今日出来る事を明日しようと思うな
この言葉は言うは易し、行うは難(がた)し。限られた時間と能力の中でその日の問題をその日に片付ける人は、どれだけ居るだろう?多くの凡人のみならず自分の事は棚に上げて、部下と弱者にその言い訳をさせない輩が多くないだろうか?おやじの生き方は意外に違っていた。(と言っても厳しさしか持ち合わせのない性格だから息子でも信じないだろう)
仕事の間違いは自分で気づいた時点で同じことを繰り返さなければ、ほぼ改善されている。多くの問題は間違いの認識がなく、他人に指摘されても言い訳しか出来ないか、事の本質、重大性の認識がない。昨日、閉店間際に初老の親父に捨て台詞を言われる。
「エレベーターの動きがおかしい。上りのボタンを押しても止まらない。どこのメーカー?。」咄嗟には答えられなかった。恥ずかしながら考えてみても確認するだけで点検の約束をする。親父さんは強烈な言葉を残して立ち去る。「警備員だろう?それくらい知っておけ」
その時は?もあったが無事閉店出来ると気懸りの思いが湧いてくる。「明日の開店前に早番担当に確認してもらおう」申し送りのメモを残す。
今日は休みだったがお店は近くだし携帯も忘れていたので、開店前に顔を出す。申し送りは確認されていた。それでも念のため時間を潰して客として入店する。エレベーターの近くにお店の責任者がいた。お店も不具合を確認していた。即、メンテナンス業者が点検する。
閉店間際迄、問題がなくても何が起きるかわからない。捨て台詞は厳しかったが人命が絡む安全と安心を保障するのが警備の仕事だとあのおやじは教えてくれた。この教訓を忘れず生かしていきたい。
この仕事初めて1月、やっと一通りの事が出来る様にになる。これまでの必死の思いから少しは慣れてきた。隊長から言われてきたが「習うより覚えろ。決められた事が確実に出来なければ任せられない。習うより慣れろ」 一時はどうなる事やら不安も多かったが案ずるよりなんとかである。
それでも何の仕事でもそうだが、見るとやるとでは大違いでこの寒い時大汗の時も少なくなかった。これからは一つ一つの事を噛みしめながらスキルを高めなければならない。何事も軽い思いでは己を高めることはできない。親父の自己満足度は低くない。誇りは無くしてはいけないが語るものでもない。これからの年寄りは卑屈でなく暖かさが求められている。
何事も議論や理屈で語らず、相手の思いを差別なく聞き取る力が身につけば、己の思いも相手に通じるだろう。通じなくても水の流れ、自然の成り行きと同様、逆流は摩擦しかない。余りにも自己主張がなければ成長に欠けるが、おやじの年になればそれも不要かもしれない。これからの課題はもっと確実に、もっと正確に、もっとスムーズにだろう。
謙虚に体に気をつけてこれからの困難に立ち向かいたい。
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