整備しても生活基盤の支え(産業、若者)がなければ地方の活力はないことは地方に行けばだれでもわかる。整備された道路を疎ら(まばら)にしか車が走らなくても活性化が出来ると平然と言える言葉はこの国の無様そのものです。

多くの人は知らないが「限界集落」「限界農地」「限界山林」「限界生活」。多くの限界がある。言葉の意味は言うまでもない。集落の限界。この言葉の意味は都会人には分からない。それでも美しい国、日本の各地でこの厳しい現実は着実に進行している。人が住めない。

そんな馬鹿な事が過疎の村々で進んでいる。若者たちのいない集落は年寄りが亡くなれば確実に山野となる。当たり前の事が現実の問題となったとき今もっともらしい事を言っている多くの人はいない。温暖化、自然破壊、水不足、スギ花粉、次世代を生きる若者たちにこの国の在り様が問われている。

先日、若者と話をする。友達との話の仕方。異性との付き合い。親父の年になると少しは枯れた事が言えると思われるのだろうか?イエイエ親父は死ぬまで生臭い生き方しか出来ないだろう。それでも確実に言える事は人間様々。神様、仏様、何様。色々です。一々気にすることはない。親父がこの年になって言うのだから間違いはない。大して偉くも金持ちでなくてもでかい面と言い方をする輩と議論することはない。そんな輩は己の非を認めず相手を罵る事しか出来ない。自分から喧嘩する愚は同じレベルに落ちる事と痛感しなければならない。

K君は就職内定。今日の日経に09年卒の就職希望ランキングが掲載されている。寄らば大樹の影か。規模がでかい?アホか。一流?何が?おもしろそう?甘い。金稼ぎに行く気があんのか?親父の余計なお世話です。今この国の国際競争率は24位?国民総生産18位?若者達の学力低下が問題になっているがそんなの全く関係ない。大事な事は君に何が出来るのか?その準備が出来ているかである。企業の求める事は学生気分の断ち切りと己の技能(スキル)を上げる事それしかない。理系のトップはトヨタ。2位ソニー。3位松下。頑張れよ。10年後の自分を信じる人が求められている。

10年前の時を思うと10年先の未来は限りなく近いと思えばよい。10年前に今の自分を予測出来た人は今、成功しているだろう。親父には悲しい事にそれができなかった。しかし今はそれが出来る。その事に感謝しなければならないのかもしれない。

10年後の自分の生き方はこれからの生き方で決まる。10年前親父には余りにも夢と希望がなかった。その日を精一杯生きる。それはそれで大切であるがそれだけでは駄目。理由は長続きしない。絶望ではなかったが必死に生きるだけでは誰も手を貸しては呉れなかった。心配と経済的に負担を掛けたのは息子たち。親父がしっかりしていたらあんなに苦労かける事もなかっただろう。全てはこれからの生き方。その為の苦労と思えば苦しさも怒りの思いも堪えるしかない。この世の中には様々な生き方があり過去と未来の縁を忘れてはならない。

10年後のこの国の未来予想はしたくない。惨憺(サンタン)たる情景が目に浮かぶ。貧富の格差は大きくスラム街は日本各地に広がり、不法移民と路上生活者が益々多くなり行政の事無かれが日常化しているかもしれない。地方の都市は疲弊化し財政破綻の二ュ―スにも無関心の国民が多くなっているのだろうか。

この未来予想が当たるか外れのリトマス試験紙は大阪にある。大阪市と大阪府の革新。何をどう変えれるかで見る事が出来る。大阪は商売繁盛の街。今は完全に名古屋。東京は別格。大阪は今、大きな変貌を遂げようとしている。それでも景気対策を税金でやれなくなってもその実態を知る人は少ない。商売の事は民間人にやらせられるか?その事が問われている。

話は長くなったが昨日、初めてマイク放送が出来た。22時50分の従業員の退舘勧告。今までやれなかった事が一つずつ出来る。偉そうに言う事も言われる事は何もない。1つ1つの事に意味があり苦情の意味を汲み取らなければならない。それが出来ない時、誤解を招く。口は災いの元。心して日々精進したい。

