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2007年11月21日 (水)

もうすぐ結婚記念日

もうすぐ結婚記念日の23日が来る。しかし、一緒に過ごしたのは23年と10ヶ月。その間一度も幸せの記念日を噛みしめた事は無く、情けない事に祝いの記憶が無い。それでも一家の主として夢中に働き、2軒の家と2人の息子を二人の歓びにする事が出来た。

喧嘩は他愛無い事で絶える事無く、それでもお互いの気持ちは単純で同じ事を繰り返していた。近くのお婆ちゃんから「仲が良いから喧嘩が出来る」と言われながら、本当にその言葉の意味が分かったのは一人になってからだった。

夫婦にしても友達にしても喧嘩の原因は他愛無い。お互いの我儘が相手を刺激する。本当に仲が良ければ何をするのも一緒か、お互いの生き方の違いを認め合うことだろう。親父の場合、他の人を愛する機会はあったがそれが無かったのは、ある意味、母さんにとってうっとおしかったのかもしれない。自分勝手な生き方とよく言われたが本当の意味の優しさは、新婚の一時を除いて無かったのかもしれない。

18+10+24+11=63 これが親父のこれまでの人生。これからどれ位伸びるのだろう?今迄自分の未来図の設計は無かった。18の時九州大分佐伯の駅で父母、弟、卓球部の後輩たちに見送られ故郷を後にして、結婚迄の10年間。迷いと共に生きたけど一所懸命の生き方に間違いは無かった。親父の親父が決めて呉れた見合結婚。未来は輝いていた。

24の歳月が母さんと共に生きた時。正確には23年と10ヵ月。幸せを噛みしめたのはどれ位在ったのだろう。親父が仕事と勝手な生き方が出来たのは母さんのお陰だろう。専業主婦で限られたお金で家庭を切り盛りするのは、田舎の生活では当たり前でも不自由のない育てられ方をした母さんには、不満ばかりだった事が今になれば理解できる。

それでも下の息子が東京の大学に行ってからの短い時、再びの新婚生活だった。喧嘩も少なくなり二人で近くの穴場を探した。最後の旅はこの年の秋、皮肉にも今住んでいる関西。紅葉には少し早い10月、京都洛北の三千院、琵琶湖の保養所、宇治の平等院、新婚の時を過ごした大山崎、奈良の長谷寺、室生寺、帰りの時名古屋の工場で大先輩の歓待を受けた。今考えてみると涙が出そうになる幸せの時だった。

翌年の3月、思いがけない入院。この時は検査の結果に心配ないと言われたが、念の為の検査でガン細部が見つかり「余命は分からない」と言われる。余命が分からない。どう言う事?頭の中は真っ白で検査結果を気にしている当人の事しか考えられなかった。担当医から言われた事「本人には本当の事言わないでください」その言葉の意味の大きさを瞬時に考えていた。親父が本当に優しくなったのはこの時が最初で最後だったのかもしれない。

今、11年の時の流れを経ても何にも変わっていない。歳老いて一番心配していなかった息子の嫁の思いがけない不幸。今年の6月に亡くなった婆ちゃん。今は天国で多くの人と再開していると思うが愚息の事を何と思っているだろう。斎場でお別れの時何も言って呉れなかったけれど、心の中で手を合わせていた。

これからの10年は親父だけでなく、団塊の世代、団塊ジュニア、国も地方も多くの組織も大きな変化が求められ生き方も大きく変わる。先のブログにも書いたが「関係無い」とは言えなくなる。これからの時代は失われた10年で無く勝ち負けの10年になる。

10年の時は長いがこれからが本当の意味で勝負の時だろう。息子から言われるまでもなく人の批判で無く自分の生き方が問われている。これから間違いなく従来の流れが変わる。国の財政も企業の損益も地方の自治も親父の生活もこのままではアカン。それが変えられた時、生き残れるだろう。関係無いとか間抜けな生き方をしていると、生きる場は無い。

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