3日間のお休み終了
年末の忙しさが始まる前、3日間の休日。初めの予定に無かった事ばかりのまとまったお休みを終え、明日からの多忙の日々をステップアップしなければならない。今朝、予想外ののどの痛みで目覚める。まどろみの中で原因を探す。扁桃腺。昨夜の耳掃除の時、内耳の粘膜を傷つけたからだろうか?久々にのどが痛い。それでも暖かい床の中でぐずぐずし、起きたのは11時過ぎ。お茶を口にして飲み込む時、咽る(むせる)。ヤバい。顔洗いもそこそこに掛かりつけの耳鼻科にチャりで行く。
暫く、耳内のかぶれと掻き過ぎの出血を見て貰っているので医者も慣れた物。抗生物資の内服薬をもらう。「大した事は無い。大人しくして居なさい」。ガキでもあるまいしと思って見てもこれから寒くなり風邪のシーズンとなる。早めの用心に過ぎたる薬は無い。
午後、年金の話を社会保険事務所に聞きに行く。親父の場合、消えた年金が問題になる前に何度も話を聞いて払い込みの履歴に問題は無かったが、仕事をすると四分の三条項の理解が無いといけない。これが良く分からない。フルタイムで働く時間と日数の係わりだが企業保険と厚生年金に加入しない(出来ない)場合関係無い事が分かる。知り合いの担当から働けるとき、しっかり稼いでねと激励される。考えてみるとこれからの歳月どれ位か分からぬが、何より大事な事は健康と貯え。その重みを噛みしめながら明日からの決意としている。
大袈裟にするのではなく、大上段でなく音無しの構え。それでも少しづつ己の思いを実現する快感。長い間失われた時の中にさまよいの日々を重ねたのは、これだと思える時は段々少なくなる。それでも社会保険庁の帰り、3年前の駐車場警備の時仲良しだった2人の娘を訪ねる。中2と小4になっても変わりは無かった。これからの社会で年寄りの生きる場は限られる。しかし、健康な肉体と精神が失われぬ限り若者に侮られる事は無い。
今年一年を振り返る特集はあっても来年の課題を語れる人は少ない。限りない繁栄から限りの在る繁栄の時代になっても、人の生き方は何も変わりはしない。政治も経済も生活の格差すらどんなに無責任な輩がもっともらしい事を言っても改善の兆しすらない。
あっしには関わりの無い事と言われた木枯らし紋次郎の決めぜりふがヒットしたドラマは昭和42年の事、今年、そんなの関係無いのお笑いが受けている。人間皆兄弟からテロとの戦いを平然と政治家が口にする時代。テロの取り締まりの現実を何も知らない政治家に出来る事はインド洋の給油支援しかないのか。それでも政治は変わる。長くもない一時の政治家2世の手法もそろそろ終わりだろう。そうでなければこの国の構造改革は後世の審判に耐えられないだろう。
親父が一番今年感動した事は参議院の選挙で与野党の勢力が逆転した事。この事実の重みは来年に為ると分かる。今年の多くの政治と経済の課題は先延ばしにしただけ。、参議院の選挙で財務省の若手は論戦の中に、財政の立て直し論議の無い事にさじを投げていたが、行政の無駄とスリム化の出来ない官僚にそれを求めるのは無理だろう。
来る年の希望は願望でなく、決意で無ければならない。困難に戯れる日々の中に成長と安定、喜びと達成感の中にささやかな感動を多くしたい。今年の残りの日々はそのプロローグでありたい。寒くなるが体に気を付けて。親父は未だにパンツ一丁で寝ているよ。
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