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2008年2月 1日 (金)

日本百名山 深田久弥選定

高所恐怖症の親父が言うのもなんだが山は好きだ。若い頃読んだ哲学者の本に男の子供が二人出来たらどちらかに山の名前を付けろと書いていた。一人目は賢い太郎、二人目は岳の信念だった。二人が幼い頃、家族で旅した上高地の思いは消える事はない。

適う事なら一人でも今一度の思いを河童橋から目前の頂に語りかけたいが、それは余りに悲しい。子供たちと幼き頃の春、毎年桜木を見に行った愛知新城豊川の桜淵のつり橋を一人で渡った時を思い出す。季節はずれの秋の始め、コスモスが涙の中に揺れていた。

あれから12年。それでも心の中に槍穂高への思いは消える事なくくすぶり続けていたのだろうか?。今なら平常心で高き峰々を見上げる事が出来るだろうか?それでも西穂の山荘までが精一杯かもしれない。これから毎月最新版の週刊誌で素晴らしい景色の中に思いを重ねてみたい。そして元気な時必ず笑いながら河童橋の上に立つ。親父のささやかで壮大な願いです。

仕事はやっと冗談も言えるようになりましたがまだまだです。いちびりの気性(人の思いを凄然と無視しながら一方的に冗談を言う)が理解されずに注意されている。もうすぐ2月、体験も2月。言葉に気をつける事をこれからの課題としながら春の息吹きを待ちたい。

2月と言えばプロ野球もキャンプイン。今シーズンの戦いが注目されているがこの世界も外人の戦力が大きい。情けない事に関西のチームに目立つ補強もなく今年も東京と名古屋の戦いを見るだけだろうか。プロの世界は勝ってなんぼの世界。厳しさとの戦いに勝つのは何処だろう。今年の盛り上がりは期待できるのだろうか?

食の安全が問題になっている。2月から値上げが目白押し。懐が温かくない買い物客の財布は誰が緩めるのだろう。今は完全にスタグフレーション(インフレとデフレの同時進行)オイルショック、円高ショックを乗り越えたこの国の経済は今又、困難の時を迎えている。

アメリカの経済はコメンテーターが言うほどよくない事を知らなければならない。この国の基礎的条件がいくら改善されても、内需の盛り上がりに欠ける経済に先行きの明るさはない。それでも道路ありきの政管一帯の盛り上がりに国民の関心が無いのは何故だろう。

親父もそうだったが難しいことは分からないまま、日常の細かなどうでもいい事にもっともらしい理由を見出して納得しているのかもしれない。この国の歴史も現在の問題も未来すら関心がなければ、この先の生き残りは意外に厳しいかもしれない。

いちびりの言葉の意味も以外に死語になっているが、好むと好まざるとに関わらず人気タレントの多くはいちびりです。毒舌の言葉とは少し意味が違う。この都会の冷たい社会で多くの人は他人との関係を否定している。関わりを否定しながら特定の事にはそれが出来ない生き方に以外に多くの人達が苦労している。

若い子達と話をする機会が出来たが馴れ馴れしさはなく、本当に礼儀正しい子と正反対の輩もいる。親父のような生き方と育て方を経験した事の無い若者が社会人となり、これからのこの国の力となる。たくましい肉体に支えられるその日がきっと来る。その日の為に多くの事をもっと知っても良い。これも親父達の問題だろう。

教育の問題も大人の生き方と繋がる部分が少なくない。学力の低下が問題視されても経済のこれからを語れない多くの大人たちに何が教えられるのだろう。今回のアメリカのサブプライムの問題も考えた人は金融のプロ。成功体験の中で生まれた理論がどうして成りたたなかったのか?少しでも経済の原理が分かれば成り立たない事がアメリカの経済を支えたのは人間の果敢ない思惑だった。この代償は計り知れない。テロとの戦いでも同じことを繰り返している。ベトナムの教訓は何処に行ったのだろう?

今日から2月。今月は休みが少ない。それは戦力として認められた事であり同時に日々又新たな課題も少なくないだろう。体と言葉の品性に磨きをかけ気持の良い仕事をやろう。

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